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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (23)

  • 取引みたいなコミュニケーションは、誰にとって都合良いのか - シロクマの屑籠

    今、研修医時代ぐらい忙しくて生きた心地がしない&働きすぎで急速に老け込みそうだと感じていますが、そうしたなか、書評のお仕事をいただきました&こなしました。 gendai.media 書評させていただいた作品は村雲菜月さんの『コレクターズ・ハイ』。上掲リンク先にも書いたように、コレクション大好き系のオタクの物語だと決めてかかると足元をすくわれる思いがするかもしれません。 コレクターズ・ハイ 作者:村雲菜月講談社Amazon 作品にどのようなメッセージが含まれているのか。これは読み手次第でしょうけど、私には、以下のポイントが刺さりました。 1.たとえばキャラクターグッズをコレクションしている時、私たちはどこまで癒されていて、どこまで行動嗜癖的に病んでいるのか 2.資主義の商品を作ったり、資主義の商品そのものになったりして疲れ、傷ついている私たちが、それを癒す際にも資主義の商品に依存し、と

    取引みたいなコミュニケーションは、誰にとって都合良いのか - シロクマの屑籠
    miwa84
    miwa84 2024/05/14
    キャバクラやホストクラブも、客と従業員だもんなーコミュニケーションも金がかかる。/ "家庭的な"サービスでなく、家庭や家族にそのうち回帰していくのかな
  • 「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠

    今の10代の人の間で、「ゼロ年代のいにしえのインターネットへの憧れ」がそこそこ共有されているっぽいのに最近気づいてる— highland (@highland_sh) 2023年12月18日 highlandさんの上掲投稿を見かけて、その少し前に読んだ00年代のブロガーの文章を連想せずにはいられなかった。 amamako.hateblo.jp gothedistance.hatenadiary.jp 未経験な世代の憧れを牽引し、その時代を経験した世代も懐古的に当時を語る、その00年代のインターネットとはどういうものだったのか? 私も思い出したくなったので少しだけ書く。 「当時のインターネットは良いことづくめじゃなかった」という一面 この問題について、同じくhighlandさんは絶対に無視できない一面にも触れている。 おもしろい個人サイトとか、フラッシュ動画とか、2ちゃんの面白コピペとか見て

    「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠
    miwa84
    miwa84 2023/12/21
    ネットはフォーマル寄りな言説空間にもなっていき世間的にも政治的にもなっていった。TVにSNSの投稿がバシバシ流れるようになったのもその頃か。/政治家や自治体がSNSでアカウント持って発信してるんだもんなー
  • ゲームで自分を治す人々と、自分のためのゲーム/世間から逃れるためのゲーム - シロクマの屑籠

    ※前半の「ゲームで自分を治す人々の話」は無料です。後半の「自分と戦う依存症と世間と戦う依存症」は、読者を絞りたいので有料です。 ohtabookstand.com 松俊彦先生の記事はいつもすごく面白い。ご自身もニコチン依存的である先生の記事には、依存症についての独特の「雰囲気」がある……などと言葉を飾らず主観を述べてしまえば「わかってくれている」感じがある。これは、松先生がハームリダクションという、「ダメゼッタイ」ではなく「折り合いをつけながらなんとかやっていこうぜ」寄りのアプローチを唱道していることとも関連しているんだろう。 松俊彦先生のめちゃくちゃ面白いエッセイ『誰がために医師はいる──クスリとヒトの現代論』には、駆け出しの精神科医だった頃の「ダメゼッタイ」にまつわる苦い思い出話が登場する。 誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論 作者:松俊彦みすず書房Amazon 「と

    ゲームで自分を治す人々と、自分のためのゲーム/世間から逃れるためのゲーム - シロクマの屑籠
    miwa84
    miwa84 2023/10/01
    "300円だけ持ってゲーセンに行き~ゲームを命綱にしていた。 プレイし続け、腕を磨くなかで集中力の緩急を随分学んだ。 二時間ほど遊んだらぱたりとゲームをやめる。 "この辺が依存症か否かの境界か。制御できてる。
  • どんな人が・なぜ身体拘束の対象になっているのか──疾患分類からみえること - シロクマの屑籠

    東京新聞の記者が日精神科病院協会(日精協)の会長にインタビューした記事が掲載されていた。 www.tokyo-np.co.jp この記事は、精神科病院での身体拘束を問題視し、その必要性を述べている日精協会長の発言まで問題視するもののようにみえる……が、あまり迫力ある主張になっていなかった。 これは、精神保健指定医である私が見てそう感じただけでない。個人の自由を尊重する価値観の多いはてなブックマークのユーザーの反応も、そのようなものだった。 [B! 医療] 身体拘束「なぜ心が痛むの?」「地域で見守る?あんた、できんの?」精神科病院協会・山崎学会長に直撃したら…:東京新聞 TOKYO Web この、はてなブックマーク上の反応をみる限り、多くの人は事態がそれほど単純ではないことを見抜いている様子だった。 身体拘束をはじめとする行動制限については論点がたくさんあり、全てを論じようとすれば一冊の書

    どんな人が・なぜ身体拘束の対象になっているのか──疾患分類からみえること - シロクマの屑籠
  • 「推し」とナルシシズム - シロクマの屑籠

    推しの子】 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) 作者:赤坂アカ,横槍メンゴ集英社Amazon 最近、いや数年前から「推し」という言葉をよく耳にする。10~25年以上前にオタク界隈で流行っていた「萌え」に比較すると、「推し」には公言しやすさがあり、あしざまに言われることは少なく、より広い範囲で用いられているようにみえる。そして不特定多数と一緒にキャラクターやタレントを応援すること、ひいては「推し」にお金や時間や情熱をつぎ込むことが良いことのように語られている。 いつの頃からか、時代の合言葉のようになった「推し」。 では人はなぜ「推す」のだろう? もちろん「推し」などと言わなくても、昔から芸能界のファンには「推し」とよく似たことをやっている人々が存在していた。さまざまなジャンルの愛好家にもいただろう。ではなぜ、今、「推し」が時代の寵児のように語られているのだろう? そのあたりも含

    「推し」とナルシシズム - シロクマの屑籠
    miwa84
    miwa84 2023/06/15
    所属欲求、そして理想化自己対象、双子自己対象、ナルシシズムの成熟の問題か。しっくりくる。そういえば『おっかけ』『ファン』って使われないフレーズになったな
  • メディア。承認欲求。社会的成功。 - シロクマの屑籠

    今日、当に理不尽で、無茶苦茶で、不合理で、納得いかなくて、酷い、当に酷い出来事があって - orangestarの雑記 上記リンク先、ならびに2014年11月上旬にorangestarの雑記に書かれた色々については、当に書き始めるときりがなさそうというか、娑婆観を延々と書き連ねたいところですが、現在多忙につき、件のなかで言及しやすい点についてだけ言及します。 オフラインでなら、言いたいことをorangestarさんにお伝え出来るような気がするんですよ。でも、オンラインメディアであるブログ上では相当に手間暇かけなければ難しそうです。 それよりこちら。 結婚もして、出してる漫画も売れてて、これだけ社会的に成功してる人でもこういうメンタル状態になってしまうのだから、きっと何者にもなれない私達が落ち込んでしまうのなんて当然だと思えるので、なんかありがとう http://b.hatena.n

    メディア。承認欲求。社会的成功。 - シロクマの屑籠
  • 努力しているか否かでなく、努力でアタリを引ける確率・努力できる回数が問題ではなかったか - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp 恵まれているか、恵まれていないか。 命がけといえるほど努力しているか、努力していないか。 努力するポテンシャルがあるか、努力するポテンシャルがないのか。 これらは相対的で、総論的すぎて、細やかさを欠いた比較ではある。 とはいえ親の年収文化の多寡、心理的サポートや社会的サポートの有利不利の総合として、恵まれた環境で育ったと言える人・恵まれない環境で育ったと言える人はいるだろうし、その差異、その競争上の不平等を巡って不満や苛立ちの声があがるのも自然なことだと思う。 恵まれた環境で育った人が努力してないと思っている人は、そんなに多くないのでは 上掲リンク先によれば、スタンフォード大学に入り、かつ書籍を出版した人に関して、(今は消去されている)Amazonのコメントがトリガーとなってブーイングがネットに木霊したという。 そうしたブーイングのなかにも「努力している

    努力しているか否かでなく、努力でアタリを引ける確率・努力できる回数が問題ではなかったか - シロクマの屑籠
  • 強者の道徳だよ、二重の意味でー『21世紀の道徳』 - シロクマの屑籠

    21世紀の道徳 作者:ベンジャミン・クリッツァー晶文社Amazon 去る12月、『21世紀の道徳』という書籍が出版された。筆者は、日暮らしのアメリカ人にしてブログ『道徳的動物日記』を書いているベンジャミン・クリッツァーさんで、これまでも活発に議論をしてらっしゃった方だ。 そういう出自の方がアップトゥデイトな書籍と古典を紐解きながら、現代の道徳的問題を縦横に論じたのが書、である。 とはいえ、同書を21世紀の道徳ダイジェストとみるのはたぶん違うと思う。いや、もちろん同書には『学問の意義』『動物倫理』『ジェンダー』『進化論とリベラル』といった道徳と縁の深い話題が並び、さまざまな書籍が紹介されているのだけど、総花的に紹介されているわけではなく、たとえば『ブルシット・ジョブ』や現代フェミニズムの書籍の幾つかなどは、かなり批判されている。でもって、通読すると筆者の道徳観が浮かび上がってきて、「なる

    強者の道徳だよ、二重の意味でー『21世紀の道徳』 - シロクマの屑籠
  • 今までの人生で脳汁が出たコンテンツ62本 - シロクマの屑籠

    今までの人生で脳汁がでるほど嵌ったコンテンツ125 +α - orangestarの雑記 数日前に、小島アジコさんが「今までの人生で脳汁がでるほど嵌ったコンテンツ125 +α」という長ったらしい文章をブログに書いておられた。あの滅茶苦茶な長文は、不特定多数が読むことを度外視した、ふた昔ほど前のブログの文章、というよりウェブサイトの文章のようだった。 で、読んでいるうちに自分も同じことをやってみたくなった。そうすることで、私と小島アジコさんの嗜好の違いや来歴の違いだけでなく、「脳汁が出るほどハマッたものの定義の違い」みたいなものも詳らかになる気がしたからだ。このブログの常連読者さんでない人には読む価値の無い文章なので、それでも読みたい人だけ付き合ってやってください。 小学校低学年まで 小学校低学年だったのは昭和56年~59年ぐらい、ファミコンはまだ普及していなかったしビデオ録画もできなか

    今までの人生で脳汁が出たコンテンツ62本 - シロクマの屑籠
  • 50代で浮かび上がってくる承認欲求のヤバさ - シロクマの屑籠

    togetter.com 正月明けに、「50代くらいになると何をやっても褒められなくて、不安になり、承認欲求をこじらせる人が多い」というtogetterを発見した。 当だろうか? だとしたら世知辛い世の中だ、大変ですね、でも自分も無関係とは言えないな、などと思った。 そもそも、50代にもなって他人に褒められたい、それも、褒められているとはっきりわかるかたちで他者からの承認をいただきたい心境とは、どんなものだろうか。 私は、そのような心境は ・心理発達のプロセスが厳しかったことのあらわれか ・その人を取り囲む環境が特に難しくなっているか のどちらかに思われ、どっちにしても滅茶苦茶厳しいよね……といった風に思った。しかも、案外他人事とも思えなかったりもした。今回は、それらについて書いてみる。 「50代になって、わかりやすく褒められなきゃ不安ってどういう心理発達なのよ」 まず心理発達のプロセス

    50代で浮かび上がってくる承認欲求のヤバさ - シロクマの屑籠
  • 「見えない通貨=信用」にはメンテナンスが必要。だから挨拶や礼儀作法は超重要 - シロクマの屑籠

    syakkin-dama.hatenablog.com 借金玉さんのブログ記事は、世間の人があまり意識していない、けれども社会適応を大きく左右するような“法則性”を見抜いたものが多いと思います。今回の「見えない通貨」のお話も、古代社会から現代社会にまで通用する、深甚な内容だと思いました。 通貨の歴史を遡って考えるなら、「見えない通貨」と喩えるより、そもそも通貨とは「信用が可視化され、しかも譲渡可能なかたちになったもの」と言い直したほうが事実に即しているのかもしれません。 [参考]:https://hikakujoho.com/manekai/entry/20160809 しかし、お金の価値を誰もが信用し、当たり前のように使っている現代社会では、通貨=信用という前提は意識されにくいでしょう。だからコミュニケーションに媒介される人と人の間の信用を、「見えない通貨」と表現するのは、現代人にはわか

    「見えない通貨=信用」にはメンテナンスが必要。だから挨拶や礼儀作法は超重要 - シロクマの屑籠
  • 『認められたい』を出版します - シロクマの屑籠

    このたび私は、承認欲求などをメインテーマとした『認められたい』というを出版します。 認められたい 作者: 熊代亨出版社/メーカー: ヴィレッジブックス発売日: 2017/02/28メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログを見る 定価:1575円 単行(ソフトカバー): 191ページ 出版社: ヴィレッジブックス  ※表表紙はこんな感じ 人間は、「認められたい」という気持ちと無縁ではいられません。 とりわけ現代社会では、他人に誉めてもらいたい・注目されたいといった承認欲求が取り沙汰され、オンラインでもオフラインでも、この欲求をめぐってさまざまな悲喜劇が繰り返されています。 今の日社会では、衣・・住や安全といった生活に必要なモノが充実しているので、それらに飢えている人はあまりいません。しかしだからこそ、モノへの欲求以上に、「認められたい」という人間関係にまつわる欲求に飢え

    『認められたい』を出版します - シロクマの屑籠
  • 褒められるためのスキルよりも、褒めるスキル、おだてるスキルのほうが大事 - シロクマの屑籠

    togetter.com 借金玉さんのツイートがtogetterにまとめられていた。タイトルは「AD/HDの仕事の進め方について」だが、後半パートには全ての人に役立つことが書いてある。 心に響いたのは以下のフレーズだ。 いいか、圧倒的に自分より優れた人間を褒めるスキルなんてのはいらないんだ。そんなことは誰でも出来る。犬でも猿でも電信柱でも褒め上げるスキルをつけろ。それだけでとりあえず死ななくて済む。— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 リピートアフターミー!「承知しました!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 「流石ですね!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 「勉強させていただいてます!」— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年1月12日 こういうのって、何歳になっても忘れてはいけない処

    褒められるためのスキルよりも、褒めるスキル、おだてるスキルのほうが大事 - シロクマの屑籠
  • 「ちょっとした代償」の蓄積 - シロクマの屑籠

    社会の進歩には、表裏一体な代償や副作用がかならず伴う。 農耕社会が始まった時、虫歯をはじめとする健康上の問題が現れたのも、産業革命が起こって都市周辺で公害が進行したのも、大きな進歩に対するちょっとした代償だった。 私はときどき現代社会の変化のスピードについていけないと感じるが、これとて進歩に対する「ちょっとした代償」に過ぎず、歴史的には似たような感覚がたくさんあったのだろう。 しかしだからこそ、そうした大きな進歩に伴う「ちょっとした代償」が蓄積したらどうなるのかについて、折に触れて考えてみたくなる。 技術と文明 (1972年) 作者: ルイス・マンフォード,生田勉出版社/メーカー: 美術出版社発売日: 1972/09/15メディア: ?この商品を含むブログを見る ルイス・マンフォードが『技術と文明』でまとめたように、人間は、技術や文明の発達とともに新しい豊かさと可能性を開拓していった。と同

    「ちょっとした代償」の蓄積 - シロクマの屑籠
  • ネットで薬を調べまくる患者さんも、自分が何を知らないのかまでは知らない - シロクマの屑籠

    最近は、スマホやタブレット片手に、インターネットで薬や精神疾患について調べながら来院される患者さんが増えました。薬の名前をペラペラ列挙し、先生あれどうですか、これどうですかと、あたかも製薬会社のセールスマンのようです。 副作用もよく調べてますね。先生、これはパーキンソン症候群ですか、先生、のどが渇くのは抗うつ薬の副作用ですか、といった指摘は、ときに的を射ていることもあります。 でも、精神科医からみると、こういうインターネットにべったりな患者さんの知識はやはり偏っているようにみえます。 薬の名称、効果、副作用は余計なほど知っているのに、どれぐらいの用量でどれぐらいの期間使用したら効果が出やすいのか、薬ごとにどのぐらい副作用を避けやすいのかまで知っている人はまずいません。薬の効果を引き出すためにどういった手順や療養態度が必要なのかの知識も、たいてい欠落しています。シンプルなうつ病と妄想を伴った

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    miwa84
    miwa84 2015/04/14
    "『自分が知っていること』と『自分が知っていると思っていること』の区別"
  • マジョリティが二次創作や脳内補完に親しんでいる社会 - シロクマの屑籠

    大塚英志緊急寄稿「企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント 先日、大塚英志さんが書いたKADOKAWAとドワンゴの合併についての文章を読んだ。文章を読み進めるうちに、何か喋りたくて仕方が無くなってきた。面白かった、ということだろう。 特に印象的だったのは、以下のくだりだ。 つまり、KADOKAWAとドワンゴの合併はコンテンツとインフラの合併ではなく、インフラとインフラの合併である。ニコ動とジブリとか、角川と講談社の「合併」(もう何があっても驚いてはいけない)ならインフラとコンテンツの合併になるが、そうではない。 http://sai-zen-sen.jp/editors/blog/sekaizatsuwa/otsuka-%20essay.html KADOKAWAはコンテンツを販売している会社のようにみえる。けれ

    マジョリティが二次創作や脳内補完に親しんでいる社会 - シロクマの屑籠
    miwa84
    miwa84 2014/05/24
  • 福祉は生きる意味や赦しを与えてはくれない - シロクマの屑籠

    こちらの宗教記事に、“空飛ぶスパゲッティーモンスター教”の方から、ネタ記事をトラックバックして頂いてとても面白かったけれど、ちょっと考えさせられるフレーズがあったので、まとめてみます。 でも、福祉やらなんやらが発達した現代では宗教の役割がかつてより薄まったのは事実だとも思う。メンタルヘルスケア用のツールとして付かず離れずのところに置くのが適当なところなのかなあ。 2013-11-21 20:22:58 via Twitter for Android 「福祉やらなんやらが発達した現代では宗教の役割がかつてより薄まったのは事実だとも思う」。私自身は福祉職ではありませんが、普段、福祉とデスクを隣り合わせにして働くような立場にいます。職業柄、ともすれば福祉利用者からは「福祉のメンバーみたいなもの」と観られているかもしれません。 そうやって、福祉界隈の空気とか日常風景をみていると、福祉が発達した現代

    福祉は生きる意味や赦しを与えてはくれない - シロクマの屑籠
    miwa84
    miwa84 2013/12/01
  • 私のなかでは、科学と仏教はあまり喧嘩してません - シロクマの屑籠

    神さまの殺しかた/宗教にハマらずに生きる方法 - デマこい! リンク先によれば、宗教観についての話題が盛り上がっているらしい。宗教で熱くなれる人が、インターネットという、テクノロジーに立脚したフィールドにそんなに存在するのか!唾を飛ばして宗教に言及しあっているさまを観ながら、「ハイテク社会になったからといって、人間の心や感情は宗教全盛の頃とあんまり変わりないのだろうなぁ」と、改めて思った。 ときに、宗教は科学と対立する、といわれている。砂糖玉を奇跡の薬とありがたがるような話やパワースポット的な話は、実証主義な科学とはいかにも相性が悪そうだ。こうした科学との相性の悪さは、新宗教やスピリチュアル方面だけでなく、古典的な宗派宗教のなかにもそれなりみかけるもので、例えば天国と地獄、浄土や三千世界といった概念は、科学だけを信じたい人からすれば、噴飯モノだろう*1。 尤も、宗教を信仰している殆どの人は

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  • 我欲と暁美ほむら - シロクマの屑籠

    劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語 【パンフレット】(初回生産限定版) 出版社/メーカー: ワーナーメディア: パンフレットこの商品を含むブログ (5件) を見る 『劇場版まどかマギカ叛逆の物語』が公開されて12日経った。そろそろネタバレの絡んだ感想を書いても怒られにくいかなと想像して、暁美ほむらがやらかした事、やってくれた事について、印象深かったことを書き残す。 暁美ほむらは、「愛よ」と言った 『叛逆の物語』の終盤、重要なシーンで暁美ほむらは「愛よ」と言った。 その直後、彼女は円環の理を“違反”し、概念と化したまどか神から、学生まどかを引っ張り出した。この一連の出来事について、ほむらは「まどかの決定そのものを覆したわけではない」と断ったうえで、自分自身が円環の理からはみ出したことは認めている。驚くキュウべぇには、そんな自分自身を「悪魔」と比喩してもいた。 私は思った。

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  • 観客席から「政治」を愉しむ“メシウマ”ネットユーザー - シロクマの屑籠

    「2ちゃんねらーは敵に回すと恐ろしいが、味方につけると頼りない。」 けだし、名言である。「2ちゃんねらー」の部分を「残念な日のインターネット」と書き換えても、たぶんそっくりそのまま通じる。 先日、切込隊長blogで『「ネット世論と実際の支持率予想とのギャップ」と「ニコニコ的民主主義」』という記事が掲載されていた。そこに書かれていた日のインターネットの特徴をピックアップすると、 ・政党や政治団体が、ネットユーザーに政治的支持を呼びかける動きが奇妙なほど欠けている ・日常的なネットユーザーが、ダイレクトに政治活動している姿をろくに見かけない ・ネットユーザーは報道や情報に脊髄反射し、二週間も経つと新しい事件に無我夢中になる といったものだったと思う。 日のネットユーザーは「政治」プレイヤーというよりも、「政治」の観客 結局、この記事から改めて思い起こされるのは、ネットユーザー----少な

    観客席から「政治」を愉しむ“メシウマ”ネットユーザー - シロクマの屑籠