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認識は常識から——最低限、母国語が通じる日本であってほしい(三浦俊彦)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
国家や民族の本質はやはり言語でしょうね。たとえば日本国に属して日本文化を誇りに思うためには、日本... 国家や民族の本質はやはり言語でしょうね。たとえば日本国に属して日本文化を誇りに思うためには、日本語が正しく機能していなければなりません。ところが、簡単な単語が組み合わさっただけで日本語が俄然怪しく見えてきて、「俺は日本を愛せるのか、愛するどころか恥ずべきではないのか」と自信が揺らいでくるのだから厄介です。 最近は「歴史認識」という言葉ですかね。「国や民族ごとに解釈の違いがあって当然」「正解は立場次第」みたいな一種ものわかりの良さが漂う言葉……。だいぶ前のことですみませんが、昭和天皇が「そういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません」と宣ったシーンが思い起こされます。 あの頃はともかくとして昨今「歴史認識」と呼ばれる争点(?)のいくつかは、「認識」などと言い立てるまでもない「常識」でしょう。辞書を見ればすむレベル。難しそうな装いに値しないナマの事実。 たとえばアジア・太平洋戦争
2015/10/20 リンク