東京都千代田区一番町の英国大使館跡地から弥生時代の集落跡が見つかったことが千代田区への取材で分かった。見つかったのは三菱地所レジデンス(東京都)などが再開発を進めている土地で、縄文時代のものも含めこれまでに竪穴住居跡が28棟確認された。ただ、遺跡として現地に残すことは難しい見込みで、調査後に埋め戻されてマンション建設が始まる予定。現地説明会も開かれない。都心における遺跡活用の難しさを改めて浮き彫りにした。 千代田区などによると、10月下旬までにこの土地で見つかった弥生時代後期前半(1~2世紀)の竪穴住居跡は21棟。縄文時代のものも3棟あり、そのうち1棟には貝が残っていた。時期が不明の竪穴住居跡も4棟あった。弥生土器や縄文土器も出土し、近世の上水木樋(もくひ)や井戸、地下室なども確認された。 調査は2024年3月まで行われる。調査対象となった約7700平方メートルのうち、まだ約3700平方メ
「市民への公開が望ましいケース」と専門家指摘と報じる デジタル版では、「街にコストコ来る 急いだ開発、市は見つかった遺構を公開せず埋めた」と題し、2023年11月10日付記事を配信した。 記事によると、県内初のコストコが市と協定を締結した市有地で24年度にオープンする予定で、南アルプス市教委による予定地の遺跡発掘調査で、弥生時代中期から近代まで約2000年間の遺構や遺物が連綿と見つかった。「甲斐源氏」と呼ばれる源氏の一門につながる可能性がある居館などもあったと推定されたという。7月に市議向けの現地視察を行ったが、一般市民向けの現地説明会は開かれないまま、同月末に調査を終えて埋め戻されたとした。 開発を優先して、通常は数年かかる調査が人員をかけて10か月で行われ、現地説明会の時間が取れなかったというが、「市民への公開が望ましいケースだった」などと専門家が指摘していると報じている。 この報道に
ことし4月、宮崎市の遺跡の発掘現場で土砂が崩れ、作業中の職員が土砂に巻き込まれた事故を受けて、市は現場に掘削の専門家を配置することなどを盛り込んだ新たな基準を設けました。 ことし4月、宮崎市浮田の遺跡の一部の発掘現場で、土砂が崩れ、作業中の宮崎市文化財課の男性職員が土砂に巻き込まれて、今も意識不明の重体となっています。 これを受けて有識者などで作る外部検証チームが、事故の状況などについて報告書をまとめました。 それによりますと事故当時、職員は、幅1.1メートル、深さ1.4メートルの穴の中で作業をしていたところ別の作業員が重機で掘削中に壁の土などが崩落し、400キロ近くの土砂が直撃したということです。 再発防止を図るため市では、現場に国家資格をもつ掘削作業に精通した職員を配置すること、ひとりで作業時間を作らないようにすること、それに掘る穴の形状や大きさの目安などを盛り込んだ新たな基準を設けま
一昨年4月に発売された『土偶を読む』。考古学の実証研究とイコノロジー研究を用いて、土偶は「植物」の姿をかたどった植物像という説(と主張する)を打ち出した本書は、多くの著名人やメディアの後押しもあり版を重ね、学術書を対象にした第43回サントリー学芸賞をも受賞しました。 次の年には子ども向けの『土偶を読む図鑑』(小学館)が出版され、こちらは全国学校図書館協議会選定図書にも選定され、小中学校の図書館にもこの図鑑が公に推薦されることになりました。 しかし、その論証や説には大きな疑問があり、編者である僕、望月昭秀は研究者の皆さんと今年の4月28日に『土偶を読むを読む』(文学通信)を出すに至りました。 『土偶を読むを読む』の内容を超簡単に言えば、「『土偶を読む』での論証は皆目見当違いで破綻しているし、縄文研究ってもっと全然深くて面白いよ」という内容です。 討論会の打診 『土偶を読むを読む』の発売前に、
弥生時代の大規模な環ごう集落の跡が残る佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、弥生時代後期のものとみられる墓の一部が出土し、専門家は「かなり身分が高い人の墓の可能性が高く、さらに調べれば歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」と話しています。 吉野ヶ里遺跡では、歴代の王の墓とされる「北墳丘墓」のすぐ西側にあり、貴重な発見があるのではと注目されながら手付かずだった「謎のエリア」と呼ばれる場所で去年から、10年ぶりとなる大規模な発掘調査が行われています。 この調査で先月、4枚の平らな石が並んだ状態で見つかりました。 4枚を合わせると全長は2メートルほどになり、調査を行っている佐賀県によりますと、墓の「ふた」だということです。 弥生時代後期、1世紀から3世紀ごろの有力者の墓のふたとみられ、表面には「×」のように見える線が交差した記号のようなものが無数に刻まれていて、埋葬した際に何かしらの意図を持ってつけ
ノアの箱舟を描いた絵。旧約聖書にあるこの物語は、何世代もの画家たちを魅了してきた。それにとどまらず、伝説の舟の遺物を見つけようとする「科学的な試み」も100年以上にわたって行われている。(PAINTING BY SIMON DE MYLE VIA FINE ART IMAGES/HERITAGE IMAGES/GETTY) 旧約聖書の中でも、特に魅力的でよく知られているのが「ノアの箱舟」の物語だ。神は、自ら創造した人間に怒りを覚え、すべてを一掃すべく大洪水を起こした。しかし、族長ノアとその家族は、地上のあらゆる動物のつがいとともに巨大な木造の舟に乗り込み、その大洪水を生き延びた。 聖書には歴史的事実が正確に記述されていると考える人々にとって、同じく魅力的なのが、箱舟の考古学的な証拠探しだ。信仰心のあつい人々の中には、箱舟の到達地とされるトルコ東部のアララト山などをくまなく探す人もいる。 そ
東近江で発見 「現存は貴重」 市など調査へ 東近江市五個荘竜田町の工事現場で、旧日本陸軍の三式戦闘機「 飛燕(ひえん) 」のものとみられるエンジンが見つかった。市民グループ「東近江市戦争遺跡の会」と市が詳しい調査を行う方針で、25日、エンジンが市内の別の場所に移された。(中村総一郎) 飛燕のものとみられるエンジン(東近江市で) 飛燕は川崎航空機工業(現・川崎重工業)が開発し、1941~45年、約3000機が製造された。旧日本軍の飛行機の多くが「空冷式」のエンジンを搭載する中、飛燕は「液冷式」を採用する数少ない飛行機だという。 東近江市内で掘り出されたエンジンは、前方から見た奥行きが約150センチ、高さと幅は各約80センチ。1月下旬頃、地中30~40センチに埋まっていたのを工事中の作業員が発見し、地元住民が市に連絡した。 市戦争遺跡の会のメンバーが現物を確認し、「飛燕のエンジンでは」と指摘。
茨城県那珂市の下大賀遺跡で、平安時代の竪穴住居跡から発掘された石器に、人の顔が彫られており、注目が集まっている。発掘調査を担う県教育財団によると、かまどでかめを安定させる支脚。人物画を描いたのが見つかった例は珍しく、石製では全国初。絵は人の命をつかさどる「かまど神」の可能性があり、当時の信仰の様子を知る手がかりにもなりそうだ。 支脚は、かまどで煮炊きするかめを固定して載せるための道具。土製が多いが、良質な石材の産地の茨城県北部では石製が使用されていたとされる。人を描いた支脚のうち、千葉県酒々井町と埼玉県深谷市の2カ所で見つかったのは、いずれも土製だった。
当センターでは、発掘調査での三次元計測の利用について研究・実践を進めていて、前回は出土品の計測についてご紹介しました。 今回は発掘調査現場での三次元計測についてご紹介したいと思います。 発掘調査の現場では、昔の人々が地面に残した生活の痕跡や、遺跡がどのような過程を経て埋まったのかを図面で記録します。図面は現地で対象物の大きさを測って縮尺に合わせて描くのですが、遺物が大量に出土したところや、木材などが組み合わされた遺構などを図化するには時間がかかります。また、平面図の場合は図面に描かれたものの高さを別途計測する必要があります。 発掘現場での三次元計測は、最大4.5mまで延びるポールの先端にデジタルカメラを取り付けて、少しずつ移動しながら対象物全体を写真撮影して、コンピュータで解析します。 発掘現場での写真撮影のようす できあがった三次元モデルを使えば、対象物を真上から見たオルソ画像(レンズの
『土偶を読む』という本が話題だ。発売前からNHKに取り上げられ、SNSではここ数日、「土偶の謎がわかった!」、「土偶って植物だったんだ」、「すごい」という声が溢れている。アマゾンの本のランキングでも今見たら品切れ状態で5位。坂道シリーズの写真集くらい売れている。そんな本を今から「くさす」のはなかなか勇気がいることだ、しかし、売れてなかったらわざわざ触れたりしなかっただろう。 当初は期待していた。人類学者が考古学の知見を得て「土偶」を読み解くのは「新しい角度」だ。こういうのは大好きだし、縄文時代は従来の考古学とは違う視点を持った様々なジャンルから読み解くべきだと、以前からずっと思っている。 さらに、この本が出る1,2年ほど前に、著者の竹倉さんの熱烈なサポーターのような方から、竹倉さんの講演を聴きに来ませんかと連絡が来たこともあり(日程の都合で行けなかった)、その熱量がすごくて、そこまで言うな
縄文時代に作られた土偶は、女性や妊婦をかたどったものだ、というのが多くの人の認識だろう。「そうではない」という驚きの新説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。では、土偶は何をかたどっているのか? その結論に至った過程と具体的な土偶の解読内容を前後編でお送りする。(JBpress) ※土偶(どぐう)とは:縄文時代に作られた素焼きの人形。1万年以上前から制作が始まり、2000年前に姿を消した。現在までに2万点近い土偶が発見されている。なお、埴輪(はにわ)は、古墳にならべるための土製の焼き物。4世紀から7世紀ごろに作られたもので、土偶とは時代が異なる。 (※)本稿は2021年4月に発行された『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(竹倉史人著、晶文社)より一部抜粋・再編集したものです。 ついに土偶の正体を解明しました。 こういっても、多くの人は信じないだろう。というのも、明治時代に
学生時代と求職活動中に何度か遺跡発掘のアルバイトをしていました。 楽しくて貴重な経験ができる上に、どちらかといえばコミュニケーションが苦手で働くのがつらい人に向いているにも関わらず、世間にはあまり知られていないであろう遺跡発掘のアルバイトについて書いてみます。 遺跡発掘アルバイトって? 読んで字の如く遺跡を発掘するアルバイトです。正確には「埋蔵文化財作業員」などと呼ばれてます。ただ、一般的にイメージされる有名な古墳や城跡の発掘は大学や研究機関のプロが中心となって行うので、素人のアルバイトごときにはやらせてもらえません。我々の担当は縄文時代の小さな住居跡とか、ゴミ捨て場とか、そういう世間一般ではマイナーなやつです。地方自治体の教育委員会や文化財課が管理してる場合が多いです。 ちなみに日本では毎年7000件以上の遺跡が発掘されていますが、これは文化財保護法で「遺跡を発見したら調査して記録を残さ
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