みえた @mietabunka @twittanon 文化財行政では、江戸時代以後の遺跡は特に重要なものでない限り調査しなくていいことに平成10年の円滑化通知でなってるから…… でも重要視されたら調査がされて国立新競技場とか梅田墓みたいにちゃんと保管される。多分扇原遺跡のは旧石器の地層の遥か上にある江戸時代以後の地層にあったんでしょう 2020-12-27 02:10:52
大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」が、世界文化遺産に登録されたことを受けて、考古学などの学術団体が23日、古墳群を地域や社会に公開していくことなどを求める声明を発表しました。 声明を発表したのは、日本考古学協会など研究者で作る14の学術団体です。 この中で、世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」のうち、宮内庁が管理する古墳が原則、非公開となっていることについて、陵墓であることに配慮しながら一般への公開を進めることや、国と地元自治体が協力して史跡への指定などの保護を進めることを求めています。 また、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する国内最大の前方後円墳が、「仁徳天皇陵古墳」という名称で登録されたことについては「学術的に被葬者が誰か確定していない」として、「大山古墳」などと地名を使った名称を出版物や案内板などに併記するべきだと求めています。 声明を発表した団体の1つのメンバーで、考古
今年の5月、沖縄本島の遥か東に浮かぶ絶海の孤島「南大東島」および「北大東島」に行ってきた。 そこではフェリーからクレーンで上陸する様子に興奮したり(前々回記事→「大東島では荷物も人もクレーンに吊るされ上陸する」)、南大東島の漁港に目を見張ったりしたのだが(前回記事→「南大東島の「岩盤掘込み式漁港」が凄い!」)、この旅行における私の主目的は北大東島の「燐(リン)鉱山遺跡」を見ることであった。 北大東島は鳥の糞が堆積してできたグアノ(燐を多く含む物質)が広く分布していたことから、化学肥料の原料となる燐鉱石の採掘によって栄えた歴史を持ち、数多くの燐鉱生産施設が廃墟として残っているのである。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍
京都でカメラマンをしている「久保田狐庵(くぼた こあん)」と申します。 「カメラマン」と言っても、内容は多岐にわたります。依頼された写真を撮るだけでなく、テーマを持った、専門性のあるカメラマンも多いです。料理をおいしそうに撮るフードカメラマンや、スポーツで見逃せない一瞬を切り取るスポーツカメラマン、ニュースを撮影する報道カメラマンなどが一般的でしょうか。 私の場合はさまざまな写真を撮っており、専門のひとつに「文化財の撮影」があります。 24歳のときにカメラマンとして独立したのですが、ご縁があって、そのときから文化財を撮り続けています。京都は文化財が多いということもあり、年間に少なくとも15点、今までで300点以上の文化財を撮影してきました。もちろん中には国宝もあります。 文化財を撮影するときには、ただ綺麗に撮れれば何をしてもいいというわけではありません。いろいろな制約があるし、環境の保全に
千田嘉博_城郭考古学 @yoshi_nara 田村淳さん、誤解しています。湧水を水源にした松本城の水堀は透明度が高く、堀底の土が見えているのです。汚くありません。さらに石垣の基礎に胴木を用いた松本城の堀の水を安易に抜いてはいけません。「田村淳、松本城のお堀が汚すぎて『池の水ぜんぶ抜く』に企画を提案」 jtame.jp/jtame/119382/ 2023-11-26 10:09:36 千田嘉博_城郭考古学 @yoshi_nara 城郭考古学者。大阪大学博士(文学)。名古屋市立大学 高等教育院 教授・奈良大学 特別教授。姫路ふるさと大使。著書に『信長の城』岩波新書、『城郭考古学の冒険』幻冬舎新書、『歴史を読み解く城歩き』朝日新書、『最強の山城』PHP(春風亭昇太師匠と共著)など。Prof. Dr. SENDA Yoshihiro nara-u.ac.jp
1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化や歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。猫とトムヤンクンも好きです。 前の記事:廃バスの扉をあけると、そこは公民館だった > 個人サイト ヤマモトチヒロのブログ 無線塔から徒歩3分、吉田さん宅をたずねる お話を伺った吉田聡さん(65歳・右)とお母さん(左)。後ろに見えるのは二号塔。「わが家です」といっても差し支えないほどの存在感だ 無線塔から徒歩3分の自宅に住む吉田さんを訪ねた。 吉田さんは生まれも育ちも針尾のひとだ。ドール作家をしている筆者母のハンドメイド仲間という不思議な縁で、今回お話を聞かせてもらえることになった。 国道脇に見える、かなり控えめな看板を目印に横道に入ると すぐ見える かつては軍用車がバリバリ通る軍道だった。この時点から塔が「ここにいるよ」と言っている 住民はほとん
MASA(航空宇宙・軍事) @masa_0083 すごい……。ドイツのネルトリンゲンで発掘された3000年前の青銅の剣だそうです。こんなに完全な状態で出土するとは……。 twitter.com/historyinmemes… 2023-10-15 16:31:20 Historic Vids @historyinmemes 3,000-year-old bronze sword discovered in the southern Bavarian town of Nördlingen in Germany. pic.twitter.com/a6gU6HHonw 2023-10-15 03:10:42
2020年01月06日18:00 刀のヘンテコ鍔貼っていくぞぉぉぉぉ🙌🙌🙌 Tweet 1: 風吹けば名無し 2020/01/05(日) 16:33:35.49 ID:AkJ4Crv+0 つばって読むんやで🤗 転載元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1578209615/ デパートの最上階にあった食堂の思い出 最強の画像で笑ったら寝るスレ 突然懐かしい匂いがして懐かしい感覚に襲われる 【笑えませんが】 哲学ジョーク集 【笑えます】 2ちゃんで最も有名なコピペってなんだろ 日本の城と世界の城の歴史考察 食中りすると一番恐ろしい食い物 【ネタバレ注意】ゲームで衝撃的だった展開・エンディングを挙げてけ 5億年ボタン押す派の奴馬鹿すぎwwwww 2: 風吹けば名無し 2020/01/05(日) 16:34:12.79 ID:Ab
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日本の古いモノを守る法律である文化財保護法には「重要文化的景観」(以下、重文景)というカテゴリが存在する。 これは全国に残る昔ながらの風景を保護するための制度であり、重文景に選定された地域をたどることで、日本各地の原風景を体感することができるのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:島を丸ごと城塞化した海城「能島城」に上陸した > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 重文景に見る棚田の風景 重文景は土地に根差した人々の生活や生業によって育まれてきた風景を対象とするもので、その種類は実に多様かつ複雑である。
鎌倉時代に創建された歴史ある禅寺、京都市の大徳寺で、国宝に指定されている建物の屋根裏からおよそ400年前の大工道具の「ノミ」が見つかりました。 京都市北区にある大徳寺では、江戸時代初期の1635年に建てられた国宝の「方丈」と呼ばれる建物などの修復工事を、おととしから進めています。 工事を担当する京都府文化財保護課によりますと、ことし4月、「方丈」の東側の屋根裏を解体したところ、古い大工道具の「ノミ」が木材の間に挟まっているのが見つかったということです。 「ノミ」は、長さが23センチあり、刃の表と裏が鋭く削られた「両刃形式」と呼ばれるもので、古くは木材を縦に割るためのくさびとして使われたということです。 今回、ノミが見つかった屋根裏の一部は建立以来、初めて解体されたことなどから、このノミは、およそ400年前の建立当時に使われたものとみられるということです。 京都府文化財保護課建造物係の竹下弘
大正10年に創業し、作家の太宰治も利用したと伝えられる千葉県船橋市の旅館が新型コロナウイルスの影響などで廃業し、登録有形文化財の建物が取り壊されることになりました。 廃業を決めたのは、船橋市の中心部にあり、大正10年に料亭として営業を始めたという「玉川旅館」です。 旅館には昭和16年に建てられたという「本館」、昭和3年に建てられ23年に増築されたという「第一別館」、それに昭和8年に建てられたという「第二別館」があり、それぞれ国の登録有形文化財になっています。 旅館によりますと、このうち第二別館にある「桔梗の間」は近くに住んでいた作家の太宰治が利用したと伝えられ、国内外から多くのファンが泊まりに訪れたということです。 しかし維持管理費がかさむなか、新型コロナウイルスの影響で宴会のキャンセルが相次ぐなどしたことから、先月末をもって廃業し、来月から建物が取り壊されることになりました。 おかみの長
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「財務官僚には、文化財の持つ普遍的価値と後世に継ぐ重要性をもっとよく認識してもらいたい」 【写真】この記事の写真を見る(3枚) 東京国立博物館長の藤原誠氏は月刊「文藝春秋」に寄稿した文章の中でそう強く訴える。 なぜ国宝が危ういのか 同館は日本最多の国宝89件を所蔵する。2022年秋には「国宝 東京国立博物館のすべて」が開催され、チケットは連日完売するほど人気を博した。 だが、その国宝が危ういというのだ。 ひとつは、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー危機による。電気やガスといった光熱費が世界的に高騰するなか、東京国立博物館(以下、東博)では光熱費の予算2億円に対し、その倍以上となる4.5億円もかかる見込みとなっている。 「国からの交付金が年間わずか約20億円に過ぎない小さな予算規模の東博で、年間約2.5億円も新たに負担することは非常に困難である」 修理費も潤沢でなく、“修理待ち”の所蔵品
市に文書を寄贈した石田さん(右)と感謝状を贈呈した丹後政俊・丹波篠山市教育長=2021年5月14日午後1時36分、兵庫県丹波篠山市和田で 兵庫県丹波篠山市の石田榮代さん(88)がこのほど、代々受け継がれてきた17―20世紀にかけての古文書「石田家文書」を同市に寄贈した。江戸時代には村の庄屋などを務めた石田家の文書は約4100点という膨大な量で、近世から近現代にかけての地域の様子を知る上で第一級の史料。石田さんは、「祖父や父が大切にしてきたもの。寄贈できて肩の荷が下りたよう」と安堵した。同市の中央図書館に移して調査を進め、同市が行っている市史編さん事業に活用する。 石田家は和田村庄屋のほか、畑組の大庄屋、郡取締役などを務め、近代には畑村長も輩出した家。文書の中には歴代の当主が記した職務上の日記などが数多く含まれる。 江戸末期の万延元年(1860)に記された日記には、一揆を起こして石田家に押し
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が首里城の地下につくった司令部壕の内部を特別に許可を得て撮影しました。旧日本軍が撤退した際に内部を爆破したとされる跡が確認できるなど、戦争の記憶を色濃く残していて、専門家は「沖縄戦を知る戦跡としては最も価値のある場所だ」として保存や公開を求めています。 撮影が許可されたのは、那覇市の首里城の地下に残る旧日本軍の「第32軍司令部壕」です。 20万人を超える人が亡くなった75年前の沖縄戦で、旧日本軍が深さおよそ30メートルの地下に全長およそ1キロにわたって構築し、戦況の悪化に伴って沖縄本島南部へ撤退するまで、戦闘を指揮していました。 崩落の危険性が高いため、立ち入りが厳しく制限されてきましたが、今回、管理を行う沖縄県から特別に許可を得て初めて内部の奥深くまで入って撮影しました。 壕の中には、通路に沿って部屋が設けられ、銃やヘルメットなどの装備品が今も残されている
東京・銀座の“ある場所”に大変貴重なお宝が保管されています。実はそのお宝は、豊臣秀吉が愛したといわれる貴重な「黄金の茶道具」です。 そして、この「黄金の茶道具」がオークションに出品されることが明らかになりました。落札予想額は、なんと3億円だといいます。 ■藤堂高虎の子孫 “諸般の事情”から出品 目の前で、まばゆい光を放つ黄金の茶道具一式。見るものを魅了する圧倒的な存在感。一方で、細かく施された細工からは気品が漂っています。 SHINWA WISE HOLDINGS 倉田陽一郎社長:「(Q.目の前にある黄金の品は、何なのでしょうか?)これはですね、豊臣秀吉が、藤堂高虎に褒美として渡した金の茶釜のセット」 津藩の初代藩主・藤堂高虎。江戸城修築の際、天守閣を設計するなど、築城の名手として知られた戦国武将です。 倉田社長:「5月27日に開催されるオークションで、これがオークションにかかる」 今回、
Yo Ehara @yo_ehara みなとみらい唯一の重要文化財のはずです。1896年完成の国内最古の商船用石造りドック跡。横浜は1923年の関東大震災で壊滅、山手の洋館は震災後の再建で恐らくその為に重文指定逃してます。赤レンガ倉庫も震災前の建造物ですが改修され過ぎのためかやはり重要文化財指定は逃し経産省の産業遺産です。 x.com/kuromitsu_ka/s… 2024-04-21 13:55:51 hiroko 💉💉💉💉💉💉😷 @slowslowfood ドックヤードガーデンは第二ドックを復元・保存したもの 横浜開港後、船渠だったみなとみらい21地区の石造りドック #第一号船渠 は #国指定重要文化財 #近代化産業遺産 (子どもの頃、父に連れられてスケッチに行ってた。 横浜博やみなとみらい開発プロセスを仕事で見ていた昭和…) x.com/kuromitsu_ka/s…
いさおん( ᜊº👅° )ᜊ 〜聖夜を経てゾンビ化した俺達〜 @coin_order @himawarihiro1 @pokocame うちは加賀梅鉢なんですが、福岡なら太宰府ルーツの梅鉢じゃないでしょうか?太宰府天満宮は菅原道真公とかで、 2019-06-30 14:47:05 レイダート @Radert @himawarihiro1 余計なお世話ですが、拾得物として一週間以内に届け出ないと拾得者の権利を失ってしまいます。どう考えても元の所有者が現れるとは思えませんので、3ヶ月後には晴れて貴殿の所有物になります。サビサビの銃筒で拳銃として押収されたりはしないでしょうからお手続きなさってはいかがでしょうか。 2019-06-30 16:51:15
鹿児島県南九州市川辺町宮の飯倉神社に伝わる馬上杯2点が、14世紀の中国・元の時代に景徳鎮で焼かれた青白磁で、日本初確認の装飾が施されていることが分かった。 透かし彫りと、当時の景徳鎮にみられるビーズひものような飾りが特徴。中国でも出土例がわずかにある程度で、専門家は「極めて珍しく、しかも完全な形で残っている。輸入陶磁器を研究する上で重要な資料」と話す。 ■「高度な技術を駆使」 中国・元時代の馬上杯2点は、南九州市川辺の飯倉神社が同市のミュージアム知覧へ寄託した宝物に含まれていた。専門家は「高度な技術を駆使した装飾で、至宝と言える高級品」と語る。 江戸時代の「川邊名勝誌」に「馬上盃 二ツ」と記され存在は知られていた。2020年に寄託された後、鹿児島県考古学会の上田耕副会長(64)と、同市文化財課の新地浩一郎さん(49)が調査を進めてきた。 馬上杯は、器を支える台の丈が高い杯。飯倉神社の馬上杯
鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した書物「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が京都で発見され、調査した専門家は「国宝級の発見で定家と古今和歌集の研究を進めるための貴重な資料になる」としています。 新たに見つかったのは、藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した注釈書で、鎌倉時代に書かれた「顕注密勘」の上、中、下の3冊です。 定家の子孫にあたる京都市上京区の冷泉家(れいぜいけ)で行われた調査で見つかり、このうち「上」は複製された写本ですが、ほかの2冊は自筆の原本です。 定家様(ていかよう)と呼ばれる独特の書体で書かれ、「八座沈老(はちざちんろう)」という定家の署名も記されています。 「顕注密勘」は古今和歌集の歌について平安時代末期の学僧が記した注釈に定家がみずからの考えを付け加える形で構成されていて、見つかった原本には余白が足りず紙を貼り付けて書き足している部分もあ
真ん中にポツンと見える島のようなものは「古墳」です。その周りをずらりと囲んでいるものが太陽光パネルです。 【画像】太陽光パネル設置でトラブル頻発 背景に“やむにやまれぬ事情” こうした古墳を取り囲むような太陽光パネルは各地にあり、景観などについて物議を醸しています。なぜこうなったのか現場を取材したところ、意外な事実が浮かび上がってきました。 ■メガソーラー構想などの土地計画を巡り紛糾五條市の地元住民 「急に説明もなく計画変更なんて、五條市民を馬鹿にしておる、何がメガソーラーだ。そんな勝手な話ありますか?私は納得できない」 奈良県五條市では、メガソーラー構想などの土地計画を巡って紛糾していました。 県は当初、滑走路もある防災拠点を整備する計画を立てていましたが白紙に…。ヘリポートや備蓄倉庫とともに、およそ25ヘクタールのメガソーラーを設置する案を発表しました。 これに対し、予定地を県に売却し
顔面をハチに巣くわれ、守護神として頼もしい威厳のある表情が失われてしまっていた兵庫県丹波市山南町谷川の常勝寺の仁王像にある修復作業がこのほど完了した。頭部を取り外して、奈良県の文化財修復家のもとで修復を受けて無事に寺に戻され、再び仁王門で以前と変わらぬ迫力あるにらみを利かせている。 2020年8月下旬、口を結んだ「吽(うん)形」像の中空となっている頭の内部にキイロスズメバチが巣作りを始めた。経年劣化で眼球の位置が両眼ともずれたことでできたすき間からハチが出入り。あれよあれよという間に、内部から巣があふれ出し、顔面を覆い始めた。無数のハチが飛び交い危険であったため、参拝者に注意を促し、ハチがいなくなる冬を待つことにした。その間、巣は勢いよく増築され、特に目玉部分を中心に大きく膨らんで、目玉が飛び出したように見える不気味な異形の姿となった。 この出来事を取材した丹波新聞の記事を同寺の宮崎実康住
アムステルダム国立美術館のアジア館に展示されている仁王像。その故郷は島根県仁多郡奥出雲町にある岩屋寺だ=2023年6月、筆者撮影 ヨーロッパ唯一の仁王像は、アジア館の目玉 アジア館地下ギャラリーの一番奥で、静かににらみをきかせて来館者を待ち受ける阿形像と吽形像は、身の丈2メートル37センチの木像だ。 美術館によれば、作者は不明で14世紀に造られたものらしい。阿形像の後頭部内側にある墨書から、すでに廃寺となった島根県仁多郡奥出雲町にある岩屋寺(いわやじ)にあったものと判明している。 そして、この墨書と岩屋寺の古文書から、運慶や快慶を生んだ「慶派」の仏師康秀(こうしゅう)が像の修復を行っていたこともわかった。日本の古美術は、出所を明かさずに売買されることが多いらしく、このように詳細が明らかになることは珍しい。 2004年、アジア館のチーフキュレーター、メノー・フィツキさんは、京都の古美術商でこ
ジュネーブ大学で芸術法を教えるマルク・アンドレ・ルノルド教授は、「文化財返還問題について省察するのに適切な時が来た」と言う。「現在、植民地時代に持ち去られた物品の返還に関する議論が高まっており、もっと踏み込んで言えば、省察よりも行動を起こす時でさえある」 抗議運動「Black Lives Matter(黒人の命は大事だ)」による圧力の高まりもあり、フランスやドイツなどの国々は植民地時代の過去を再検証することにとても力を入れている。例えば、フランス議会は最近、植民地時代に押収されパリの美術館に展示されていていた工芸品の一部を、セネガルとベナンに返却することを決定した。 スイスは一度も植民地を持たなかったが、ジュネーブ民族学博物館(MEG)のボリス・ワスチャウ館長が指摘するように、スイスの企業や個人が植民地主義の恩恵を受けていた。外交官、探検家、科学者、兵士、宣教師などが工芸品を持ち帰り、豊か
燃え上がる焔のような形状が特徴的な、縄文時代の土器「火焔土器」。重厚感あふれる土器をモデルに、まるでサクサクと音を立てそうな、軽やかな「ソフトクリームの容器」に変身させた写真がツイッターで話題になっています。精巧なこの容器をつくることができた背景には、縄文文化財をオープンソース化するというプロジェクトがありました。 話題となっているのは、Nぼっくす+さん(@cTstZKtDOlRIN1z)がTwitterに投稿した写真です。新潟県長岡市の馬高(うまたか)遺跡で出土した「火焔土器」と「ミス馬高」と名付けられた土偶をモチーフに、ソフトクリームの容器とスプーンにリメイクしています。 その名も、「火焔土器型ソフトクリーム容器」と「ミス馬高土偶スプーン」。縄文の文化と歴史に思いを馳せつつ、現代らしく楽しむことができる作品です。
ウクライナにある世界遺産の一つで、11世紀に建てられた聖ソフィア大聖堂=キエフで2022年2月18日午後8時10分、真野森作撮影 ロシアによる侵攻が続くウクライナで、貴重な文化財が破壊の危機に瀕(ひん)している。既に博物館1カ所が被害を受け、貴重な絵画が焼失した。ロシア軍が迫る首都キエフには聖ソフィア大聖堂などの世界遺産もあり、人的被害の拡大とともに、歴史や文化の遺産が損なわれることも危惧されている。 「博物館の専門家へのリスクと、文化財への脅威を懸念している」。世界の博物館関係者らでつくる国際博物館会議(ICOM)はロシアの侵攻が始まった2月24日、声明でこう訴えた。美術館の運営などを行う米国のゲッティ財団も28日、「数百万の芸術作品が危機にさらされている。とてつもない悲劇が起きている」と危機感をあらわにした…
巣山古墳の最終回。古墳外周から #準構造船 が出土。復元された船体を広陵町文化財保存センター(土日祝日休み)で見学できます。縄文以来の丸木舟に舷側と堅板の構造物を載せた船を準構造船といいます #高田川 #葛城氏 # 武内宿禰 目次 「喪船」とされる準構造船の出土 広陵町文化財保存センターの展示 高田川と巣山古墳 本文 www.zero-position.com www.zero-position.com 「喪船」とされる準構造船の出土 (1)で紹介しましたが、巣山古墳では古墳外周の北東角から準構造船の部材が出土しました。 準構造船の出土地点(北東角)から巣山古墳 広陵町文化財保存センターのパネルでは 喪船(もふね) とされています。 喪船とは棺や遺体をのせた葬送の船のこと。 巣山古墳。順構造船の出土地点と出土状況を紹介するパネル(広陵町文化財保存センター) ***** 準構造船とは、丸木舟
江戸時代末期の医師、蘭学者の緒方洪庵(1810~1863年)が使ったガラスの薬瓶の中身を、瓶を開けずに突き止めた、と大阪大学などの研究グループが発表した。大強度陽子加速器施設「J-PARC(ジェーパーク)」(茨城県東海村)の分析装置で透過性の高い素粒子「ミュー粒子」(ミュオン)を使い成功した。医薬品の文化財の成分を非破壊で解明したのは世界初といい、当時の治療戦略の解明や、医療関係の文化財の継承に役立つ成果という。 洪庵は大阪大学医学部の源流で、福沢諭吉、大村益次郎らを輩出した蘭学塾「適塾」の開祖。同大は洪庵が壮年期と晩年に使った2つの薬箱を所蔵しており、晩年のものには液体と固体の製剤が入ったガラス瓶22本と木製容器6本が入っている。うち数本は栓が固く開かない状態。洪庵は瓶の上部に独自に「甘」「下」「酒」などと漢字1文字のラベルをつけたが、何を意味するかは本人にしか分からない。貴重な文化財を
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