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世界禁煙デー
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2024年2月22日 於:株式会社モリサワ Font College Open Campus 12「日本語デザインを変えた技術 発明100年に1から知りたい写植の話」(ネット聴講) 題字 写植の印字:駒井靖夫(プロスタディオ) 協力 株式会社モリサワ、今田欣一 ●想像を大きく超えた報せ 1990年代後半からDTP化が進展したことにより写植が衰退し、会社の方針からDTPに開放されなかった写研書体。あれから30年ほどの月日が経っていました。 2022年11月24日は画期的な日でした。写研・モリサワ・字游工房の共同開発により、写研書体のうち石井明朝体と石井ゴシック体をDTP用のデジタルフォントとして改刻し、2024年にリリースすると発表されたのです。フォント開放に向けた具体的な動きを見ることができ、興奮を禁じ得ませんでした(→写植レポート「写研が動いた日2022 石井書体の改刻プロジェクト」)
2022年11月24日 於:IGAS2022 モリサワブース(ネット聴講) 題字 写植の印字:駒井靖夫(プロスタディオ) ●ずっと待ち望んでいた写研の「フォント開放」 私はあの日から、ずっと待ち望んでいました。 2011年7月、写研が「フォント開放の試み」としてDTP用デジタルフォント化に向けて動き出そうとしたあの日から(→「写植レポート*写研が動いた日」参照)。 写研がDTPでも使えるOpenTypeの開発を進めるのではないかと思っていましたが、一向に進展している様子は窺えず、ちらほらと噂は流れてくるものの一般開放されるという話はありませんでした。やがて「そんな話もあったなぁ」と思うようになり、写研書体の話題も使用例も次第に見掛けなくなっていきました。 2018年には石井裕子社長が逝去され、その後工場が解体されるなどこれまでの写研を象徴する存在が失われていく中、写研に大きな動きがありまし
●テレビでも写植は活躍していた 印刷物に写植が欠かせなかったように、テレビ放送のテロップでも写植が活躍していました。 テレビの放映が始まった当初、テロップには人間が書いた文字を用いていましたが、昭和30年代からテロップの写植化が始まりました。 それから長い間、手動写植機による印字と手書き文字がテレビ画面を彩ってきました。写植機メーカーの装置ではその書体を使うことができ、印刷物で見慣れた写植書体をテレビでも見ることができました。 1980年代後半には、電算写植と同様にテロップの電子化が始まり、テロップ用コンピュータによる文字の送出が行われるようになりました。 1990年代後半になると、写植の衰退を追うようにテロップからも写植文字が消えてゆき、パーソナルコンピュータ用の書体が取って代わりました。 その傾向は民放で顕著で、2007年4月にはTBSが写研のシステムと訣別、民放で写植(正確には写研)
●デジタル時代に求められた明朝体 かつて、書籍など商業用の本文組版は活版印刷によって行われていましたが、写真植字の技術を応用した電算写植システムが1960年代に実用化され、大量な印字処理が可能となりました。 入力された文字データを印字する装置は、文字円盤を使用した自動写植機からデジタルフォントを使用したCRT写植機・レーザー写植機へと進化し、並行して組版能力やレイアウト能力も飛躍的に向上しました。 仕上がりの状態を確認するには、実用化の当初は手動写植機と同じように実際に印字するしかありませんでしたが、最終的には現在のDTPのように、画面で見たままを印刷物にできるような性能に辿り着きました。 こうして、1980年代には電算写植システムが文字組版の主流となりました。写真植字機メーカーだけでなく、印刷機器や情報処理機器のメーカーも多数参入しました。 印刷機器メーカー「大日本スクリーン製造」*も例
●タイプフェイス・デザイナーの時代へ 1969年に写研から文字盤が発売された「タイポス」は、従来の明朝体・ゴシック体・筆書系書体とは一線を画したデザイン性の高い斬新な印象の書体で、当時の印刷物に爆発的に使用されました。このタイポスの大成功は、「書体をデザイナーが作る」という新しい概念をもたらしました。 同年、写研は創業者である石井茂吉氏の書体制作に対する功績を記念するとともに、新しい文字の創作を願い、「石井賞創作タイプフェイス・コンテスト」の設立を発表しました。その趣旨は以下の通りです。 ・新感覚のタイプフェイス作品の発表 ・タイプフェイス・デザイナーの新人育成 ・タイプフェイス・デザインに対する世の関心を高める (石井賞創作タイプフェイス・コンテスト 作品募集ポスターより) このコンテストには締切の1970年1月末までに118点の応募があり、同年4月に第1位である「石井賞」が決定、5月1
●写植書体の代表格 書体が好きな人や経験の長いデザイナーならこの書体を知っているのではないでしょうか。写植と聞いて「ゴナ」を真っ先に思い出す人も多いでしょう。 極細の丸ゴシック体「ナール」(1972年)の大成功を受け、写研がナールの作者である中村征宏氏に「石井特太ゴシック体よりも太いゴシック体を作ってほしい」と依頼して制作された書体です。 石井特太ゴシック体 EG-KL(上)・新聞特太ゴシック体 YEG(中)・ゴナU(下)の比較(印字:亮月写植室) 既存の特太ゴシック体に比べ、ゴナUは型破りとも言えるほど太い画線で構成されている。 ゴナU誕生時、新聞特太ゴシック体は拗促音等を大きくする改訂(YSEG-L・1978年)の前だった。そのため従来のYEGと比較している。 中村氏は、ポスター等で和文のゴシック体と欧文のサンセリフ書体が混植された時のそれぞれの書体の印象の違いが気になっていました。和
●DTP専用の本格派ゴシック体、ついに登場 DTPの普及につれ、パーソナルコンピュータで使う書体への要求が次第に高まっていきました。その背景として2点が挙げられます。 それまでの金属活字や写植では、原理上どうしても印字の際に輪郭が丸みを帯びるものでした。 しかし、DTPで使用されるデジタルフォントは、文字の発生から印刷までに経る物理的な過程が少なく、商業印刷では書体の形状をほぼそのまま再現できるため、特にゴシック体の場合、角張ってとげとげしい輪郭に違和感を感じることがありました。 もうひとつは、書体そのものに対する不満でした。 DTP普及の初期から、写植機専用書体だったものをDTP用デジタルフォントに移植して販売されてきました。 DTP用にデジタルフォント化された写植書体は、それまで使われてきた写植メーカー最大手「写研」のものではなく、写研書体が持つ上品で柔らかくやさしい印象とは異なる性質
向照相排字的感情越過海 2013.8.3(土) 亮月写植室にて ●海外からのメール! 2013年2月の終わり、一通の丁寧なメールを頂いた。 「台湾人のタイポグラフィファンです。タイポグラフィに興味を持って以来、写植についても見学してみたいと思っていましたが、台湾の写植会社は壊滅状態で、写植機は博物館にありますが稼働されずに置かれているだけです。台湾で印字可能な所は一軒も残されていないことが分かりました。今年中に亮月写植室へ見学に行きたいと考えていますが、よろしいでしょうか。」(※筆者による要約) 写植室は騒然となった(一人で)。日本国内の遠方からお越しいただくことはあったが、台湾の方が見学を希望されているとは! 海外の方と個人的に交流するようなことはこれまでなく、見学を引き受けるべきか悩んだが、「台湾には現役で稼働する写植機がもうない」という事実とこの方の「日本へ行ってでも稼働する写植機を
2013.5.11(土) 熊本市内 ●熊本にモリサワ機がある!? 2013年3月初旬、「熊本の実家が写植業を営んでいましたが、この度写植機を廃棄処分することとなりました。」とのご連絡を頂いた。モリサワの手動機が4台、使われていた時のまま保存されているとのことだった。 筆者がモリサワの手動機を見たことがあるのは大阪DTPの勉強部屋さんが所有する MC-6 のみ。機種をお尋ねすると、MM、MC-101、ROBO V が2台、とのこと。それぞれ電動式、電子制御式、画面搭載型の画期的な写植機として世に送り出された機種である。 熊本は筆者が住む岐阜からは非常に遠く葛藤したが、「モリサワ機がそのまま残されているが、近々処分されてしまう」ことがどうしても忍びなく、最期の餞という意味でも取材をお願いした。 亮月写植室初の九州取材。熊本に残された在りし日の写植の姿はどのようなものであるか。緊張感とともに当日
2023.12.16(土) 1292 快適な冬のために 【日録】寒くなってきてから、何となく体調が良くない日々が続いていました。我が子は風邪でもないのに咳き込むので、つけ始めたエアコンに溜まった汚れを疑い、エアコン洗浄スプレーを購入して自分で清掃を試みました。しかし事態は悪化し、私はカビたものを食べた時のような症状(鼻の奥が痛くなり、微熱と倦怠感が現れる)が毎日続くようになってしまいました。我が子の咳も止まりません。 もうどうしようもないので、電器店にエアコン清掃を依頼しました。2週間待ちだったので、エアコンはつけずに電気ファンヒーターで凌ぎました。12月上旬はまだ暖かかったので何とかなりました。 そしてエアコン清掃の当日…… カバーを全て撤去し、熱交換器のフィンと奥の送風ファンを露出させました。本体の周辺は汚れが飛び散らないようシートで養生していました。 更に本体をシートで覆い、漏斗のよ
●手動写植機ゆずります →2023.5.13掲載分(募集終了) ・モリサワ「ROBO 15XY III」 →2023.3.18掲載分(募集終了) ・写研「PAVO-KV」 →2022.9.10掲載分(募集終了) ・モリサワ「ROBO 15XY II」 ・モリサワ「ROBO 15XY III」 →2022.6.7掲載分(募集終了) ・写研「SPICA-AH」 →2022.5.18掲載分(募集終了) ・写研「PAVO-JV」 ・写研「PAVO-10」 →2020.12.26掲載分(募集終了) ・リョービ「レオンマックス-2」 ・モリサワ「ROBO 15XY II」 →2020.6.13掲載分 ・リョービ「レオンマックス-1」 →2019.2.27掲載分(募集終了) ・写研「PAVO-KY」 ・写研「PAVO-JL」 ・写研 PAVO型 型番不詳2台 →2011.10.2掲載分(募集終了) ・写
←前半へ戻る ●中村征宏氏の講演「ナール&ゴナ 発想と制作」 11時からは書体デザイナー・中村征宏氏による講演があった。 司会進行は杏橋氏。しばらくは杏橋氏による解説が続く。 ナールが発売されたのが1972年。それ以前の和文書体の状況について。 1924年に写真植字機が発明された。これから約50年間は、明朝体・ゴシック体・教科書体というような基本的な書体しかなかった。 その当時、1964年に写研で初めて制作した書体見本帳の実物を披露される。この頃は「写真植字機研究所」という名称だった。 写研初の書体見本帳『写真植字』(1964年) 書体は当時の社会情勢を反映していて、横太明朝体はテレビ用として開発され、走査線を考慮して横画を太く設計されたものだった。石井丸ゴシック体は機械の銘板のために作られた。太教科書体はNHK教育テレビの開局に合わせ、テレビ放送用の教科書体ということで作られた。ミキイサ
●風の便りで 2011年初夏。写植機メーカー最大手だった「写研」が「第15回電子出版EXPO」に出展すると知った。 何事かと思った。数年展示会へ姿を見せなかった写研が出るのだから何かあるな、という期待を持ちながらも、この催しに行くかを決めないまま出展の当日を迎えた。 7月7日、開催初日。この展示会を見に行った人の報告や写真がネット上に数多く載せられていた。「写研、フォント開放の試み」。ブースに掲げられた石井社長のメッセージや InDesign 上で動作しているように見える写研の書体。様々な憶測や意見が飛び交っていた。 居ても立ってもいられなくなった。歴史的(かも知れない)発表をこの目で見たい。詳しく知りたい。写研ブースに行った知人からのレポートのメールがその気持ちに火を着けた。 ●いや、意地でも行くしかない (※以下、「亮月だより」2011年7月9日付の記事を再構成・大幅に追補して掲載して
写真植字(写植)の研究・印字。旧亮月製作所写植部
●気になる存在・筑紫書体 フォントワークスの代表的な存在となった「筑紫書体」。 元写研の藤田重信氏が携わっていることもあって、発売される前から気になる存在でした。一方でその独特な文字形状がなかなか筆者には受け容れられず、近付きたいがあまり見たくはないというジレンマを抱えつつもずっと頭の片隅にある書体でした。 2011年春の終わり、そんな筑紫書体について作者ご本人が語られる催しがあると知りました。筆者がこの4ヶ月ほど土日も含めかなり多忙ということもあり参加申し込みを見送っていましたが、「あの独特なデザインにはきっと理由があるに違いない、先入観に囚われずに筑紫書体を観察したい、見方が変わるかも知れない」という思いに駆られ、開催3日前に参加を決めました。 この講演がある「大阪DTPの勉強部屋」は初参加。大阪も「わたしの馬棚」以来ということで新鮮な気持ちで臨みました。会場は約100人が聴講するとい
●目次 ※記事中の【管理人のコメント】は、好き嫌いや個人的なエピソード等について言及した、書体に対する主観的な所感です。
写真◉写真植字機を囲む石井茂吉氏と森澤信夫氏 書体◉石井太ゴシック体・秀英明朝SHM・数字FR-A No.46(写研)、太ゴシック体B1(モリサワ) 写植の印字/書体提供◉駒井靖夫(プロスタディオ)、田嶋英二(TAJIMA•YA) 協力◉雪朱里、伊藤義博(株式会社文字道) (C) 桂光亮月1999-2024 禁無断転載
『DTPWORLD』2008年12月号 2009年1月 ●あらまし DTP雑誌『DTPWORLD』2008年12月号で、2大ページレイアウトソフト「InDesign」と「QuarkXPress」を比較する特集が組まれていました。 その中に、「文字組み基本の『き』」と題し、文字組の基礎知識をまとめた記事(P.50~55)がありました。(→記事画像) トラッキング、カーニング、混植といったものが取り上げられていましたが、じっくり読んでみると違和感がありました。 「どうしてベタ組みではダメなのか」。 こう小見出しで始まった記事は、日本語は漢字や仮名、英数字が混在した複雑な文字構成であり、「無設定で文字組みを行ってしまうと、全体を見渡したとき、文章の密度が異なってしまい、可読性が損なわれることが多い」(以下、かぎ括弧は記事からの引用。太字は筆者による)とあります。 “可読性が損なわれる”ことの理由
●脱力系記号☆ 写植には、様々な用途を想定した記号が多数用意されています。飾り罫や地紋は勿論のこと、化学構造式や楽譜、麻雀、易卦に使う記号も文字盤化されています。 その中でひときわ異彩を放っているのが、本稿で取り上げる「記号BA-90」です。ややリアルな笑顔が円の中に入った記号です。見本帳に実用的な記号や地紋が並ぶ中で明らかに浮いています。 この記号が生まれた経緯は不明です。収録されている「BA(飾り罫・地紋)」という文字盤(サブプレート)を見ると、©写研 ’68 と記されています。1968年にはこの記号が存在していた模様です。2012.7.16追記:写研の1965年の見本帳にこの記号が掲載されているので、文字盤の発売はそれ以前と推測されます。 この記号は手動写植機の円熟期である1980年代から1990年代前半にかけ、雑誌や漫画の台詞などで頻繁に使われていました。写研の電算写植機にも「一般
戦後活版印刷に代わり擡頭(たいとう)し、1990年代中盤以降DTPへとその座を譲った印刷技術・写真植字(写植)。 衰退してからあまり時間が経過しておらず、かといってその歴史が顧られることは殆どありませんでした。また、写植が繁栄した時代は大量消費・大量廃棄の時代と合致するため、機材や当時の資料は殆どが廃棄され、散逸している状態です。 そこで亮月写植室では、写真植字の歴史を体系的かつ詳細に残すため、各地から資料を集め、関わった人達から取材をしています。 これに基づいて作成した記事を掲載しています。 →記事の利用について・参考文献 題字:秀英明朝+石井中太ゴシック体L(写研) 写植印字:駒井靖夫(プロスタディオ) →トップページ
写研が1975年に刊行した社史『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』に、このような記述がありました。 昭五〇 一一・三 創業五〇年迎える “写植のうた”作る 写植を主題にした歌を写研自ら制作していたというのです。写植ファンとして気にならない訳がありませんでした。 友人・知人づてにこの歌に関する情報を募り、2008年11月、元写研社員の方のご厚意で楽譜と歌詞を送って頂きました。 作詞は、石原裕次郎ら著名歌手に詞を提供してきた杉紀彦氏。作詞だけでなく、放送作家やラジオパーソナリティーとしてもご活躍中です。作曲は、デューク・エイセスの初期リーダーだった和田昭治氏。数多くの門下生が輩出してきた作曲家です。 この二人が写植についてどのような歌を作ったのか再現してみたくなり、楽譜を頂いた当日から作業に取りかかりました。制作が進むにつれて徐々に現れてくるのは、懐かしさを感じるメロディーに乗せて歌われる写植
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