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断想: 社会主義と同じく民主主義も行くところまで行くしかないのだろう
前稿の最後にこう書いている: 長岡半太郎が生きた明治という時代は天皇に統治権があった。国民主権では... 前稿の最後にこう書いている: 長岡半太郎が生きた明治という時代は天皇に統治権があった。国民主権ではなかったので、国民の側に統治の最終的責任があるわけではない。故に、日露戦争を知らずとも、一人の社会人として無責任であったとは言えない。 この意味で、長岡半太郎という生来の科学者は、文字通りの《良き臣民》であったわけだ。 こうした戦前期・日本に生きた人たちのメンタリティを自分で追体験できないことは残念だ。夏目漱石、森鴎外や島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎、江戸川乱歩などの小説作品に登場してくる人物は、正に非民主主義的であった日本に生きていたが、作品を読む限り、作中で前提されている価値観の非条理を覚えることは(少なくとも小生は)ない。少なくとも理解可能である。というより、理解不能な社会を前提とした文学作品は理解不能のはずで読む気にはなれないだろう。 戦前期・日本が民主主義国でなかったことは自明であ
2024/04/04 リンク