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レイングッズ
katari-mata-katari.hatenablog.com
日常的に遠回しな言葉を使いがちだ。遠回しから始めて、伝わり具合を見て直接的に言い換えたりしている。 婉曲した言葉は角が立たない分、ぼんやりしてしまい、言ってみたもののもやもやして、だったらはっきり言ったらよかったというときもある。いずれにしろ、相手の返しによるところもあって、使い分けたらいいのだろう。 きっぱり言うようにしてみると、言葉が自分のものでないような気がして、自分が用いている言葉とは、慣れているだいたい決まった感じがあるのかもしれない。 気持ちに合うような言葉にできなかったとしょげていたけれど、そういうことがあるからまたいろいろな言葉を使ってみるのであるし、どんどん言葉を使っていこうと思うのである。 「やらなければ上手くはならない」というTVから聞こえてきた台詞が、自分に向けられているようだった。
職場で社会的地位をと目論んでいた。社会的地位が目的になり自分が何をしたいかもなく、自分はいったい何をしたかったのかといえば、ちやほやされたかっただけだ。 もう自分が働く職場はないし、身の回りのことをあれこれやっていることに後ろめたさがないといったら嘘になるけれど、特別な何かを目論むこともない、そういうことだ。 人はそれぞれ大切といったって、結果を出すことの価値が流布されていたり、何重もの基準があることに頭がこんがらがる。その基準に自らを当てはめて自らをジャッジして一喜一憂する。基準があることはあるけれど、その基準に自らを計ることは強制されているわけではない。基準というものはところ変わればまた変わるのだ。 世間で良しとされる基準から降りている自分だが、その基準を使わないことにしたから、もやもやすることもあるけれど、いくらかすっとした気持ちがする。
惹かれる文章なのだが全体として自分の信条と外れるところがあって、登録していなかったサイトがあった。でもあまりにも気になるから、登録することにした。 あいかわらず信条には外れているのだが、そういう人もいるんだなくらいで、思ったより変な気持ちにはならなかった。むしろ、また違った視点を得られることも増えた。 自らの信条は大切だが、そればかりだと、見える範囲が狭まってしまう。まだ枠はあるけれど、どれだけ見せかけの枠をなくせるか、そんなところだろうか。
小学五年生のときに一人で映画を観に行った。単館だったこともあり、ロビーは出入りする客でごった返していた。ちょうど同級生二人と鉢合わせた。あまり親しくはない隣の組の子たちで、次の上映に向かっていたようだった。 二人「あ、〇(私の名前)ちゃん」 私「ああ」 (会話終了) そのくらいの年頃は、一人でいるところを見られたくないというか、友だちがいないと思われることを恐れていたものだった。実際に、そのときは映画に行ける友だちはいなかったので、会ってしまったというのが本音だった。 それより何より、子ども同士はこういうときにどのようなやりとりができるのだろう。どうしたらいいかわからないし、どうするについても及ばなくて、いつも同じところで足踏みしていた気がする。現役小学生の様子を見ると、名前を呼んで手を振るとか、おーいと呼びかけたりして楽しそうだが、自分はそんなことは思いつきもしない子どもだった。 大人に
本棚をあまり人に見せたくない。 稀に来客などがあると、本棚の本を戸棚にしまう。だったら出しておかなきゃいいのだが、本棚の本は自分の分身のようなので見えるところに出しておきたい。あとはCDとか図書館の貸出履歴もわりと。小さな子どもがぬいぐるみを持ち歩くのと同じである。いつも本やCDを持ち歩きはしないけれど。 子どものころ習い事に行っていた家の一室の本棚には、決まって布がかけられていた。その部屋は窓のない壁一面が木製の本棚で、花柄やストライプ、無地の布が鋲でとめられていた。まあ、自分はこっそり一部の中を覗いていたものだが、それらはすべて料理の本だった。おそらく本が焼けないためにそうしていたのだろうが、すぐには見れないような牽制もそこにはあったのではと勝手に思っている。 本棚はその人を映すという。本棚をわざわざ見せたくないのも、自意識が人からどう思われるかを気にする、または自分を守ろうとしている
近くの席の人が飲み物を机にひっくり返したとき、さっと、拭くものを差し出せますか。 鞄の中を探ったものの、もったいないのでは、でもやっぱりと渡したけれど別の人が秒で早かった。何というか、もったいないなんて"けち"なものだ。私は"けち"なのでいいのだけど、少し自分に拍子抜けした。相手が困っているのにもったいないなんて。そういうときにすぐ動ける人は、日ごろからそうなのだろう。 拭くものを渡しただけでも伝わる人には伝わるかもしれない。やさしさのようなものが。でも、やはり自分がもったいないと感じたところが気にかかった。 手をあげた人たちの中から気遣いをいただいた人へのお礼と、手をあげた人たちにもその気持ちへのお礼がいるのだ。たとえ、もったいないとか、周りに合わせてとかであっても、その場を何とかしようとしてくれたということなのだから。今日の自分のためにそういうことにしておく。
触れられたくないことは触れられたくないのである。 自分が伝えたいと思って伝えるのはよいが、不意に尋ねられてなし崩しで伝わったり、噂がまるで事実のようになっていくこともある。 もう少し配慮してほしいといってもそれぞれの言い分もあるだろうから、自分としてできることは聞かれても答えたくないという意思の表示をすることくらいだ。 苦笑いでもよいし、「お答えすることはできません」とか「回答を控えます」のようなことでもいい。フランクな雰囲気であれば「秘密」とかもありだ。 相手は知りたいのだろうなと思って言ったものの、後悔している。 かといって、隠したいけれど知ってほしい気持ちもあって、そうなったのだろうけれど。 心情というものも、白か黒かではっきり分けられるものでもなく、曖昧なものなのである。
何かと予定が続く5月。朝になったら6月になっていてくれないものか。ならないことは知っている。 実家から沢山あるからと、幼いころの写真が届いた。父も母も弟たちも若い。当時の写真に写った子どもたちを見て、何かこの人は好きだった、この人はちょっとみたいな感情がよみがえった。 年中のころ、たしか私は後ろから三番目だった。遠足とか散歩とか、背の順の二人で手をつなぐことがあったのだが、あとの二人のうち前の子どもが、私と手をつなぐこともを頑なに拒んでいた。常にだったのか、手をつなぐことがどのくらいあったかも定かではないが、手をつなぐときには前の私ではなく、一番背の高い後ろの子どもと手をつないでいた。そんなことがあってかなくてか、一番背の高い子は私にやさしかった。どんな風にというと少し困るけれど、一緒に話したりした。自分から人に話しかける子どもでもなく、何なら一言も発さずに幼稚園から帰ってくるような子ども
週末に天気が崩れ、そのまま月曜になった。雨の後に、強めの風が木々を揺らしている。太陽が恋しいような、しかし晴れて暑いと疎ましいような、しまえずにいる長袖のスウェットをかぶる。 こういう天気というか気温のときは、遠くに住んでいる人たちは今ごろ何をしているだろうかと頭が勝手に動くことがある。 レミオロメンの「春景色」という曲で「会いたい人にいつだって会いに行く」という部分があるのだが、会いたい人にいつでも会えるのは恵まれたことなのだなあと、いったいどのくらいの反芻かわからない。地理も予定も何もかもが小さいところにいたときは、そんなことあたりまえだったけれど、自分の会いたい気持ちだけで友だちの家に伺うような軽快さは、ないといえばないような。 「春景色」は春の嵐のようと配信サイトのコメントにあって、そこまで荒れていたわけではないものの似たような気象のときに「春景色」を聞いていることが、音楽の蓄えの
小学校五年生くらいのとき、ブラジルからの転校生が三人来た。 私の地元は人口三万人くらいの市であったが、それなりに工業団地のようなものがあり、近くには海を越えてやってきた人たちによって建てられた、赤や青や緑の住宅がわずかに並んでいた。 少ししてから、そのうちの一人の家に行くことがあった。どうしてそんなことができたのかは忘れた。ただ、彼女は週に何回か校内で日本語の授業を受けていたから、そのころには少し話せたのかもしれない。子ども同士であったし、遊んだりしているうちに、言葉が通じなくても打ち解けていったようにも思う。彼女は、おとなしいけれど芯の強い姉のような感じがして、一緒にいて居心地がよかった。実際に年上だったが。 ちなみにあとの二人は、踊ることが好きで陽気であったり、バスケットボールが上手でやさしかったりした。 転校生たちは授業中にガムを噛んでいたり、耳にピアスもあいていたけれど、ブラジルで
連休になると物を整理したくなるものでもあり、増えていく物に目をやろうとするのもまた連休である。整理することは楽しいのだが、着手するまでが長い。棚にある本とCDの背表紙を見ながら、もう手元になくてもいいものがないか考える。 十年くらい取っておいた本があった。ほんの数秒でもうこれは売ろうと思った。自分は、いらなくなったものは、よほどのものではないかぎり中古品を扱っているお店に売りに行く。オークションとかフリマアプリなどもあるが、売れるまで保管しなければならないのと、出品と発送が煩わしくてやっていない。あまり金額は期待できないが、すぐに物がなくなる方がよいのだ。 さて、その売ることにした本であるが、あなたはこれこれこういう人、という本であった。自分がどういう人なのかを、誰かに決めてもらってそれを暮らしの糧のようにしてきたところがあったけれど、もう十分である。これからは別のところで誰かを助けてほし
4月はとてもブログを更新していて、少し一息のつもりが、他のブログを読むとまた何か書きたくなってくる。 もの悲しいときに、誰かのブログを読むことがある。それを生業にしている方の書いた小説や随筆や音楽にある言葉だけでなく、親しい人の言葉に助けられるように、遠くにいる専門家より近くにいる友人知人を頼りにするようなものだ。 ブログによるアウトプットは、書いて読まれるまで含めてのアウトプットである気がしてならなくて、そのアウトプットがなされるとまた読むというインプットをしたくなる。とはいえインプットが先かアウトプットが先かについては、やはりインプットが先であると思うから、タイトルにあるように、自分は読んで書いてまた読んでいるわけである。 自分が読むことで誰かのアウトプットに加担し、誰かのインプットが促すものの一つになっているならと勝手に満足している。
五年振りに再開した露店で菓子を買い、「また会う日まで」と言って別れた。会話の流れで五年振りだとわかって、もういい年なので来年も来たいがどうだろうということだった。コロナはまあ三年くらいなので、五年というと、もろもろあったのかもしれない。 また会う日まで。 自分がつぶやいた言葉が意外に感じられた。焚き火を囲んで口にした、そんな歌もあった。 いろいろ"おまけ"も付けてもらったことだし、また五月になったら「また来たんですよ」とかいって、相手が覚えてなかったとしても驚かせてみたいものだ。そんなことを思いながら、菓子の袋をぶらさげて歩いて家に帰った。 www.youtube.com
完璧な人はいないということを、英語では「Nobody's Perfect」という。言葉数にしても聞こえにしても、これぞ英語である。読むにも話すにも肯定か否定かすぐにわかる。「いない、完璧な人は」でも意味はわかるけれど、日本語としてはあまり聞かれない組み立てだ。終わりまで聞かせる日本ののどかな島の感じも好きではあるが。 小さなことにも完璧主義が見え隠れしていて、そこに「Nobody's Perfect」をかぶせてみる。それだけで強さがある。頭で英語の会話をしないから明らかに目立つということもあるが、はじめに書いたように、端的なところが爽快なのだ。 「Nobody's Perfect」とは、カナダの就学前の子を持つ親のための支援プログラムのことでもあるらしい。完璧な親も子もいない、だから助けてもらったり助けたりしようという理念のようだ。とても自分が助けられる言葉である。 www.youtube
特別に旅に行きたい人ではないので、旅に行くのは非日常で、すなわちときどき起こる非日常は旅なのである。 実際に旅をして生きているわけではないから、しばらく非日常があったらまた日常に戻れることが恵みのようだ。 自分にとって非日常は、どちらかというとストレスだ。ストレスを旅にたとえたら、旅好きな人が怒りそうである。しかし自分にとっては旅はもちろん楽しいけれど、日常より何がどうなるかがわかりにくいという意味ではストレスなのだ。 非日常を過ごすだけの気力と体力を、日常でつくって休んでいる。
ついていくことでもないとはいえ、いろいろな変化の速さについていけないと思うことがある。 ついていけないながらどうにかやっているのは、案外みんなそうなのかもと感じる。 人は変えられないとはいえ、辺りは変わっているように思われる。 自発的に変わったのか、変わること促す仕組みがあったということか、流行りというもにはよくわからない。 変わらない人に苛立ってみても、自分もところによっては変わらない人だ。変わりたくないから変わらないのだ。変わることにも変わらないことも、意思があるというところでは、同じなのかもしれない。
一年は早いけれど、まだ五月だとも思っている。そんなときに次の年までまだ一年ありますねという趣旨のことを話したら、もう少しですねと言われた。 「まだ」と「もう少し」は微妙にニュアンスが違う。「まだ」の方が「もう少し」より目標物に遠く、「もう少し」の方が「まだ」より目標物に近い気がする。「まだ」の方が悲観的で「もう少し」の方が楽観的な印象である。 近いも遠いも楽観も悲観も、いちいち数値化するわけではないので主観的な感覚ではある。その主観的な感覚をもって、自分の使っている話し言葉が悲観的であると思うことがまあまあある。 家族に親切をするつもりが「これこれしてあげましょうか」と聞いて、何か立場の高低というか家族より自分の方が高いところにいるような気になった。「これこれしましょうか」にしたら平坦な感じになってよさそうだった。 自分の使っている言葉を遊びのようにしつこく追っていくのはおもしろい。もちろ
夜に目がさめてどうにも眠れず、ラジオをつけてみた。タイムフリーで馴染みの番組を聞いてもよかったが、ライブの電波に軍配があがった。生放送というものは、その音声の向こうに"今"人の居る温度を感じるから、気持ちが芳しくないときには助かる。 眠れるまでのつなぎのつもりが、おもしろくて2時間弱みっちり起きてしまった。3時間目に突入してもよかったけれど、さすがにやめた。週末とはいえ次の日もある。好んで聞く番組ではなくて内容についても諦めていたからか、かえって火がついた。 いつでもどこでも直近の番組を聞くことができるようになって、聞きたい番組を聞きただけ聞いていたら一日終わるのだろうなと思う。自分は真面目に聞こうとすると「ながら聞き」ができない。真面目に聞こうと思ったら、ただ座ったり横になったりして「聞くだけ」になる。だから時間を持て余していた若いときには、よくラジオ聞きながら一日寝転んでいたものである
もう書籍を探すにも探せないのですが、「ゲシュタルトの祈り」を知ることがありました。そんな"あやふや"なきっかけとはいえ、インターネットでの言及を見かけることがあったり、昨年受講した講座の締めに「ゲシュタルトの祈り」が紹介されていたりしたこともあって、やっと、そうかけっこう知られているのかと思ったくらいです。 まえがき 「ゲシュタルトの祈り」の実際(パールズの著書より) 「ゲシュタルトの祈り」(国分康孝訳) 「ゲシュタルトの祈り」から省みる まえがき 「ゲシュタルトの祈り」とは、ゲシュタルト療法を提唱したフレデリック・パールズ(以下パールズと書きます。)が彼のグループワーク(セラピー)で用いた文章です。自分と相手の関係において指針になるようなことが述べられており、いつかブログに書きたいと思っていました。 自分としては原書といわずとも、実際にパールズによって展開されたグループワークの、どのよう
あくまでも些細なことについて。 哀れなことがあってそれは哀れのままなのだけれど、まったくつながりがなく良いことがやってくる。 良いこともあれば哀れなこともあるというのは、哀れなことがやがて好転していくというわけではなく、それとは別に良いことがある、そのまわりまわった感が面白いと思った。 良いも哀れも、もしかしたら良いが哀れで、哀れが良いになるかもしれない不確かさをはらんでいる。 こうすればこうなるという確かな法則はないのであるが、哀れなことがあっても、ひょんな良いことが現れる意外さというか、いたずらのような動きに気づいた。 ほんの小さな哀れなことがあっても、そのうち良いこともあるとわかれば、哀れに後ろ髪を引かれてばかりにはなりにくい。
事の道理をとくとくと言い聞かせてみても、どこまで実感をともなって受け止められているかは定かではない。 具体的な経験と結びつけて抽象的なことを話して、また具体的なことがあって抽象的にまとめようとして、そうかこういうことなのだろうかとわかってくるのだから、こちらが急いでもいけないようだ。 今の大人といわれる歳になってから二十年、やっと親の伝えたかったことがわかる、そんな気がしている。口で言うことの加えてむしろ親の生活する姿から、子は何かを感じるものなのかもしれない。 父はとにかく「身体が資本」と言う人である。そんなに身体をいたわっているようには見えなかったが、年明けの食卓や晩酌のときには決まって「身体が資本」と口にしていた。自分のために言っていたのかもしれない。年齢が足されてくると、ますますその言葉の重みがわかるものである。 母は「頭を使え」と言う人である。手間をかけずに、身体を動かさずにでき
海沿いの炭鉱の町で三代に渡って過ごす家族が題材の絵本「うみべのまちで」。その一場面で、子どもが友だちと立ってブランコに乗っていた。思いっきりこぐと海が遠くまで見えるブランコだ。 思いっきりこぐと海が遠くまで見えるブランコに立って乗るとは、どんな感じなのだろう。立ちこぎなんてこの歳でしても大丈夫だろうか。ただでさえ三半規管が鈍っているのに。 付き添いで行った公園で、子どもがブランコで立ちこぎをしていたので、隣を陣取ってみる。その子どもは東を向いているのに対して、私は海が見えるかもしれない西を向いて乗った。海まで歩いて15分はかからないので、もしかしたら海が見えるかもしれないと思ったのだ。思いっきりこいでみたものの、平地なのと建物があるのとで海は見えなかった。 顔見知りだったので唐突に、「ここから海は見えないな。思いっきりこぐと海が見えるブランコがあるらしいからやってみたんだけど、見えなかった
書けば書くほどに調子が出てきて筆がすすむ。しかしどんどん自分しか見えなくなっていくようでもある。 ミヒャエル・エンデ文、佐藤真理子訳「満月の夜の伝説」にこんな一文があった。 (以下、内容についての記述あり) お前の魂を救ってやろうなどと、思い上がっていた。だが逆に、お前がわたしの魂を救ってくれた。 簡単にまとめると、盗賊を諭そうとしていた隠者は、満月の夜の出来事のからくりに気づかなかったのに、諭されていた盗賊がそれを見破るという話である。 物事を説く側と説かれる側がいつのまにか反対になっていくところが面白かったのだが、痛いところを突かれたような、身につまされたこと強く押したい。 親と子、先生と生徒のように、どちらかがどちらかに教える関係にいると、自分は教える立場なんだというおごりのようなものに染められているときがある。ブログを書いていても、少しでも誰かのためになればと思うあまり自分を振りか
人目を気にしたり、人に嫌われたくないとか、そもそも自分に自信がないと思うことは、ともすれば気持ちの弱さと見られる。 少なくとも自分にはそういう気持ちの弱さはあるし、その弱さをなくしたいと感じることもあるけれど、逆に気持ちの弱さにこだわらずにやっているところもある。 弱いのは弱い。しかし、強くならなくても弱いまま始めたらいいのではないかと。考えすぎてしまうよりやっていく、ということかもしれない。 そもそも、気持ちの弱い、強いはどういう状況かによっても変わるし、むやみに決めつけなくてもよいし、決めつけられるものでもない。 あくまでもこちらの想像であるが、人目を気にしたり、人に嫌われたくない、自分に自信がないゆえにそういった行動をしているのでは、という人を見かける。 ある人から見たら、ありえない行動をしているように思われるかもしれないが、そういった弱さに悩まされるこちらからしたら、その行動はわか
「大学に行くことになったんだ」と言われて、どこのと聞いたらとなりの大学とわかってこれからも会えるのだとうれしくなった。自分は15歳以上若くなっていた。 そういえば番号変わってないよねと顔を上げると、別の女子たちに連絡先を聞いていた。いかにも彼が好きそうな風貌をしていた。 顔見知りの同級生が泣きそうな表情で「みんなどこ行っちゃったの…」とこぼしていた。ほんと、みんなどこ行っちゃったんだろうね。 カーテンと床の隙間に、薄明かりが見えた。朝だった。デジタル時計に5時38分が表示されていた。 まさかと思って連絡先を探そうとしたけれど、彼の名はないのだった。15年以上むかしに消していた。 「ひとりぼっちでゆく、ひとりぼっちでゆく」と聞き覚えのある旋律が流れている。 くるりの、さて何というタイトルだったか、歌詞を検索したら「飴色の部屋」とわかった。 一日が始まる。 今日はいそがしいのだ。 www.yo
同僚がつらそうにしていたので、水曜日に空き地で話を聞いた。水曜日は定時退社日だった。コンビニエンスストアで飲むものを買ってきた。同僚は甘味も買っていた。 別に同僚から頼まれたわけでもないが、環境を変えようにも自分にできることはやり尽くしたと思っていたので、もうお互いの手当てをするくらいしかなかった。 何かしていないとどうにかなりそうだった。同僚のためのようで、自分のためだった。 職場のいろいろな人と話をしたけれど、誰かといるだけでもっともらしい安心があるような気がしてついに助けてほしいと言えなかった。退職するときに、相談してくれたらよかったのにと数人から言われて、そうか相談すればよかったのかと思いながら、自分の困っていることをどう言葉にしたらいいのかわからなかったし、そうか相談か、とそのときに思ったほどだった。 誰かが自分の悩みを解決してくれるのではないかと思ったりしていたし、すぐに何かが
自分が書きたいことを一気に書くと400字くらいになって、文章のつながりはさておき、10分でそれらしいものが出てくる。ブログを始めたころは、ああでもないこうでもないと、一文書くのに10分かかっていたり、むしろ400字も書けなかった。 とにかく書いてみると、書いているうちに自分の納得できる言葉をひらめいたりするので、書けば書くほど頭が冴えてくるようである。 一気に書いたものは、どこかで手直ししながら仕上げていくものの、すぐに書きたいことを書けるのはある種、書き甲斐もある。そしてそれは趣味で文章を書くことに慣れたということでもあ 文章を書くことに慣れるというのは、自分にとって、自分の書き言葉が定まることだと思っている。 ここに文章を書くとき、自分は自分が心地よい言葉しか使っていない。好みでしかないけれど、それがネガティブなものであっても、心地よいネガティブな言葉を書く。心地よいネガティブな言葉な
自分の三分の二くらいの身長から注がれる眼差しが、準備はいいかと問うている。 球の打ち合いのようなことをしていて、彼女のターンになると決まってそうだった。そんなに見つめられたら見つめ返すけれど、こちらの目はどんな物言いをしていたのだろうか。 私はスポーツを極めたことはないが、卓球などのサーブのときには、相手の様子を目で捉えて打つということをするのだろうか。また野球のピッチャーとキャッチャーが、手のサインや首を振る、頷くといった動きを通して投球を組み立てることもあるすると、そこに目と目で交わす意思があるのではないかと思う。 言葉がない交錯というものを私たちは自然に行っていて、それができるからお互いに滞りなくその場を過ごすことができる。 言葉にしなくては伝わらないと心から納得している。しかし、目や身振り手振りで伝わることや、伝えようとする姿を目の当たりにすると、遥かむかしに戻ったような懐かしさが
冬の装いだった山に、淡い綿菓子のようなものが点々とあって、それが桜だとわかって春だと思った。若葉の色をした一体があるかと思えばしっかりとした緑もあって、その模様にしばし見入る。 水仙は花をひそめ、チューリップも徐々に見納め、つつじが一つ二つが開花している。 谷川俊太郎の詩で「朝のリレー」という詩があるが、順に咲いていく花を追っていると、それもまさにリレーであった。 昼の日差しの高さに眉間にしわが寄る。しかしそれでも冷房いらずの気温と、朝と晩の涼しさとひんやりと吹く風に、季節にある自分の立ち位置をたしかにする。
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