タグ

説と文化に関するblueribbonのブックマーク (4)

  • 近年の失礼クリエイター(※マナー講師)による失礼事項の急増は、航空業界のローカルルールがCA出身のマナー講師によって外に出たことによる事象だった?

    手塚一佳 DFA/博士(芸術) MENSAN @tezukakaz @fukanju この「了解」の禁止、CAさんが航空会社辞めてマナー講師始めると必ず言い出すのですが、単に航空機では命令応答を連想させて緊急事態風なのでダメというだけで、来は目上にこそ使う単語です。軍隊で命令に返答する単語なのだから当たり前ですけども。 2020-10-15 23:47:48 手塚一佳 DFA/博士(芸術) MENSAN @tezukakaz これスッチーさんが不況で退職してマナー講師やると必ず言い出すマナーなんですが、単に航空機内で「了解」という単語だと固すぎて緊急事態を想像させるのでダメというだけで、実際の国語としては、目上の方にも「了解」でなんの問題もありません。というか軍隊で命令に返答する言葉なのだから当たり前 twitter.com/rebirthlab1/st… 2020-10-15 23:4

    近年の失礼クリエイター(※マナー講師)による失礼事項の急増は、航空業界のローカルルールがCA出身のマナー講師によって外に出たことによる事象だった?
    blueribbon
    blueribbon 2020/10/18
    「徳利の向きや金属製の名刺入れ禁止、渡し箸の禁止、などは明らかに航空業界ローカルルールですね。スポンサー配慮や安全上のルールの持ち込みです。」
  • わずか50年で消えた古九谷は隠れキリシタンによる暗号だった。日本版ダ・ヴィンチ・コード! - 歴史ニュースウォーカー

    九谷焼というのは、なんだか派手な色をした陶磁器です。東洋風とも西洋風とも、とりあえずワビサビな世界とは一線を画しています。 九州の伊万里焼(有田焼)に似ています。似ているどころか伊万里焼が九谷のオリジンというのが有力説です。 伊万里焼は、秀吉が朝鮮出兵で、むこうの陶工を連れてきたのが始まりなので、戦国時代末の16世紀後半からスタートです。 江戸時代の17世紀の後半(1655年ごろ)になって加賀藩(石川県、厳密には加賀藩支藩の大聖寺藩)に突如あらわれたのが、伊万里焼っぽいテイストを持つ「古九谷」でした。両方とも「いい仕事していますね〜」。 この古九谷はなぜか50年ほどでこの世から消えてしまいます。その後、復活するまで100年以上の断絶があるのです。 (古九谷を造った人たちと、九谷焼をつくる人たちの間には、人的に技術の継承がないということ。デザインは古九谷を踏襲しています) 芸術品として当時も

    わずか50年で消えた古九谷は隠れキリシタンによる暗号だった。日本版ダ・ヴィンチ・コード! - 歴史ニュースウォーカー
    blueribbon
    blueribbon 2013/05/19
    「隠れキリシタン=古九谷説」
  • ピカソ美術館が前衛的過ぎる件について-バルセロナ(6) - My Life After MIT Sloan

    さて記事の続きですが、カテドラルも見終わって、漸くこの日の最後の目的地、ピカソ美術館に向かう。 私はパリのポンピドーの現代美術館に行くまでは、ピカソってそんなに好きでもなかったが、 そこで衝撃的な作品に出くわして以来、結構好きだ。 でもこのピカソ美術館で受けた衝撃はもっとすごかったね。 「ピカソと春画」-特別展示で、ピカソが日の春画にどのように影響を受けたか、というのをやっていたのだが、その展示内容もだけど、主張が前衛的過ぎて衝撃。 こーゆーの、美術館でやっちゃうんだ、スペインってすごい・・・と思ったし、同時に美術館の社会的役割について考えさせられた。 それから、観衆のスペイン人たちもすごいよ・・・。 結構恥ずかしい絵たちを、い入るように鑑賞し、会話するスペイン人の男女。 R指定なんか無いから、子供まで入場して鑑賞しとるよ。 フランスがアムール(愛)の国なら、スペインはエロスの国なんだ

    ピカソ美術館が前衛的過ぎる件について-バルセロナ(6) - My Life After MIT Sloan
    blueribbon
    blueribbon 2009/12/29
    「ピカソのキュービズムは日本の春画から来ている」「メッセージを出す美術館が面白い」
  • 島根日日新聞

    文化・芸能 天井の「八雲之図」、約60年ぶり公開/七つの数や向きなど謎を秘め/21日から殿特別拝観/出雲大社 掲載日:2008/04/20 出雲大社(千家尊祐宮司、出雲市大社町)の仮殿遷座祭(四月二十日)に合わせ、殿の特別拝観が二十一日から始まる。殿の天井にある「八雲之図」が、昭和の遷宮以来、約六十年ぶりに公開される。「八雲」とされながら七つの雲が描かれ、多くの謎に包まれている同図をめぐり、注目が高まっている。 同図は、現在の殿が造営された延享元年(一七四四年)に完成しており、当時の絵師・竹内随流斉甫記によって描かれた。殿天井に、赤や青、黄、紫などの色とりどりの雲が七つ描かれている。 なぜ「八雲」なのに七つの雲が描かれているのかという理由は明らかになっておらず、神魂神社(松江市)の天井の雲が九つあることから、中には、「一つの雲が神魂神社へ飛んでいったのでは」と話す人もいるという。

  • 1