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WWDC24
saewataru.hatenablog.com
本屋の雑誌コーナーを立ち読みしていた時のこと。 派手な表紙の本が目にとまりました。 「宝島社」という出版社は、以前から耳にしたことがありました。 しかし、目に飛び込んで来たタイトルに描かれている 「VOW」 の文字の意味は、すぐには理解出来ませんでした。 しかも、カタカナで面白おかしく「バウッ!」と書かれている! その3文字の正体は 「Voice Of Wonderland」。 同社の雑誌「宝島」に掲載されている「読者投稿コーナー」を単行本化した、半世紀近い歴史を持つ、「立派なシリーズ本」でした。 投稿の中身は、「街中の風景写真や新聞記事」が題材です。 ところが、それは通常の画像ではない。 主として、次のようなジャンルの「ネタ」から構成されています。 新聞・雑誌・広告等の「誤植」 新聞記事の「面白い見出しや投書」 変わった看板・道路標識・交通標語 面白い「壁の落書き」 ユニークな商品名 珍
オリジナル作品の連載。 8回目の今日は 「君想ふとき」 です。 先月の段階でリストにアップしていたため、すでに複数回の閲覧をいただいていますが、改めてここにご紹介します。 この曲は、最初に歌詞を受け取り、後からメロディーを付ける形で出来上がりました。 歴史的仮名遣いのタイトルに、作詞者のこだわりが感じられます。 愛する「君」とのちょっとしたいさかいで、別れてしまった「僕」の物語です。 性格が不器用で、上手に恋を続けられない主人公のようです。 2番のサビに当たる 「♬紅茶に砂糖は入れず 君想ふ」 「♬苦くなるほど 甘い記憶」 「お茶を飲むたび君を思い出す」というさりげないフレーズにピンと来て、ここの部分からメロディーを付けていきました。 何もないところからメロディーを先に作る場合でも、今回のように歌詞が先にある場合でも、必ずしもアタマから順番に作っていくのではなく、 「まず思いついたメロディ
今日も「おそらくこの場でしか耳にされることがないであろう」懐かしい歌を取り上げます。 歌い手の名は、伊東ゆかり。 1960年代の歌謡シーンを語るのに欠かせない存在のひとりです。 小学生時代から進駐軍キャンプで歌い始め。 そして、11歳だった1958年「かたみの十字架/クワイ河マーチ」で本格レコードデビュー。 10代の頃は、洋楽のカバーを多く歌っていました。 そして、1967年にリリースした「小指の想い出」。 ♪あなたが噛んだ 小指が痛い 昨日の夜の 小指が痛い~ 印象的な歌詞で始まるこの歌は、当時知らぬ者はいないほどの「国民的なヒット」となりました。 シンプルきわまりない覚えやすいメロディーとともに、彼女の一番の代表作として、その後も長く歌い継がれています。 その後も「恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」など立て続けにヒット曲を飛ばしました。 同時期に日本のポップス界を牽引した中
左利きの人は、全人口の約10%いると言われています。 かなりの「少数派」です。 私は、その少数派の一員です。 世の中のあらゆるものやシステム・考え方は、右利きを前提として作られています。 9割の人には体感出来ない 「左利きならではの『あるある』」がたくさんあります。 横書きのノートだと、手が汚れる 文字は、「左から右へ」書き進めて行きます。 これを左手でやろうとすると、すでに書いた文字の上を手が動くことになります。 結果、紙が汚れやすくなります。 英文字を左手で器用に書く英語圏の人々を時々見かけますが、同じ苦労があるのだろうと思います。 食卓に座る時、場所を考えないと手がぶつかる 食卓では、必ず机の左端に陣取るようにします。 そうでないと、このイラストの女性のように、箸を持つ手が隣の人とぶつかってしまいます。 「少数派」が配慮しなければならないのです。 自販機のコインが入れにくい 自動販売
県庁所在地といえば、たいていはその県の中心地。 人口規模も圧倒的に大きい、いわば「県内の絶対的エース」です。 たとえば… ランダムに県名を選んで、「10秒以内に、県庁所在地以外の市を3つ挙げよ」などと尋ねられてすぐ答えられる人は、おそらく地元出身者か、よほどの「地理マニア」かと思います。 それだけ、県庁所在地の存在感は大きいのが普通です。 ところが全国には、県庁が置かれていても「圧倒的センター」とは言えない都市もいくつかあります。 人口規模を根拠に、実際に足を運んだ感触も含めて挙げてみます。 福島県 面積が広く、やや東西に長い形をしている福島県は、タテに3つの地域 「浜通り・中通り・会津」 に分かれます。 新幹線や高速道路が通る「中通り」に位置しているのが、県庁所在地の福島市と、中核市の郡山市。 福島市の人口28万人よりも、郡山市の人口の方が多く、約33万人。 しかし、さらに人口の多い市が
現在「現役」として活躍している女性ソロ歌手の中で、「もっと脚光を浴びて然り」と感じるひとりが、 JUJU です。 ステージでは帽子を着用するなど、全体的にミステリアスなムードを醸し出している面もあり、一種独特な雰囲気と存在感を確立しているシンガー、という印象があります。 それでいながら、バラエティー番組で見せる「飾らない」素顔とのギャップがまた魅力。 これだけの実力・実績を持ちながら「紅白」に無縁なのも謎です。 (「紅白」がすべて、ではありませんが…) 10代の頃にジャズシンガーを目指して単身NYに渡ったキャリアからもうかがえるように、ジャズだけでなくソウルやR&B含め、洋楽ナンバーを広く歌いこなせるパワーを持つ… それが、「ニッポンのはやり歌の歌い手」とは一線を画す面があったのかもしれません。 デビュー当初は洋楽志向が強かったものの、周囲のサジェスチョンもあって唱法を根本から「J-POP
「来週」、「翌週」、「次週」。 日常的には、いずれも「来たるべき次の週」として同じ意味で使っているような気がします。 しかし、過去に「ゼロ」と「零」には厳密には違う意味があると書いたように、それぞれの言い方には微妙な違いが存在しています。 saewataru.hatenablog.com まず「来週」とは? 辞書には「今週の次の週」とあります。 つまり、現時点=今週から見た次の週が「来週」となります。 今日は8月18日ですから、「来週の火曜日」は7日後の8月25日を指すことになります。 次に「翌週」とは? 同じく辞書では、「その次の週」とあります。 これだけだと「来週」と同じように見えますが、解説に単に「その次の」とあるように、現時点ではなく、過去または未来のある特定の日を起点とした次の週を意味します。 たとえば、「今度の連休明けの翌週に会いましょう」のように、未来のある時点の次の週の場合
芸能界には、兄弟・姉妹で活躍している人物が多数います。 歌手や漫才師(現在は「芸人」という言葉に統一されつつあります)などでは、コンビでの活動もアリ。 俳優の世界にも兄弟姉妹はいますが、活動はそれぞれひとりずつのケースが基本です。 ともに同じ業界にいても、仕事そのものが「ソロ」を基本としていますから、ある意味当然かもしれません。 そんな中、 コンビで活動し、しかもコンビ名に堂々と「姉妹」を名乗っている2人組がいます。 タイトルに挙げた「ミニクイズ」。 多少なりとも芸能界やテレビに興味のある方には、すぐお分かりの愚問かもしれません。 「世代」でない方、興味のない方にとっては、今日のネタ自体がそもそもが愚問かもしれません。 雑学としてしばらくお付き合いいただけたら、ありがたいです。 正解は、もちろん 「こまどり姉妹」。 「叶姉妹」も「阿佐ヶ谷姉妹」も、「設定上の姉妹」です。 それにしては、イメ
オリンピックと言えば「メダル」。 もちろん金メダルの価値は絶大ですが、3位圏内に入るのでも非常に偉大なことと思います。 金メダルは、どの競技でも勝ち続けて最終的に「トップ」になった選手に与えられます。 一方、当たり前ですが 銀メダル・銅メダルはトップではない。 どこかのプロセスにおいて「負け」の要素が入ります。 陸上競技は、トラック・フィールド・マラソン含め、公正に「数字」で順位が決まります。 競泳も同様です。 「100メートル走・競泳・マラソン」であればタイムで。 「走り幅跳び・高跳び」であれば、飛んだ長さ・高さで。 「〇〇投げ」であれば、やはり投げた長さで。 予選~決勝のプロセスはありますが、最終的には「横一線の客観的な一発勝負」になります。 ここでの銀メダルは、1位には及ばなかった、つまり「負けた」けれど、同条件の下なので、銅メダルよりは文句なしに優れています。 一緒に競争する。 あ
1999年、ヴォーカル・大橋卓弥とピアノ・常田真太郎によりユニット結成。 2003年にメジャーデビューしています。 ユニークなユニット名 「スキマスイッチ」 の由来は、常田の住んでいた部屋で偶然目に入った窓の「隙間」と、電気の「スイッチ」から誕生したと言われています。 2004年、2枚目のシングルとして発表されたのが 「奏(かなで)」。 ユニット名同様、過去に例を見ない珍しいタイトルに、まず注目しました。 (ブログ同様、タイトルは重要ですね…) その「正体」は… アコースティックギターとピアノ・ストリングスがバランス良くミックスした、シンプルかつ美しい音色に乗せて、別れのシーンを切々と歌うバラードナンバー。 一気に心を奪われ、当時アタマの中がヘビーローテーション状態になったのを思い出します。 セールス実績で言えば、翌2005年に発売され、今年も映画主題歌に起用されるなど、彼らの代表作となっ
オリジナル作品の連載、7回目。 本日のタイトルは 「カリブの風と夕陽とペーパーバック」 です。 カリブ海の島が舞台。 夏の風に吹かれながら、のんびり寛いでいる。 片手には「ペーパーバック」の本を携えて。 (最近、あまりこうした呼び方はしなくなりました) ビーチからの眺めや「現実逃避気分」を、歌詞の中に存分に織り込んでいます。 エキゾチックな楽器やパーカッションを使って、海外のリゾート気分を盛り上げるアレンジにチャレンジしています。 せめて歌の世界だけでも、夏旅行を味わってみたいものです。 <歌詞> 読みかけのペーパーバック 砂の上に放れば わけありげの アバンチュール その続きは 風に訊いて ヤシの影はらり 胸に乗せて呑気に 眠る人の横で いつしか波はララバイ もう 恋の手際 忘れてしまいそう ああ ここはカリブ 夢に近い島 目覚めればペーパーバック 夕陽色に染まって 潮の香るLove A
昨年、金融庁の発表したいわゆる 「老後2000万円資金」 問題が大きくクローズアップされました。 ほかのニュースに埋もれて、今はほとんど忘れ去られている話題ですが、問題が自動的に解決したわけではありません。 最初にこれが報じられた時は、情報番組のコメンテーターや街角インタビューの声も含めて 「年金をもらう65歳までに2000万円なんて!」 「とんでもない額のおカネをどうやって用意すればいいのか?」 といった論調がほとんどでした。 「2000万円」という金額だけがクローズアップされてひとり歩きし、その根拠と本質がまったく認識されていませんでした。 この算定の根拠となった主な前提は、以下の通りです。 ざっと挙げただけでも、プラス・マイナスに振れ幅のある非現実的な設定が多数見つかります。 夫が65歳以上、妻が60歳以上。つまり「夫婦2人」の家計であること 夫は会社員で、月に20万円以上の手厚い厚
歌の世界にとどまらず、世の中に「瞬間最大風速的」に影響を及ぼした 「ピンク・レディー」 という「社会現象」があった… それが現在どの程度記憶されているのか、もはや想像がつきませんが、ひと言 「一大ムーブメント」 を起こしたことだけは事実です。 コンビとしての活動期間は、1976年8月から1981年3月までのわずか4年半。 そのうち、オリコン1位を獲得し続け活躍が絶頂だった時期は、1977年から78年にかけての、わずか2年間ほどでした。 しかし、デビュー曲の「ペッパー警部」から 「SOS」 「カルメン'77」 「渚のシンドバッド」 「ウォンテッド(指名手配)」 「UFO」 「サウスポー」 「モンスター」 「カメレオン・アーミー」 と続く一連の大ヒットは、まさに「ピンク・レディー旋風」と言って過言ではありません。 「UFO」ではレコード大賞も受賞。 発売から40年以上経ってなお「UQモバイル」
小学生の頃、「漢字の書き取りテスト」は比較的得意な方でした。 ところが、「ハタチ過ぎればただの人」のことわざ通り?(もともと天才でも神童でもないのですが)、 「常識的な漢字が読み書き出来ればいいや」 程度のオトナになってしまいました。 トシをとると、状況はさらに悪化。 「読むには読めるけど、とっさに書けない」漢字がどんどん増えていきます。 手書きで文字を書く機会が激減したから、に違いありません。 こうして普通に入力していれば、「コンピュータ様」が該当漢字の候補をすべて挙げて下さるご時世。 マシンに責任を転嫁することはカンタンですが、一方であまりの「読み書き能力の低下」を前に、自己嫌悪に陥ることもあります。 漢字の読み書きは、「漢字検定」なるものが存在するほど奥が深いもの。 教養として知っておいても決して悪くはありませんが、(決して負け惜しみではなく)その道を究めても、あまり実用的ではないよ
私は、プロフェッショナルとはほど遠い、 ちょっとだけ音楽方面の素養?がある 普通の会社員の身分です。 そう言えば、昨日書いた 「さえわたる自作オリジナル曲」の連載記事 に対して、毎日欠かさずたくさんのスターとご丁寧で温かいコメントを下さる、大切な読者仲間である「オオイヌノフグリ」さんより、 オオイヌノフグリ (id:ooinunohuguri) 結婚の有無のお尋ねがありました。 「ヴァイオリンと歌作りの世界で夢を見ている」面はありますが、現実はそこまで「自由人」ではなく、妻と二人の子供を持つ「お父さん業」も一応こなしています。 音楽がきっかけとなって、これまでの人生で「夢のような」非日常的な思いも少しだけ味わって来ました。 ステージに立つ活動やレコーディング作業もありますが、一番典型だと思うのが、 「テレビ・ラジオへの出演経験」 です。 初めてテレビに出た日、そして2度目に出た日。 最初は
「オリジナル作品」、連載6回目は 「million stars」 です。 数年前、すでにiTunes Storeを通じて配信していたものですが、その中では連載初回にご紹介した「散り始めた桜」と共に反響をいただいた作品です。 saewataru.hatenablog.com この歌に関しては、最初に詞があったのでストレートに「きらめく星空」をテーマに作りました。 リアルな日常では口に出来ないようなラブメッセージが並んでいて、ただ朗読するとなんとも照れくさいのですが、メロディーに乗せると案外すんなり感情移入出来るものです。 またたく星の「キラキラ感」を、アレンジでも表現してみました。 前回の掲載時に、schun (id:schunchi2007) さんから、「歌はどうやって録音しているのか?」とブックマークコメントでご質問をいただきました。 Schunさん、毎日ご訪問下さりありがとうございます
明日は、75回目となる「長崎原爆記念の日」です。 今日取り上げる歌は、 「長崎の鐘」。 原爆にまつわる実話をモチーフにした作品です。 原作となったのは、長崎医科大学(現:長崎大学医学部)助教授だった永井隆博士が執筆した同名の手記です。 原爆の爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、自身重症を負いながらも、被爆者の救護活動に当たる様子を記録したものです。 被爆時に、大学をはじめとする長崎の市街地が破壊された様子や、火傷を負いながら死に行く同僚や市民たちの様子が克明に描かれています。 また、永井博士は、この原爆によって妻を亡くしています。 自らも危篤状態に陥りながら、一時は一命を取り留めますが、1951年に43歳の若さで亡くなっています。 長崎市原爆資料館。 資料館の近所には、彼の功績を称えた 「長崎市永井隆記念館」が公開されています。 www.city.nagasaki.lg.jp 私にとっ
勤務先では毎年2回、上期・下期(4月と10月)に 「人事考課」と呼ばれる業績評価システムがあります。 これまでに複数の企業を経験しましたが、そのベースはみな同じでした。 会社であれば、どこでも似たようなしくみがあるのだと思います。 期初に、今期の目標を何項目か立てる。 そして、期が終わった後に上司と個人面談を行い、どれだけその目標が達成できたかを判定する。 上司はそれぞれの目標の達成度を「計数化」し、その期の「点数」をつける。 学校だけでなく、 会社に入っても毎年「通信簿」を受け取る。 これが基本的なメカニズムです。 この点数によって、夏・冬のボーナスの額が決まってきますし、何年間かの「通信簿」の成績はその後の昇進にもかかわってくるため、当事者にとってはまさに「死活問題」となります。 多くの場合評価は点数化されるため、立てる目標自体も客観的に数値化できるものの方が望ましいです。 営業職であ
今日は「先生」という言葉についての話です。 まずは、「先生」をテーマにした歌を探してみました。 淡い初恋 消えた日は 雨がしとしと 降っていた 傘に隠れて 桟橋で ひとり見つめて 泣いていた 森昌子が、担任の教師に恋心を抱く生徒を歌った、デビュー曲 「せんせい」の冒頭の歌詞です。 古い歌ですが、大ヒットしたので名前ぐらいはうっすらご存知か、と。 先生 私覚えてますか? 手編みのセーター 着てますか? ところで 先生 17歳は オトナでしょうか?子どもでしょうか? だいぶ雰囲気の違う歌詞ですが、これもよく似たタイトル 「私の先生」という曲の冒頭部分です。 こちらはほとんど知られていませんが、榊原郁恵のデビュー曲。 やはり、学校で先生に憧れる高校生の姿を歌っています。 小さな町の 中学校に 初めて来たのは 春のこと あれからいくたび 校庭に 桜の花が 咲いたろう 教えた子どもは 数え切れない
この連載でジャニーズ系の楽曲を取り上げるのは非常に珍しいのですが、この曲は初めて聴いた時から、そのユニークさが耳に残っていました。 2005年、日本テレビ系で放送されていたドラマ「野ブタ。をプロデュース」で共演した 亀梨和也 (KAT-TUN) 山下智久 (当時NEWS) による期間限定ユニット 「修二と彰」 によるシングルです。 毎週1位の座が入れ替わるのが当たり前のオリコンチャートで、2週連続、通算では3週も1位の座を獲得。 ミリオンを達成した大ヒット曲となりました。 ドラマとは別に、歌番組で楽曲だけを聴いた時、ちょっと過去にタイムスリップしたような懐かしい、それでいて日本っぽくないテイストを同時に感じたのです。 1970年代・80年代には、タイトルに「青春」の2文字が非常に多く使われました。 しかし、21世紀に入ったこの時代に改めて「青春」が使われると、ノスタルジックな印象を超えて、
「サバをよむ」という言葉があります。 漢字で書くと「鯖を読む」。 魚ヘンの「サバ」の字が当てられています。 意味としては、「自分の都合の良いように、数字や年齢をごまかすこと」と辞書にあります。 語源はさまざまあるようですが、最も有力な説は… 江戸時代から使われていた言葉。 サバは傷みやすく、また収穫される数が多かった。 そのため、量が大雑把に早口で数えられた。 結果として、実際の数と合わないことが多かった。 そこから転じて「いい加減に数を数える」意味になった。 「サバを読む」最もポピュラーなシチュエーションは、「年齢」でしょう。 人は誰しも「若く見られたい」願望があります。 saewataru.hatenablog.com 若く言われると、気持ちとしてはうれしい! 一方ビジネスの世界では、あまり若く見られると「舐められる」ことにもつながり、それはそれで考えものです。 純粋に「若さ」がウリに
小学生時代、父の仕事の都合で東京から宮城県・石巻市に転校し、3年生から6年生までを過ごしました。 その頃のエピソードを、過去記事で何度か取り上げています。 saewataru.hatenablog.com saewataru.hatenablog.com その頃からやたら背が高く、小学生のくせにヴァイオリンなんぞを演奏する、田舎町に見知らぬ土地・東京から「異星人」のごとく転校してきた少年。 クラスメートからはちょっと浮いた存在でしたが、教師たちからは「規格外」に注目されていました。 その対象は、田舎町には馴染みの薄いヴァイオリンという楽器だけではありませんでした。 音楽の授業では、定期的に「独唱テスト」が行われていました。 そこで私が披露した「歌声」「歌いぶり」が、クラスの垣根を越えて教師たちの間に知れ渡ることとなっていたようです。 その頃市内では毎年、近隣地域を含めて 小学校対抗の「合唱
1年半前から地道に「毎日更新」を継続。 500記事投稿に到達しました。 今日が501回目の投稿となります。 毎日書きながら、「このまま続けるべきかどうか」を常に考えています。 この節目に、少しだけ詳しく自分の気持ちに素直に向き合ってみたいと思います。 現在、読者登録数はそれなりの数に至っています。 しかし実アクセス数は、ここのところすっかり「低位安定」。 この先どれだけ継続しても、現状がピークのようです。 それでも執筆を続ける支えになっているのは、毎日いただける★スターや「ブックマークコメント」です。 固定的な読者として、クリックのみにとどまらず「言葉付き」で返して下さるそのご厚意には、ただただ感謝のひと言です。 ネット上を賑わせる「ブログでお小遣い稼ぎの自慢記事情報」には縛られることなく、自由な立場で日々好き勝手なことを書けているのですから、基本的にブログに接するのは「楽しいことばかり」
現在も司会者・タレントとして、幅広い活躍を続けている 堺正章。 喜劇俳優を父に持つ「2世タレント」の走り的存在でもあります。 現在でこそ「司会者」のイメージが強い彼。 その昔「マチャアキ」の愛称で親しまれ、森光子主演の国民的ドラマだった「時間ですよ」に、樹木希林(当時:悠木千帆)や天地真理・浅田美代子らと共に出演した名俳優であったこと。 それ以前に、今のジャニーズタレントなど足元にも及ばぬほどの爆発的人気を誇った「歌手」であったこと。 そんな「実績」の数々は、もはやご存知ない方々のほうが多いのかもしれません。 今を去ること半世紀以上前。 1960年代半ば、ニッポンに 「グループサウンズ」 と呼ばれるブームが巻き起こりました。 中でも人気を誇ったのが… ジュリーこと沢田研二(時に加橋かつみ)がリードヴォーカルを務めていた「ザ・タイガース」。 ショーケンこと萩原健一がメインだった「ザ・テンプタ
オリジナル作品の連載、5回目。 本日のタイトルは 「薬箱の中に」 です。 何かつらいことがあった時・・・ 「心の救急箱」にある君の笑顔という名の薬をつけると、傷や痛みが癒えていく。 君が寂しくてたまらない時・・・ 「心の救急箱」にある僕の吐息で、君を優しく守ってあげる。 それでも治らない時は・・・ 君をぎゅっと抱きしめてあげる。 「薬箱」を小道具に使った、優しさを前面に押し出したムードのラブソングです。 イントロ・間奏と本メロディーとでキーがいつの間にか変わっているのが、楽曲上の特徴です。 <歌詞> 心についた傷が 寂しさでしみる時は たまらずそっと開ける 僕だけの薬箱を 両手に君の笑顔 すくって傷に浸す 不思議 不思議 薄れて行く痛み 誰にも憂い見せず ひとりきり嘆く夜は 必ずそっと開けて 君だけの薬箱を 両手に僕の吐息 すくって頬に当てて いつも いつも 思っている君を それでも涙こぼ
テレビドラマやCMで、オフィスでの仕事が舞台になることがよくあります。 その時、業務書類のやりとりとして非常によく使われると感じるのが、 「企画書」という名称。 部下が上司に、 「部長!企画書が完成しました。ご確認下さい」 のような形で手渡す書類です。 「企画」と名が付くと、いかにも「仕事をしている書類」というイメージがあって、しかもスマートな感じがするのかもしれません。 しかし、画面に登場する書類イコールみんな「企画書」であることが、不思議でもありちょっと滑稽でもあります。 確かに、何か新しい仕事を始める時、新規プロジェクトを立ち上げるような時、その実施計画を練る場面はあります。 実際、「〇〇実施計画書」なる書類を作成することもなくはありません。 でもそれは、日頃交わされる書類のほんの一部にすぎません。 そんなことを思うのは、自分自身のキャリアが影響しているのかもしれません。 いくつもの
今になって振り返ると、歌謡界「激動の80年代」の幕開けを告げた「衝撃の1曲」だったと思います。 発売は1979年10月ですが、人気に火がついたのはその年末辺りから。 年をまたいで1980年に入るまで、1位の座をキープしました。 三洋電機テレビのCMソングとして流れていた曲に、それまでのはやり歌では耳にしたことのないようなテイストを感じ取りました。 歌手名:久保田早紀。 まったく聞いたことのない名前でした。 それもそのはず、これが彼女のデビュー曲だったのです。 この曲の原題は「白い朝」でした。 デビュー曲の候補として、後にこのシングル盤のB面に収録された「夢飛行」と、次のシングルとなった「25時」の3曲が挙がった中、スポンサーの意向で「白い朝」に決定。 そして同時に、プロデューサーの判断で、タイトルが「異邦人」に変更されたのです。 タイトルが「白い朝」のままだったら、これほどまでに話題を呼ば
まとまった休みが取れた時、まず考えるのは 「気兼ねなくどこかに旅行に行けたら…」。 ごく一般的な、今のご時世では非常にゼイタクな思いです。 スケジュールを考慮して、 「何日間時間をとるか」 「どこに出かけるか」 計画を立てている時点から、心が躍ります。 一方で、気まぐれの無計画な旅も、それはそれで楽しみがあります。 どんな旅であっても、「非日常を味わう」という旅の大きな目的は叶えられるので、家に戻ってからも「良い思い出」として残ることがほとんどです。 たとえそれが業務の出張だったとしても、 「国内外のふだん出かける機会のない土地に赴くことが出来た」 「そのために大好きな鉄道に乗ることも出来た」 そう思えば、楽しく振り返ることが出来ます。 「旅の思い出」カテゴリーで、記事を連載しています。 国内47都道府県は、だいぶ前に全踏破しています。 海外は、それほど多いわけではありませんが、10か国以
カンタンすぎるクイズです。 代表的な球技。 「野球・バレーボール」vs.「サッカー・バスケットボール」。 この両者の違いは何でしょう? 試合の出場選手数の違いでもなければ、ボールの種類・大きさの違いでもない。 昔流行った(今もある?)「ある・なし」クイズ風に言えば、 「サッカー・バスケットボール」には「ある」。 「野球・バレーボール」には「ない」。 ちなみに、昨年ブームになったラグビーは、「ある」組です。 テニスやバドミントンは、「ない」組です。 そう、「試合時間が決まっているか・いないか」です。 サッカー 前半・後半45分と決められています。 インターバルはたいてい10分、試合の展開によってアディショナルタイムも存在しますが、せいぜい数分。 トータルでだいたい2時間あれば、1試合が終わると前もって「計算」が出来ます。 バスケットボール クオーターごとに、時間が定められています。 <高校生
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