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小林 成久 こばやし しげひさ - 戦国日本の津々浦々 ライト版
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小林 成久 こばやし しげひさ - 戦国日本の津々浦々 ライト版
石見銀山の栃畑谷の住人。仮名は万助。本拠は出雲国秋鹿郡大野荘であり、栃畑では「田辺屋敷」に居住し... 石見銀山の栃畑谷の住人。仮名は万助。本拠は出雲国秋鹿郡大野荘であり、栃畑では「田辺屋敷」に居住していた。天正年間には同族とみられる小林之久・同吉久も安芸国厳島神社に回廊を寄進している。 銀山の一時的な来住者 参考文献 銀山の一時的な来住者 文禄五年(1596)、小林成久は出雲国秋鹿郡大野荘の内神社(現松江市大垣町)の随神社・神体造替に施主として関わった。その際の棟札には以下のようにある(「内神社縁起」)。 信心施主大野庄内藤原朝臣小林万助成久 当時者石州銀山桜(栃)畑田辺屋敷居住也 当時、小林成久は石見銀山にあった栃畑地区の「田辺屋敷」に居住していたことが分かる。ただ、内神社の他の棟札銘によると、小林氏は17世紀以降も大野荘内の公文や庄屋として名を連ねている。成久自身も、上記の棟札名に「大野庄内」と明記されていることから、本拠の基盤を大野荘に確保した上で銀山に住んでいたことがうかがえる。