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レイングッズ
freedomofwill.hatenablog.com
論理学を基礎から〈テキストを読むこと〉だけで独習しようとするひと――こうしたひとにとって役立つかもしれない講義テキストを置いておく。これは某大学で私が担当している論理学の講義のテキストであり、その授業では安井邦夫『現代論理学』(世界思想社、1991年(新装版2021年))も教科書に指定されている。ただし、以下のテキストは、安井の教科書がなくても読むことができる(他方で、「論理学Ⅰ」のテキストを読み終えた後に、その続きとして安井本で述語論理などを学び進めることもできる)。 ちなみに、論理学をまなぼうとするひとの中には《ふつうの散文は却って読みにくく、とりあえず記号を並べてほしい(あとは自分で考えるから)》という方もいると思う。そうした方にとっては、残念ながら、私のテキストは却って読みづらいだろう。なぜなら私のテキストは――最近はこうした言葉づかいがあるらしいが――形式化の背景にある「お気持ち
李太喜『自由と自己の哲学――運と非合理性の観点から』(岩波書店、2024年)を読んだ。他の仕事の合間に、一部流し読みしながら、大事な箇所を集中して読む、という仕方で読んだので、まだ完全なレビューはできないが、以下、手短に現時点の感想を述べておきたい。 李の本には――結論から言えば――〈いまだ李の本でしか詳述されていない事柄〉が書かれているので、この点ですでに読む価値がある。人口に膾炙した言い方をすれば、ちゃんとした「オリジナリティ」があり、他の本で替えがきかない、ということだ。李の本の独特の主張が何であるかは後で説明することにして、まず同書の構成を簡単に説明しておきたい。 ざっくり言えば、前半が「勉強パート」で、後半が「独自主張パート」だ。もちろん同書は学術書であるので《前半は後半の準備として書かれている》という有機的構成があるのだが、いずれにせよ〈自由と責任の哲学〉に不慣れなひとも前半の
以下、《人間の自由や責任の存在をデネットはいかにサポートするか》を説明する。そのさい参照するのは『自由は進化する』(山形浩生訳、NTT出版、2005年)や『自由の余地』(戸田山和久訳、名古屋大学出版会、2020年)である。 じつにデネットにおいて〈責任をとる〉あるいは〈責任を負う〉という実践は或る種の「進化的な」プロセスを通じて生じる。そのプロセスは――いろいろ言葉を補って再構成[*]すれば――次のようなものだ。 [*] 後述の「罰してくれてありがとう」を理解可能にするための抜本的再構成である。 いまだ「お前が悪い」と互いに責め合ったりすることのない、一定の生物個体群が存在するとする。そして――これも目下の文脈では前提的なことだが――こうした個体群において〈協力する〉という行動が進化的に発生したとする。このさいこの集団においては〈協力しない者には負のリアクションを行なう〉という行動も発生す
「はてなブログ」を始めることにした。かつて note に置いてあった記事を置いたり、新たに書いたものを置いたりしたい。 一回目は、わけあって、表題のとおり「埴谷雄高の小説『死霊』のストーリー全体の紹介」である。これは 2023年11月22日にnoteで公開したものだ。若干加筆したうえで以下に置いておきたい。 >>> 本ノートは埴谷雄高の『死霊』[*]のストーリーを紹介する。なぜこれを行なうのかと言えば《この作品が全体としてどんなものか》をおおまかに掴むためのストーリー紹介は――私の知る限り――いまだ行なわれていないからである。いや、ひょっとしたらどこかでやられているかもしれないが、少なくともネットで簡単に手に入る内容紹介はないと思う。それゆえ、社会貢献の意味もこめて、今回は大雑把に『死霊』の物語を紹介したい。 [*] 現在、『死霊Ⅰ』・『死霊Ⅱ』・『死霊Ⅲ』(講談社文芸文庫、二〇〇三年)と
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