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昭和42年(1967年)8月の或る日。 後列、父と2歳の私。 前列真ん中が父の父、私の祖父。 祖父の両脇は、... 昭和42年(1967年)8月の或る日。 後列、父と2歳の私。 前列真ん中が父の父、私の祖父。 祖父の両脇は、たしか祖父のいとこの、お孫さん達。 静岡県沼津市の内浦湾にある三津海水浴場。 海水浴といえば三津でした。 駿河湾の中の内浦と言う湾にあり、波も小さく、水もきれいな場所。 一緒に住んでいたこの父方の祖父は、50代で脳卒中を起こし半身に麻痺が残りました。 子供だった私の頭には、 「おじいちゃんは、ノウイッケツで、チュウブウになった」と、刻まれました。 仕事ができなくなった祖父は、家まわりの雑用や、掃除、片付け、ゴミ燃やしなどをいつもセッセとしていました。 口うるさくて、我が強く、世話好きで、噂話が大好きな、働き者。 50代で息子の世話になることになった負い目があったのか。 商才も野心もある息子に、複雑な思いがあったのか。 とにかく、折り合いの悪い親子でした。 祖父の事を母が、 「一言居士
2024/04/25 リンク