タグ

発見と裏話に関するblueribbonのブックマーク (6)

  • 陸軍文書、焼かれたはずが 天皇印や「原子爆弾」の記載:朝日新聞デジタル

    黒い灰が空に舞っている。……東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという。作家高見順が、1945年8月16日付の「敗戦日記」にそう記している。45年8月15日の終戦前後、植民地も含めた日の各地で、大量の公文書が燃やされた。東京・市ケ谷台(現防衛省)にあった陸軍省や参謀部は、その象徴的場所だ。その地中から戦後50年以上を経て、焼却されたはずの文書が、焦げ痕がついた状態で発見された。 その一つ。焼け残った部分からは「昭和19年3月」「陸軍大臣東条英機」の文字と、天皇の「可」の印がみえる。天皇の決裁をあおいだ「御裁可書」だ。45年8月の「特別緊急電報」では「広島」「調査団ヨリ」「原子爆弾ノ爆発中心ニ於ケル放射能」の文字がよみとれる。 防衛省防衛研究所などによると、これらの文書は、96年4月末、自衛隊市ケ谷駐屯地で東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中、簡易防空

    陸軍文書、焼かれたはずが 天皇印や「原子爆弾」の記載:朝日新聞デジタル
    blueribbon
    blueribbon 2018/08/15
    ・旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中、簡易防空壕と推定される壕の地下約2メートルから発見した。 ・腐食を防ぐためにマイナス20度以下の保管場所をさがして一時収容。…修復作業を進めた。
  • 小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB

    太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日に帰国したときは、日中が沸き立ちました。 小野田さんの帰国を巡って、日とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者) 残留日兵 小野田寛郎さん 7月23日、日とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。 当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジ

    小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB
    blueribbon
    blueribbon 2016/07/28
    ・小野田氏ら元日本兵により30人が殺され、100人が傷つけられた ・見舞い金として拠出された3億円が住民やルバング島のために使われた事実はない
  • 太宰治が芥川賞懇願する手紙見つかる NHKニュース

    若き日の、作家、太宰治が文壇の重鎮、佐藤春夫に宛てて書いた手紙が新たに見つかりました。自分の作品を芥川賞に選ぶよう懇願するなどの内容で、当時の心境を物語る資料として注目されています。 このうち、昭和10年6月の日付があるものは初めて送った手紙とみられ、佐藤から作品の評価を伝え聞いた太宰は「うつかり気をゆるめたらバンザイが口から出さうで、たまらないのです」と喜びをつづっています。 また、昭和11年1月の手紙は長さ4メートル余りの巻紙にしたためられています。前の年に行われた芥川賞の最初の選考会で作品が候補になったものの選ばれず、手紙には「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません」「私を忘れないで下さい」「いのちをおまかせ申しあげます」と自分の作品を選ぶよう懇願する内容になっています。 太宰治が芥川賞の選考委員に受賞を懇願する手紙や

    太宰治が芥川賞懇願する手紙見つかる NHKニュース
    blueribbon
    blueribbon 2015/09/08
    「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません。…私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます」
  • 特集ワイド:日韓黒幕のアルバム発見 国交50年、児玉誉士夫氏が残した2冊 KCIAトップと「前祝い」/ちらつく米国の影 - 毎日新聞

    blueribbon
    blueribbon 2015/06/27
    「実力者で児玉氏に比肩できるのは岸信介元首相ぐらいでしょう。ただし岸元首相は裏社会までは動かせない。アルバムは朴政権が児玉氏の非公式ラインを使い、正式の外交舞台を整えていった動かぬ証拠です」
  • 小林多喜二:最期、隣室収監の学者が書簡に記す - 毎日新聞

    blueribbon
    blueribbon 2015/02/18
    「(多喜二は)監房とは別室で死亡したか「あるいは保護室にいれられるまえに息をひきとつていて、彼ら(警察医)は申しわけ的に人工呼吸などしたかも知れません」と証言している。」
  • 核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    佐藤家で発見された、ニクソン米大統領と佐藤首相(当時)がサインをかわした合意議事録の写し。「トップ・シークレット」の文字がある 沖縄返還交渉を巡り、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされたとされる有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。 密約の存在を裏付ける決定的な証拠が発見されたことになる。 外務省はこれまで文書の存在を否定してきた。日米間の密約の存否の検証を行っている外務省の有識者委員会の判断にも大きな影響を与えるのは必至だ。 佐藤家で発見されたのは、ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた「合意議事録」の実物。読売新聞社が入手した「合意議事録」の写し(英文2枚)は、1969年11月19日付で、上下に「トップ・シークレット(極秘)」とある。文末には佐藤、ニクソン両首脳の署名がある。 文書では、米側が「日

    blueribbon
    blueribbon 2009/12/23
    「重大な緊急事態が生じた際は、日本と事前協議を行ったうえで、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。米国政府は好意的回答を期待する」
  • 1