「啓介、何とかしてくれよ……。一刻も早くここから出してほしい」 昨年7月、猪木啓介氏(75)のもとに、一本の電話がかかってきた。10年以上連絡が途絶えていた兄・アントニオ猪木本人からの電話だった。 【画像】日によっては話すのも精一杯も、ベッドの上で笑顔をみせた「アントニオ猪木」 「元気ですかーッ!」と日本を明るくし続けてきた″燃える闘魂″の弱々しいSOSに、啓介氏は言葉を失った。 横浜市鶴見区の總持寺(そうじじ)で9月12日、故・アントニオ猪木(’22年10月1日逝去・享年79)の一周忌法要が営まれた。 「アントニオ猪木の遺骨が猪木家の菩提寺である總持寺に入ることになったのは、兄貴自身の希望でした。無事に一周忌法要を終えることができて、兄貴も喜んでいると思います」(啓介氏) 実は猪木にはもうひとつ「墓」がある。昨年5月に建立式が行われた、蔦(つた)温泉(青森県十和田市)近くの山中にある「ア
![「何とかしてくれよ……」アントニオ猪木 没後1年 死の1ヵ月前「衝撃闘病写真」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ea1652bf6713cd232efb8b33ea6dce9e80f3060f/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnewsatcl-pctr.c.yimg.jp%2Ft%2Famd-img%2F20231017-00000006-friday-000-2-view.jpg%3Fexp%3D10800)