タグ

増田と家族に関するataharaのブックマーク (7)

  • 自宅で看取るのが自分には辛かった話

    父方の祖母が亡くなって数年経つのだけれども、未だに亡くなる前夜のことを忘れられなくて軽めに死にたくなったりするのでとりあえず書いてみようと思う。 一人暮らしで、痛いのずっと我慢して、病院に行った時にはもう手遅れだったんだよ、癌だった。みんなに心配かけるからってずっと痛いの我慢して、結構怒っちまったんだ。なんで言わないんだよって、でもまあ分かるんだよね。そんで困ったみたいな顔でニコニコしてる、わたしのおばあちゃんはそういう人でした。 そこから結構頑張ってくれて、もしかしたらもう癌なんて嘘みたいになくなってて、わたしが風邪引いて熱出して一週間くらい寝込んだ時にうどん作りに来てくれて部屋まで運んでくれたりなんかして、この先あと五年くらい穏やかにいつも通りに生きてくれるんじゃないかなって思ってたんだけどそうはいかなかったね。 煮てくれたうどんべてわたしが復活したのと入れ替わるくらいのタイミングで

    自宅で看取るのが自分には辛かった話
    atahara
    atahara 2018/09/19
    大切な事を教えてくれてありがとう。
  • 兄に結婚がバレて、その後

    兄に結婚がバレた https://anond.hatelabo.jp/20180511170729 結婚を兄に知られて、逃げるように実家を後にした。帰宅後父から連絡があり、次の週末に話し合いの場を設けることになった。今回は両親が東京に来た。 家には上げたくなかったので、二人とは外で会うことにした。夫も同席してくれた。 両親は平謝りだった。先日は「あなたのお兄ちゃんなんだから」と繰り返していた母も、いたく反省した様子だった。小さくなってうつむく母の姿を見ると心が傷んだが、私はもう決めていた。「しばらく実家とは距離を置きたい」「兄だけじゃなく、両親とも」「結婚式はやめにする」「二人で写真だけ撮る」。 母は静かに泣きだした。ごめんごめんと謝り続ける(何を?結婚をバラしたこと?その後のこと?それとも育て方を間違って?あるいは産んで?兄を?私を?)母と向き合っていると、悲しいような辛いような、怒りの

    兄に結婚がバレて、その後
    atahara
    atahara 2018/07/01
    増田のお幸せを祈ってます。
  • 兄に結婚がバレた(後日談)

    ブサイクで半引きこもりの大嫌いな兄に結婚がバレた。母親がバラしてた。 前も書いたけど兄とは昔から仲が悪くて、向こうはおおっぴらに、こっちは内心で、見下し合う関係だった。 https://anond.hatelabo.jp/20180208001956 連休に実家に帰った。少し早めについたからか、母は買い物に出ていた(父は朝からゴルフ)。その代わり、兄がリビングのソファを陣取っていた。私の帰省を聞きつけたからだろう。 ま〜ん(笑)なんて言葉を実際に口に出す人間を、私は兄以外に知らない。ひと通りの嫌味(兄的には論破なのかな)の締めは、いつもなら「お前には結婚は無理w」ってやつなのに、今回は「底辺男の寄生虫」になっていて、母が喋ったんだと悟った。これを言いたくて兄は私を待っていたんだろう。ちなみに兄が言う寄生虫は専業主婦を指すが、私は仕事を辞めるつもりはない。 つばを飛ばしながらのマシンガントー

    兄に結婚がバレた(後日談)
    atahara
    atahara 2018/05/12
    もう増田はご実家とは関わらなくていいと思う。夫さんとお幸せに。
  • アルコール依存の親父を強制入院させた

    先日親父を力づくでアルコール依存の病院に入院させた。 国立大学卒業している親父は知的で落ち着いた性格だ。 商売は得意ではなかったが学問を愛する人だった。 家はそれほど裕福ではなかったが喧嘩はまったくない平和な家族だった。 僕が結婚して、子どもが生まれ、中古の一軒家を購入。 当時、賃貸に暮らし商売がうまくいかなくなっていた親父とおふくろを呼んで同居することに このときは親父がアルコール依存症なんて知らなかったし アルコール依存がどんな病気かも全く知らなかった。 一緒に住みはじめて1年で親父は救急車で運ばれた 原因は栄養失調 しかし栄養失調の原因は酒でべ物を受け付けない状態になったことだ。 この時はじめてアルコール依存症であると分かり 病院に通うことになる。 当時の親父はまだ理性的だったし 僕も仕事が忙しく子どもが生まれたばかりでアルコール依存について勉強することもなく お袋にまかせていた。

    アルコール依存の親父を強制入院させた
    atahara
    atahara 2018/04/24
    既に挙げられている吾妻ひでおのアルコール依存症の作品を見ても分かるが、入院は解決ではなく最初の一歩。お母様含めご家族で充分に話し合って認識を一致させて、お父様のご病気に対応されますように。
  • 母が新興宗教にハマり母の彼氏に死ねと言われた

    2年ほど前の春に父親が病気で亡くなった。どんどん筋肉が無くなっていく病気だった。 私は母が心配だった。 1番下の娘(私)は県外の大学に進学したばかり、長年連れ添った夫とも死別し、母(私からするとおばあちゃん)も病気で、長女は(私の姉)精神障害で手がかかる。長男は仕事が忙しいようであまり家に帰らないしご飯もお家でべることは少ない。ただ、次男は色々話してくれるし色々聞いてくれる。 こんな状況の母が心配だった。 当は地元には帰るつもりはなかったけど、大学を卒業したら地元に帰った方がいいかもなと思った。 2017年の夏、母からメールが届いた。 「お母さん、彼氏できたんだけどどう思う?」 私はびっくりした。正直少し複雑な気持ちだったけど、母が幸せなら良いと思った。ずっと心配だったから、そういう存在ができて良かったと思った。 そして4ヶ月ほど前、名字を私の旧姓に戻さないかという旨の電話が母からかか

    母が新興宗教にハマり母の彼氏に死ねと言われた
    atahara
    atahara 2018/01/04
    一番良いのは、大学を卒業するまで学費と生活費を受け取り、卒業後はお母様とは一切連絡を取らない事だ。お母様は既に増田とは別の人生を生きている。
  • 親に結婚させられた

    21歳の時、つまり大学在学中のときに親に結婚をしろと命令された。 もちろん嫌だったけど小学校から中学、高校大学と進路先まで親に決められてきたし、反発しても仕方ない家族だということはわかっていた。 中学生のときは親に支配に反発して家を飛び出したりもしたけど、その度に自分で道を決めるのは無理なんだって思い知ってきた。 もう小さな反発心だけが心残りだったけど、ほとんど不自由なく幸せに毎日を過ごせてきた。つまり慣れた。ずっと親に決められたことに反発心を持ちながらも慣れることで適応してきたように思う。 親に大学を決められた時は何も思わなかった。それこそ小学生の最初の頃からそこに行くと決められていたし、それが自分の目標だと思っていたから。 それでも大学生になって一人暮らしを始めると楽しかった。もう8時までに寝なくてもいいし、門限も守らなくていい、開放されたんだって思った。 だけど、その日母親から電話が

    親に結婚させられた
    atahara
    atahara 2017/08/15
    与えられた幸せに感謝する姿は美しいよ。人は意外と不自由なものだからね。 ただ子供の自由はできるだけ確保してあげてほしいと思う。増田は子供を愛してあげられるかな。
  • 実家を大掃除した

    諸用あり帰省した。 祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機のチケットを買った。 「実家で羽を伸ばしてきてね」 という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着ける場所は、もはや東京都北区6畳ワンルームの寝床のなかだけな気がしていた。 家族はあまりきれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから、実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。 けれども実家がゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分が関東の大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまりは自分のせいだ。 学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子をべたあとのごみがうず高

    実家を大掃除した
    atahara
    atahara 2017/08/15
    増田が与えられる人から、与える人になったんだね。増田の存在はきっと、ご両親の希望になったよ。
  • 1