審判論に関するasamaruのブックマーク (1)

  • [裏方NAVI]林清一(日本野球連盟国際審判員)<後編>「“名前を覚えられない”のが名審判」(スポーツコミュニケーションズ) @gendai_biz

    「六大学の審判員をやってくれないか」 早稲田大学野球部の先輩からそう言われたのは、林清一が31歳の時だった。早稲田実業高校、早大、大昭和製紙と野球を続けてきた林だったが、きっぱりと野球から身を引き、家業を継ごうと東京に戻ってきた矢先のことだった。一度は断ったものの、「やってみるか」と軽い気持ちで引き受けた。その時はまさか、27年も続けることになるとは……。そして審判がいかに激務であるか、まったく予想していなかったのである。 林が自分の考えが甘かったということに気づくのに、そう時間はかからなかった。 「実は、審判員なんて簡単にできるだろう、と思っていたんです。ところがいざやってみると、難しいの何のって。それこそ最初は、打球を見失ったこともありました。気づいた時には野手のグラブに収まっていたり……。そうすると、スタンドから『林! 下手くそ!』って怒鳴られるんです。いやいや、恥なんてものじゃない

    [裏方NAVI]林清一(日本野球連盟国際審判員)<後編>「“名前を覚えられない”のが名審判」(スポーツコミュニケーションズ) @gendai_biz
    asamaru
    asamaru 2014/05/28
    いずれスポーツ審判論と裁判官論を一度検証してみたい。「名前が覚えられないのが命審判」と、日本の「名もない顔もない司法」(ダニエル・フット)
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