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日系人の検索結果1 - 40 件 / 80件

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日系人に関するエントリは80件あります。 歴史アメリカ日本 などが関連タグです。 人気エントリには 『神苑の決意 on Twitter: "日系人初の米下院議員ダニエル・イノウエが来日した折、岸信介首相が侮辱的なことをいったという話を見かけ、さすがに一国の首相がそこまでいわんだろと疑っていたが、本当にいっていたっぽくてビビってる(貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』岩波… https://t.co/fHWWlO7wGS"』などがあります。
  • 神苑の決意 on Twitter: "日系人初の米下院議員ダニエル・イノウエが来日した折、岸信介首相が侮辱的なことをいったという話を見かけ、さすがに一国の首相がそこまでいわんだろと疑っていたが、本当にいっていたっぽくてビビってる(貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』岩波… https://t.co/fHWWlO7wGS"

    日系人初の米下院議員ダニエル・イノウエが来日した折、岸信介首相が侮辱的なことをいったという話を見かけ、さすがに一国の首相がそこまでいわんだろと疑っていたが、本当にいっていたっぽくてビビってる(貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』岩波… https://t.co/fHWWlO7wGS

      神苑の決意 on Twitter: "日系人初の米下院議員ダニエル・イノウエが来日した折、岸信介首相が侮辱的なことをいったという話を見かけ、さすがに一国の首相がそこまでいわんだろと疑っていたが、本当にいっていたっぽくてビビってる(貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』岩波… https://t.co/fHWWlO7wGS"
    • 欧州統合という壮大な夢を描いたのも、その夢に幕を引こうとするのも「東京生まれの日系人」という奇縁 | 100年の時を超えて重なり合う二人

      ボヘミアにやってきた日系一家 1896年の夏、ボヘミア西部の町ロンスペルクに、この町の城の新しい女主人がやって来た。彼女は、芸事の稽古を積んだ若い日本人女性で、1年前にオーストリア・ハンガリー帝国の進歩的な外交官と結婚し、クーデンホーフ=カレルギー光子「伯爵夫人」となっていた。 夫は東京での仕事を辞め、息子たちの教育のために故郷に戻ることに決めた。蒸気船と鉄道を使い、光子は夫のハインリッヒとともに日本からやってきた。2人の息子たちはハインリッヒのアルメニア人従者や乳母に連れられ、先にロンスペルクに到着した このとき2歳だった長男のハンスは、後にこの城を相続するが、ナチス政権の協力者として投獄された。一方、1歳半だった次男のリヒャルトは後に“欧州連合(EU)の父”とされる人物になる。 14世紀の古文書ではロンスペルクはチェコの村として記されているが、1890年代にはドイツ語圏に属しており、イ

        欧州統合という壮大な夢を描いたのも、その夢に幕を引こうとするのも「東京生まれの日系人」という奇縁 | 100年の時を超えて重なり合う二人
      • 日系人強制収容「恥ずべき歴史」 バイデン氏が声明―米:時事ドットコム

        日系人強制収容「恥ずべき歴史」 バイデン氏が声明―米 2021年02月20日16時26分 日系人強制収容所入りを前にした、当時2歳のユキ・オキナガ・ハヤカワ・ルウェリンさん=1942年4月、ロサンゼルス(米国立公文書館提供)(AFP時事) 【ワシントン時事】バイデン米大統領は、第2次大戦中に日系人の強制収容につながる大統領令が署名されて79年になる19日、「米国の歴史の最も恥ずべき時代の一つ」として、連邦政府の謝罪を「再確認」する声明を発表した。 【地球コラム】議会突入と「嘆かわしい集団」 癒やしがたい米国の分断 声明は「日系米国人は彼らの生まれだけを理由に標的にされ、投獄され、非人道的な強制収容所で生きることを余儀なくされた」と指摘。「米国は、すべての人の自由と正義という建国以来の理想を実現することはできなかった」と表明した。 真珠湾攻撃翌年の1942年2月、当時のルーズベルト大統領は大

          日系人強制収容「恥ずべき歴史」 バイデン氏が声明―米:時事ドットコム
        • 「ジューパニーズ(ユダヤ日系人)」と呼ばれる人々を知っていますか? | 超マイノリティの声を集めるカナダ人の当事者をイスラエル紙が取材

          ユダヤ人(Jew)と日本人(Japanese)の子孫は「ジューパニーズ(ユダヤ日系人)」と呼ばれる。そのアイデンティティを持つ人たちが語る歴史を記録するカーメル・タナカに、イスラエル紙「ハアレツ」が聞く。 カーメル・タナカは、ホロコーストを生き延びた東欧ユダヤ人の孫だ。第二次世界大戦中の大半を、カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあった強制収容所で過ごした日系カナダ人の孫でもある。 イスラエルの沿岸都市ハイファで生まれ育ったタナカの母は、街を見下ろすカルメル山脈にちなみ、次女をカーメルと名づけた。 タナカの両親はふたりとも建築家で、1970年代にエルサレムにあるベツァルエル美術デザイン学院で出会った。父は交換留学生としてこの学院に通っており、母はそこの学生だった。タナカは言う。 「母が初めて目にしたアジア人が父でした。その当時、国際恋愛は非常にタブー視されていたので、両親はカナダで家庭を

            「ジューパニーズ(ユダヤ日系人)」と呼ばれる人々を知っていますか? | 超マイノリティの声を集めるカナダ人の当事者をイスラエル紙が取材
          • 米大統領、日系人収容を謝罪 声明発表「尊厳奪った」 | 共同通信

            Published 2024/02/19 23:32 (JST) Updated 2024/02/19 23:47 (JST) 【ワシントン共同】太平洋戦争中に米政府が日系人約12万人を強制収容した根拠になった大統領令署名から82年の19日、バイデン大統領は声明を発表した。「恥ずべきことだ。家族を離れ離れにし、尊厳を奪った」と国家の過ちを改めて謝罪し、ローマ字で「Nidoto Nai Yoni(二度とないように)」と誓った。 日米は1941年12月の真珠湾攻撃を機に開戦した。ルーズベルト大統領は翌年2月19日に「大統領令9066号」に署名。日系人は「敵性外国人」とされ、家を追われて各地の強制収容所に入れられた。

              米大統領、日系人収容を謝罪 声明発表「尊厳奪った」 | 共同通信
            • “地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史から忘れられた理由 | 根深く残る「帝国主義」と「真珠湾」の記憶

              太平洋戦争中の米国では、敵国・日本の支持者と疑われた12万人以上の日系人が強制収容された。そのなかには、ハワイ在住の日系人も含まれていたが、戦後になるとその事実は長く忘れ去られた。 ハワイの悲しい歴史が見過ごされてきた背景には、国家の意図的な「黙殺」があったという。 1941年12月7日(日本時間12月8日)、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃すると、米国政府は数年にわたって本土に住む日系人を強制収容した。 だが、ハワイ在住の日系米国人も家を追われ、強制収容所に入れられた事実はこれまで無視されてきた。 「地獄谷」と呼ばれた収容所 1942年2月、ルーズベルト米大統領は特定の地域を軍管理地域に指定し、そこからの強制退去を承認する「大統領令9066号」に署名した。 強制退去の対象となる民族は特定されていなかったが、標的にされたのは日系米国人だった。「日系人はスパイで、日本軍のために破壊工作をしている

                “地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史から忘れられた理由 | 根深く残る「帝国主義」と「真珠湾」の記憶
              • mipoko on Twitter: "最近日本でも周知され始めた概念に、「黒人差別問題」は黒人の問題ではなく、差別する側、主に「白人の問題」なのだというのがあるけど、あれはそのまま日本における、韓国朝鮮人差別、中国人差別、日系人差別、マイノリティ差別などに当てはめられるのだ。これらは全て「日本人の問題」なのだ。"

                最近日本でも周知され始めた概念に、「黒人差別問題」は黒人の問題ではなく、差別する側、主に「白人の問題」なのだというのがあるけど、あれはそのまま日本における、韓国朝鮮人差別、中国人差別、日系人差別、マイノリティ差別などに当てはめられるのだ。これらは全て「日本人の問題」なのだ。

                  mipoko on Twitter: "最近日本でも周知され始めた概念に、「黒人差別問題」は黒人の問題ではなく、差別する側、主に「白人の問題」なのだというのがあるけど、あれはそのまま日本における、韓国朝鮮人差別、中国人差別、日系人差別、マイノリティ差別などに当てはめられるのだ。これらは全て「日本人の問題」なのだ。"
                • 日系人強制収容 米カリフォルニア州議会が謝罪決議 | NHKニュース

                  アメリカで、太平洋戦争中、日系人が「敵国からの移民」と見なされ、強制収容所に連行されたことについて、カリフォルニア州議会は、謝罪の決議を採択しました。 これについて、カリフォルニア州議会では、20日、謝罪の決議が全会一致で採択されました。 決議では、1942年、当時のルーズベルト大統領が出した大統領令で12万人を超える日系人の強制収容が行われ、住まいや仕事、家族の離別などの犠牲が生じたとしています。 そのうえで、過去の教訓から学ぶことが重要だとして、戦争中の強制収容についてすべての日系人に謝罪するとしています。 日系人の強制収容については、1988年、当時のレーガン大統領が公式に謝罪し、賠償金の支払いを命じています。 今回の決議案を提出したアル・ムラツチ州議会議員は、「謝罪の決議がトランプ政権下の今採択されたことに意味がある。日系人は、アメリカの国境でいま起きていることに心を痛めているから

                    日系人強制収容 米カリフォルニア州議会が謝罪決議 | NHKニュース
                  • 「日系人のいまがあるのは黒人のおかげ」 | NHK

                    アフリカに住む黒人が奴隷として別の大陸に連れて来られ、形を変えながら何世代にもわたり、その地で受けてきた差別は、金銭などで償うことができるのかー。 この問題に正面から向き合う取り組みが、いま、アメリカで始まっています。 その最前線には、ひとりの日系アメリカ人がいます。彼を突き動かすのは、かつて日系人が黒人たちから受けた恩を、いまこそ返すべきだという思いです。

                      「日系人のいまがあるのは黒人のおかげ」 | NHK
                    • 第2次大戦中、日系人のふりをして進んで収容所に入ったアメリカ人がいた:朝日新聞GLOBE+

                      砂嵐が吹き荒れる42年7月のマンザナール日系人強制収容所=ロイター。不毛な地に建てられ、正式名称は「転住センター」とされた

                        第2次大戦中、日系人のふりをして進んで収容所に入ったアメリカ人がいた:朝日新聞GLOBE+
                      • 戦後75年「私の父は誰?」 真実を探し続けるオランダの日系人たち - Yahoo!ニュース

                        「父が誰か、知りたい」「日本で父の墓参りをしたいのに手掛かりが何もない」……。日本から遠く離れたオランダで、そんな思いを抱き続ける日系人たちがいる。70代以上のお年寄りばかりで、多くは高齢になってから「父は日本人」という出生の秘密を知った。なぜ、そんな日系人たちがいるのか。オランダと日本、その高齢者たちが生まれたインドネシア。第2次世界大戦に起因する彼らの過酷な人生を追った。(文・写真:奥山美由紀)

                          戦後75年「私の父は誰?」 真実を探し続けるオランダの日系人たち - Yahoo!ニュース
                        • エミコヤマ on Twitter: "シアトル近郊のベルビューカレッジに昨年設置された日系アメリカ人アーティストによる日系人強制収容についての展示の一部が大学の副学長によって消された。 https://t.co/EWXwQjRyzk 消されたのはベルビューの街の発展に… https://t.co/gnv0qUP5Wb"

                          シアトル近郊のベルビューカレッジに昨年設置された日系アメリカ人アーティストによる日系人強制収容についての展示の一部が大学の副学長によって消された。 https://t.co/EWXwQjRyzk 消されたのはベルビューの街の発展に… https://t.co/gnv0qUP5Wb

                            エミコヤマ on Twitter: "シアトル近郊のベルビューカレッジに昨年設置された日系アメリカ人アーティストによる日系人強制収容についての展示の一部が大学の副学長によって消された。 https://t.co/EWXwQjRyzk 消されたのはベルビューの街の発展に… https://t.co/gnv0qUP5Wb"
                          • 日系人収容を改めて謝罪 バイデン氏、声明発表(共同通信) - Yahoo!ニュース

                            【ワシントン共同】太平洋戦争中の米国で、日系人強制収容の根拠になった大統領令署名から79年となった19日、バイデン大統領は声明を発表し、改めて謝罪した。「こうした政策によって苦しんだ日系米国人への連邦政府の公式な謝罪を再確認する」と表明した。 【写真】100年前の英空軍に日本人パイロット 1942年2月19日、ルーズベルト大統領が署名した大統領令により、日系米国人は「敵性外国人」と見なされ約12万人が全米各地で数年間強制収容された。88年にレーガン大統領が過ちを認めて謝罪するまで名誉回復の運動が続いた。 バイデン氏は声明で、「米国史で最も恥ずべき時の一つ」と強制収容の歴史を振り返った。

                              日系人収容を改めて謝罪 バイデン氏、声明発表(共同通信) - Yahoo!ニュース
                            • 韓国自爆、「日系人の米大使叩き」で米国を敵に回す愚行の末路

                              きたの・よしのり/1970年長野県生まれ。モスクワ在住24年の国際関係アナリスト、作家。その独特の分析手法により、数々の予測を的中させている。1996年、日本人で初めて、ソ連時代「外交官・KGBエージェント養成所」と呼ばれたロシア外務省付属「モスクワ国際関係大学」(MGIMO)を卒業(政治学修士)。1999年創刊のメールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」は現在読者数3万6000人。ロシア関係で日本一の配信部数を誇る。主な著書に「隷属国家日本の岐路」(ダイヤモンド社)、「プーチン最後の聖戦」、「日本自立のためのプーチン最強講義」(共に集英社インターナショナル)など。 ロシアから見た「正義」 “反逆者”プーチンの挑戦 ウクライナ問題などで欧米に楯突き、“反逆者”となったプーチン・ロシア大統領。しかし、ロシア側から物事を眺めれば、ウクライナ問題で暗躍する欧米側の思惑など、日本で報道されている“

                                韓国自爆、「日系人の米大使叩き」で米国を敵に回す愚行の末路
                              • 差別から逃れるように暮らしていた? 戦前の日系人集落跡、カナダの森林で発見

                                <カナダ西部のブリティッシュ・コロンビア州にある森林の中で、日本人のものと思われる集落跡が発見された......> 茶碗や酒瓶など1000点以上が出土 カナダ西部のブリティッシュ・コロンビア(BC)州にある森林の中で、日本人のものと思われる集落跡が発見された。バンクーバー周辺のニュースを扱う地元紙ノースショア・ニュースが8月に伝え、その後、雑誌スミソニアンなどが報じた。 この集落跡地を発見したのは、BC州バンクーバーのキャピラノ大学で考古学を教えるボブ・マックル教授だ。2004年、同州の森林に興味深い場所があるとの連絡を受けて、発掘を始めたのがきっかけだった。掘り起こしてみると、そこから出てきたのは、ご飯茶碗や酒瓶だった。 それから14年間、マックル教授は毎年春になると考古学の学生を引き連れてここを訪れ、6週間にわたって発掘を行うようになった。この集落跡について同教授は、カナダに移住してき

                                  差別から逃れるように暮らしていた? 戦前の日系人集落跡、カナダの森林で発見
                                • フィリピンが日系人への罰金免除 戦後78年、訪日阻む人道問題に終止符

                                  フィリピン南部ミンダナオ島ディゴスの自宅で、日系人支援団体の代表(左)から説明を受ける小山マルガリタヒロコさん=7月25日(共同) フィリピン法務省は、太平洋戦争後に同国に残され、ようやく日本国籍を回復した日系人に対し、不法滞在として出国時に科される多額の罰金を事実上免除すると決めた。日本を訪れたいと切望してきた日系人にとって深刻な人道問題だったが、戦後78年を経て終止符が打たれた。フィリピン側に配慮を要請した日本大使館が15日までに発表した。 フィリピン入国管理局は日本国籍を回復した日系人に対し、出生時にさかのぼってフィリピンに不法滞在してきたと見なし、日本円換算で300万円に上る罰金を請求した例もあった。

                                    フィリピンが日系人への罰金免除 戦後78年、訪日阻む人道問題に終止符
                                  • 【アメコミ】日系人収容所の日常を描く、ジョージ・タケイ「THEY CALLED US ENEMY」|boywiththethorn|note

                                    紹介したい作品が多くてかえって迷ってしまい(言い訳)更新が滞っていたが、今回はTwitterでも紹介したジョージ・タケイのコミック「THEY CALLED US ENEMY」(彼らは私達を敵と呼んだ)を取り上げようと思う。 スタートレックのファンという訳ではないが、ジョージ・タケイの自伝コミック「they called us enemy」を読んでる。突然収容所に入れられる事になった日系二世・三世のタケイ一家を通じて、戦時中に日系人が味わった苦難、ジョージ・タケイの目を通した収容所での暮らしを描いている。面白いぞ pic.twitter.com/nOMKcN6x1U — BWTT (@BoyWithTheThorn) June 27, 2020 ここでも書いたが、ぼくはスタートレックをよく知らず、パロディやオマージュ作品の方を目にする事の方が多い。よって、出演俳優のジョージ・タケイついても、

                                      【アメコミ】日系人収容所の日常を描く、ジョージ・タケイ「THEY CALLED US ENEMY」|boywiththethorn|note
                                    • 第2次大戦中の日系人強制収容、カリフォルニア州が公式謝罪決議採択へ

                                      カリフォルニア州マンザナーの強制収容所で米国旗がひるがえる様子=1942年7月/Hulton Archive/Getty Images (CNN) 第2次世界大戦中の1942年2月19日、当時のルーズベルト米大統領は、国家の安全を脅かすとみなした人物を指定軍事区域から立ち退かせる権限を陸軍省に与えた。 以後の4年間で10万人以上の日系人(大部分は米国籍の保有者)が自宅から強制的に退去させられ、全米の強制収容所に送られた。 それからおよそ80年。米国史上、最大規模の強制立ち退きにかかわったカリフォルニア州が、日系米国人に公式謝罪することになった。 謝罪の決議案は、カリフォルニア州議会で今週中に採択される見通し。「第2次世界大戦中に日系米国人の不当な排除、立ち退き、強制収容」を支持したこと、さらには「日系米国人の公民権と市民の自由を守ることができなかった」ことについて謝罪するとしている。 さら

                                        第2次大戦中の日系人強制収容、カリフォルニア州が公式謝罪決議採択へ
                                      • アルゼンチン軍政下で消えた17人の日系人 左翼狩り名目に弾圧、苛酷な拷問も…40年後も続く苦悩 | 47NEWS

                                        南米アルゼンチンで軍事独裁政権が敷かれた1976~83年、左翼狩りを名目に活動家らへの弾圧が激化した。米国の支援を受けた軍による拉致や拷問が横行。ある日突然姿を消し、遺体すら発見されていない市民は数万人に上るとされ、中には日系人もいた。軍政の終結から今年で40年。失踪者の家族や拷問の経験者は「苦悩は終わらない」と語った。(共同通信サンパウロ支局 中川千歳) ▽就寝時に拉致 1976年11月の深夜、何者かが首都ブエノスアイレス郊外の日系人家族、オオシロ家のベルを鳴らした。「けが人を連れてきた」の声。直前に訪れていた親族のことかと思いドアを開けると、数人の男が押し入り、眠っていたホルヘさん=当時(18)=を連れ去った。男達は私服に軍靴を履いていた。 両親ら家族の目の前で起きた突然のできごと。姉のエルサさん(69)は「すぐに戻るだろうと考えていた」。だがそれが、家族がホルヘさんを見た最後となった

                                          アルゼンチン軍政下で消えた17人の日系人 左翼狩り名目に弾圧、苛酷な拷問も…40年後も続く苦悩 | 47NEWS
                                        • 始まりは日本から持ち帰った18本のビデオだった…ブラジルで「特撮ヒーローブーム」を作った2人の日系人 最初は「日本の缶詰」と相手にもされなかった

                                          1980~90年代にかけてブラジル国内で放送された日本の特撮ヒーロードラマ人気が今も続いている。そのブームの火付け役となったのは、2人の日系人だった。サンパウロ在住フォトグラファー兼ライターの仁尾帯刀さんが取材した――。(後編/全2回) 1日17本の特撮ドラマが放送されたことも ブラジルでは1980、90年代に日本製特撮ヒーローのテレビドラマが何度も放送され、子供たちを夢中にさせた。放送回数は増え続け、複数のテレビ局により1日に計17本の特撮ドラマが放送されたこともあった。 特に人気の高かった『巨獣特捜ジャスピオン』では、関連グッズはおもちゃやお面にとどまらず、コミック、LPレコード、文房具など多岐に及んだ。 始まりは日本から持ち帰った「18本のビデオ」 1980年に佐賀大学に県費留学し、翌年ベスト電器佐賀本店で研修した日系1世の江頭俊彦さん(67)はブラジルに帰国する際、自らと父のために

                                            始まりは日本から持ち帰った18本のビデオだった…ブラジルで「特撮ヒーローブーム」を作った2人の日系人 最初は「日本の缶詰」と相手にもされなかった
                                          • ハワイにあった日系人強制収容所 市民の力で一般公開へ

                                            第二次世界大戦中に撮影されたオアフ島のホノウリウリ強制収容所。 (PHOTOGRAPH BY R. H. LODGE. COURTESY OF JAPANESE CULTURAL CENTER OF HAWAI‘I (JCCH)) 米国ハワイ州、オアフ島の西部に、手付かずに見える森がある。だが近寄ると、その中にコンクリートの基礎や崩れかけた石の壁、金網の一部が残されている場所があることに気付く。ここは、第二次世界大戦中、ハワイ最大の強制収容所だったホノウリウリ収容所があった場所だ。 当時、この場所にはプレハブの建物やテントが並び、4000人の戦争捕虜と400人の罪のない民間人が収容されていた。実はそのほとんどが日系米国人だった。1946年に最後の収容者が解放されると、収容所はそのまま放置され、やがて自然にのみ込まれ、米国史の汚点は闇に葬り去られた。 (参考記事:「「転住」だと思われた米国日

                                              ハワイにあった日系人強制収容所 市民の力で一般公開へ
                                            • 日系人兵士の姿から「生きる心構え」を学ぶ~柳田由紀子『二世兵士激戦の記録』

                                              彼らの強さの理由は…読むほどに切なくなるのだが、 『祖国であるアメリカに忠誠の証明をしたい。俺たちはアメリカ人だ』という気持ちと、 それを国家に許してもらえない 日系二世の当時の境遇に対する相反した状態が生み出したものかもしれない。 「私は何人であるか?」なんて、 祖父も曾祖父も、あるいはずーーーーっと前の代でも日本人である私であればさほど気にもならないだろう。 しかし、アメリカで生を受け育った『日系二世』にとっては、 外見が日本人でも、自分はアメリカ人であるという気持ちを持っていました。 しかし、アメリカと日本という、母国とルーツに当たる二国が戦端を開き、 かつ黄色人種にたいする偏見と差別から、彼らは『敵性国の人間』とレッテルを貼られていました。(ちなみに、同じ枢軸国のドイツ系、イタリア系はこういったお咎めはありませんでした) のみならず、自由をはく奪されて、収容所に入れられる…この気持

                                                日系人兵士の姿から「生きる心構え」を学ぶ~柳田由紀子『二世兵士激戦の記録』
                                              • 欧州統合の夢を描いたのが、なぜ日系人だったのか──日本人の母を持つ汎ヨーロッパ主義活動家 | 汎ヨーロッパ主義を掲げたのはアイデンティティ危機ゆえ?

                                                汎ヨーロッパ主義を掲げたのはアイデンティティ危機ゆえ? 欧州統合の夢を描いたのが、なぜ日系人だったのか──日本人の母を持つ汎ヨーロッパ主義活動家 「EUの父」とされるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(右)(1966年) Photo: Klaus Heirler / picture alliance / Getty Images

                                                  欧州統合の夢を描いたのが、なぜ日系人だったのか──日本人の母を持つ汎ヨーロッパ主義活動家 | 汎ヨーロッパ主義を掲げたのはアイデンティティ危機ゆえ?
                                                • ペルーの新紙幣に日系人女性の肖像 20世紀の傑出した画家ティルサ・ツチヤさん

                                                  ペルー中央銀行は15日、日系人女性画家の肖像が入った新たな200ソル(約7500円)紙幣の流通開始を発表した。女性は20世紀のペルーで傑出した芸術家と評される故ティルサ・ツチヤさん。 ペルーのメディアなどによると、ツチヤさんは1905年に同国に渡った日本人医師の土屋芳五郎さんと中国系ペルー人の母との間に、28年に生まれた。55歳でがんのため死去した。 オランダの画家レンブラントの複製作品を見て芸術に目覚め、10代で美術学校に入学。自身の病気や両親の死で学業を中断しながらも「苦しみは語れないが、描ける」として作品に反映させた。ゴッホやミロの影響を受け、60年代にはパリでも活動した。(共同)

                                                    ペルーの新紙幣に日系人女性の肖像 20世紀の傑出した画家ティルサ・ツチヤさん
                                                  • 米 太平洋戦争中の日系人強制収容12万5000人余の名簿完成 | NHK

                                                    太平洋戦争中のアメリカで日系人が「敵性外国人」として強制収容された歴史を伝えようと、収容された12万5000人余りの氏名を一つにまとめた名簿が完成し、記念の式典がロサンゼルスで行われました。 ロサンゼルスの全米日系人博物館では24日、強制収容された人たちの氏名をまとめた名簿を納める式典が行われ、収容所にいた日系人やその家族などおよそ500人が参加しました。 式典で参加者たちは、日本語と英語で収容所の名前が書かれた細長い木の札を持って会場に入りました。 名簿は、「慰霊帳」と名付けられ、全米75か所の施設に収容された12万5000人以上の氏名が一つにまとめられていて、機密解除されたアメリカ政府の文書を基に家族への確認を行うなどして完成したということです。 収容所で生まれたという79歳の男性は、「収容された人々の名前が一つになったことに感銘を受けています」と話していました。 名簿作りで中心的な役

                                                      米 太平洋戦争中の日系人強制収容12万5000人余の名簿完成 | NHK
                                                    • バイデン氏、日系人収容を改めて謝罪「米国史で最も恥ずべき時」 | 毎日新聞

                                                      太平洋戦争中の米国で、日系人強制収容の根拠になった大統領令署名から79年となった19日、バイデン大統領は声明を発表し、改めて謝罪した。「こうした政策によって苦しんだ日系米国人への連邦政府の公式な謝罪を再確認する」と表明した。 1942年2月19日、ルーズベルト大統領が署名した大統領令により、日系米国人は「敵性外国人」と見なされ約12万人が全米各地で数年間強制収容された。88年にレーガン大統領が過ちを認めて謝罪するま…

                                                        バイデン氏、日系人収容を改めて謝罪「米国史で最も恥ずべき時」 | 毎日新聞
                                                      • 深刻な米国のアジア人差別、中国系が驚きの対応 第2次大戦の強制収容や日系人部隊を持ち出して・・・ | JBpress (ジェイビープレス)

                                                        頭に来たドナルド・トランプ大統領はカリフォルニア州知事やニューヨーク州知事(ともに民主党)と非常事態宣言解除をめぐる権限で大げんか。 返す刀で今度は「中国寄り」に終始してきた(?)エチオピア人のテドロス・アダノム世界保健機関(WHO)事務局長に矛先を向け、同機関への拠出の一時停止を決定した。 その災危は筆者にもひたひたと迫っている。 スーパーに行っても郵便局に行っても周りの冷たい目を肌で感じる。こちらを避けようとする素振りが見え見えなのだ。 読者諸兄姉は、「第2次大戦中ならいざ知らず、これだけ強固な同盟関係を結んでいる米国でなんで嫌われるんだい」と言われるかもしれない。 さらに「それに責任は中国人にあるのであって日本人は日本人で中国人とは関係ない話だ。断固抗議せよ」と言われるだろう。 あるいは、「白人優先の一部白人のアジア人蔑視、人種差別だろう」と問題視されないかもしれない。 ひとたび日本

                                                          深刻な米国のアジア人差別、中国系が驚きの対応 第2次大戦の強制収容や日系人部隊を持ち出して・・・ | JBpress (ジェイビープレス)
                                                        • 米大統領、過ち二度とないように 日系人収容81年で誓う | 共同通信

                                                          19日、米ワシントンで、スミソニアン米国歴史博物館のイベントに出席したエリカ・モリツグ大統領副補佐官(共同) 【ワシントン共同】太平洋戦争中に米政府が日系人約12万人を強制収容した根拠になった大統領令署名から81年の19日、バイデン大統領は声明を発表し「誤った収容により日系人の家族を引き裂いた」と述べ、米政府として改めて謝罪した。ローマ字で「Nidoto Nai Yoni(二度とないように)」と誓った。 ワシントンのスミソニアン米国歴史博物館は19日、イベントを開催。元収容者で日系人の名誉回復に尽力し、昨年5月に死去したノーマン・ミネタ元運輸長官を追悼した。出席した日系4世のエリカ・モリツグ大統領副補佐官は「あなたがいてこその私です」とミネタ氏に語りかけた。

                                                            米大統領、過ち二度とないように 日系人収容81年で誓う | 共同通信
                                                          • 強制収容された日系人の名簿完成へ 記録進める米国人研究者の思い | 毎日新聞

                                                            マンザナー強制収容所跡地に復元された監視塔。収容所は自然環境の厳しい荒野に設けられた=米西部カリフォルニア州マンザナーで2019年4月27日、福永方人撮影 太平洋戦争中、米国で「敵性外国人」として強制収容された日系人全員の名簿が今年6月にも完成する。これまで曖昧だった被害者数が初めて確定する。主導するのは、日本生まれで曹洞宗の僧侶でもある米国人研究者だ。米本土で強制収容が始まって今年で80年。米国史に残る人権侵害を正確に記録する意義とは。【ロサンゼルス福永方人】 名簿の作成を進めているのは、南カリフォルニア大宗教学部長のダンカン・ウィリアムズ教授(52)が率いる12人のチームだ。強制収容開始から80年の節目に名簿を発表しようと、3年がかりで確認作業などを続けてきたという。 収容所に送られた日系人のリストは米政府も残している。だが、氏名のスペルが間違っていたり、文字が不鮮明で判別できなかった

                                                              強制収容された日系人の名簿完成へ 記録進める米国人研究者の思い | 毎日新聞
                                                            • コロナで変わる世界:<移民編①>「使い捨て」にされてきた外国人労働者 感染者の国籍発表で日系人に動揺も | 毎日新聞

                                                              ブラジルの食材を扱うスーパーに「3密防止」などの感染対策を呼びかけるポスターを張る幕田マリオさん=群馬県大泉町で2020年11月6日、小川昌宏撮影 利根川を挟んで埼玉との県境に位置する群馬県南部の大泉町は、4万2000人の町民のおよそ2割を外国籍の住民が占める。 11月上旬。県道沿いにあるブラジル食材店で、日系ブラジル2世の幕田マリオさん(48)は「3密」防止を伝えるポルトガル語のポスターを張っていた。「何か悪いことがあると、ブラジル人のせいになる。ちゃんとやっていると知ってほしいから」 …

                                                                コロナで変わる世界:<移民編①>「使い捨て」にされてきた外国人労働者 感染者の国籍発表で日系人に動揺も | 毎日新聞
                                                              • 日系人強制収容 バイデン氏「米国史の最も恥ずべき出来事の一つ」 | 毎日新聞

                                                                太平洋戦争中の1942年、米国のルーズベルト大統領(当時)が米国内の日系人強制収容の根拠となった大統領令9066号に署名してから19日で80年となった。新型コロナウイルス禍でアジア系住民に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)が急増する中、政府による人種差別政策の悲劇を思い起こし、差別根絶につなげようという機運が高まっている。 バイデン大統領は18日に声明を出し、「(大統領令と強制収容は)米国史の最も恥ずべき出来事の一つ。人種差別や外国人恐怖症の悲惨な帰結を想起させる」と強調した上で、「取り返しのつかない被害を受けた日系人に対する連邦政府の公式謝罪を再確認する」と表明。「Nidoto Nai Yoni(二度とないように)」と日本語でも訴えた。

                                                                  日系人強制収容 バイデン氏「米国史の最も恥ずべき出来事の一つ」 | 毎日新聞
                                                                • 日系人強制収容への謝罪と日本の実名論争の意外な共通点とは(猪瀬聖) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                                                  米カリフォルニア州議会が20日、戦時中の日系人強制収容を謝罪する決議案を可決した。実は、日系米国人が不当な差別から名誉と自尊心を回復した過程は、実名告発や実名報道をめぐる昨今の日本国内での議論と重要な共通点がある。日系人が名誉回復を実現できた一番の理由は、長年の沈黙を破り、実名で社会に向け語り始めたことだった。日本の実名問題を論じる上で参考となりそうな日系米国人の歴史を簡単に振り返ってみたい。 12万人の日系人が強制収容戦前、多くの貧しい日本人が、生きるために日本を離れ米国に渡った。遠く離れてもなお祖国への思いが強かったことは、家々に天皇の写真が飾られていたことからもわかる。 太平洋戦争が勃発すると、米政府は、天皇に忠誠を誓う日系人が謀反を企てているという根拠のない理由で、主に西海岸に住んでいた約12万人の日系人を、着の身着のまま同然の状態で、荒野に建てた収容所に強制移送した。終戦と同時に

                                                                    日系人強制収容への謝罪と日本の実名論争の意外な共通点とは(猪瀬聖) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                                                  • 非白人初のNBA選手となった日系人のワット・ミサカ氏が他界

                                                                    11月20日、ワタル・“ワット”・ミサカ氏が95歳でこの世を去った。彼は1947年にアメリカのプロバスケットボールチームの一員となった日系アメリカ人選手だ。 Wataru "Wat" Misaka, the first non-white athlete to play in the NBA, has died at the age of 95. https://t.co/VbRJvIBoze — NBC Asian America (@NBCAsianAmerica) November 22, 2019 その頃のプロバスケットボールチームは白人の選手ばかり。ミサカ氏はアジア人初、有色人種初のプロバスケットボール選手となった。 「センセーショナルなディフェンス」 米ユタ州オグデンで日本からの移民の子として誕生したミサカ氏は、ソルトレイクシティにあるユタ大学のバスケットボールチームで活躍し、

                                                                      非白人初のNBA選手となった日系人のワット・ミサカ氏が他界
                                                                    • 盛田隆二 💙💛 on Twitter: "日本国紀、こんな間違いまで…。単純に知らなかったのか、意図的なのか 誤「大戦中、日系米国人は強制キャンプに送り込まれたが、ドイツ系米国人は何の制約も受けなかった」 正「ドイツ系米国人も強制収容所に送り込まれた。しかも日系人の抑… https://t.co/YtV09t4bSE"

                                                                      日本国紀、こんな間違いまで…。単純に知らなかったのか、意図的なのか 誤「大戦中、日系米国人は強制キャンプに送り込まれたが、ドイツ系米国人は何の制約も受けなかった」 正「ドイツ系米国人も強制収容所に送り込まれた。しかも日系人の抑… https://t.co/YtV09t4bSE

                                                                        盛田隆二 💙💛 on Twitter: "日本国紀、こんな間違いまで…。単純に知らなかったのか、意図的なのか 誤「大戦中、日系米国人は強制キャンプに送り込まれたが、ドイツ系米国人は何の制約も受けなかった」 正「ドイツ系米国人も強制収容所に送り込まれた。しかも日系人の抑… https://t.co/YtV09t4bSE"
                                                                      • ブラジル政府、第2次大戦後の日系人強制収容巡り謝罪の意向…人権侵害巡り7月再審議へ

                                                                        【読売新聞】 【リオデジャネイロ=大月美佳】第2次大戦後の日本人移民らの強制収容などを巡り、ブラジル政府の諮問機関である恩赦委員会が7月25日、人権侵害として謝罪するかどうかを審議することが決まった。同委員会のエネア・アルメイダ委員

                                                                          ブラジル政府、第2次大戦後の日系人強制収容巡り謝罪の意向…人権侵害巡り7月再審議へ
                                                                        • チェコで「反EU」を掲げる極右政党リーダーは、東京生まれの日系人「オカムラ」だった | 壮絶な子供時代を乗り越えて──兄弟とも対立

                                                                          壮絶な子供時代を乗り越えて──兄弟とも対立 チェコで「反EU」を掲げる極右政党リーダーは、東京生まれの日系人「オカムラ」だった チェコのナショナリスト政党「自由と直接民主主義(SPD)」の党首トミオ・オカムラ Photo: Lukas Kabon / Anadolu Agency / Getty Images

                                                                            チェコで「反EU」を掲げる極右政党リーダーは、東京生まれの日系人「オカムラ」だった | 壮絶な子供時代を乗り越えて──兄弟とも対立
                                                                          • キタトシオ on Twitter: "戦後すぐ、妖艶なスパニッシュ・ダンスを踊る国籍不明の「謎の舞姫」として話題になったジュリー・アリンダ。 進駐軍のアイドルとして人気を博した後に日本の舞台にも進出。日劇の踊り子の月給8千円の時代に、月80万円稼いでいたという。 その正体は日系人で、1950年当時16歳の少年だった。 https://t.co/PEmgoHT9QI"

                                                                            • アンナ・サワイ「性的な対象としての日本人女性は演じたくなかった」 | 『SHOGUN 将軍』で注目の日系人俳優

                                                                              日本でも話題のドラマ『SHOGUN 将軍』で主役のひとりである戸田鞠子を演じた、ニュージーランド出身の日系人俳優アンナ・サワイ(澤井杏奈)が、米紙「ロサンゼルス・タイムズ」の独占インタビューで作品への思いを語った。 アンナ・サワイは、ドラマ『SHOGUN 将軍』の制作総指揮者ジャスティン・マークスと初めて面談したとき、まず聞きたいことがいくつかあった。そのひとつが、「なぜこれをリメイクするのか」だった。 原作のジェームズ・クラベルのベストセラー小説『将軍』を基に、マークスとレイチェル・コンドウが「ディズニー」の制作スタジオ「FX」と組んで共同制作したこのドラマは、長年温められてきた企画だった。 だがその時点でのサワイは、このドラマに対する評価をオーディションの資料からわかる限りで下すしかなかった。その資料に含まれていたのは、人物描写とあらすじ、そして、全貌などまったく見えない入浴シーンの台

                                                                                アンナ・サワイ「性的な対象としての日本人女性は演じたくなかった」 | 『SHOGUN 将軍』で注目の日系人俳優
                                                                              • 米 日系人強制収容から80年 「追憶の日」を宣言 アイダホ州 | NHK

                                                                                太平洋戦争中、アメリカで日系人が強制収容されることになった大統領令の発令から今月19日で80年となったのに合わせて、大規模な収容所があった西部アイダホ州では、知事がこの日を「追憶の日」とすることを宣言しました。 旧日本軍による真珠湾攻撃からおよそ2か月後の1942年2月19日、当時のアメリカのルーズベルト大統領が署名した大統領令によって、およそ12万人の日系人などが「敵性外国人」とみなされ各地の収容所に送られました。 21日、大規模な収容所があった西部アイダホ州の州都ボイシでは、ブラッド・リトル知事や日系人団体の関係者などが出席して式典が行われました。 この中で、リトル知事は「戦時中、アイダホ州の収容所にはおよそ1万人が収容された。しかし、そこからおよそ1000人の日系人がアメリカ軍に従軍し、その後も日系人による社会への貢献は続いている」と述べました。 そして、大統領令の発令から今月19日

                                                                                  米 日系人強制収容から80年 「追憶の日」を宣言 アイダホ州 | NHK
                                                                                • カナダ、ブリティッシュコロンビア州の自然保護区で20世紀初頭の日系人集落を発見

                                                                                  カナダCBCニュースによると、カナダのブリティッシュコロンビア州のノースショア山脈付近にあるロワー・シーモア保護区で、20世紀前半にさかのぼる日本人の入植地が三つ発見された。 ノースショア山脈の森林地帯での人々の居住生活について調査していたキャピラノ大学の考古学者ボブ・ムックル(”Bob Muckle“)氏と学生の調査チームはロワー・シーモア保護区内で日本人の入植地三か所を発見した。 三つの集落ではあわせて14軒の小さな家のほか、浴場、小さな神社、庭園、貯水槽の遺構と、時計や懐中時計、目覚まし時計などの身の回り品や、衣類、革製のブーツ、食器の破片などが発見されている。 ムックル氏はCBCの記事で「多くの住宅があったがほとんど誰にも知られていなかった。1930年、大バンクーバー水区(”Greater Vancouver Water District(GVWD)”,ブリティッシュコロンビア州を

                                                                                    カナダ、ブリティッシュコロンビア州の自然保護区で20世紀初頭の日系人集落を発見

                                                                                  新着記事