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「蓑田狂気」と呼ばれた蓑田胸喜の思想史的位置 - 聖徳太子研究の最前線
津田左右吉攻撃といえば、その代表は津田が「憲法十七条」や三経義疏の聖徳太子製作を疑うなど『日本書... 津田左右吉攻撃といえば、その代表は津田が「憲法十七条」や三経義疏の聖徳太子製作を疑うなど『日本書紀』に対して文献批判的研究を行なったことに激高し、不敬罪で告発して裁判にまでもっていった原理日本社の蓑田胸喜(1894-1946)です。 蓑田たちの津田攻撃については、「津田左右吉を攻撃した超国家主義的な聖徳太子礼讃者たち」において大山説批判とからめて簡単に紹介しておきましたが、昭和思想史における蓑田の位置づけに関するわかりやすい解説が出ました。 植村和秀『昭和の思想』 (講談社選書メチエ483、講談社、2010年11月、1500円) です。 既に『「日本」への問いをめぐる闘争--京都学派と原理日本社』(柏書房、2007年)という研究書を著している植村さんは、昭和の思想を論じるには「右翼」対「左翼」といった図式では不十分であるとし、次のような構図を想定します。 西田幾多郎 / 丸山真男 ----
2019/09/02 リンク