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発見と東京に関するblueribbonのブックマーク (7)

  • 【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web

    JR高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場から見つかった高輪築堤跡=いずれも東京都港区で、社ヘリ「おおづる」から 1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。(梅野光春)

    【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web
    blueribbon
    blueribbon 2020/11/22
    「この区間の陸地には海軍などの所有地があって線路を通せず、海上ルートが採用された。築堤には切れ目が4カ所あり、陸地から線路をくぐり東京湾に出る水路になっていた。」
  • 銀座線銀座駅リニューアル工事により銀座空襲の爆撃跡が露出してる件について | Rail to Utopia

    HIGUさんからの情報提供を受けて、三連休最終日の銀座駅に走りました!(ありがとうございました!) @semakixxx さま 銀座線銀座駅、装飾パネル剥がされて空爆跡が露出しています! pic.twitter.com/KrFHZ6A6Gr — HIGU (@Seibeh1974) 2019年1月12日 もうすぐでちょうど74年目を迎えようとしている、1945(昭和20)年1月27日。56機のB29爆撃機が白昼の東京都心を襲いました。前年から軍事工場を目標とした爆撃は始まっていたものの、未だ空襲の怖さを知らない都会の人々は曇天の冬空を物珍しそうに見上げていたといいます。この「銀座空襲」では日比谷から有楽町、銀座にかけての都心一帯の建造物が大きな被害を受けました。 被爆箇所のひとつが銀座線の銀座駅です。銀座四丁目交差点の西南側、鳩居堂ビルの前にある現在のA2出口の真横に爆弾が落下し、道路に大

    銀座線銀座駅リニューアル工事により銀座空襲の爆撃跡が露出してる件について | Rail to Utopia
  • あの凌雲閣(浅草十二階)の遺構らしきものがでてきた

    よく「バカと煙は高いところが好き」なんてことをいう。でも、バカじゃなくても高いところが好きなひとは昔から多い。 1880年代(明治20年前後)高所からの眺望を売り物にした建物が、大阪や東京に次々と作られ、ブームになった。 東京では、浅草寺五重塔の修繕作業用の足場に、お金をとって人を登らせたところ、これが大評判となり、この人気に目をつけた寺田為吉という香具師が、1887年(明治20年)「富士山縦覧場」という高さ36メートルの木造モルタルの展望台を浅草六区に作った。

    あの凌雲閣(浅草十二階)の遺構らしきものがでてきた
    blueribbon
    blueribbon 2018/08/12
    ・凌雲閣は、日本初の電動エレベーターや電灯、電話設備などを備えたモダンでハイカラな12階建てのレンガ造りの塔 ・関東大震災で、8階から上が崩落、展望台にいた10数人の観光客がほぼ即死するという大惨事が発生
  • 1948年に東京で撮影されたあの鮮明すぎる35mmフィルムの正体がわかった!! : himag

    このブログは今年の4月に開設したばかりだったので終戦の週にこの映像を思い出し、改めて記事として紹介してみることにしたのだ。 2015年8月10日に記事を公開してからシェアやRTにより大きな反響を呼び、さらに映像の中に1948年11月公開の映画「四十三丁目の奇蹟」のポスターが貼られていることを発見した人から1948年秋の映像ではないか?という指摘が寄せられた。 その後、クルマやスクーターなどに詳しい人からも1948年説を裏付ける情報をもらったので、元記事のタイトルや内容は変更せずに文末に新しく判明した事実を追記するカタチをとった。1946年と思って書いたので終戦直後というタイトルにしたが後に1948年と年代特定されたので終戦から3年後ということになる。 私も新橋の撮影ポイントに行ってカメラ位置を検証したり音楽PVで使われていた映像の元素材を何度も見たりしていたが、いくつかの疑問があった。 【

    1948年に東京で撮影されたあの鮮明すぎる35mmフィルムの正体がわかった!! : himag
    blueribbon
    blueribbon 2015/08/19
    ・「東京ジョー」のスクリーンプロセス用に東京で撮影された素材 ・あのクオリティはハリウッドのスタッフが35mmフィルムで東京を撮っているから ・この映画のスクリーンプロセス用の東京実景はもっと大量にあるはず
  • 東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か NHKニュース

    JR東京駅の北側の地下に、長さ50メートルの巨大な空洞が残されているのが確認されました。およそ50年前に計画された地下トンネルの一部とみられますが、これまで使われたことはなく、どこにあるのかが分からなくなっていました。 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。 空洞にはもともと出入り口が作られておらず、長い間、誰も実際に中を確認できませんでしたが、東京メトロによりますと、平成13年に穴を開けて安全性などを調査したという記録が残っているということです。しかし、その際にどこに穴を開けたかは記録されておらず、再び中に入れない状態となっていました。 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、

    東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か NHKニュース
    blueribbon
    blueribbon 2015/07/20
    「昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていない」
  • 渋谷・東急、天井裏から「玉電」の名残 解体工事で出現:朝日新聞デジタル

    東京・渋谷駅一帯の再開発事業で解体工事が進む東急百貨店東横店東館。老舗が軒を連ねた1階「東横のれん街」の天井板をはがすと美しいアーチ型天井が現れた。かつて路面電車「玉川電気鉄道(通称・玉電〈たまでん〉)」が走っていた名残とみられる。東急関係者も「渋谷発展の歴史を刻む建造物の一部だ」と驚いている。 1934(昭和9)年に開業した東館は昨年3月に閉店し、解体工事中だ。昨秋に「のれん街」と現在も営業中の東急東横店西館をつなぐ通路の天井板をはがすと、地上からの高さ約6メートルのところにアーチ型天井が姿を見せた。 東急広報部によると、37(昭和12)年まで玉電は東横店の1階部分を通り抜けていた。「アーチ型天井の下を玉電が行き交っていたのではないか」

    渋谷・東急、天井裏から「玉電」の名残 解体工事で出現:朝日新聞デジタル
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    blueribbon 2014/06/07
    「老舗が軒を連ねた1階「東横のれん街」の天井板をはがすと美しいアーチ型天井が現れた。かつて路面電車「玉川電気鉄道(通称・玉電〈たまでん〉)」が走っていた名残とみられる。」
  • asahi.com(朝日新聞社):家康のタカ狩り御殿発見か 東京・府中で遺構発掘 - 社会

    徳川家康の府中御殿の跡とみられる遺構=東京都府中市  東京都府中市は14日、徳川家康がタカ狩りなどに使った「府中御殿」の跡とみられる遺構が見つかったと発表し、JR府中町駅前の発掘調査地を報道関係者に公開した。  市によると、御殿は家康が1590年に建設。家康、秀忠、家光の将軍3代がタカ狩りの際に使ったり、奥州征伐を終えた豊臣秀吉を招いたりしたとされるが、1646年に火事で焼失し、場所は特定されていなかったという。  市文化振興課によると、遺構が見つかったのは、同市が2008年から発掘を進めていた8、9世紀の武蔵国府の館跡地の北側。数十メートルにわたって塀やさくの跡とみられる小さな穴が並んでおり、いずれも規模が大きいため、「御殿と推定できる」としている。当時の陶磁器やくぎも見つかっているという。  御殿の場所についてはこれまで、江戸時代の「江戸名所図会」に「家康が国司の館跡に御殿を建てた」

    blueribbon
    blueribbon 2010/05/14
    「1590年に建設。家康、秀忠、家光の将軍3代がタカ狩りの際に使ったり、奥州征伐を終えた豊臣秀吉を招いたりしたとされるが、1646年に火事で焼失し、場所は特定されていなかったという。」
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