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考古学の検索結果201 - 240 件 / 585件

  • 世界最古の貨幣鋳造所が見つかる、2600年前、中国

    中国、河南省の官荘遺跡から出土した鋤(すき)型の青銅の硬貨「布銭(ふせん)」。中国最古の硬貨で、世界最古の硬貨の可能性もある。(PHOTOGRAPH BY HAO ZHAO) 中国東部の河南省にある官荘遺跡を発掘していた考古学者たちが、世界最古の貨幣鋳造所を発見した。約2600年前、農具である鋤(すき)の形を模した青銅の硬貨「布銭(ふせん)」を量産していたという。8月6日付で学術誌「Antiquity」に論文が発表された。 世界で最初に鋳造貨幣がつくられた場所は、現在のトルコとインドと中国の3カ所のいずれかと考えられている。しかし、はっきりと年代が確認された鋳造所は見つかっていなかった。「現時点で、官荘の鋳造所が、確実に年代を特定できるもっとも古い貨幣鋳造所です」と、中国、鄭州大学の考古学者で、論文の筆頭著者である趙昊(ジャオ・ハオ)氏は話す。 論文によると、城壁と堀を備えた城郭都市の官荘

      世界最古の貨幣鋳造所が見つかる、2600年前、中国
    • 奈良 箸墓古墳を調査 宇宙からの素粒子で透視 卑弥呼の墓説も | NHKニュース

      邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説もあるものの、内部の構造が全くわかっていなかった奈良県桜井市の箸墓古墳で、宇宙から降り注ぐ素粒子を使って内部を透視する調査が行われています。 このため奈良県立橿原考古学研究所は、発掘などを行わずに内部の状態を把握しようという調査をおととし12月から進めていることを、9日明らかにしました。 この調査は宇宙から降り注ぐ「ミューオン」という素粒子を使って、内部をエックス線写真のように透視するものです。 エジプトのピラミッドで行われた調査でも活用され、未知の巨大な空間の発見につなげました。 考古学者で、大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長は、「今回の調査で、ひつぎを納めた埋葬施設がどこにいくつあるのか、どういう方向に設置されているかわかれば非常に役立つ」と話していて、埋葬された人物を探る手がかりを得られるか注目されます。 「ミューオン」は、宇宙を飛び交ってい

        奈良 箸墓古墳を調査 宇宙からの素粒子で透視 卑弥呼の墓説も | NHKニュース
      • 古代ローマの沈没船見つかる、積み荷は6千個のつぼ ギリシャ沖(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース

        (CNN) 地中海を航行中に沈没したとみられるローマ帝国時代の船舶の残骸が、考古学者らの調査チームによって発見された。船の全長は35メートルで、地中海東部で見つかった沈没船としては過去最大。ワインなどを入れる容器6000個を積んだまま、2000年間海の底に眠っていたことになる。 画像:積み荷の状態は良好だとみられている 船の年代は、紀元前100年から紀元後100年の間にさかのぼる。ギリシャ西部沿岸に浮かぶイオニア諸島の1つ、ケファロニア島沖の深さ約60メートルの海底で見つかった。ギリシャのパトラス大学の調査チームが音波探知機を使用して存在を突き止めた。発見についての論文が考古学の学会誌に掲載されている。 船は地中海全域で発見された沈没船の中で4番目の大きさ。この時代の船の多くは全長15メートルほどだったことを考えると、同船のサイズは特筆すべきものであることが分かる。積み荷としてワインやオリ

          古代ローマの沈没船見つかる、積み荷は6千個のつぼ ギリシャ沖(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース
        • WEB特集 文字の歴史が変わる!? | NHKニュース

          「日本列島で文字が使われたのはいつからか?」。諸説あるが「5世紀ごろ」には確実に使われていただろうと考えられている。しかし、文字が使われた時期が、大きくさかのぼるかもしれない。鍵を握っているのは、5世紀よりも前の弥生時代や古墳時代の遺跡から出土した「石の破片」。調査の結果、この石の破片が、ある「文房具」と判断される事例が九州北部を中心に相次いでいるという。なかには紀元前の時代の遺跡から出土したものもあり、紀元前にはすでに文字が使われていた可能性を指摘する専門家もいる。(福岡放送局記者 島田尚朗)

            WEB特集 文字の歴史が変わる!? | NHKニュース
          • アイルランド最大級の考古学的発見 ピラミッドより古い遺跡へ

            アイルランド沿岸のケイジ・フィールズは、世界最大級の石器時代の遺跡のひとつだ。かつて泥炭地に埋もれていたこの遺跡に新たにできた体験型観光施設では、6000年以上前に人々がこの地でどのように耕作を行い、どうやって食物を保存していたかを体験できる。(PHOTOGRAPH BY GARETH MCCORMACK, ALAMY STOCK PHOTOS) アイルランド西部のメイヨー県のバリーキャッスルとベルマレットの間には、ドラマチックな断崖と大西洋に挟まれた、広さ13平方キロメートルに及ぶ湿原が広がっている。木々がほとんどなく、丘も高くはないため、何もない土地のように見える。が、この孤立した海岸には「アイルランド最大の考古学的発見のひとつ」と称される遺跡がある。 アイルランドには、はるか昔の社会を垣間見せてくれる泥炭地がいくつかある。そこから、聖杯や大量の金製品、中世の詩篇書といった宝物、200

              アイルランド最大級の考古学的発見 ピラミッドより古い遺跡へ
            • 1万8000年前の「イヌ」、永久凍土から発見 きれいなまま - BBCニュース

              ロシア・シベリア地方の永久凍土層から1万8000年前のイヌ科の赤ちゃんの死体が見つかった。研究者はイヌなのかオオカミなのかの見極めに苦慮している。

                1万8000年前の「イヌ」、永久凍土から発見 きれいなまま - BBCニュース
              • https://heritagemap.nabunken.go.jp/

                • 平安京の葬送地「鳥辺野」墓跡か、複数出土…徒然草や源氏物語にも登場 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

                  平安時代後期の墓跡がまとまって出土した調査地。手前は最大の方形区画墓の遺構(京都市東山区で)=文化財サービス提供 平安京の葬送地「鳥辺野(とりべの)」があったとされる京都市東山区の一角で、ほぼ出土例のない平安時代後期の墓跡が複数出土したと、民間発掘調査会社「文化財サービス」が9日発表した。専門家は「墓を計画的に整備していたことがわかる重要な発見」としている。 鳥辺野は平安京周辺にあった墓地の一つ。徒然草や源氏物語に登場し、藤原道長が荼毘(だび)に付されたという。同社は昨年12月~今年8月、約800平方メートルを調査。周囲を溝で区切った方形区画墓3基、木棺墓3基、供養塔「笠塔婆(かさとうば)」の断片など11世紀半ば~12世紀半ば頃の墓跡が出土した。 西側に方形区画墓2基が南北に並び、東側に木棺墓3基が直線上にあった。方形区画墓の一つは9・2メートル四方あり、平安貴族の墓の可能性があるという。

                    平安京の葬送地「鳥辺野」墓跡か、複数出土…徒然草や源氏物語にも登場 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン
                  • 呪術のためではない…? 奈良時代の桃の種の穴、ネズミの仕業か | 毎日新聞

                    奈良市の西大寺で大量に出土し、古代の呪術跡と考えられてきた奈良時代の桃の種(核)の穴が、実はネズミがかじった跡だった可能性が高いことが奈良文化財研究所の調査で分かった。一緒に8匹分の骨が見つかったネズミのうち、小型のアカネズミがクルミなどをかじった際にできる傷と大きさや形が酷似していたという。 西大寺で当時僧侶が食事を取った食堂(じきどう)院跡では、井戸から魚の骨や食器などが大量…

                      呪術のためではない…? 奈良時代の桃の種の穴、ネズミの仕業か | 毎日新聞
                    • 1600年以上前に作られた用途不明の謎の人工物「ローマの中空十二面体」の一部がベルギーで発見される

                      by Hadley Paul Garland 2022年のある日、ベルギー北部の町・コルテッセムの耕作地で、アマチュア考古学者であるPatrick Schuermans氏が不思議な金属片を発見しました。この金属片は「ローマの中空十二面体」と呼ばれる謎の人工物の一部であることが判明し、博物館に寄贈されたとのことです。 Zeldzaam fragment van Romeinse dodecaëder ontdekt | Onroerend Erfgoed https://www.onroerenderfgoed.be/nieuws/zeldzaam-fragment-van-romeinse-dodecaeder-ontdekt Mysterious 12-sided Roman object found in Belgium may have been used for magical r

                        1600年以上前に作られた用途不明の謎の人工物「ローマの中空十二面体」の一部がベルギーで発見される
                      • 2300年前の「スキタイの赤いブーツ」、低温と密閉空間で保存状態が完璧 - ナゾロジー

                        シベリア南部・アルタイ地方中央にあるパジリク古墳群で発見された「赤いブーツ」。 驚くほど状態の良いこのブーツは、なんと2300年も前に作られたものです。 1948年に、遊牧民のスキタイ人の墓から掘り出され、高位の女性が履いていた靴と考えられています。 Pristine 2,300-year-old Scythian woman’s boot found in frozen Altai mountains https://www.zmescience.com/science/scythian-boots-0532/ A 2,300-Year-Old Scythian Woman’s Boot Has Been Discovered In Near-Perfect Condition https://apsari.com/bedazzled-2300-year-old-scythian-wom

                          2300年前の「スキタイの赤いブーツ」、低温と密閉空間で保存状態が完璧 - ナゾロジー
                        • 長野の「石刃」、国内最古と発表 現生人類、流入の手掛かり | 共同通信

                          長野県佐久市の香坂山遺跡で昨年出土した旧石器時代の石器「大型石刃」が、石刃として国内最古となる3万6800年前のものであることが、遺跡を発掘した奈良文化財研究所の国武貞克考古第一研究室長の研究で明らかになった。国武氏が23日、日本考古学協会の総会でオンライン発表した。 遺跡からは大型石刃含め、アフリカで誕生しユーラシア大陸を東に拡散した現生人類特有の石器群が、国内で初めてそろって出土。同様の石器群は、中央アジア、南ロシア、中国などで5万~4万年前のものが出土。朝鮮半島でも4万1千年前の大型石刃が見つかっている。日本列島への現生人類の到達にも関わる事例だ。

                            長野の「石刃」、国内最古と発表 現生人類、流入の手掛かり | 共同通信
                          • アズキ 日本から大陸に渡った作物

                            白菜に葱,大根,人参──こうした野菜はどれも日本の食卓に欠かせないものだが,来歴をたどれば全て原産地は海外だ。たとえば白菜の原産地は中国北部,人参の原産地はアフガニスタンやイランのあたりとされる。大陸から海を渡ってきた縄文人や渡来人と同様,野菜もまた海の彼方からこの日本列島へやってきたのだ。しかしゲノム解析によって,赤飯やあんこに使われるアズキが縄文時代の日本列島で作物に変化し,アジアの大陸地域へ広まった作物であることが明らかになった。この研究を行った,国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)上級研究員の内藤健に話を聞いた。 続きは2024年2月特大号の誌面でどうぞ。 協力 内藤 健(ないとう・けん) 農研機構遺伝資源研究センター上級研究員。農業への応用の観点から,海沿いや乾燥地,寒冷地など様々な環境に適応する野生アズキ類を幅広く研究している。 サイト内の関連記事を読むゲ

                              アズキ 日本から大陸に渡った作物
                            • 【第1回】中国古代史から見た弥生時代の考古学

                              日本で出土する青銅器の鉛の同位体比を調べると、日本最古の経済成長が、戦国七雄の戦乱のおかげだったことが分かった…かもしれないという話。今後の研究の発展で、結論は二転三転するかも。

                                【第1回】中国古代史から見た弥生時代の考古学
                              • マンモス60頭の骨格で構成、謎の建造物を発掘 ロシア

                                (CNN) 今からおよそ2万5000年前の氷河期に、マンモス60頭あまりの骨格を集めて作られた円形の構造物が、ロシアで発掘された。どのような目的で作られたのかは誰にも分っていない。 ロシアではこれまでにも同じような「マンモスハウス」が見つかっているが、今回見つかった構造物は年代が最も古く、大きさも全長およそ12メートルと最大だった。 現場はモスクワの南約500キロの地点。同地では1960~70年代にかけて同じような建造物が発見され、「コステンキ11」と命名されて、考古学博物館も開設されている。 研究チームは今回の構造物を2014年に発見し、15年から3年がかりで発掘作業を実施。発見内容をこのほど学会誌に発表した。

                                  マンモス60頭の骨格で構成、謎の建造物を発掘 ロシア
                                • 恐竜たちがいた時代、太陽系の位置は今とはまったく異なる場所だった

                                  セルビア、ベオグラードにある恐竜パーク。2018年2月。 REUTERS/Djordje Kojadinovic NASAの科学者ジェシー・クリスチャンセン氏が制作したアニメーションでは、我々の銀河系(天の川銀河)の中で移動する太陽系の軌道を示しながら、どの位置にある時に地球で恐竜が出現し、その後絶滅、そして哺乳類の時代になったのかが示されている。 太陽系は、銀河系中心部を周回している。恐竜が繁栄していたころ、銀河系の中で太陽系が位置していたのは、現在とはまったく異なる場所だった。 太陽系の軌道は、銀河系の混沌とした中心部から、生命が存在できるほどよい距離を保っている。 恐竜に支配されていたころの地球は、銀河系の中で、現在の位置とはまったく違う場所にあった。 NASAの科学者ジェシー・クリスチャンセン(Jessie Christiansen)氏が制作した新たなアニメーションでは、我々の太陽

                                    恐竜たちがいた時代、太陽系の位置は今とはまったく異なる場所だった
                                  • 家康監視に足利氏を利用か 小田原落城後に出した秀吉の書状発見(1/3ページ)

                                    安土桃山時代末期の天正18(1590)年、豊臣秀吉が関東の有力戦国大名・北条氏を滅ぼしたいわゆる「小田原征伐」の直後、秀吉が室町幕府将軍家の分家に当たる「関東足利氏」に送った書状が見つかった。北条氏亡き後、秀吉は東海地方で勢力を誇っていた徳川家康を関東に移封させたが、一方で分断状態にあった関東足利氏の統合に動いていた。室町幕府はすでになくなっていたが、家康を牽制(けんせい)するため「かつての権威」である足利氏を利用しようという意図があったことを示す、貴重な証拠といえそうだ。(橋本昌宗) かつての名家が“没落” 書状を展示している神奈川県立歴史博物館(横浜市中区)によると、書状は「豊臣秀吉朱印状(しゅいんじょう)」と呼ばれるもの。日付は天正18年7月17日で、秀吉から関東足利氏の末裔、足利頼淳(よりあつ、頼純=よりずみ=とも)に送られたものとされる。これまで書状の存在自体は知られていたが、現

                                      家康監視に足利氏を利用か 小田原落城後に出した秀吉の書状発見(1/3ページ)
                                    • 紀元前に作られた世界最古のコンピューター「アンティキティラ島の機械」の構造を解き明かす復元モデルが作成される

                                      by Tony Freeth / UCL 紀元前に作成された歯車式機械であり、世界最古のアナログ式計算機とも呼ばれる「アンティキティラ島の機械」の復元CGモデルが作成されました。 A Model of the Cosmos in the ancient Greek Antikythera Mechanism | Scientific Reports https://www.nature.com/articles/s41598-021-84310-w Scientists unlock the 'Cosmos' on the Antikythera Mechanism, the world's first computer | Live Science https://www.livescience.com/antikythera-mechanism-worlds-first-compute

                                        紀元前に作られた世界最古のコンピューター「アンティキティラ島の機械」の構造を解き明かす復元モデルが作成される
                                      • 3600年前の超巨大「ミノア噴火」、津波の犠牲者をついに発見

                                        19世紀に近くで噴火した時のティラ島(サントリーニ島)の様子。手前がティラ島で、カルデラの縁の一部だ。ここから160キロ以上離れた場所で、青銅器時代の噴火とそれによって引き起こされた津波の新たな証拠が見つかった。(COLOUR-PRINTED ENGRAVING VIA UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/UIG/BRIDGEMAN IMAGES) 約3600年前の後期青銅器時代、エーゲ海の火山島が噴火し、破壊的な津波を引き起こした。その津波による犠牲者の遺骨が、最近になって、噴火したティラ火山(現在のサントリーニ島)から160キロ以上離れたトルコの海岸で初めて見つかり、12月27日付けで学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。 史上最大級の火山被害をもたらしたと推定されるこの「ミノア噴火」は、火山爆発指数で「超巨大」の7に区分され(最大指数は8)、その規

                                          3600年前の超巨大「ミノア噴火」、津波の犠牲者をついに発見
                                        • 古代の人類の親戚が殺し合ってお互いを食べていた最古の痕跡が見つかる、145万年前の骨の化石に石器による切り傷

                                          スミソニアン国立自然史博物館の研究者らが、人類の近縁の種族が同じく人類の近縁種を殺害し、食料にしていた可能性が高いことを示す最古の決定的証拠を発見したと発表しました。この研究は、2023年6月26日付の学術雑誌・Scientific Reportsに掲載された論文により報告されました。 Early Pleistocene cut marked hominin fossil from Koobi Fora, Kenya | Scientific Reports https://doi.org/10.1038/s41598-023-35702-7 Humans’ Evolutionary Relatives Butchered One Another 1.45 Million Years Ago | Smithsonian Institution https://www.si.edu/news

                                            古代の人類の親戚が殺し合ってお互いを食べていた最古の痕跡が見つかる、145万年前の骨の化石に石器による切り傷
                                          • アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見

                                            南アメリカ・ボリビアの熱帯雨林に覆われた「古代都市」の存在が、ヘリコプターに搭載したレーザースキャナーを用いたLight Detection and Ranging(光検出と測距/LIDAR)による調査で明らかになりました。古代都市を建設した人々はかなり高い文明を持っており、巨大なピラミッドを中心に道路や運河のネットワークを築き、農耕や魚の養殖を行っていたとみられています。 Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon | Nature https://doi.org/10.1038/s41586-022-04780-4 Large-scale early urban settlements in Amazonia https://doi.org/10.1038/d41586-022-01367

                                              アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見
                                            • 人工衛星から遺跡を探す『宇宙考古学の冒険』

                                              Wikipedia ”Cropmark” より かつて、そこには石壁や住居の基礎があった。そうした構造物は、長い時間をかけてゆっくり土に埋もれてゆく。 地表に牧草などが根付いた場合、その根は深く伸びることができない。そのため、牧草の生育が悪くなり、上空から見ると、奇妙な模様が浮かび上がる(考古学で、クロップマークと呼ぶ)。 Wikipedia ”Cropmark” より クロップマークは、航空写真で確認できる。 だが、もっと微妙な、植生の健康状態の違いは、近赤外線データから読み取ることになる。人の目には同じに見えるが、近赤外線画像だと、クロロフィル(葉緑素)の違いは、赤色の違いによって判別できるからだ。 宇宙から遺跡を探す この発想を広げて、人工衛星から撮影した画像データを元に、地下に眠る遺跡を探すのが、宇宙考古学になる。 単なる解像度の高い写真ではない。地上 640km から撮影された電

                                                人工衛星から遺跡を探す『宇宙考古学の冒険』
                                              • ベズビオ山噴火の犠牲者から黒い「石」、正体は破裂した脳 研究

                                                イタリアの古代ローマ都市ポンペイの近くのヘルクラネウム遺跡で見つかった黒く、つやのある石のような物体。ベズビオ火山噴火の犠牲者の脳の一部と確認された(2020年1月23日提供)。(c)AFP PHOTO / PRESS OFFICE OF THE HERCULANEUM ARCHAEOLOGICAL SITE 【1月24日 AFP】イタリアの古代ローマ都市ポンペイ(Pompeii)の近くのヘルクラネウム(Herculaneum)遺跡で数年前に発見された、黒く、つやのある石のような物体が、西暦79年に起きたベズビオ火山(Mount Vesuvius)噴火の犠牲者の脳の一部であることがこのほど判明した。詳細を記載した論文が23日、米医学誌「ニューイングランド医学ジャーナル(New England Journal of Medicine)」に掲載された。研究者らは、今回の成果は考古学では極めて希

                                                  ベズビオ山噴火の犠牲者から黒い「石」、正体は破裂した脳 研究
                                                • 1800年前に種子島に住んでいた「広田人」はわざと幼児の頭蓋骨を変形させる風習を持っていた

                                                  かつて鹿児島県の種子島に住んでいた広田人と呼ばれる人々が、幼児の後頭部を意図的に変形させて絶壁頭にしていたことが、九州大学およびアメリカ・モンタナ大学の研究により判明しました。 Investigating intentional cranial modification: A hybridized two-dimensional/three-dimensional study of the Hirota site, Tanegashima, Japan | PLOS ONE http://doi.org/10.1371/journal.pone.0289219 Unveiling Japan's ancient practice of cranial | EurekAlert! https://www.eurekalert.org/news-releases/997922 Hirota p

                                                    1800年前に種子島に住んでいた「広田人」はわざと幼児の頭蓋骨を変形させる風習を持っていた
                                                  • 「角付き兜」の年代、バイキングより前の3千年前 青銅器時代が起源

                                                    兜は当初、泥炭で発見された/H.W.Nørgaard/The National Museum of Denmark (CNN) 漫画シリーズ「アステリックス」から人気音楽番組「ザ・マスクド・シンガー」のアバター(分身)まで、ポップカルチャーではバイキングは凶暴さや権力を象徴する角付きの兜(かぶと)をかぶって登場することが多い。 しかしこのほど、デンマークのビクスで見つかった2つの角付き兜について、青銅器時代のサルデーニャ島にさかのぼるものだと指摘する研究結果が発表され、バイキング時代が起源だとする説に終止符が打たれた。 この論文は昨年12月の歴史学誌「プレヒストリッシュ・ツァイトシュリフト」に掲載された。 研究にかかわったデンマーク・オーフス大学の考古学者はCNNに寄せた声明で、「大衆文化では長年、ビクスの兜がバイキングと結びつけられてきた。だが我々の調査の結果、これらの兜は今から3000

                                                      「角付き兜」の年代、バイキングより前の3千年前 青銅器時代が起源
                                                    • 藤原京でブタ食べた? 便所跡から国内最古級の寄生虫卵:朝日新聞デジタル

                                                      ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                        藤原京でブタ食べた? 便所跡から国内最古級の寄生虫卵:朝日新聞デジタル
                                                      • 「ユダヤ教」はいつ生まれたのか? 新説を提示したイスラエルの考古学者に聞く | 「聖書に書かれていることだって、必ずしもそうとは限らない」?

                                                        ユダヤ教はいつ生まれたのか? 伝承によれば、3000年以上も前にシナイ山で生まれた。聖書の最初の五書である律法(トーラー)に収められている十戒とその他もろもろの法を、神がモーセに授けたときだ。 大方の研究者はずいぶん前から、「出エジプト」とシナイ山での啓示を創設神話として片づけてきた。そのため、この最初の主要な一神教がいつ、どのように生じたのかという問いが残されている。さていま、その問いにまつわる新説が学界に衝撃を与えている。 紀元前2世紀になるまで、古代ユダヤ人が律法を守っていた、あるいはそもそも知っていたという歴史的・考古学的な証拠はないことが大規模な再調査からわかったと言うのは、イスラエルのアリエル大学で考古学を研究するヨナタン・アドラー教授だ。米イェール大学出版局から出版されたばかりの『ユダヤ教の起源』(未邦訳)の著者でもある。 そこから示唆されるのは、われわれがいま知るユダヤ教が

                                                          「ユダヤ教」はいつ生まれたのか? 新説を提示したイスラエルの考古学者に聞く | 「聖書に書かれていることだって、必ずしもそうとは限らない」?
                                                        • 約2000年前の馬車 ほぼ完全な形で発掘 古代遺跡ポンペイ近く | NHKニュース

                                                          イタリア南部の古代遺跡ポンペイの近くで、およそ2000年前の装飾を施した4輪の馬車がほぼ完全な形で発掘され、考古学者は「すぐれた保存状態で、古代への理解を深める驚くべき発見だ」としています。 ポンペイで遺跡の発掘調査を続けている考古学者らのチームの発表によりますと、馬車は、西暦79年にベスビオ火山の噴火で火山灰に埋もれたイタリア南部の古代都市遺跡ポンペイ近くの発掘現場で見つかりました。 4つの車輪がついた馬車で、鉄の部品のほか、青銅やすずで細かな装飾が施され、ほぼ完全な形で発掘されたということです。 また、ロープや花で飾られていた痕跡も確認されたということです。 専門家によりますと、馬車は祭りやパレードなどの儀式で使われたとみられるということです。 発掘チームの考古学者は「すぐれた保存状態で、古代への理解を深める驚くべき発見だ」としています。

                                                            約2000年前の馬車 ほぼ完全な形で発掘 古代遺跡ポンペイ近く | NHKニュース
                                                          • 古代越国の王侯級陵墓、中国浙江省で見つかる

                                                            この写真にはショッキングな表現、または18歳以上の年齢制限の対象となる内容が含まれます。 ご覧になる場合にはご了承の上、クリックしてください。 【11月5日 Xinhua News】中国春秋時代後期の越王・句践(Gou Jian、こうせん)による「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の故事は日本でもよく知られるが、中国東南部の沿海地域にあった越国の歴史は、いまだ多くの謎に包まれている。しかしこのほど、考古学者による3年余りの調査により、浙江省(Zhejiang)湖州市(Huzhou)安吉県(Anji)で越国の上級貴族のものと思われる陵墓が初めて発見された。少なくとも2500年以上前のもので、句践が没したとされる紀元前465年よりも古いという。 【関連記事】2000年前に鋳造、「越王句践剣」公開 杭州市の西湖美術館 中国の多くの考古学者は、同陵墓が君主クラスの墓である可能性を指摘。今回の発見は越文

                                                              古代越国の王侯級陵墓、中国浙江省で見つかる
                                                            • 約5000年前の権力者は女性だった、定説覆す発見、スペイン

                                                              写真はペルーのパンパ・ラ・クルス遺跡で発見された600年前の生贄(いけにえ)の子どもの頭蓋骨。コンゴウインコの羽でできた頭飾りをかぶっている。今回の研究同様、プロテオミクスによってこの遺跡の主な生贄が男児だったことが突き止められた。プロテオミクスは考古学に革命を起こす技術と期待されている。(PHOTOGRAPH BY BECKY HALE, NATIONAL GEOGRAPHIC) スペインの古代の墳墓に埋葬されていた権力者の遺骨を分析したところ、この人物が女性だったことが明らかになり、初期のヨーロッパ社会における女性の役割についての定説を覆す重要な発見となった。論文は2023年7月6日付けで学術誌「Scientific Reports」に発表された。 この発見は、タンパク質を利用する考古学の新しい手法によって得られた革新的な成果の一例だ。 科学者たちは近年、分析可能なDNAが残っていない

                                                                約5000年前の権力者は女性だった、定説覆す発見、スペイン
                                                              • 初代ローマ皇帝をかたどった大理石の頭部像、イタリアで発見 時期は2000年前

                                                                初代ローマ皇帝アウグストゥスをかたどった頭部像が、イタリア南部の町で出土した/MIBACTmolise/Facebook 初代ローマ皇帝アウグストゥスをかたどった2000年前の大理石の頭部像が、イタリア南部モリーゼ州のイゼルニアで発見された。 考古学者のフランチェスコ・ジャンコラ氏がこの類いまれな発見をしたのは、2013年の豪雨で崩れた中世の壁を修復していた時のことだった。 ジャンコラ氏はイゼルニアの地元自治体のために修復作業に携わっていたが、6日のCNNの取材に語ったところによると、これほど大きな発見があるとは予想していなかったという。 「壁の後ろを掘っていた時に、地面の色が変わったのが見えた」(ジャンコラ氏) 「そのまま精密なこてで掘り進めたところ、大理石の塊が出てきた。髪型や目の形と彫り方から、アウグストゥス像の頭部であることがすぐに分かった」 発見を受け、ジャンコラ氏は直ちに当局や

                                                                  初代ローマ皇帝をかたどった大理石の頭部像、イタリアで発見 時期は2000年前
                                                                • JRA京都競馬場の淀寮内に淀城跡が発掘 鳥羽伏見の戦いの状況などを知る貴重な史料 | デイリースポーツ芸能

                                                                  JRA京都競馬場淀寮の増築工事に伴い、京都市埋蔵文化研究所が調査したところ、淀城跡の家老屋敷が発掘された。18世紀後半に水害対策としてかさ上げ工事が行われていた事実や、1868年の鳥羽伏見の戦いでの火災跡も確認された。当時の防災のあり方や、鳥羽伏見の戦いの状況を知ることができる非常に貴重な史料だ。 見つかったのは、18世紀中頃から後半に、地下1メートル40センチのところで使われた家老屋敷の跡。その後、同じ場所の70センチ高いところに再び屋敷を建てており、軟弱地盤に対応するために生まれた石柱を立てる蝋燭(ろうそく)基礎という工法でかさ上げ工事を行われていた事実も確認された。 今回検出された工法は、当時、関西にはなく、江戸周辺や下総国に多くみられたもの。江戸時代中期に稲葉家が淀藩の藩主となる前、下総国佐倉藩の藩主であったことが関係していると考えられている。淀城は桂川、宇治川、木津川の合流点に接

                                                                    JRA京都競馬場の淀寮内に淀城跡が発掘 鳥羽伏見の戦いの状況などを知る貴重な史料 | デイリースポーツ芸能
                                                                  • ウンチの分析から知られざる「マヤ文明の衰退」の歴史を明らかに - ナゾロジー

                                                                    人のウンチは、それがどんなに古いものであっても、想像以上に多くのことを教えてくれます。 カナダ・マギル大学(McGill University)は今回、マヤ文明の遺跡から採取された排泄物のサンプルを分析し調査。 その結果、これまでの研究では知られていなかった、気候変動にともなう人口減少が起きていたことが明らかになりました。 ウンチが新たな考古学調査のツールとなりそうです。 研究は、3月30日付けで科学誌『Quaternary Science Reviews』に掲載されています。

                                                                      ウンチの分析から知られざる「マヤ文明の衰退」の歴史を明らかに - ナゾロジー
                                                                    • 謎に満ちた「ルリスタン青銅器」、誰が作ったのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

                                                                      紀元前700年頃に作られたルリスタンの精巧な馬具。神話上の獣を手なずける角の生えた人物が表現されている。(ARTOKOLORO/ALAMY) 1920年代後半、精巧な青銅器が古美術品市場に溢れ出した。人物や動物をかたどった馬具やピン、浮き彫りを施したカップなど、どれも繊細で美しい品々ばかりだったが、その由来について詳しく知る者はいなかった。美術商たちに尋ねても、詳しい地名や集落ではなく、イランのザグロス山地にある一地方を示すのみだった。ルリスタン(現在のロレスタン)だ。 ルリスタン青銅器の氾濫は、1928年秋、イラン西部のハルシンという静かな町から始まった。ある農夫が畑で美しい青銅器をいくつか発見したのがきっかけだ。噂は広がり、やがて町には美術商が殺到するようになり、青銅器は博物館や個人収集家へと売り渡された。 学者や地元の人々の間からは、自分たちも青銅器を発掘したいという声が多かった。当

                                                                        謎に満ちた「ルリスタン青銅器」、誰が作ったのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
                                                                      • 凍結ミイラ「アイスマン」壮絶な最期の旅路を解明

                                                                        1991年、エッツィ(アイスマン)のミイラ化した遺体を調べる登山家のラインホルト・メスナー氏(右)と仲間。(PHOTOGRAPH BY PAUL HANNY, GAMMA-RAPHO/GETTY) アルプスの氷河で見つかり、「エッツィ」の愛称で知られる有名な男性のミイラ「アイスマン」。負傷し、おそらく追われていたアイスマンは、アルプスの高山で、背中を矢で射られて死亡した。(参考記事:「アイスマンをめぐる5つの意外な事実」) それから約5300年、考古学者たちは今も、彼の死の謎を解明しようと取り組んでいる。このほどアイスマンの発見現場から採取されたコケの分析が行われ、最後の登山の詳細が明らかになった。論文は2019年10月30日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された。 これまでにわかっていること エッツィは1991年、エッツタール・アルプスを歩いていたハイカーが、イタリアとオーストリア

                                                                          凍結ミイラ「アイスマン」壮絶な最期の旅路を解明
                                                                        • 約3000年前の「神の頭部」が発見される、偶像崇拝が禁止されていた時代の珍しい事例か

                                                                          イスラエルに存在する古代の遺跡で、約3000年前に作成されたと思われる「神の頭部」が発見されました。 3,000-year-old head may be face of God | Live Science https://www.livescience.com/ancient-clay-head-may-depict-god.html イスラエルの都市ベト・シェメシュの近くに存在するエラの谷にある古代の要塞遺跡「Khirbet Qeiyafa(エラの要塞)」で、イスラエルの考古学者たちによる調査チームが2インチ(約5cm)ほどの大きさの粘土製の物体を発見しました。 この物体は旧約聖書および新約聖書における唯一神である「ヤハウェ」の頭部を粘土で模したものであると考えられており、非常に珍しいものであるとして注目を集めています。なぜイスラエルで発見された3000年前の神の頭部が珍しいのかとい

                                                                            約3000年前の「神の頭部」が発見される、偶像崇拝が禁止されていた時代の珍しい事例か
                                                                          • 双方中円墳、九州で初確認 福岡・うきは市の西ノ城古墳 | 西日本新聞me

                                                                            福岡県うきは市で発掘調査中の西ノ城(にしのしろ)古墳が、円形墳丘の両端に方形墳丘が付いた「双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)」とみられることが分かった。全国で数例しか確認されておらず、九州では初めて。出土した土器片から古墳時代前期初頭(3世紀後半)の築造と推定され、最古級の双方中円墳という。近畿や山陽の有力勢力と被葬者のつながりが推察され、専門家は当時の中央と地方の関係を知る重要な発見だと指摘する。 西ノ城古墳は同市浮羽町の耳納(みのう)連山中腹にある。市教育委員会によると、円形墳丘は長径約37メートル、高さ約10メートルで、二つの方形墳丘を合わせた全長は約50メートル。円形墳丘の頂部では、板状の石を組んで造った埋葬施設が2基見つかった。壊された同様の埋葬施設を含めると、5基以上あったとみられ、弥生時代の集団墓の特徴を残す。一帯を治めた豪族と親族、側近らが埋葬されたと考えられるという。

                                                                              双方中円墳、九州で初確認 福岡・うきは市の西ノ城古墳 | 西日本新聞me
                                                                            • 米先住民とポリネシア人、800年前に交流か DNA研究

                                                                              イースター島の石像(2010年7月9日撮影、資料写真)。(c)MARTIN BERNETTI / AFP 【7月9日 AFP】西暦1200年ごろにアメリカ先住民とポリネシア人が広大な外洋を越えて交流していたことを明らかにしたとする研究結果が8日、発表された。この交流の動かし難い証拠が、現代の人々のDNAに残されているという。 現在のコロンビアやエクアドルにあたる地域の人々が数千キロを漂流して太平洋の真ん中に浮かぶ小さな島々にたどりついたのか、それともポリネシア人の船乗りたちが風上に向かって進出して南米大陸に到達し、その後に戻ったのかは、まだ明らかになっていない。 だが、英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された論文によると、欧州の人々がこれらの地域に足を踏み入れる数百年前に両者の交流が生じていたことと、これによって仏領ポリネシア(French Polynesia)の島々に住む人々にアメ

                                                                                米先住民とポリネシア人、800年前に交流か DNA研究
                                                                              • 国宝 犬山城の天守 調査で現存する最古の天守との裏付け 愛知 | NHKニュース

                                                                                愛知県の国宝 犬山城の天守は、秀吉と家康が争った小牧長久手の戦いの直後に建てられたとみられ、これまで考えられていたより50年ほど新しいものの、現存する最も古い天守であることが裏付けられたことが名古屋工業大学大学院などが行った建築材の調査で分かりました。 愛知県犬山市にある犬山城の天守は、昭和36年から行われた大規模な修理に伴う調査の結果、2階までの下層階は1537年ごろに織田信長の叔父の信康が建築し、3、4階はそのおよそ60年後に増築されたという説が有力でした。 犬山市の依頼を受けた名古屋工業大学大学院の麓和善教授らが、おととしから初めて年輪年代法という手法で分析したところ、柱やはり、床板など天守の主な建築材は、いずれも西暦1585年からの3年間に伐採されていて、1階から4階まで一気に建設されたとみられることが分かったということです。 この時期は、豊臣秀吉と徳川家康が争った小牧長久手の戦い

                                                                                  国宝 犬山城の天守 調査で現存する最古の天守との裏付け 愛知 | NHKニュース
                                                                                • 古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン

                                                                                  古代メギドの市場の想像図。交易商の店先には、地中海東部全域で育つ小麦、キビ、ナツメヤシのほか、南アジアで採れるゴマ油の入ったビンや、ターメリックが盛られた器が並ぶ。(ILLUSTRATION BY NIKOLA NEVENOV) 新約聖書にある東方の三賢者の物語は、古代の中東において長距離貿易が盛んだったことを示している。このことは学者の間でも定説となっており、ローマ時代には、アラビア海やそれよりも東の地域から、めずらしい油や樹脂が地中海一帯に持ち込まれていた。 そして今回、学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された新たな研究で、現在のイスラエルがある土地に住んでいた人々は、アジア産の果物やスパイスを3500年も前から口にしていたことがわかった。(参考記事:「ダビデの敵ゴリアテも、ペリシテ人のルーツを解明」) 研究では、青銅器時代中期から鉄器時代初期(紀元前1500年~110

                                                                                    古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン