イギリス文学者で武蔵大学教授であり、フェミニズム批評で有名な、北村紗衣教授に対する悪質な誹謗中傷について、本日、東京地裁は、加害者に金220万円の高額賠償を命じる判決を下しました。 この事案では、加害者側がカンパを募ったことが賠償額の増額事由として考慮されています。被害者ではなく加害者がカンパを募る「誹謗中傷ビジネス」に対して、裁判所が歯止めをかけた重要な貴重な判決だと評価してよいと思います。 判決はこちらのリンクからご覧ください↓ 東京地方裁判所 令和4年(ワ)第4632号 判決 ————– 北村紗衣先生のコメント まずは弁護団の皆様と、傍聴などで支援してくださった皆様に心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。皆様の努力と励ましなしに今回の判決は無かったと思います。 私はお金が欲しくてこの裁判を行ったのではありません。自分の名誉を守るために、そしてこうした行為が許されては
中学生のとき、夏休みの部活で、長野のほうの合宿所に行ったときの話。 合宿所は、田舎の廃校を再利用したものだった。そこのトイレが、われわれが寝る旧校舎から離れたところにあって、しかも古いまま。 当然ながら、「出る」という噂があった。 わたしが参加したときも、夜中に、トイレに行った女子の二人組が「お化けが出た」と騒ぎ始めた。 女子部屋の騒ぎは男子部屋のわれわれにも伝わり、「男子、行ってきて!」となったのだが、わたし含めて、だれも行く勇気がない。 結局は引率の理科の先生が叩き起こされた。 「まったく・・もう」 と目をこすりながら現れた40代の男の先生は、 「きみたちは、お化けなんていると思ってるのか・・お化けなんていないんだよ」 とぶつぶつ言いながら、生徒たちを後ろにしたがえてトイレに行き、電灯をすべてつけて、すみずみまで生徒たちに見せ、 「ほら、なにもいないだろ。すんだら、電気消して寝ろ」 と
ことが起きてから考えるのは手遅れかもしれない。けれど、次に同じことが起きないように考えていないと、ぼくたちはずっとこのままだと思う。 いじめについてぼくがどんな風に考えていてどんな方向を向いていたいかをまとめました。※過去のいくつかの記事をまとめて加筆修正したものです。 いじめる側といじめられる側と外野いじめ問題についてしばしば「いじめられる側にも原因がある」という言説を目にする。そんな時に、だいたい「そんなことはない!いじめる側が悪いに決まっている!」という反応になるんだけれど、これ、きちんと整理しておかないと問題解決に向かわないなあ、と考えていたのでまとめておこうと思う。 まず、いじめが[起きる]ことに関しては、誤解を恐れずに言うと、いじめる側にもいじめられる側にも「要因」はある。 それは、どんな物事にも因果関係があるように、あくまで「要因」であって「原因」ではない。 万引きにたとえる
統一教会報道の問題の1つは、どうしても背後に「反・自民党」の左翼勢力の工作や誘導を感じてしまうことだが、問題はそれだけではない。 「カルト宗教」を扱う危険を、マスコミはどれだけ意識しているのだろうか。そこに、オウム真理教事件の教訓は生かされているのか、という問題がある。 私の考えでは、マスコミはオウム真理教事件から何1つ学んでいない。 視聴者が飽きてきたのか、統一教会の加熱報道も一段落しつつある。このあたりで私の考えをまとめ、警告しておこう。 「マスコミが起こした」オウム事件 1989年から1995年にかけて起こったオウム真理教事件は、カルト教団の「狂気」だけで起きたわけではない。 それは、マスコミ報道が起こした事件でもあった。 私は、その問題意識から「1989年のアウトポスト」という小説を書いている(読むのは無料。映像化権、まだ空いてます!)。この事件については関係者が多くの手記や証言を
JAC Digital主催のイベント「リスキリングは本当に仕事に生かせるのか? VUCA時代、可能性を広げるためのキャリアの育て方」の模様をお届けします。元・日本マイクロソフト業務執行役員でJAC Digitalアドバイザーの澤円氏が登壇し、これからの時代のキャリアについて深掘りしました。本記事では、キャリアを考える上でリスキリングが重要となる理由を語りました。 元・日本マイクロソフト業務執行役員の澤円氏が登壇 澤円氏:よろしくお願いします。澤でございます。さっそくセッションに入っていこうと思います。今回は実際のセミナーというか、僕のプレゼンは若干短めにして、Q&Aをたっぷり取りたいなと思います。 今日のセミナーは、興味ある人が多いのではないかなと思うので。僕が話し続けるよりも、疑問や不安をどんどん寄せていただいて、それに僕が答えていくスタイルを取りたいなと思っています。 チャットは、賑や
んだけど、私の考えは少数派かなと思うのでここに書く。(多数派に攻撃されないかと怖いから) 事件概要としては、Adoが他の歌手とコラボしたことについてSNS上で否定的なリアクションがあったらしい。 具体的にどれのことなのかは分からなかったけど、Adoとコラボ相手は釣り合ってない(コラボ相手の方が格下?)から嫌だみたいな意見があったのかな。 それに対してAdoがお気持ち表明していて、主張を要約すると概ね以下だった。原文はまあSNSを見に行ってもらえると。 コラボにマイナスの意見を持つのは構わないコラボ相手に見えてしまう場所で書き込んだり、その書き込みに賛同するような人はブロックする こういった行為を行う人間は想像力も優しさも配慮もない無神経 私は非常に傷ついた自由な意見と配慮に欠けた言葉を一緒にするな まあ要するに、「マイナスの意見をSNSで言うんじゃあねーよ」って趣旨なのかなと思った。 言う
「アイヌに会ったことない」それって 本当?『ゴールデンカムイ』を観る前 に知るべきアイヌへの差別の歴史 北原モコットゥナㇱ教授 インタビュー前篇 『ゴールデンカムイ』の人気で、アイヌの文化や伝統への関心は高まっています。でも、アイヌの人々が抱える差別や生きづらさについて、思いを巡らせられている人はどれだけいるでしょうか。 アイヌへの差別の構造について考えることは、女性やLGBTQ+、障がい者など他のマイノリティ差別の理解にも繋がります。『ゴールデンカムイ』の監修にも参加している、北海道大学教授・北原モコットゥナㇱさんにアイヌの人々がどんなことに「もやもや」を感じているのか、そして無知・無理解の構造、マイノリティとマジョリティの関係性などを伺いました。 》後篇を見る 『ゴールデンカムイ』でアイヌに興味を持ったなら 差別や偏見にさらされてきた歴史も知ってほしい 自身もアイヌとしてのルーツを持つ
れいわ新選組の山本太郎さんが能登半島地震の現地入りをしてしまったうえで、愚にもつかない解決策を総理の岸田文雄さんと石川県知事の馳浩さんにX(Twitter)上でぶん投げるという惨事がありました。 個人的には賛否両論・両論併記の対象というよりは、これらの軽率な盲動については固く戒められるべきと思っていたところ、あろうことか山本太郎さんが一連の愚挙と凡庸な提言をもって政府が能登半島地震対策の方針転換をしたと自画自賛する内容が流れてきて、これはもう単純に「れいわはないわ」以前に有害なファッショだなあという思いを強くしております。 問題は、物事の本質を理解しない層が、このような詐欺話法を使う山本太郎さんの行動は正しかったと誤認し、ゴミ箱としての性質を強くすることです。100人中、5人程度の支持を得られれば公党としての役割を一層強化できることは民主主義のコストとして仕方がない面はありますが(実際、公
人はミスをする。これは当たり前のことだ。 だからミスしないように準備をするし、仮にミスしたとしても、トラブルにならないように防護策を立てておく。人命に関わるような重大なトラブルになるのであれば、対策は何重にもなるだろう。 個人的なミスが、ただ一つの「原因→結果」として重大な事故に直結したなら分かりやすいが、現実としてありえない。ミスを事故に至らしめた連鎖や、それを生み出した背景を無視して、「個人」を糾弾することは公正なのか? 例えば、米国における医療ミスによる死亡者数は、年間40万人以上と推計されている(※1)。イギリスでは年間3万4千人もの患者がヒューマンエラーによって死亡している(※2)。 回避できたにもかかわらず死亡させた原因として、誤診や投薬ミス、手術中の外傷、手術部位の取り違え、輸血ミス、術後合併症など多岐にわたる。数字だけで見るならば、米国の三大死因は、「心疾患」「がん」そして
志賀原発では、1号機と2号機がいずれも長期間運転を停止していますが、2日に記者会見した北陸電力によりますと1日午後4時10分ごろの地震では、1号機の原子炉建屋地下2階で震度5強相当の揺れを観測したと発表しました。 揺れの大きさを示す加速度は水平方向で336.4ガル、鉛直方向で329.9ガルで、それぞれ東京電力福島第一原発の事故の前に想定していた水平方向で最大600ガル、鉛直方向で最大405ガルを下回っていました。 地震による影響で、1号機と2号機で外部から電気を受けるために使われている変圧器あわせて2台で、配管が壊れて絶縁や冷却のための油が漏れ出したということです。 漏れた油の量は1号機側が3600リットル、2号機側で3500リットルに上るということで、これらの変圧器を使う系統では、現在も、電気が受けられない状況が続いています。 1号機、2号機ともにほかの系統を使って外部からの電気を受けて
暗闇に輝く光 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方につい
特別支援学校出身の発達障害児が3年で偏差値を65上げ筑波大学に現役合格した話私は中学まで特別支援学校に通っていた。高校から普通高校に行ったのだが当然授業はさっぱり分からない。私の通った高校は所謂名前さえ書ければ入れるクロマティ高校であり、入学時にそれまでの単元をちゃんと履修してるか?等の確認は勿論しなかった。この高校を知った時は「最高かよ!」と思ったが実際に入ってみると、それは「私に限らず生徒みんな授業の内容とか分からないので先生も教える事を諦めて淡々とマニュアル通りに物事を進める」という形で牙を私に牙をむく。つまり私に限らずあらゆる生徒が先生に分からないから教えてくれ的な事を言っても「教科書を読み返して下さい」で全てシャットアウトなのである。 勿論教科書を読み直してみても分からないモノは分からない。オマケに私は言語は理解していたものの中学3年生まで発音出来ず、高校1年の時は人より3倍遅く
今回の記事では、ちょっと感覚的でふわっとした話をしようと思います。それは「『仮説ドリブン』という考え方には往々にして落とし穴があるのではないか?」という問題提起です。 そもそも、「仮説ドリブン」(仮説駆動型:hypothesis-driven)というアプローチは実験科学分野出身の我が身にとっては、個人的には馴染み深いものです。まだ僕がポスドクだった頃、国際会議に際して日本人研究者同士で集まる会が毎回あったのですが、その席上でお話を聞く機会があった当時のトップ研究者の先生から「この世の森羅万象は網羅しようとするにはあまりにも広大過ぎる、故に森羅万象を区切って『仮説で白黒つけられる範囲』に絞り、これを検証するということを繰り返して前に進むべき」ということを聞かされ、感銘を受けたのを覚えています。 実際、仮説ドリブンの考え方は非常に有用なものであり、今現在僕自身が主戦場とする広告・マーケティング
山本七平bot @yamamoto7hei ①【情報の価値】様々な場合にその例が見られるが、我々には違和感を感じる記述・統計・報告などを、なかなか受けつけない体質がある。主婦などが「肌で感じた事と全く違う」といった表現で、政府が発表した数字などを拒否している記事が新聞に出るが、大変に面白い現象だと思う。<『「常識」の研究』 2012-08-03 17:58:31 山本七平bot @yamamoto7hei ②というのは、こういった主婦には、巨視的に把握された数字と自分の直接の感触との間に違和感があって当然、否むしろ違和感があるがゆえにその数字が大切なのであり、違和感を感じないなら、その数字はむしろあやしいものだといった発想が全くないからである。 2012-08-03 18:21:10 山本七平bot @yamamoto7hei ③情報は、自己の感触と違うものほど価値がある。同じならある意味
山本七平bot @yamamoto7hei ①【交渉ということができない】同情っていうのは英語ではsympathyであり、ギリシャ語ではsumpathetaioというんですが、接頭語のsymつまりsumというのは英語のwithの意味なんです。 ですからこれは絶対一人じゃないんです。<『比較文化論の試み』 2014-02-10 23:09:10 山本七平bot @yamamoto7hei ②相手との話し合いで向こうがこうしてくれと言ったらその通りにしてやる。まあヒヨコがお湯を飲みたいと言えばお湯を飲ましてやる。 そうじゃない場合、いきなり自分が相手の立場に立たない。 これが日本人には非常にできにくいんです。 できにくいというのは理由があるんです。 2014-02-10 23:39:16 山本七平bot @yamamoto7hei ③私たちの社会には、今まで挙げたような例はいろいろありますけど
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