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歴史と古代に関するkaitosterのブックマーク (3)

  • モンゴル中部で匈奴帝国の首都遺跡見つかる

    【7月22日 Xinhua News】モンゴル中部でこのほど、古代モンゴル草原で一大勢力を築いた匈奴(きょうど)の首都とされる竜城の遺跡が発見された。モンゴルの考古学者が18日、明らかにした。 考古学調査チームのリーダーを務めるウランバートル大学のイデルハンガイ准教授は新華社の取材に対し「匈奴帝国の政治の中心地を10年余り探し続けていた。竜城を発見し、発掘できたことをうれしく思う」と語った。 イデルハンガイ氏は「遺跡の建物遺構から漢字で『天子単于』と刻まれた瓦当(軒瓦の先端部分)が見つかった。これにより遺跡が竜城であると分かった」と述べた。「天子単于」の銘のある瓦がモンゴルで見つかったのは今回が初めてだという。 イデルハンガイ氏によると、遺跡はアルハンガイ県ウルジート郡で2017年に発見されたが、資金難により今年になって発掘作業を開始したという。(c)Xinhua News/AFPBB N

    モンゴル中部で匈奴帝国の首都遺跡見つかる
    kaitoster
    kaitoster 2020/07/23
    キングダムの時代には李牧や蒙恬が匈奴ボコボコにしていたんだよな。
  • 大化の改新ゆかりの広場ほぼ断定|NHK 関西のニュース

    大化の改新を行った中大兄皇子と、中臣鎌足は、神木が立つ「槻の樹の広場」と呼ばれる場所で出会ったと伝えられています。 この神木があった可能性を示す遺構が、奈良県明日香村の遺跡で初めて見つかり、村の教育委員会は、この遺跡を大化の改新ゆかりの広場の跡とほぼ断定しました。 奈良県明日香村の「飛鳥寺西方遺跡」は、大化の改新を行った中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所として、日書紀に記されている「槻の樹の広場」ではないかとされています。 「槻の樹」は、いまでいう「ケヤキの木」で、古代には神木とされていました。 村の教育委員会がこのほどまとめた発掘調査の報告書によりますと、遺跡の広さは少なくとも、南北が200メートル、東西が140メートルで、一面に石が敷かれていました。 この場所では井戸の跡が見つかったほか、近くの飛鳥寺からみてちょうど西の方角には6メートルから7メートル四方にわたって石敷きがない場所が

    大化の改新ゆかりの広場ほぼ断定|NHK 関西のニュース
    kaitoster
    kaitoster 2020/06/13
    乙巳の変ごっこを再現する不謹慎コスプレイヤー大発生してしまうのか。
  • 奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「 破斯 ( はし ) 」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日の国際性を裏付ける成果となる。 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「 員外大属 ( いんがいだいさかん ) 」という役職名、中国語でペルシャを表す「 波斯 ( はし ) 」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元

    奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    kaitoster
    kaitoster 2016/10/05
    まさに世界の端から来ていたんだな。
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