サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
GPT-4o
www.sannigo.work
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の古の神様を祀る神社は、静岡県磐田市中泉御殿に鎮座する『遠江國 府八幡宮』です。 八幡宮は勝利をもたらす神として全国に4万社以上あるそうですが、「首都の八幡さま」という意味の『府八幡宮』の名は全国に例がないといわれます。 このお宮がある『御殿』という町は、徳川家康がこの地に御殿を建てたことで知られます。そのことが町名の由来ですが、遠い奈良時代には国の庁舎が置かれた由緒ある土地柄です。 先日静岡県知事が「浜松より磐田の方が民度が高い・・・」などとおっしゃり注目を浴びた通り、やはり歴史的にみると古の頃は遠江の中心は磐田だったのですから満更間違っているわけではないのです。ただ、言い方がねーってことかしら? この御殿周辺に人が住み始めたのも遅くとも紀元前5世紀から3世紀にかけての弥生時代といわれ、すでに米を作って暮らす人々
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日さわやかウォーキングの地中で訪ねた遠江の神社は、磐田市見付にある見付天神『矢奈比賣(やなひめ)神社』です。 矢奈比賣神社は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。 東海随一の学問の神様として崇敬され、県内外からもたくさんの参拝客が訪れます。特にサッカーやラグビーファンの間では全国的に愛されている磐田市のイメージキャラクターのかわいらしい「しっぺい」。 この「しっぺい」のモデルである霊犬しっぺい太郎の伝承が残る神社として有名で、鳥居の横ににしっぺい太郎像があります。 ちょうど今週末くらいには咲き始めるのでは?と期待される約200本の桜が楽しめる「つつじ公園」は、この見付天神の北側の森林に広がっています。 桜のあと、GW前のつつじ公
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、さわやかウォーキングの際にはお参りの前にたくさんある石碑の説明板を読みながら一服することもあります。 というのも、鳥居にたどり着くまで急な坂道でかなりしんどいので、鳥居をくぐってから一休みしないと前に進めない感じだからです。境内は決して広くありませんが、裏にある「賀茂真淵記念館」も見学すると知らず知らずに結構な時間が経ってしまいます。 縣居神社境内から見る浜松市内 『縣居神社』でお祀りする賀茂真淵は、、遠江国敷智(ふち)郡浜松庄伊庭(いば)村(現在の浜松市中央区東伊場)に岡部政信の三男として生まれます。 岡部家は賀茂神社の末社の神職を代々務める旧家でした。たったの10歳の時に杉浦国頭(くにあきら)
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。 この『神明宮』、実は調べているときからかなり興味津々だったのです。というのも、調べているときのこちらの名称はただの「神明宮」だったから。普通「〇〇神明宮」とか〇〇がつきませんか?ただの『神明宮』なんて!きっと何かしらの歴史が隠されているんじゃないの?って思ってしまったからなのです。 ところが、家でゆっくりとグーグルマップで調べると、しっかりと『只木神明宮(式内社 彌和山神社)』と出てくるじゃありませんか?まあ、けっきょくたどりついてお参りできたので”良し”としましょう。 こちらの『神明宮』実際に出かけてみて感じたのは、本当に静謐といいますか、すごく静かで安らかな空間で
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。 銅鐸(どうたく)や、歴史の道「姫街道」(本坂道/ほんざかみち)の関所がおかれた旧細江町付近の歴史や現在を紹介している資料館です。 以前は有料だったかも?ですが、現在は無料だというのに床はぴかぴかですし、細江神社の由来でもある藺草(いぐさ)のことや当時の暮らしなど、さらに銅鐸のことも詳しく知ることができます。本当に無料なのが申し訳ないくらい充実した展示物が並んでいます。 大河ドラマ『どうする家康』の影響で戦国時代のみにはまっていた私ですが、最近はタモリさんの影響でしょうか、コンビニよりも多いという遺跡や古代史に興味津々なのです。 浜名湖周辺で、約26個の銅鐸が出土してい
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 おいしい”三ヶ日みかん”で知られる静岡県浜松市浜名区三ヶ日は、浜名湖北岸にある地区ですぐお隣は愛知県という県境の自然豊かな町です。 この三ヶ日は、実はみかんだけでなく、縄文時代初期から三ヶ日人が居住し、江戸時代には本坂通(姫街道)の宿場町『三ヶ日宿』があり東海道の脇道として女性が多く往来していたと聞きます。 今回訪れた『濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)』辺りは平安から鎌倉時代にかけて伊勢神宮の神領であった事から、この辺りには「浜名七神明」など、非常に興味深い伊勢神宮ゆかりの神社がたくさんあり、三ヶ日全体が深い歴史を感じさせてくれます。 創建からは1000年以上、伝説をたどると2000年近くの歴史を持つと思われる『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。 二礼二拍手一礼で「世界が平和になりますように!」と、普通にお参りした後に見つけた”布を丸めたおみくじ”のことです。「これってどこにおみくじがあるんだろう?」という素朴な疑問を持って、2024年初めてのおみくじを選ばせていただきました。 くるくると巻かれた布を開くと、そこにはあまりにも感動的なおみくじが挟まれていたのです。和紙なのかな?ちょっと厚めの紙にはなんと丁寧な手書きで「吉」という文字と、”人生に楽しみが増す 干し柿 白 南東”と書かれていたのです。 60年以上生きてきて初めての体験でした。昭和世代「効率!合理的!」で突っ走
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。 奈良時代からと1500年以上の歴史のある古社で、3月初牛日近くの日曜に行われる「田遊祭(たうたさい)」は有名で開催時には毎度地元の新聞記事になります。 また、すぐ東側にある『中村家住宅』で徳川家康の次男結城秀康が産まれたことから産土神となり、徳川家との縁があるようです。 こちらに伺ってまず目を引いたのが、アイキャッチ画像をみていただければわかる「不思議なモニュメント」のような『手水舎』です。 最近歴史に興味津々で検索しまくりの全国の神社の写真でも「三柱鳥居」などのような異形の鳥居はよく見かけますが、”手水舎といえば龍”というイメージで、こちらの不
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先回の記事で訪ねた地震の厄除けとしても知られる『細江神社』、古くは牛頭王社と呼ばれ、今も地元の人々に『気賀のお天王さま』と呼ばれ親しまれていた細江神社の境内にあるのが、今回ご紹介する『藺草神社』です。 宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。近藤氏は井伊家にも被官し、家康の遠江侵攻を助けた「井伊三人衆」の一人です。 この近藤用随は、豊後(ぶんご/現在の大分県)特産の琉球藺(りゅうきゅうい)の移植に成功、後にこの琉球藺を使った畳表の製織は浜名湖岸で暮らす冬の農家の副業として、さらに遠江地方であんだ畳表(たたみおもて)は『遠州表』として知られるようになり、この地域をを潤したそうです。昭和
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』です。 この『細江神社』は古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。 『細江神社』の由緒は非常に珍しく、浜名湖と海がつながった「明応の大地震」にあります。というのも、現在「新居関所」がある浜名郡新居町にあった『角避比古神社(つのさくひこ)』から流れ着いた御神体を祀ったのがこの『細江神社』の始まりなんです。 『細江神社』の参道から境内は樹齢数百年以上もありそうな大木が立ち並び、うっそうとした鎮守の森が続いていてとても心が落ち着く感じです。中でも「夫婦楠」は存在感があります。 また、遠江のいたるところには数多くの様々な伝承が残されて
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。 まずは、室町時代に真言宗の寺院として創建され、後に臨済宗方向寺派へと改宗した御本尊は釈迦如来という寺院『白雲山長泉寺』、こちらの山門が幕末最後の浜松城主の下屋敷の山門だそうです。 そして、最近いにしえの神々に興味津々なため、ぜひお参りしてみたいと思っていた『須佐之男(スサノオ)神社』、もちろん御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)です。 では、まず『白雲山長泉寺』、続いて『須佐之男神社』をリポートしていきましょう。 臨済宗方向寺派『白雲山長泉寺』 白雲山長泉寺 《アクセス》 山門 山門の由来 十王堂 十王の由来 須佐之男神社 《アクセス》 須佐之男命って? 秋葉
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回訪ねた地元のお寺は、遠江新貝(静岡県磐田市新貝)にある曹洞宗の『三白山連城寺』です。 裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男で遠江守だった平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。 その後、江戸時代に、中泉代官大草太郎左衛門政信が荒れた寺を曹洞宗の寺として再興したと寺伝に伝わります。 連城寺周辺の丘陵部には大小の古墳が点在し、中でも南側にあった経塚古墳(明治初期に消滅)からは、あの卑弥呼や邪馬台国論などで騒がれている『三角縁四神四獣鏡(さんかくぶちししんしじゅうきょう)』が、明治19年に出土しています。 中高年の大河ドラマ好きな皆さまならよくご存知の平清盛は、専制をもって強引に平家の政権を樹立したため、多くの人から恨みをかったようです。で
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。 縄文・弥生さらに古墳時代には600基以上の古墳がつくられていたとし、2万年も前から人が住み始めたといわれます。さらに、奈良時代にはここ中泉に国府が置かれ、戦国時代には徳川家康が御殿がつくり趣味の「鷹狩り」を楽しみ、江戸時代にも陣屋がつくられた場所です。 そんな中泉の住宅街の佇む『鹿苑神社』は遠江国の二之宮とも言われる神社で、ここ二之宮の地名のいわれともなった式内社です。鹿宛神社の北側は『連福寺』と隣接する旧郷社で、創祀1600年といわれる古社です。 遠江国二之宮鹿苑神社(ろくおん
こんにちは sannigoです。いつもありがとうございます。 いろいろと胸が痛む出来事が重なる幕開けとなってしまった2024年です。被害に遭われた皆様に心よりのお見舞いと一日も早い復旧をお祈りします。 新聞広告で知った災除道開(さいよけみちひらき)の神として広く崇敬を集める『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、今年の初詣はこちらの『曽許乃御立神社』に決めたのでした。 静岡県浜松市西区呉松町に鎮座する『曽許乃御立神社(ソコノミタチジンジャ)』は、地元では「お鹿島さま」の名で親しまれる”災除道開”の神社です。1200年以上の昔、奈良時代の767年(神護景雲元年)より武甕槌命(タケミカヅチノミコト)をお祀りする由緒正しき式内社です。 御祭神の武甕槌命は、神話『国譲り』の成就に貢献し日本の建国に尽力
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご紹介する地元の神社・仏閣は、静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』です。 『福王寺』は真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。 遠州三十三観音霊場めぐりの18番札所だからでしょうか?紅葉の時期だったからでしょうか?訪れた12月初旬はかなりの人で賑わっていました。 なんと!平安時代の984年(永観2年)開創当時に、福王寺での陰陽師安倍晴明の御祈祷によりとてつもなくなかなか治まらなかった暴風雨が鎮められ、以来山号も「風祭山」と称するようになったそうです。その時の御祈祷の旧跡が境内の西の小高い処に今も苔むして残り、毎年3月8日に風祭りの行事がおこなわれていると聞きます。
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの地は静岡県磐田市鎌田の『鎌田神明宮』です。鎌田神明宮が武田信玄に焼き討ちにあった際には、徳川家康によって手厚い寄附を受け復興したといいます。 また、武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っているそうです。 最近気づいたのですが、たしかに徳川家康が29歳から45歳まで過ごしただけあって浜松にもゆかりの場所はたくさんあります。 ですが、お隣の磐田はなんといっても石器時代、縄文時代から人々が生活していた場所です。家康が活躍する時期にはすでに援助が必要な寺社も多かったと思われますので、今後は浜松に限らず”遠江”の家康ゆかりの地もどんどん訪ね歩こうと思っています。 こちらの『鎌田神明宮』は、御厨(みくりや)地区の総鎮守(総社)で、農業関係の神として信仰を集め、社殿には多くの鎌が奉
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の家康公ゆかりの地は、静岡県磐田市鎌田にある真言宗智山派の『鎌田山金剛院醫王寺(かまださんこんごういんいおうじ)』です。ご本尊は薬師如来で遠江薬師霊場第四十六番札所にもなります。 家康公ゆかりなのはどうして?と思われるでしょう。それは、元亀3年(1572年)のあの有名な『三方原の戦い』でのこと。武田信玄勢の兵火にかかり、こちら醫王寺の伽藍はことごとく焼失したのですが、そこで、のちの天正12年(1584年)、徳川家康は兵火による焼失をいたく惜しまれ、自ら浄財を出して再興を援助されたのでした。 現在の醫王寺(医王寺)は、約8000坪もの平地に”いにしえ”を感じさせてくれる客殿や庫裡が続き、参道には石畳が敷き詰められ「東海の苔寺」といわれるだけあって、スギ苔が発しているであろうマイナスイオンをたっぷりと味わうことができま
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りに訪れたのは『初山宝林寺(しょさんほうりんじ)』です。特に家康ゆかりのお寺ではないようですが、徳川家康により姫街道の取り締まり強化のために設けられた『気賀関所』や『気賀宿』、さらに家康による遠州侵攻で1000人もの人が亡くなった「堀川城の戦い」の舞台となった『堀川城跡』が残る浜松市北区細江町のお寺です。 大河ドラマ『おんな城主直虎』では、領主となった直虎公に今川氏真から「徳政令発布」の命が下ります。それを直虎公は、知略を駆使して2年以上にわたって食い止めました。その支えになったのは豪商・瀬戸方久。そのゆかりの地にある古刹が、こちらの『初山宝林寺』です。 最近は地元のメディアなどで金運アップのお寺さんとしても有名と聞きます。というのも、初山宝林寺には、叩くと澄んだ音が鳴る『金鳴石(きんめいせき)』があり、金が鳴
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの地は、静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶の『摩訶耶寺』です。 なぜなら、摩訶耶寺の『高麗門』は、徳川家康が浜名湖畔に船入できる水城として築城した同じ三ヶ日町の『野地城(のじじょう)』が廃城になった時に、当地の領主であった近藤用高の手配により、山門として移築されたといわれているからです。 こちらの摩訶耶寺の周辺もさすがの三ヶ日ということで、今の季節(11月下旬)はみかんが鈴なりです。あたり一面オレンジ一色に染まっています。あまりの重たさに地面に着地してしまっているみかんもあって、かわいそうで食べてあげたくなります。 摩訶耶寺は奈良時代開基で1300年の歴史を持つ古刹です。平安時代の様式をもつ日本の中世を代表する静岡県最古の摩訶耶寺庭園。さらに国の重要文化財に指定され子育て観音として信仰を集める『木造千手
こんにちは!sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今年こそ秋を満喫しよう!と、あのいつまでも暑い夏を耐えながら考えていたのに、なんと秋をすっ飛ばしていきなり真冬がやってきてしまった2023年の11月です。 それでも、まだ訪れきれていない浜松市内や磐田・湖西などの徳川家康ゆかりの地を今回も訪ねています。 今回は徳川2代将軍秀忠の産土神として現在の場所に遷座された『五社神社・諏訪神社』ではなく、そのすぐ裏手にある『心造寺』にお参りしてきました。 すでに何度も訪ねている『五社神社・諏訪神社』は、朱色が映える豪華なイメージですが、こちらの『心造寺』はかなり対照的でこじんまりとしたクールなイメージです。 『五社神社・諏訪神社』は2代将軍秀忠の産土神として、徳川家康の命で浜松城内から現在の地に遷座したとされる、徳川家の歴史と関わりの深い子育て神社でした。11月は七五三詣りで訪れる
<PR> 🕖2023/10/23 🔄2023/11/22 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 長く続いた厳しい暑さのせいでしょうか?秋の訪れが待ち遠しかった人々の願いがあまりに強かったのか、小さな秋を見つける暇もないほど大急ぎで本格的な冬を迎えそうな令和5年10月下旬です。 おせち料理やクリスマスケーキの予約も始まりましたし、そろそろ新しく迎える令和6年の話をしてもきっと鬼も笑わないでしょう。 令和6年は『金運降臨の年』ということで、これまで以上に金運アップを目指す人々、もちろん私を含む欲深き人々にとって最高の年になるといわれています。 なぜ『金運降臨の年』かといいますと、令和6年は干支の「甲辰(きのえたつ)」と九星の「三碧木星(さんぺきもくせい)」が重なる年になります。 「甲」は大きく育つ大樹を意味しており、「木」の気を持つ「三碧木星」と合わさ
<このブログにはプロモーションが含まれています> こんにちは!お久しぶりのsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 7月~8月は多分熱中症対策のためでしょうが『さわやかウォーキング』が休止中だったこともあり、暑さに弱いアラ還の私はクーラーと仲良くひっそりと引きこもっていました。 なのですが、記録的に暑かった今年の夏(毎年言ってない?)も少しずつ暑さも和らぎ、念願の『さわやかウォーキング』も再開しました。そろそろ、このアラ還日記もGWにでかけ想像を超えるスケールが印象的だった『横須賀城跡』の記事から再開していこうと思います。 静岡県掛川市にある『横須賀城跡』は、レトロな街並みや、三熊野神社大祭で知られる遠州横須賀に残されています。 徳川家康が『高天神城』攻略の起点とした『横須賀城』は、現在当時が偲ばれる石垣、堀、土塁なども残り、公園として整備されています。三層四階だった天守
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりのお寺は、38歳で生涯を閉じた築山御前が眠る『西来院』から歩いて約5分と近い『宗源院』です。こちら『宗源院』の東南一帯にある的場で、浜松城にいた頃の家康公は弓の稽古に励んだといいます。 たぬきおやじと称されることが多い家康公ですが、実は「海道一の弓取り」(東海道一の優れた武士)と呼ばれ、毎日弓を引くことを死ぬまで続け、鉄砲の腕と同様に、射芸も優秀だったと伝わります。きっと、こちらでの弓の稽古にも熱が入っていたことでしょう。 『宗源院』は普済寺13派のうちに数えられる歴史の古い寺院で、境内には三方ヶ原の戦いの際に奮戦し討死した成瀬正義や外山小作、遠藤右近など徳川方の武将のお墓があります。また、今川義元ら直筆の市指定文化財『今川公判物』も保管されているそうです。 歴史の古い『宝蔵山宗源院』本堂 『宗源院(
<このブログにはプロモーションが含まれています> こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりのお寺は、静岡では最も西の湖西市の市役所付近にある『妙立寺』です。 三河一向一揆の鎮圧後、三河統一を果たした徳川家康の来攻に備えるために、1567年(永禄10年)、今川氏真は宇津山城(入出)に加えて、その南方に国境防備の城、つまり『境目城』(吉美)の築城を始めます。 この境目の城『境目城』こそが、こちらの『妙立寺』の寺域を接収して作られたお城なんです。 『境目城』の遺構の大半は鉄道建設用として取り崩され、現在は宅地や畑になり、南西部の一角のみ当時の面影を残しているといいます。また、城址の一角の竹林の中には『妙立寺奥の院』があるそうで、せっかくなら訪ねてみたかったのですが、竹林いわゆる竹やぶが恐ろしくて、気の小さい私は行けませんでした。 そして、翌年、今
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 湖西市にある文晁寺(ぶんちょうじ)とも呼ばれる『本興寺(ほんこうじ)』はとにかく広くて静かできれい。山門までの参道はまっすぐと伸び、参道脇に植えられたツツジ、公園の桜などのシーズンは、お花見のために訪れる人々も多く賑わいが増えると聞きます。 私がこちらを訪れた4月中旬は、まぶしいほどの新緑が陽の光に映えてキラキラしていました。ツツジも暖かすぎる春にGWを待てずに満開でしたし、青もみじには心癒やされまくりでした。今ならくちなしの花が香っているかも!? さらに、文化財の宝庫というだけあって、国の重要文化財の本堂をはじめ、惣門、客殿、大書院、さらに大小の堂宇が木立の中に佇み、たくさんの国・県・市指定の重要な文化財を見ることができました。 『本興寺』も、もちろん家康公ゆかりのお寺で、1572年(元亀3年)徳川家康から御朱印地を受
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日、いつもの「さわやかウォーキング」でバラの丘公園のコースに参加、途中かなりの急坂を登り『白岩寺(はくがんじ)』に立ち寄りお参りしてきました。が、そこで、いくつかの不穏なことばを耳にして、ゾッとした経験を書いていきます。 トレッキングシューズを履き、服装や帽子から「さわやかウォーキング」常連と思われる50歳代の女性は、「幽霊」「掛け軸」「たたり」などの言葉を発しながら、笑顔で本殿らしい建物の前を行ったり来たりしていました。お連れ様もいらっしゃるようで「おかしいね」「今回は残念だ」と話しかけています。 ちょっと怖いんですけど!幽霊が出るの?なんなの?と思いつつも、境内の景色の良い場所で友人と放しながらおにぎりをいただくと、そんなことはすっかり忘れ、その後のウォーキングを楽しみ無事に帰宅しました。 帰宅後ふとした瞬間に「幽
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 静岡県島田市金谷に今も残る「旧東海道」金谷坂の石畳をご存知でしょうか? 現在のJR金谷駅の南にある金谷峠は当時、「東海道の難所」として知られていました。金谷坂の石畳は、文政年間(1818~1829)、近隣の住民が滑り止めの山石を敷き並べた坂で、幕府が歩きやすいようにと命じ作らせたといいます。 この歩きやすいようにと作られた「石畳」ですが、実際に坂道を登ってみた現代人の私には、坂道だから当たり前ではありますが、かなりしんどく感じられました。 当時の東海道はそれはそれはたくさんの人々が行き交っていたはず。それなのに歩きやすくした道がこの程度だと、おそらく人々が普段歩いていた道は、かなりぬかるみ、石などもゴロゴロとし相当歩きにくかったのでは?と想像しちゃいました。 現代の道路はすっかり舗装され、安全のための信号や歩道橋が整備さ
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回も浜松から飛び出して、同じ静岡県の藤枝市にある『鬼岩寺(きがんじ)』について記事にしていきたいと思います。 さわやかウォーキングで「藤まつり」が開催されていた蓮華寺公園のコースで立ち寄っ『鬼岩寺』なんですが、最初は「おにいわてら」っていうくらいだから、きっと群馬県の『鬼押出し園』のように岩がゴツゴツしているんだろう?と思っていたら、大間違い! 読み方は『きがんじ』でしたし(笑)境内はとても広く、鬼が爪を研いだ跡といわれる「鬼かき石」が安置され、「黒犬伝説」と、神犬「クロ」を祀る『黒犬神社』があります。 『黒犬神社』のお社の中にはかわいらしい黒犬のぬいぐるみが祀られたり、『黒犬伝説』では愛知と長野と隣接する浜松市の北部の「春埜山」の狼犬が登場したりで、広い境内の中をワクワクしながらお参りして回ることができ、想像以上に楽
🕖2023/05/29 🔄20211/21 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回はお茶畑の新緑が目にやさしい牧之原台地にあり、この地域を治めていた豪族・勝間田氏が15世紀中頃に築城したと考えられる『勝間田城跡』を訪ねてみました。 この『勝間田城』ですが、「お城として牧之原市で1位、静岡県で7位の観光名所」なんていう文言をネット上で発見してからというもの、実は私ったら興味津々だったのです。 ただ、いつものさわやかウォーキングの『島田市ばらの丘公園散策と、蓬莱橋ぼんぼり祭りを訪ねて』のコース約10.5kmを、約4時間半をかけて歩いてからだったので、急な勾配の坂はきつかった!見どころは「五重の堀切跡」で、もこもこと五重になっている堀切は初めて見ました。 梅雨入する前の青空の下、戦国時代以前の原型を残した山城を、自然を満喫しながら歩くことができるなんて、
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『sannigoのアラ還日記』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く