サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
WWDC24
tamesue.cocolog-nifty.com
天才と言われる人を見たり話を聞いて、違和感というか普通と違うものを感じる事は無いでしょうか。狂気というと大げさかもしれませんが、何か根幹が普通じゃないという違和感です。 もちろん普通と違う才能を持っている訳ですから、普通と違って当然でそれがこちらから見てクレイジーに見えてるのかもしれませんが、私なりに一つ理由を挙げてみたいと思います。天才の定義は僕にもはっきり説明できないので、一応何かに秀でた才能を持った人というぐらいの括りで考えてください。 人は、いくつかの欲を持って生きています。例えば物を欲しがったり、人に褒められたかったり、異性にもてたかったり。それからこれも欲の一つでしょうけど、人生で大事にしてきた自分のプリンシブルみたいなものもあります。勇ましくいたいとか、素直でいたいとか、賢くありたいとか、です。 人はこういったいろんな軸、欲を持っている為に物事を決定する時に悩みます。何か
人はものさしを持っています。人の価値を計る為のものさしです。 人はものさしを持って生まれてくる訳ではありません。人生のいろいろな経験で、人を判断する方法としてものさしを使う事を学んでいきます。頭がいいと先生は褒めます。頑張って立派になれば尊敬される、と両親は言います。なるほど、頭がいい、立派というのはいい事なのか。そういう事を体験から学びものさしを作っていきます。 ものさしで人の能力を評価する事は社会を営む上で必要な事です。ものさしがあるから自分が何処に向いているかがわかり、適材適所がわかります。ですがものさしに捉われた人はものさしで能力を判断するだけではなく、人格自体も判断します。そしてそういう人が多い場所で育った子供もまた、ものさしで人を判断するようになります。 ものさしに捉われた人は、頭の良さがものさしだとすると、態度はどうあれ自分より頭の悪い人を馬鹿にします。そして同時に自分より頭
気がつかない間に水差し罪を犯してしまったようで、申し訳なく思っていますが、しかしこれにも私なりの理屈がありまして少しそれを弁明したいと思います。 恐らく水を差されたと感じられた方の大半は『さあ、みんなでお祝いだー』という余韻続行の中に『今こそこれをきっかけに本質的な問題に迫ろうぜ』という問題提起の意見を言ってしまった事によります。昔の事とかこれからの事とか本質的な問題点とか、そんな事を言われて只今感じている純粋な感動がなんか汚されたように感じられているのではないでしょうか。 時期尚早、少数派の意見だというのは承知の上で、敢えて今回は余韻が続行している方には申し訳ないですが私の意見を述べたいと思います。決してこれらは感動を否定するものではございませんというのをまず付け加えておきます。 頂いた反論をまとめてみて自分の考えを述べていきます。 ①選手もファンもみんな喜んでいる。わざわざ問題点を今
昔、『12人の怒れる男』という映画を見ました。一人の少年の裁判に集められた陪審員達が、無罪か有罪かに決定を下す、密室での議論だけに焦点を絞った映画です。11人が有罪という中、一人の男性が無罪を主張し(実際には空気だけで決まる有罪に待ったをかける)その後議論が展開していくという話で、僕は何かこの映画にすごく感銘を受けてそれ以来ことあるごとにこの映画を思い出します。 Twitterを始めてから、よく私は人に反論、批判を受けるようになりました。もちろん有意義な意見もあるのですが意地悪なのも結構あります。私は流れができそうになった時、敢えてそれを止める癖があります。それには主流の流れが加速する事の恐れ、流れが決断を下す事への恐れがあるからですが、それが人を怒らせるようです。 私自身もそうですが、人はどうしても思い込みや偏見から逃れられません。生まれてきた環境、教育や経験が重なるとどうしても、反射的
少し議論になりましたので私なりに整理します。内柴選手についてです。 私が問題だと思っているのは、二点あります。 1、推定の段階で有罪だと確定している人達がいる事 2、今回の罪状とその他の話が混ざってしまっている事 この二つをお話しします。 私がまず疑問に思ったのは1についてです。以下は反論を頂いた方の発言です。 信じるもなにも、被害者が訴えてるのに、何を論じる必要があるのか。大体あれだけの経歴の方、相当酷いことをしない限り、目をつぶるでしょ。だから相当酷かったのでしょう。警察だって、かなりの証拠を抑えての逮捕だと思います こういった反論がありましたが、被害者が訴える事と警察が動く事は真実を明らかにするプロセスに過ぎません。逮捕と有罪を混濁されている方は多いですがこれは別です。今回は敢えて'経歴云々'には言及しません。 準暴行罪が適用されるような事があった可能性はあります。が、それらを
練習が辛い事と、練習効果があるかどうかは、関係がない。とツイッターで呟いた所、反響が大きく、また説明してほしいという意見も多かったので少し説明します。 まず、練習効果がある=競技力向上と定義して話を進めます。次から書く三つの理由から、辛い練習が練習効果が高いわけではない事を説明します。 『辛さは負荷の強さではない』 辛い思いとはどういう時に感じるでしょうか。例えば、量的に多いもの、たくさんやれば確かにしんどいです。次に瞬間的負荷がかかるもの、瞬間とはいえ苦しい思いをするのは辛いです。だいたいこの二つに分けられると思いますが、では実際に競技やっている瞬間はどうでしょうか。 例えば100m。おそらくほとんどの選手が、練習よりは試合の方が楽というでしょう。 すごく簡単にいって負荷が強い=練習効果が高いとみなしていいと思います。100m選手にとっての強い負荷とは、試合での全力疾走に他なりません
精神論という言葉が、スポーツの世界でよく聞かれます。モチベーションやビジョンが大切なものであるのは間違いないとは思いますが、日本でいう所謂精神論というのはどちらかというと思考を止めて全部を精神のせいにしてしまうようなニュアンスを含んでいます。 ロンドン五輪に向け、USAチームが2泊3日の合宿を行ったそうです。場所はラスベガス、メンバーはロンドン五輪でメダル獲得が期待されるアスリートだけ。練習は一切ありません。夜はカジノでルーレットだそうです。 さてはてべガスでいったい何をやったかと言いますと、 1、USAT&Fチームがどんな目標を掲げどんな戦略で挑もうとしているかの共有 2、過去に成績を上げた選手達のヒストリーと体験の共有 3、五輪までの戦略についてのワークショップ、および各々の戦略の共有作業 4、五輪を迎えるにあたって引っかかりそうな落とし穴、過去の失敗例の共有 5、メンタルト
人がよくはまりやすい思考に絶対化というものがあります。私はとにかく若い時にこればっかりでした。絶対化と名付けたのは私なので説明しますと、絶対化とは要は何かが絶対的なものに見える思考の癖の事と思ってください。 最近あった例をいくつかのパターンで出してみましょう。 天才の絶対化 1、天才とは天才であるから何人にも彼を止める事はできない存在である 2、であるが故にもし何かで止まるような事がその人は天才ではなかった 3、つまり、成功したものの中にのみ天才は存在する。 気持ちの絶対化 1、物事は全て気持ちの持ちようで決まっている 2、故に結果が出なかった場合は気持ちが入っていない 3、つまり結果が出ない場合を突き詰めると、全ては気持ちに原因がある 憲法の絶対化 1、憲法は絶対に正しい 2、憲法は正しいから、もし現実とずれてるとすれば現実の方が間違えている 3、だから現実や解釈を憲
事業と言いますと企業体の事を想像しますが、仕事をする事、何かに貢献する事などを指してもおります。ことわざ、とでも読めばわかりやすいでしょうか。 スティーブジョブズの人生を勉強しながら思いましたのは、これまでに財を成した人や権力を握った人、世にインパクトを与えた人は多くても、人を感動させたり世の中に思想を残す人は少ないと思いました。生き方にある種の信念や崇高さを感じる人と、何処までのぼってもそれを感じない人の差です。 英雄とは何かカリスマとは何か。もっと言えば人に感動を与える存在とは何なのか、でありましょうか。私が思うに、感動をさせる人には以下の二つが在るような気がします。 1、実現したい世界がある 2、言動と行動がそこに集約している 1がなければ2もありません。1が無ければその人がやっている事の先に未来が見えない。未来が見えないから夢も無い。夢が無いから共感できない。 多くの場合、手段
【河野会長、短距離陣を一喝 「選手がひ弱」と瀬古理事】 お二方の人間性から考えて、一方的に言った訳ではなくおそらくキャッチーな言葉を引っ張ってきただけではないかなという印象を持っています。ただ、それにしてもちょっと外から目線過ぎる気がします。 全体としてのトーンはわからない事は重々承知の上で、この記事に書いてある事が本当の事を前提として少し反論してみたいと思います。 1、男子短距離にはひと頑張りしてほしい 頑張ってほしいのは確かです。これはファンの方も含めみんなそう思っているでしょう。しかし、我々の上部団体であり、選手が所属していて、その選手の代表決定権も持っていて、代表選手の強化方針を決めるべき組織が、ただ頑張ってほしいというのはいかがなものかと思うのです。なぜならばどう頑張ったかは、連盟が決めてきていて、且つこれからどう頑張るかは連盟が決める事だからです。つまりある程度は今回の結果に
私たちのような文化産業従事者(スポーツ、アート、伝統芸など)更には科学者は外から見て非常に微妙な立場にいます。これらの職業の多くは震災直後には不謹慎産業(名付け親は私)と呼ばれました。つまり生きていくのに必要ない、余った余暇のもので行うべき産業という位置づけです。 この職業は一つの大きなジレンマを抱えます。それは『衣食住は関係のない事を仕事にしている事』です。 この職業の多くは、好きで始めたものから入っていきます。スポーツが好きだった、絵が好きだった、それで夢中になってそれをきわめていった結果最終的に職業と呼ばれる所まで到達します。好きなことをやってるんだから幸せな人生。確かそうかもしれません。 多くの人は厳しい生活を強いられます。端的に言えば、それだけでは食えないのです。だからみんなバイトをしたり、運がいい人はパトロネーゼのお世話になりながら生きていきますがそれは稀です。 好きでや
4月を4、5月を5と数え、1月からは13、2月は14、3月は15としてトップアスリートの生まれつきを計算しますとしっかりとしたデータを持っていませんが、恐らく平均値は5〜8の間におさまるのではないかと私は推測しています。友人のアスリートに4、5、6月生まれが多く、アメリカでは9月で切り替えですが、9月から12月にトップアスリートはおろか知性の面でも優秀な人材も多いというデータが既にアメリカではあります。 いくつか理由があると思いますが、スポーツで言えば球技等に特徴が現れると思います。子どもの頃の数ヶ月の成長の差はとても大きなものがあります。才能というより、ただ先に生まれて早く成長しているだけの差ですが、それらは考慮されずひっくるめて同じ学年に置かれている訳です。当然先に生まれた子は早く習得して高いパフォーマンスを示す。そういう子がレギュラーに入り経験を増やしていき、遅く生まれた子は球拾いや
価値についてみんなが思ったより興味を持っているように思えたので、少し価値について語ってみます。価値とはそもそもなんなのか、価値があるとはどういう事か。 私は私にとって安定した人生は価値がないと思った時があります。例え身体が壊れようとも身体が限界に向かっているあの感じと強い重圧に晒される感じ、そしてその先にある安堵感と達成感そういうものが私にとって大事でした。ですから私は現役を続ける事にしました。オリンピックの後です。私にとって価値がある事は日々に一喜一憂があり身体が限界まで追い込まれていて恐れと戦っている事で、明日が決まっていて安心して毎日を暮らせる事ではありませんでした。 けれどもこれをみんなに当然のように話しましたら、そんな事何の価値もないじゃないかと言われました。この先走ったって褒められる訳でも、お金が手に入る訳でもないし、もうそもそも全盛期は過ぎただろう。それなのに続けるなんて意味
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 自分の名前や背景をどこまで晒すのかの距離感をはからなければいけない時代に入ってまいりました。匿名と実名とその狭間について少し考えました。 匿名とはつまり自分ではない誰かとしてしゃべる事です。匿名性が保たれるからこそしゃべれる情報というのもあります。自分自身への攻撃を避けられる事で真実も言いやすくなります。 独裁国家や全体主義はこの匿名が最も怖い。国民の中に疑心暗鬼や、政府を倒せるという勇気や煽動が生まれてしまうからです。名前さえ出ていれば叩けますが、匿名でうごめいているものは
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 少し募金活動も落ち着き、次のステージの人的支援に向けて策を練りながら、日本でこんなに人同士が関わり合っていた事が最近あっただろうかとふと思いました。東京に帰った時に感じたのですが、人同士の交流がものすごい勢いで増えているような気がするのです。 震災後、人々の感情がぶつかり合いがおきました。助け合いの陽の面ばかりでなく、批判や言い合いも起きているように思います。状況から見て人の事等構っている場合ではなくて、みんな自分のベストを尽くすのが一番いい。それが日本からの視点でしょう。 視
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 私たちが親切を行ったり人を助ける時に、当然のように信じている考えがあります。それは『自分の何かを犠牲にする事でしか他人を幸せにできない』という考えです。 おそらくこの考えのベースの部分には『人は本来利己的で自分の満足のままに動けば他人を助ける事等しない』というのが前提にあると思われます。だから自分を犠牲にして他人に尽くすようにしておかないといけないという認識が出来上がったのだと思います。 自分の事より他人の事を考えて動きなさいと私たちは教わりながら育ちました。助け合いの世の中を
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 今回の甲子園の選手宣誓。あれほどに思いを伝えた選手宣誓というのもオリンピックの開会式ですらなかったのではないか、と思うほど人々を感動させたのではないでしょうか。素晴らしい選手宣誓でした。 おそらく少しばかり皆さんが懸念されていた事があの宣誓で全部吹き飛んでしまったように思います。それはつまり、今こんな時にスポーツなんてやっている場合ではない、という声に球児がさらされないかという懸念です。私はそういう声はもともと甲子園に対しては小さかったのではないかと思っていますが、仮にそうい
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル まず私たち非被災者は大前提として決して彼らの悲しみはわかり得ないという立場に立つ必要があると思います。その上で想像を巡らし、相手の気持ちを汲み取ろうとする。わかろうとする立場はあってもわかる事は難しいと私は思います。 不謹慎とは被災者の気持ちが完全に汲み取れないと成り立ちません。こんな事すると彼らが傷つくから不謹慎だ。そう言えるという事は、彼らが何を望んで、何を望んでいないかがわかっていないといけない。しかし、本当の彼らの心のうちは私たちには決してわかりません。それが不謹慎かど
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 未曾有の災害が日本を襲っています。歴史上これまでにないほどの災害を前にして、今日本が必死で一つになり戦おうとしています。被災者の方の無事を願いながら、自分自身がサンディエゴにいて日本に何もできない事をもどかしい思いでいます。 こちらでも日本の信じられないほどの冷静な対応が報道されています。一日都内で夜を過ごしたにもかかわらずホームで整列する人々、略奪もなく淡々と商品にお金を支払う人々、お互いに助け合い信頼し合う人々。世界中が驚愕の思いで日本を見ています。 私の印象を一言で言いま
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 私はサンディエゴにおりましたので東京マラソンの事をネットでしか知りませんが、川内選手の快挙は素晴らしいと思いました。こういう話は私は涙が出るほど好きでどうしても素晴らしいと彼に一言、言いたい気分になりました。そして、この事が起こす陸上界への変化に期待しています。 実業団不甲斐ない!の見出しが多いですが、私は実業団選手が努力不足だとかそういう話だけではなく、ある意味で日本の長距離界が抱えている問題点が浮き出てきたのでは無いかと思うのです。 長距離選手の一年を追いかけますと、3月か
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 自己愛が喪失した人間は、確かなものを得ようとします。確かなものは本来自分が決めるのですが、自己愛の薄い人間は自分で決められません。自分で自分を評価できないから、他人に委ねる。他人に委ねるというのはつまり他人の評価です。自己愛の薄い人間は人がどう思うかで自分の行動を決めます。 どちらがより高収入か、どちらがより学歴が高いか、家柄、語学能力、交際しているパートナーの容姿、自分の思想、持っている車や家や身の回りにつけるもの。自己愛が薄い人間はランキングでしか、自分を確かめられません。
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 少し報告が遅れましたが、メルマガを始めました。今週で第5回になります。なぜにメルマガを、というのを少し説明いたします。メルマガを始めようと思った理由は三つあります。 一つには自分の挑戦の為です。ご存知の方もいるかもしれませんが、僕は陸上選手になれなかったら新聞記者になりたいと思っていました。昔はどちらもというのは無理でしたが、今はネットがありアメリカでトレーニングしながら自分のメディアを持つ事ができるようになりました。ブログやツイッターは確かにメディアの機能を持っていますが、無
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 入籍しました。相手は日本人で、年は同じ年です。 出会いは数年前でして、もとはと言えば友達の友達でした。顔の特徴としては、目は離れてます。ちょっと頭が大きいでしょうか。それからカエルに似てます。 何度か教えてみましたが股関節で地面を押す感覚がわからないようなので、スプリントの才能は無さそうです。ハードルも飛べません。運動神経はいいのですが、肝心のアキレス腱も浮き出ておらず、バネはありません。ただ、正座は長時間できます。 弱いもの、小さいもの、脆いもの、儚いもの、はっきりしない
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 日本のスポーツ界というのは案外と心の存在を疎かにしているなあと思う事があります。競技を続けていく中で心が占める割合は大きいのですが、それをあまり大切に考えていません。 長くスポーツをやっていると、やりたくない時があったり、やる気がわかなかったりする時があります。もちろんスポーツは仮にもし短期的にそういう時があったとしても、大きな目標を見据えてその時をコントロールしないといけません。 そうやって苦しい時を乗り越えつつ競技人生は進んでいくわけですが、しかし、だからといって自分に対し
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 成功者の多くが『根拠の無い自信』を持つ、または、本人は言及しなくても周囲は彼には『根拠の無い自信』があったと言います。はて、根拠が無い自信とは一体どういう物でありましょうか。 根拠が無い自信とはつまり、自分は将来何かが出来ると思ったり、未来はこうなると思っていて、それに明確な根拠が無いのだけれどもそうだと信じるという事です。 少し、この『根拠が無い自信』を紐解いてみます。 例えば、あなたが30年後自分は大金持ちになると思っているとします。なぜ、大金持ちになれるのか。これを証明
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 気付きを得る瞬間というのが、競技をやっていると幾度もありますが、しかしこれは誰にでもあるわけではありません。気付きがある選手と、そしてない選手。その辺りの違いを考えてみます。 気付きとはつまり何か新しい概念をふっと受け入れる、今までの世界観ががらっと変わる、そんな事かと思います。自分を外から見た瞬間です 気付きがあるタイプは、世の中を鵜呑みにしておらず、どこか離れた所からみている視点を持っています。リンゴを見ても、リンゴであるかどうか疑い、みんながそうだと言っていても、それがほ
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル こちらでマリファナ合法化について直接投票が行われます。僕は日本人なのでいろいろと思う所はありますが、まあ、それはこちらの方が決める事なのでいいとして、そんな事より私が興味があるのは、この直接投票というやつです。 ある街の電力が不足するようになりました。そこで発電所を作らなければならなくなったのですが、このエリアは原子力発電所しか作れないような場所になっています。ちなみに他に発電する方法は無い事にしてください。そこで国民投票をした所、かなりの得票率で発電所設置が決められました。
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 私の知り合いで、家の事は全部お手伝いさんに任せている人がいます。生家がお金持ちだからです。住んでいるマンションもきれいなところです。 仕事をする必要も無いので、やりたい事をやりたい時にやっています。時々ベンチャーに投資したりしているみたいですが、そこは詳しくはしりません。まあ、少なくともお金に関する事は心配してはいません。 稀に他人から解放されている人もいますが、多くの人は他人と自分の境遇を見比べます。先の様な話を聞く時に、平静を装いながら私たちは心の底になんだかずるいとい
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 振り返ってみると、私たちの心の奥底には『辞める事』への罪の意識があります。組織をやめる、学校をやめる、続けてきた事をやめる。これは、撤退であり心の敗北であり、弱さだと教わってきました。継続は力なりが私たちが大切にしている美徳の一つです。 これは、日本人の忍耐強さから来たものでしょうし、また忍耐強さを強化もしてきました。しかしながらいざ辞めるべきだと強く自分で感じ、撤退しようとする時、私たちは人目を気にし、内側に染み付いた美徳に逆らえず、引くに引けないという事ももたらします。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『tamesue.cocolog-nifty.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く