これらの言語を研究した最初の研究者らは、これらの地名は高句麗の領土に当たるため、それらはその州の言語を表していたはずだと仮定した[6]。また李基文とサミュエル・ラムジーらは加えて、地名の音と意味を表すための漢字の二重使用は、朝鮮半島南部の諸国よりも早く漢字を受容していたであろう高句麗の記録者によって行われたとする仮説を提唱した[2]。彼らは、高句麗語が日本語、朝鮮語、ツングース諸語の間に繋がりを形成したと主張する[2]。 クリストファー・ベックウィズは自身の研究において、これらのほとんどすべての単語が日琉語と同根であると提唱した[4]。彼はこれが高句麗の言語であったと考え、これを日本=高句麗語族(英語: Japanese-Koguryeoic)とベックウィズの呼ぶひとつの語族であったとみなした[4]。ベックウィズはこの語族は紀元前4世紀に遼寧省西部に存在し、一つのグループ(弥生文化と同定さ