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本能寺の変の明智光秀は単なる実行役にすぎない…「信長謀殺計画」を練った"天才政治家"の名前【2023編集部セレクション】 光秀を巻き込み信長を京都におびき寄せた
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本能寺の変の明智光秀は単なる実行役にすぎない…「信長謀殺計画」を練った"天才政治家"の名前【2023編集部セレクション】 光秀を巻き込み信長を京都におびき寄せた
2023年下半期(7月~12月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部... 2023年下半期(7月~12月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2023年7月22日) 通説では、明智光秀は怨恨のため主君の織田信長を殺したと言われている。「家康」の長編小説を連載中の作家・安部龍太郎さんは「近年の研究によれば、光秀の単独犯行はありえない。朝廷には信長より2歳上の近衛前久という天才政治家がいて、信長が前久を軽んじたことが、本能寺の変の発端だ」という――。 ※本稿は、安部龍太郎『信長の革命と光秀の正義 真説 本能寺』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。 公家五摂家の筆頭・近衛前久は信長に尽くしたが… 永禄11年(1568)、信長が上洛して以来、信長と朝廷とは利用し、利用される関係を続けてきましたが、朝廷を支配しようという信長の野望は、本能寺の変の直前ごろにはかなり現実味を帯びていました