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一闡提について。 - 気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆
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一闡提について。 - 気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は「一闡提」(いっせんだい)という言葉についてです... いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は「一闡提」(いっせんだい)という言葉についてです。 この「一闡提」という語は『大般涅槃経』に出てくる語で、主に日蓮正宗や創価学会系の信者たちの間では「正法を信じず、悟りを求める心がなく、成仏する機縁を持たない衆生」くらいの意味で用いられています。大石寺系信者たちの間では「自分たちの教えを信じない人間」を指す蔑称のように使われることも少なくありません。 日蓮はこの「一闡提」の語を普通に使います。主に『立正安国論』『守護国家論』『開目抄』『撰時抄』『報恩抄』『下山御消息』等の重要な遺文でも多用されていますから、正しく「一闡提」は日蓮が使っていた言葉と言えるでしょう。 ところでこの「一闡提」という語、奇妙なことですが、『法華経』には全く出てこない言葉なのです。具体的には『大乗涅槃経』『楞伽経』『宝性論』で説かれ、成立の遅い時期の大乗仏典にしか現れ