ことし10月5日で、亡くなってから10年になるスティーブ・ジョブズ。 マッキントッシュ・コンピューターからiPhoneまで、IT分野のフロントランナーとして世界を変えたジョブズは、禅や和食などの日本文化に深い関心を持っていた。 そして、時折、家族と古都の京都を訪れていた。 ジョブズに京都はどう映っていたのか。その素顔に接した人たちを取材した。 (国際放送局 World News部記者 佐伯健太郎)
ITの傑作商品を次々と開発して世界を変えたスティーブ・ジョブズ。惜しまれたその死から、ことし10月で10年になる。彼が生み出した製品は、いまも、その機能性と共に、美しく斬新なデザインでも世界を魅了している。 ジョブズの美的センスには日本文化の禅が影響を与えたことが知られているが、実は、禅に触れる以前、子どもの頃に見た日本の「新版画」、特に川瀬巴水(かわせはすい)から大きな影響を受けていた。ジョブズが巴水から学んだシンプルな美への探求をたどる。 文末には、ジョブズが購入した新版画作品のリストも記した。 (国際放送局・佐伯健太郎) スティーブ・ジョブズが川瀬巴水の作品と最初に出会ったのは、彼がまだ10代の頃に知り合ったカリフォルニア州サニーベールに住む親友ビル・フェルナンデスの自宅だった。 2人は互いの家を行き来し、電子機器をいじって遊んでいた。ビルは後年、アップル最初のフルタイムの社員になる
iPhoneやマッキントッシュなど、革命的な製品を次々と生み出したスティーブ・ジョブズの「美の原点」に、彼が10代の頃に親友の家で目にした日本の美術品「新版画」があったことは、去年7月のWEB特集で紹介した。 その後、ジョブズの日本での足跡をさらに取材すると、彼が焼き物に大変な興味を持ち、ギャラリーや窯元をよく訪れていたことが分かった。 ジョブズは、焼き物から何を感じ取っていたのか、どんな影響を受けていたのか。 (国際放送局WorldNews部 佐伯健太郎) 定休日の画廊のブラインドの隙間から、内部をうかがう4つの目…。 1996年4月10日、水曜日の昼下がり。 京都の昔ながらの静かなたたずまいが残る東山区の骨とう街。 たまたま2階の住まいから降りてきた店の人が外国人の男女に気付き、中に招き入れた。 すると、男性は入ってくるなり「コレとコレとアレ」と、いきなり3点の焼き物を指さした。 この
やりたいことがあっても、 壁にぶつかり、突き返されてしまう。 そんな悩みを抱えたことは、誰しも、一度や二度ではないと思う。 記者歴30年超の私もしかり。2015年から4年かけて調べていた、スティーブ・ジョブズと「新版画しんはんが」との結びつきについて、アメリカ取材を目指して番組提案をするも、採用されなかった。 しかも、次なる機会をうかがっているうちに、世界はコロナ禍に突入。齢よわい五十六。定年まであと3年半、もう残された時間は多くない。でも、あきらめてたまるもんですか。 前編はこちら アップル初期のメンバーも知らない2020年3月11日、WHO・世界保健機関は世界のコロナ感染症の流行を「パンデミック」と認定。ニュースもコロナ関連一色になりつつあった。アメリカ取材に行ける状況ではなかったが、何もしないわけにはいかなかった。 関係者の連絡先を見つけては、「ジョブズ」と「新版画」との結びつきを問
気枯れした「塩漬け人材」ができるまで 田中聡氏(以下、田中):要するに何が言いたいかというと、事業を創る人が本来向き合うべきなのは、市場であり顧客であるはずなんですけども、実際には大事な時間と労力を既存事業詣でや社内の火消しに費やしていませんか、ということです。 じゃあ、そのあたりの社内ネットワークに長けた古参社員が新規事業に向いているのか。必ずしもそうじゃないということがわかりました。もちろん、既存事業の経験を全く持たない転職者がいきなり新規事業につく場合よりは、古参社員の方がパフォーマンスをあげやすい。 ただ、既存事業の在籍年数が長くなれば長くなるほど、これまたパフォーマンスが下がっていく傾向にあることがわかってます。最初は「うちの会社はイノベーションだ。ぜひ、みなさんにイノベーターになってほしい」といって、新入社員の頃に威勢のいいことを言われる。 でも、最初に配属された主力事業部門で
*Category:テクノロジー Technology|*Source:Apple Explained ,wikipedia Appleは、なぜiPhoneに「Adobe Flash」をサポートさせなかったのか? 「Adobe Flash」は、NewgroundsやHomestarrunnerのようなインターネットの初期の時代に、よく利用されていたマルチメディア技術です。 この技術は、Mac、PC、Linuxのいずれを使用していても、コンテンツを表示することができます。そのため、Flashは人気を高め、多くのWebサイトで使われるようになりました。 しかし、今のインターネット環境では大きく状況が違います。なぜなら、Flashは消滅したからです。 実は、Flashの消滅にはAppleが大きく関係しています。 Flashの歴史は、1993年の「SmartSketch」というソフトウェアから始ま
ジョブズよ、なぜ、語ってくれていなかったのか・・・ ジョブズは、2011年に亡くなっている。私が取材してきた「新版画」とのつながりについて、本人が直接話したり、書き残したりしたものは見つかっていなかった。 「ジョブズが直接、新版画に言及しているカギカッコがないことが最大の弱点でしたね」 これは、英語番組を一緒に制作した同僚の言葉だった。マッキントッシュの開発チームのメンバーやアップル社の幹部でさえ、誰も知らない。そう思わざるをえないほど、新版画とジョブズとのつながりは極めてプライベートで、ベールに包まれていた。 けれど、“状況証拠”はある。ならば、それを積み上げていくしかない。アメリカ取材に必ず行く。ビル・フェルナンデスさんがいるニューメキシコ州のアルバカーキがロケの最終目的地だ。50分の日本語番組は、きっとできる。 前年のリポートから番組まで一緒に仕事をしてきた荒木真登あらきまさとディレ
1985年にAppleを追放されたスティーブ・ジョブズ氏が創業した「NeXT」は教育用・ビジネス用のワークステーションのメーカーで、1996年にAppleに買収され、ジョブズ氏がAppleに返り咲くきっかけとなりました。NeXTが開発したオブジェクト指向型OS「NeXTSTEP」はその後のmacOSやiOSの基盤となっています。さまざまな質問に対して専門家が回答する質疑応答サイト「Quora」に投稿された「NeXTのエンジニアはどんな感じで働いていたのでしょうか?ジョブズ氏は普段から従業員と交流していたのでしょうか?」という質問に対して、当時を知るエンジニアたちが回答しています。 What was it like to be a software engineer at NeXT? Did workers interact with Steve Jobs? - Quora https://
教育関係者の中には、子どもにコンピュータを使わせないという根拠としてスティーブ・ジョブズが子どもにiPadを使わせなかったという話を持ち出す人がいる。私がこの話を初めて聞いたのは確か2015年ごろだったと思う。 しかし、この手の「神話」は、人から人、メディアからメディアに語り継がれていくなかで、たいてい独り歩きをしてオリジナルの話からどんどん変化していく。1人1台のPCがGIGAスクールとして学校に導入されたこの時期になっても、いろいろとバリエーションを変えて時々聞く話なので、ソースにあたることにした。ジョブズは実際に何と言ったのか?本当に子供には「全く」使わせなかったのか? 子供はそのとき何歳だったのか? このジョブズの話の出どころは2014年にニューヨーク・タイムズのNick Biltonの署名記事だ。翻訳は正確を期しているが、原文も掲載しながら見ていこう。 タイトル スティーブ・ジョ
by Andrea Fistetto AppleのCEOであるスティーブ・ジョブズはAppleを破産寸前の状態から100兆円企業へと成長させたことから、カリスマ経営者と評されています。作家のWilliam Gallagher氏はジョブズの功績を「企業の構造を見直して根本的に変えてしまったこと」だと指摘しており、その風変わりなマネジメント方法が、現代のAppleを成功させ続けていると述べています。 How Steve Jobs's unorthodox management continues to make Apple a success | AppleInsider https://appleinsider.com/articles/20/10/26/how-steve-jobss-unorthodox-management-continues-to-make-apple-a-succe
しかし、これは、 どう考えたって、変な組み合わせだ- 1984年1月24日。 スティーブ・ジョブズはステージの上にいた。 「これがあれば、なんでも思い通りに表現できる」 と、自信たっぷりに聴衆に訴えている。それは、アップル社が「マッキントッシュ」を世界にデビューさせた瞬間をうつした、過去の映像だった。 ただ、私の視線は、ジョブズではなく、マッキントッシュの画面に集中していた。そこに映っていたのは、1枚の絵。描かれていたのは、流れるような黒髪をくしでとかす妖艶な日本人女性だ。 「マッキントッシュ」に映し出された日本人女性の絵その絵は「新版画しんはんが」と呼ばれる日本の木版画だった。 ジョブズは、会社の命運を賭けた場に、なぜ、この絵を使ったのだろうか? このネタに私が出会ったのは、2015年のこと。以来8年間、ジョブズの知られざる素顔に迫ろうと、WEBの特集記事を書き続けた。日本語だけで7本。
ジョブズが再起をかけて作ったワークステーション、ネクスト・キューブは全く売れず、失敗作の烙印を押されてしまった。だが、それは巡り巡ってインターネットの登場につながり、CDから音楽配信へ向かう未来を切り拓くことになる。 ■ジョブズとゲイツ。失敗作とインターネットの誕生 一九九一年の夏の午後。 結婚したばかりのジョブズの新居に、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツがやってきた。茅葺き屋根に、黒ずんだレンガの愛らしい家は裏門が開け放たれており、キッチンのドアを開けて入ると、身重の妻ロリーンと裸足のジョブズが彼を迎え入れた。そこは日中、鍵がかかっていないのだ。 ハワイにいたゲイツが、早めに休暇を切り上げてやって来たのは、ジョブズと対談の誘いを受けたからだった。ジョブズもふだん製品発表がない時期に取材を受けないが、ゲイツと話すならと引き受け、休暇先のアワニーから戻ってきた。 ゲイツとジョブズ。ふたりの
Mac OS X 10.5 Leopardの壁紙に、スティーブ・ジョブズ氏が撮影した写真が使われていた、と元Apple従業員が明かしています。京都の龍安寺や金閣寺で撮影された写真も、ジョブズ氏によるものだそうです。 ジョブズ氏が撮った写真が壁紙に 2007年にリリースされたMac OS X 10.5 Leopardの壁紙に、スティーブ・ジョブズ氏が撮影した写真が含まれている、とAppleで20年近く勤務したソフトウェアエンジニアのCricket氏が自身のブログで紹介しています。 Cricket氏は、「多くの人は、ジョブズ氏の撮影した写真が、Mac OS X 10.5 Leopardのデスクトップ画像として使われていたことを知らないだろう」と、ジョブズ氏の撮影した5枚の写真を公開しています。 龍安寺や金閣寺の写真はジョブズ氏が来日時に撮影か 京都・龍安寺の石庭を撮影した「Rock Garde
ジョブズがマッキントッシュ・コンピューターを発表した1984(昭和59)年1月。スクリーンに現れたのは、テクノロジーとはおよそそぐわない、流れるように美しい黒髪をくしでとかす浴衣姿の官能的な女性だった。 この絵は、橋口五葉(はしぐち・ごよう)という“新版画”の作家が1920(大正9)年に制作した木版画「髪梳ける女」(かみすけるおんな)。当時の関係者は、ジョブズが会社に持ち込んだものを利用したと話している。 ジョブズは、コンピューターを発表する前の1983年6月と、その後の1984年2月に、同じ作品を日本で購入したことがわかっている。ジョブズがとても気に入っていたとみられる。 ジョブズが禅や和食などの日本文化に傾倒していたことは知られているが、“新版画”に熱中していたことは、ほとんど知られていない。 私は、ジョブズがなぜ日本の新版画を採用したのか、以前から不思議に思っていた。そうしたジョブズ
スティーブ・ジョブズとジョナサン・アイヴの夢は、永遠の環の中に完結した。iPhone 11に寄せて2019.09.24 22:0060,638 照沼健太 ジョブズとアイヴの物語が終わり、アップルが始まる。 9月10日のApple EventでiPhone11シリーズが発表されましたが、デザイン的にはほぼiPhone Xということで「変わりばえしないからスルー」という人も多い気がします。 これは初代iMac以降のアップルデザインを一手に引き受けてきたジョナサン・アイヴがアップルを退社した弊害なのでしょうか? 確かにそうかもしれません。アイヴは変わらずアップルを顧客として一緒に仕事をするとは言われています。ただ、先日のイベント後にハンズオン会場でiPhone 11を食い入るように見つめ「近づき過ぎないように」とスタッフに注意されたというエピソードからも、彼が最終の仕上げにノータッチだったのでは
「彼はジーンズのポケットから取り出して言いました、これがiPhoneだよ、と」 2007年3月。発売前のスマートフォンを、アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズ氏本人から見せてもらったという写真家がいます。ジョブズ氏が亡くなって10年。長年の友人だった彼女の写真や話から浮かび上がる、ジョブズ氏の素顔とは。(ロサンゼルス支局記者 山田奈々) 「仲間の写真家からは、スティーブは扱いにくい人物だと聞かされていました」 そう話すのは、アメリカの雑誌、TIMEの写真家として活動していたダイアナ・ウォーカーさん。 1982年の年末、TIMEが毎年発表している「ことしの人」に関連する取材で、スティーブ・ジョブズ氏の撮影を任されました。 Lisaと名付けた最新のコンピューターの発売を間近に控え、注目されていたジョブズ氏。 ウォーカーさんが最初に会ったのは、カリフォルニア州のスタンフォード大学で学生を前に
本日最終:プライム会員〝3カ月無料〟マンガ・ラノベ・雑誌・写真集・ビジネス書が読み放題「Kinde Unlimited」がセール中 ※通常会員でも30日無料 ジョブズがiPadに残した「未解決の欠点」 iPadは故スティーブ・ジョブズを代表する素晴らしい製品の1つですが、2010年に初代が発表されて以来未解決の大きな欠点があります。それは、スマートデバイスにはあって当然の「計算機アプリ」がないことです。 Appleに詳しいYouTubeチャンネル「Apple Explained」によれば、初代iPadの開発の際、iPadのプロトタイプに搭載されていた計算機アプリは、iPhoneの電卓を単にスケールアップしただけのものだったそう。ところが、ジョブズは発売直前になってこれに気づき担当者を呼び出します。 本日最終:プライム会員〝3カ月無料〟マンガ・ラノベ・雑誌・写真集・ビジネス書が読み放題「Ki
中小ベンチャー企業での社外No.2、パートナーCFO®を広く一般に普及することを目的とする、一般社団法人日本パートナーCFO協会が主催するイベントに、ベストセラー『起業の科学』の著者で、スタートアップアドバイザーアカデミーを創設した田所雅之氏が登壇。「スタートアップのメンタリング」をテーマに、「知見」の5つのレベルや、いいメンターになるための18項目などが語られました。 「知見」の5つのレベル 質問者1:経営者の支援をしていて、「課題は? 仮説は?」とめっちゃ聞かれるんですけど、経営者側も若干「会社経営をやっていない人にいろいろ言われても」みたいな感じになっていて、うまいようにいかないなと思っています。 田所雅之氏(以下、田所):単に答えを出すだけだったら、ChatGPTに聞けばわかるんですけど、これからは誰が言うかが大切です。「この人に言われるから腹落ちする」みたいに。 メンター側も追体
スティーブ・ジョブズの追悼式で、「ザ・コーチ」と紹介され、一番最初に登壇したのが、この「1兆ドルコーチ」ビル・キャンベルさんだったのです。 あのジョブズが無二の親友、メンター、コーチとして慕い、アドバイスを求めて毎週会っていた、という人物。 ビル・キャンベルが相談相手となり、アドバイスを贈っていたのは、ジョブズだけではなく、Googleの経営陣やAmazonのジェフ・ベゾスなど、アメリカのIT産業を形づくってきた面々でした。 ビル・キャンベルは、彼らと個人的に会って散歩をしながら会話をしたり、ときには、重要な会議に参加したり、企業にしばらく在籍して、その問題点を指摘したりしていました。 彼は、その「コーチング」を、基本的には無報酬で行っていたそうです。 もともとはアメリカンフットボールの選手、コーチだったにもかかわらず、そのバイタリティと人柄を買われてビジネスの世界に飛び込み、自らも経営者
Appleの基調講演といえば、新製品の発表時に用いられた「One more thing...」というフレーズなど、今は亡きスティーブ・ジョブズに関する思い出が多く残っているという人も多いはず。そんな印象深いジョブズによる基調講演を20年にわたりプロデュースし続けてきたという人物に対して、Cakeの共同創設者であるクリス・マッカスキル氏がインタビューしています。 The man who produced Steve Jobs’ keynotes for 20 years. - Cake https://www.cake.co/conversations/jNZlq6j/the-man-who-produced-steve-jobs-keynotes-for-20-years スティーブ・ジョブズは1976年にAppleを創業したものの、業績悪化や社内での関係悪化が理由で1985年にすべての業
技育祭は「技術者を育てる」ことを目的としたエンジニアを目指す学生のための日本最大のオンラインカンファレンスです。ここで登壇したのは、株式会社レアゾン・ホールディングス 執行役員の赤川未來氏。新卒で入社したApple社、現職menu社での経験について話しました。全2回。前半は、学生時代に気づいた、自分の人生におけるやりがいについて。 本日のアジェンダ 赤川未來氏:株式会社レアゾン・ホールディングス執行役員の赤川未來です。よろしくお願いします。本日はAppleに入社した経緯やmenuに転職した経緯などいろいろと話そうと思っています。 僕のセッションは、一方的に話すと不安というか、つまらなくなってしまうので、みなさんの考えも聞きたいと思っています。途中質問や写真を用意しているので、Zoomのチャットから気兼ねなくコメントをください。答えに正解はないので、率直に思ったことを言ってもらいたいと思って
2011年に亡くなったAppleの創業者スティーブ・ジョブズが、1981年に受けたインタビューの模様を、珍しい映像を集めているYouTubeチャンネル・Sir Mix-A-Lot Rare Musicが公開しています。 Steve Jobs Interview - 2/18/1981 - YouTube 左が、インタビューが収録された1981年2月18日当時25歳のジョブズ。壁には1998年まで使われていたカラフルなAppleのロゴが貼られています。 インタビューワーの最初の質問は、「スティーブ、あなたがパーソナル・コンピューターの開発を始めた時、どんなニーズが念頭にあったのですか?」というもの。これに対し、ジョブズは「1800年代後半に最初の電気モーターが発明された時、電気モーターは巨大で強力なものでした。しかし、真に電気モーターが普及したのは、1馬力もない電気モーターが発明され、必要な
今や一人1台持っているスマートフォン。 そのスマートフォンの代名詞ともなったiPhoneを世に広め、世界を変えたひとりと言っても過言ではないのは、スティーブ・ジョブズです。 iPhoneに限らず、ユニークなエピソードやファッション、プレゼンスタイルなど、あらゆる面で世界にインパクトを与えてきました。 この記事では、Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズについてお伝えします。 スティーブ・ジョブズってどんな人? スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、アメリカ合衆国の実業家で、Apple社共同創設者の一人。 Apple社CEO。 MacやiPhoneなどの生みの親と知られています。 また、iTunes やiPodの功績からグラミー賞の第54回における特別賞の一つ「トラスティーズ賞」の受賞、アメリカ国家技術賞の受賞もしています。 スティーブ・ジョブズ年表 1995年 サンフラン
「スティーブ・ジョブズの日本での経験が彼の人生にとってどれだけ重要だったのか、よく理解しています」 アップル創業者のジョブズが製品に表現した日本との深い結びつきを解き明かす最高の“語り部”にインタビューする機会を得た。今回は、明治後半から戦後にかけて作られた木版画=「新版画」とジョブズとの関係について掘り下げる。(World News部 佐伯健太郎) 「スティーブの家を初めて訪れたときは、とても驚きました。部屋には家具がほとんどなかったのです。『こういうのが好きなのか。それとも、買い物をする時間がないだけなのか』と聞くと、彼は『こういうシンプルな生活が好きなんだ。必要なものさえあればいいんだ』と答えました」 こう話すのは、ジョン・スカリーさん(84)。アップルのCEOを10年間務め、創業者のジョブズと「ダイナミック・デュオ」と呼ばれる非常に親密な関係を築いた。 マーケティングの名手として知
ジョブズが情熱よりも大事にしたもの 起業家は偉大であるために、実際に何が必要なのかという考えを、少し見直さなければならないことがある。革新・情熱・ビジョン、他の素晴らしい形容詞を使っても良いが、このような起業家の資質は誰もが知っている。 しかし、起業家に関してジョブズは違った見方をしていた。 成功する起業家と成功できない起業家を分けるもののうち半分は、純粋な忍耐力であると私は確信しています。 この言葉は、起業家精神に対して抱くロマンチックな概念を覆すと思われる。よくある勘違いは、「自分の夢を追い」「情熱を保ち」「天賦の才を発揮する」などと考える。しかし、ジョブズが示す言葉は、情熱・ビジョンといった言葉と同時に語られることは殆ど無い。 忍耐力がなぜ大事なのか❓ 確かに事業をゼロから立ち上げることは容易ではない。もし容易であったら、誰もが起業できることになる。起業を成功させるためには、じっと辛
Apple共同創業者の故スティーブ・ジョブズ氏について、Microsoft共同創業者で慈善活動家のビル・ゲイツ氏が「とても羨ましかった」と振り返りました。 「私には彼のような呪文は使えなかった」 ビル・ゲイツ氏は先日、俳優のダックス・シェパードがホストをつとめるPodcast番組「Armchair Expert」に出演し、スティーブ・ジョブズ氏のことを振り返りました。 ゲイツ氏は、ジョブズ氏が人をやる気にさせる力を「魔法使い」と形容し、自身を対比して以下のように語っています。 私は小さな魔法使いで、彼のような呪文を唱えることはできませんでした。でも、彼が呪文を唱えるところを見ることができましたし、人々がジョブズ氏に魅了される様子を見ることもできました…私は、とても羨ましかった。 「彼のようなことは誰にも成し遂げられない」 1990年代後半に倒産が噂されていたAppleに復帰して業績を回復さ
アップルの創業に限らず、ユニークなエピソードやファッション、プレゼンスタイルなど、あらゆる面で世界にインパクトを与えてきた。没後10年近くの時が流れてもなお色褪せることのない、ジョブズの名言を紹介する。 ジョブズの功績の本質にあるもの マッキントッシュ、iPod、iPhoneなど、数多くの革新的な製品を生み出し、アップルを世界のトップ企業へと導いたジョブズ。ジョブズ亡き後も進化を続けるアップルは、現在もiPhone 11の予想を上回る売上などを背景に、株価最高値を更新している。 彼の存在が今なお多くの人々の心に残り続け、ビジネスリーダー、そしてひとりの人間としての思考や価値観、生き様がリスペクトされているのは、ジョブズが生み出した製品が、私たちのライフスタイルやワークスタイルに大きな変革をもたらしただけではなく、新たな可能性や豊かさを与え、時には問題提起をしているからだろう。 伝説となった
スティーブ・ジョブズにとって、遊びの時間がどれほど重要かを。そしてそれこそが、彼がイノベーターとして成功した理由の1つであることを。 誰かが彼を探しているとき、あるいは電話がつながらないとき、彼は確実に決まった場所にいました。それは、Appleの元チーフデザインオフィサー、ジョニー・アイブのオフィスです。 遊ぶ時間の確保がクリエイティビティにつながるアイブ氏のデザインラボは、2人がおよそ20年にわたり象徴的なテック系ガジェットの数々を生み出してきた場所でした。 ジョブズは、アイブ氏のチームがつくったモックアップやプロトタイプを見に行く時だけ、iPhoneの電源を切っていたのです。 みんな躍起になって、スティーブと連絡を取ろうとしたり、会議に出させようとしたものです。ある時からは、ジョニーのオフィスに電話して、スティーブを遊び時間から連れ戻してくれとヘルプを要請するようになりました。 スティ
アップルの世界開発者会議で基調講演を行うスティーブ・ジョブズ氏(写真=Ben Stanfield/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons) 会議の生産性を上げるには、どうすればいいのか。アップル・ジャパン元社長の山元賢治さんは「世界中を見渡しても、会議中に寝ているのは日本人だけだ。会議の参加者は『バリューを出せない人は給料泥棒』『会議は意思決定のための場』という認識を持つべきだ」という――。 【写真】アイチューンズの日本でのサービス開始を発表するスティーブ・ジョブズ氏 ※本稿は、山元賢治『世界の先人たちに学ぶ 次世代リーダー脳』(日刊現代)の一部を再編集したものです。 ■ジョブズは「会議に必要ない人」を退場させた スティーブ・ジョブズは会議の冒頭で、その会議に必要ないと判断した相手を退場させていました。当事者意識を持ち、主体的に参加できる人だけを選抜していたからこそ、
Appleは2020年11月11日、Apple初のMac向けの独自開発チップとなる「M1」を発表しました。そのパフォーマンスの高さが各界を驚かせたM1チップですが、テック系ジャーナリストのオム・マリク氏は「M1チップはスティーブ・ジョブズの最後の賭けだ」と述べています。M1チップがAppleにとって重要な意味をもち、Appleの転換点になるとも考えられている理由を、マリク氏が論じています。 Steve Jobs’s last gambit: Apple’s M1 Chip – On my Om https://om.co/2020/11/17/why-m1-chip-by-apple-matters/ Appleは発表の中でM1チップについて「前世代のMacよりも2倍長いバッテリー寿命でありながら、最大3.5倍のCPUパフォーマンス、最大6倍のGPUパフォーマンス、最大15倍の機械学習速度
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