新型コロナ対応における政府の「不作為犯」ないし「未必の故意」によって、個人間の無用の対立が発生した。「オリンピックでかかった金は、テレビ観戦で楽しんだ奴が払え」という言説をここしばらくネットでよく見かける機会があり、それもこの一種だった。あるいは「旅行に行った人」や「自粛要請に従わず営業する飲食店」を責めることも同様だ。 ベースで以下のような価値判断があり、私は個人(ないしは個人事業主)より政府を非難する。 責任は根本要因をもたらした側が負う 責任は主体の大きさに応じて負う 啓蒙主義的な思考は取らない 責任は根本要因をもたらした側が負う そもそもオリンピックがこの状況下で開催されていなければ、「テレビで楽しんだ人々」への憤りや憎しみは発生していなかった。最初から、「自粛」ではなく県外移動が制限されていれば、「旅行に行った人」はそうしなかった。「自粛」ではなく金銭的補償とセットになった営業制