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映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は10億人の人の歴史を踏みにじる英国で政治家チャーチルを描いた映画がヒットした。だが英国に植民地として支配された歴史を持つインドから見れば、チャーチルは何百万人ものインド人を餓死させた人種差別主義者とうつるのだ。 私の実家では、食べ物の好き嫌いを言ってはならない。「この食べ物をつくるために、誰かが時間と労力をかけているのよ」と母に昔から教えられてきた。 私たちの家では、食べ物を無駄にはできない。自分が食べるものに、他の誰かが費やしてくれた時間と労力をありがたく思うことは、誰もがすること、あるいはすべきことだろう。 しかし、私の家族がテーブルに乗っている食べ物に感謝する理由は、もっと深いところにある。私の両親は、インドとパキスタンの分割とそれに続く混乱と飢饉を経験し、そのトラウマを抱えながら生き抜いてきた。 彼らは、飢えた人々が虫け
イギリスの古代遺跡ストーンヘンジのそばの地中におよそ100個の新たな石柱が埋まっている痕跡を発見したと、イギリスの大学などの研究チームが発表し、ストーンヘンジの謎の解明につながるのか注目されています。 「スーパーヘンジ」と呼ばれるこの遺跡は、直径500メートルほどの大きさで、4500年ほど前に造られたと考えられるということです。調査は5年間かけて最新鋭の地中探査装置を使って地面を掘り返すことなく行われ、高さ4.5メートルほどの石柱がおよそ100個あり、押し倒された石柱に大量の土がかぶって残っていたとみられるということです。 調査チームを率いるガフニー教授は「遺跡の保存状態は良くストーンヘンジの成り立ちを理解する重要な手がかりになるだろう」と話していて、今回の発見が多くの謎が残るストーンヘンジの解明につながるのか注目されています。
イギリスの湖の下に「秘密の部屋」があった…19世紀に建てられた史上最悪の愚行とも言われる水中ドーム イギリスのとある湖の真ん中に、ポツンと立つ海神ネプチューン(ポセイドン)の像。 なんとこの下(水深12m)には、大富豪が1800年代に建てた秘密の部屋があるというのです。 いったいどんな構造になっているのでしょうか……。 1. 場所はイギリスのサリー州のウィットリー・パークにあり、ウィテカー・ライトという鉱山業の投資によって莫大な財産を築いたアメリカ人の富豪によって建てられました。 2. 岸側から見たところ。 3. 地下へつながる階段。 4. 下りて行くと……。 5. 通路に到着。 6. この長い通路の上は湖です。 7. 天井の高い部屋(社交ダンスホール)が見えてきました! 8. ドーム状の外壁は半透明の窓になっていて、水族館のようになっています。 9. 部屋の全貌。 10. 当時の建築技術
イギリスの金融街「シティ」の中心で、ローマ帝国の植民地時代のイギリスで、帝国の拠点の遺跡や遺物が大量に発掘されたと、イギリスのロンドン考古学博物館が2013年4月10日、発表しました。 オーパーツっぽい雰囲気(笑)の琥珀のお守りやタイルなどが並んでいますね。 ロンドンという名前もローマ人が付けた名前なんですよね。(あっ、タイトルは知り合いのイギリス人の言動です) CNNは動画があります。 (略) ロンドンが「ロンディニウム」と呼ばれていたローマ時代の日常生活の様子を知る貴重な手がかりになるとしている。 発掘調査は米通信社大手ブルームバーグの新社屋建設予定地で行われた。約半年がかりで3500トンあまりの土を手作業でかき分け、ローマ帝国が英国を支配していた西暦40年ごろから5世紀初頭にかけての工芸品など1万点あまりを掘り起こした。 出土したのは琥珀(こはく)のお守りや、騎士が伝説の生き物と戦う
両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります
1883年、日本では明治16年、鹿鳴館落成のとき、イギリスのロンドンは、こんな町並みだったみたいなんだ。建物の構造や、広告の文字までよくわかる、この当時にしては貴重な写真なんだそうだ。
無職男性、莫大な金銀財宝を掘り当てる…7世紀のイギリス七王国時代のもの イギリスで55歳の男性が農地を掘っていたら、7世紀頃のアングロ・サクソン時代の財宝が出土したそうです。 使用されている金だけで5kgという、まさに目もくらむような金銀財宝を掘りあてたものの、その莫大な量を見て怖くなり、あわてて専門家に調査を依頼したとのことです。 イギリス中部のバーントウッドに住むテリー・ハーバートさんは、今年7月に近所の農地を金属探知機で調べていました。 18年前から金属探知を趣味にしていると言うテリーさんは、7月に財宝を発見、最初の5日間は自力で発掘していましたが、あまりの量に専門家に任せることにしたそうです。 これらの財宝は、7世紀頃にゲルマン系であるアングロ・サクソン人がイギリスへ侵入して建国し、7つの王国が覇を争った七王国時代のものとみられています。 日本で言うと聖徳太子や大化の改新の時代。当
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