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吉子女王 - Wikipedia
吉子女王(よしこじょおう、1804年10月28日〈文化元年9月25日〉-1893年〈明治26年〉1月27日)は、日本の... 吉子女王(よしこじょおう、1804年10月28日〈文化元年9月25日〉-1893年〈明治26年〉1月27日)は、日本の皇族。有栖川宮織仁親王(霊元天皇皇孫)の第12王女。水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の御簾中(正室)。第10代藩主・徳川慶篤、最後の征夷大将軍・徳川慶喜の母。幼称は登美宮(とみのみや)。院号は貞芳院。徳川吉子。没後文明夫人と諡される。 来歴[編集] 有栖川宮織仁親王(霊元天皇皇孫)の第12王女(末娘)。母は家女房・安藤清子[1](清瀧)。同母兄に尊超入道親王、異母兄に有栖川宮韶仁親王など、異母姉に楽宮喬子(徳川家慶御台所)・孚希宮織子(浅野斉賢正室)・栄宮幸子(毛利斉房正室)などがいる[2][3]。 天保元年(1830年)、当時としては結婚適齢期を遥かに過ぎた年齢(27歳)になってから斉昭との婚約がまとまり、翌年に京都から江戸へ降嫁した。婚約時、斉昭は31歳であったが、藩主となっ