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古墳の検索結果81 - 120 件 / 152件

  • 元はてな回答者増田がお答えします。 大規模な公共の古墳再生事業の先駆..

    元はてな回答者増田がお答えします。 大規模な公共の古墳再生事業の先駆けとして有名な兵庫県五色塚古墳には、実に223万個の葺石が敷き詰められていますが、大半は出土したもののようです。ただし、後円部については「新たに購入した」とのことです。(参考:http://s1nakagiri.blogspot.com/2015/09/blog-post_10.html) ここから、採取などの方法で大規模に葺石に適した石を集めるのは難しいことが分かります。一方で「購入する」という手段があることが分かりました。 その線で情報を探していると、形の揃ったものはなかなか値が張ります。川原で採れるこのような石は通称「ゴロタ石」で流通しているようです。 揖斐川庭石センター https://ibigawa.shop-pro.jp/?pid=130621726 20kgで1,620円とのこと。 一方、たとえばこんなサイト

      元はてな回答者増田がお答えします。 大規模な公共の古墳再生事業の先駆..
    • 奈良・斑鳩の舟塚古墳、石室は「片袖式」 6世紀後半に築造

      奈良県斑鳩町法隆寺の円墳「舟塚古墳」(推定直径約20メートル)で、横穴式石室の構造や築造年代が分かり、発掘調査を担当した町教委と奈良大学が7日、発表した。石室は、被葬者を安置する玄室が通路・羨道から左側に張り出した「片袖式」と呼ばれる構造であることが判明。出土した須恵器により築造が6世紀後半であることも分かった。9日に現地説明会を開く。 舟塚古墳は現存する墳丘部が直径8・5メートルで、石垣で囲われている。今年2~3月の前回の第3次調査で横穴式石室の一部を確認。8月3日から始まった今回の4次調査(今月16日までの予定)では、墳丘中央付近の約13平方メートルを発掘した。 その結果、羨道部は破壊され、石室の天井石が抜き取られていることが明らかに。玄室は長さ3・8メートル、幅1・6メートルで、入り口(玄門)から見た正面の奥壁は5段以上の石材が積まれていた。玄室の規模や出土品などから地域の有力者2人

        奈良・斑鳩の舟塚古墳、石室は「片袖式」 6世紀後半に築造
      • 奈良・富雄丸山古墳から「国宝級の大発見」…神話に秘められた「被葬者は誰か」の異説

        【読売新聞】編集委員 丸山淳一  奈良市の 富 ( とみ ) 雄 ( お ) 丸 ( まる ) 山 ( やま ) 古墳から、盾の形をした銅鏡と鉄剣が出土した。発掘にあたった奈良市教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所によると、「ともに

          奈良・富雄丸山古墳から「国宝級の大発見」…神話に秘められた「被葬者は誰か」の異説
        • DNA解析が変える考古学 古墳時代の血縁関係まで特定 - 日本経済新聞

          遺跡を発掘して歴史を解き明かす考古学で墓は有力な手がかりだ。近年、埋葬人骨に含まれる微量のDNAを解析して埋葬された人々の血縁関係を突き止めることが可能になり、注目を集める。収められた土器や装身具から分かるその人の社会的地位などと合わせて分析すると、権力の継承や人の移動が見えてくる。岡山県津山市に三成四号墳という前方後方墳がある。前方部の石棺には30〜40代の男性と20〜30代の女性が埋葬され

            DNA解析が変える考古学 古墳時代の血縁関係まで特定 - 日本経済新聞
          • 【THE古墳】天皇陵の重要性唱えた伊藤博文 欧米列強に「天皇」視覚化

            畝傍山(右)の麓に築かれた神武天皇陵(手前)。初代天皇にふさわしい森厳なたたずまいをみせる=奈良県橿原市初代・神武(じんむ)をはじめとする歴代天皇陵で、まず目に入るのが鳥居かもしれない。神社でもないのに、なぜ古墳に…。鳥居や玉垣のある「拝所(はいしょ)」が現在の姿に整備されたのは、幕末から明治初め。欧米列強が開国を迫り、植民地化の危機さえあった時代の激動期だった。ときの政府は、万世一系の皇統の姿を世界に対して視覚化する目的もあって、被葬者の特定とともに天皇陵の整備を急いだ。今では観光スポットになっている古墳は、近代国家としての威信を示す重要な役割を担った。 「万世一系」国柄を誇示「万世一系の皇統を奉戴(ほうたい)する帝国にして、歴代山陵の所在のいまだ明らかならざるものあるがごときは、外交上、信を列国に失うこと甚だしき」

              【THE古墳】天皇陵の重要性唱えた伊藤博文 欧米列強に「天皇」視覚化
            • 失われた55メートルの前方後円墳、再発見のきっかけは1枚の古写真:朝日新聞デジタル

              岡山大学は20日、大学に隣接する宅地(岡山市北区津島福居)に、5世紀後半に築かれたとみられる前方後円墳があったと発表した。「塚前(つかのまえ)古墳」と命名。一帯は戦後に宅地化され、墳丘は完全に失われたが、全長最大約55メートルと推定される。墳墓発見のきっかけは、大学に持ち込まれた1枚の古い写真だった。 同大の野崎貴博助教(考古学)が記者会見した。塚前古墳の西約10キロには、全国4番目の規模の前方後円墳「造山(つくりやま)古墳」(北区新庄下)がある。今回の古墳発見の意義について「造山古墳を築いた強大な吉備の集団が分裂し、旭川下流の平野部にも広がっていく過程がより鮮明になった」としている。 発見のきっかけとなった写真は、明治期に現在の大学敷地にあった旧陸軍の駐屯地一帯を1908年に写した写真だった。昨年3月、岡山市の男性から持ち込まれた。野崎助教は、写真に納まる農地に、前方後円形の高まりがある

                失われた55メートルの前方後円墳、再発見のきっかけは1枚の古写真:朝日新聞デジタル
              • 【主張】古墳時代の発見 日本文化の豊かさ示した

                奈良市の日本最大の円墳、富雄丸山(とみおまるやま)古墳(4世紀後半)で、過去に例のない盾形の青銅鏡と、東アジア最大となる鉄剣が見つかった。 ともに国産とみられており、デザインや大きさから古墳時代に高度な技術があったことがうかがえる。既に「国宝級」との評価も高く日本の古代文化の豊かさを知らしめる新発見だ。研究成果に期待したい。 奈良市教育委員会と県立橿原考古学研究所が発表した。いずれも墳丘から張り出した造り出し部で新たに見つかった未盗掘の埋葬施設から出土した。 鏡は長さ約64センチ、最大幅約31センチの青銅製で、他に類例のない盾形である。文様面には上下に2つの大きな円を描くように日本でアレンジしたという空想上の神獣「鼉龍(だりゅう)」を配す。一見盾の中に2枚の円形銅鏡を組み込んだような斬新なデザインだ。「鈕(ちゅう)」と呼ばれるひもを通す突起もあった。 一方の鉄剣は蛇のように波打った形状の「

                  【主張】古墳時代の発見 日本文化の豊かさ示した
                • 「長いだけじゃなかった…」巨大蛇行剣の全容が明らかに、刀剣の歴史に迫る新発見が続々と【報道特集】 | TBS NEWS DIG

                  “国宝級の発見”とも言われる巨大蛇行剣。私たちは1年間にわたって密着取材を続けて来ましたが、2024年3月、クリーニングが終了。その全容が明らかになりました。「もう1枚ある、もう1枚。3枚目あった、3枚目」2…

                    「長いだけじゃなかった…」巨大蛇行剣の全容が明らかに、刀剣の歴史に迫る新発見が続々と【報道特集】 | TBS NEWS DIG
                  • 石舞台古墳で被葬者体験 豪族に扮し、リアルな演出:朝日新聞デジタル

                    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                      石舞台古墳で被葬者体験 豪族に扮し、リアルな演出:朝日新聞デジタル
                    • 継体天皇を支えた勢力か 滋賀・高島の南畑古墳群 - 日本経済新聞

                      継体天皇(531年没)の生誕地とされる滋賀県高島市の南畑古墳群で発掘調査をしている市教育委員会と京都橘大は25日までに、3つの円墳が天皇没後の6世紀半ばから末にかけて相次いで築造されていたことが分かったと発表した。京都橘大の中久保辰夫准教授によると、継体朝以降の物資流通では、福井などを経由する日本海ルートや淀川ルートも重視されたため、継体没後もこの地域の勢力が維持され、古墳を造営し続けていたと

                        継体天皇を支えた勢力か 滋賀・高島の南畑古墳群 - 日本経済新聞
                      • 文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース

                        中国の『魏志倭人伝』やわが国の『古事記・日本書紀』などの記述と、考古学の発掘調査結果が一致すると、それが事実であったという信ぴょう性が一気に高まりますし感激します。これまでにどんな一致が見られたのでしょう? ■貴重な文献と考古史料の整合性で見える古代史 わが国にはほぼすべての時代の考古史料が途切れることなく存在します。ただ文献資料は途切れることがあったり、その時代の文献が無かったりしますので、稀に文献と考古史料が一致すると、大きな感激と驚きを感じます。 古代の史実を証明する考古史料は数多く存在しますが、その裏付けとなる文字史料は極めて少ないといわざるを得ません。 現代のコンビニエンスストア数の3倍はあるといわれる古墳から、墓誌が出ることはまずありません。 つまり誰の墓なのかがほとんどの場合さっぱりわからなくなっているのです。残念なことに天皇陵とされている古墳も、被葬者の学問的裏付けはほとん

                          文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース
                        • 佐賀県内初の「盾持人埴輪」 前面に盾、顔に入れ墨、全国的にも珍しく 佐賀市の築山古墳で2019年出土 | 暮らし・文化 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞

                          県内で初めて出土した「築山古墳盾持人埴輪」。独立した盾を前面に持たせる、全国的にも珍しい形態で表現されている 佐賀県内で初めて出土した、盾を構える武人の埴輪(はにわ)「盾持人(たてもちびと)埴輪」が、独立した盾を前面に持たせる全国的にも珍しい表現形態だったことが12日、佐賀市の調査で分かった。大和町の前方後円墳「築山(つきやま)古墳」(6世紀後半)の出土品で、顔に入れ墨を施し、冠に似た帽子をかぶったリアルな姿で表されている。 埴輪は、円筒状の人物部分が高さ50・1センチ、胴体の径が19・5センチ。盾は高さ28・0センチ、幅17・0センチ。上半身が良好な状態で残っており、本来は高さ1メートルほどだったと推定される。 顔にはネコのひげのような入れ墨が複数刻まれており、「魏志倭人伝」が倭人の習俗として伝えた「鯨面文身(げいめんぶんしん)」の表現と考えられる。頭部は正面中央を切り込んだ2本の角のよ

                            佐賀県内初の「盾持人埴輪」 前面に盾、顔に入れ墨、全国的にも珍しく 佐賀市の築山古墳で2019年出土 | 暮らし・文化 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞
                          • 多摩川台古墳群に古墳っぽいただの山がある

                            1971年東京生まれ。デイリーポータルZウェブマスター。主にインターネットと世田谷区で活動。 編著書は「死ぬかと思った」(アスペクト)など。イカの沖漬けが世界一うまい食べものだと思ってる。(動画インタビュー) 前の記事:代々木駅の外観が古い > 個人サイト webやぎの目 大田区の多摩川台公園には「多摩川台古墳群」と呼ばれる古墳群がある。小さな古墳が8基並んでいる。 これぐらいの大きさの古墳が並んでいる。これは7号墳 この古墳群、かつては全8基ではなく9基ということになっていたのだ。なぜひとつ減ったか。なぜなら調査の結果、ひとつは古墳ではなくただの排土の山だったからだ。 これがかつて古墳だと思われていたかつての8号墳、現在、ただの山 どう見ても古墳だ。 ここは小さな円墳が並んでいるのでほかの古墳もこんな雰囲気である。 こちらはれっきとした古墳の5号墳 そして排土の山、かつての8号墳 これだ

                              多摩川台古墳群に古墳っぽいただの山がある
                            • 「牛」の埴輪、なぜ少ない? 「馬」は権威の象徴、一方…

                              1897年に奈良県田原本町の羽子田遺跡から出土した牛形埴輪。全体像が分かる貴重な資料(田原本町教育委員会提供) 今年の干支(えと)「丑(うし)」について調べていると、兵庫県立考古博物館(播磨町大中1)の職員が興味深い話を教えてくれた。「古墳から見つかる出土品で、『牛形』の埴輪(はにわ)は少ない。『馬形』はいくらでもあるのに」。確かに、豪華な馬具を身に着け、立派なたてがみがある馬の埴輪はよく見かけるが、牛の埴輪の出土例は、兵庫県朝来市を含めて全国で数カ所しかない。牛も馬も古くから人の生活に身近な存在だったのに、なぜ差が生まれるのだろう-(門田晋一) 「そもそも、昔の日本列島には牛も馬もほとんどいなかったかもしれない」と指摘するのは同館の中村弘学芸課長(54)。「邪馬台国(やまたいこく)」の記述で知られる古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、3世紀半ば(弥生時代末期)の日本には「

                                「牛」の埴輪、なぜ少ない? 「馬」は権威の象徴、一方…
                              • 服従か連携か、大和との「距離」 古墳が語る出雲との関係:朝日新聞デジタル

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                                  服従か連携か、大和との「距離」 古墳が語る出雲との関係:朝日新聞デジタル
                                • 相生で4例目の前方後円墳 ネットの傾斜量図から発見|西播|神戸新聞NEXT

                                  兵庫県相生市相生のIHI相生事業所敷地内の山林で、前方後円墳が見つかった。国土地理院(茨城県つくば市)がホームページで公開する測量図「傾斜量図」を見た岡山の研究者から「古墳らしき形状が見られる」と相生市教育委員会へ連絡があり、現地調査の結果、相生市4例目の前方後円墳と判明した。2021年度に調査結果を報告書にまとめる。(伊藤大介) 2018年10月、岡山県倉敷市の倉敷埋蔵文化財センターに勤める藤原好二さん(51)は、インターネットで相生市の傾斜量図を見ていて「古墳らしきもの」に気付いた。山上に円形の台地がうっすらと浮かんでいる。「正円の地形は珍しい」。ほかの前方後円墳と似ていることから、古墳がある可能性を相生市教委に伝えた。 市教委の現地調査の結果、IHI事務所の背後にある山の尾根(標高76メートル)に全長47メートルの古墳が確認された。4世紀ごろに築かれたとみられ、字(あざ)名の甲崎(こ

                                    相生で4例目の前方後円墳 ネットの傾斜量図から発見|西播|神戸新聞NEXT
                                  • 謎の巨大六角遺跡 民間から無償取得 市原市 全長60メートル、有力者の墓か(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース

                                    市原市が取得した海保大塚古墳(中央の六角形の盛り土部分)=同市海保(1989年撮影、市埋蔵文化財調査センター提供) 市原市は、巨大な古墳を含む同市海保の土地を民間から無償で取得した。古墳は「海保大塚(かいほおおつか)古墳」と呼ばれ、墳丘の全長は60メートル(高さ約8メートル)もある。市埋蔵文化財調査センターによると、4世紀末の築造とみられ、この時期の円墳としては県内最大級という。この地一帯を治めた有力者の墓の可能性が高く、六角形という極めて珍しい形状をしているなど謎も多い。市は「国指定史跡を目指す姉崎古墳群を構成する主要古墳の一つ」と重要視している。 土地は大手建設会社の大成建設(東京都新宿区)が1960年代から所有しており、2万5750平方メートル(評価額404万円)を7月29日付で無償譲渡。市は寄付を受け今月1日、表彰状を贈呈した。 同センターが2017年度に行った遺跡確認調査の報告書

                                      謎の巨大六角遺跡 民間から無償取得 市原市 全長60メートル、有力者の墓か(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース
                                    • まりこふんと行く世界遺産古市古墳群 古墳にコーフン!バスツアー - 墳丘からの眺め

                                      2022年4月30日、タイトルにあるバスツアーに参加しました。 大型の貸し切りバスが、ほぼ満員。 古墳にコーフン協会のサイトにて告知があり、募集から30分で満席になったとのことでしたが、自分の場合たまたまスマホブラウジングしていた妻にこんなのあるよと言われその場で申し込んだタイミングがその30分間のどこかであったようです。 河内こんだハニワの里 大蔵屋 オープン3周年記念『まりこふんと行く 世界遺産 古市古墳群 古墳にコーフン!バスツアー』(4月30日) – 古墳にコーフン協会 応神天皇陵(誉田御廟山古墳)のすぐ近くの「ハニワの里 大蔵屋」さんがお店のオープン3周年を記念してツアーを主催。 News:『まりこふんと行く 世界遺産 古市古墳群 古墳にコーフン!バスツアー』を開催!|オークラグループ 天王寺駅に集合して、始めに金山古墳へ。 墳形が非常にレアな双円墳です(下記はバスの窓から) 大

                                        まりこふんと行く世界遺産古市古墳群 古墳にコーフン!バスツアー - 墳丘からの眺め
                                      • 今城塚古墳は真の「継体天皇陵」 皇位継承を再現した国内最大230体の埴輪群

                                        大地の神を鎮めるとされる力士形埴輪=高槻市立今城塚古代歴史館力士、牛、太鼓、ニワトリ…。不思議な集団が土の中から姿を現した。これらはすべて埴輪(はにわ)。大阪府高槻市の今城塚古墳(墳丘長181メートル、6世紀前半)で国内最多の200体分以上が発掘された。「真の継体天皇陵」といわれるだけあって、人の背丈ほどある巨大な家形埴輪も出土。天皇が神に祈りをささげた祭殿とされる。大量の埴輪群は、天皇崩御に伴う厳粛な皇位継承儀礼を再現したものという。1500年前の天皇陵の姿から、現代の天皇の御代替わりの源流も見えてきた。 天皇陵とされながら、今城塚古墳ほどズタズタに傷めつけられた巨大古墳はない。戦国時代に織田信長が砦(とりで)として使い、豊臣秀吉の時代には活断層による大規模な伏見地震で墳丘が崩壊。被葬者を納めた石室は跡形もなく、後円部も上半分ほどが失われた。

                                          今城塚古墳は真の「継体天皇陵」 皇位継承を再現した国内最大230体の埴輪群
                                        • 仏塚古墳 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺 - 墳丘からの眺め

                                          法輪寺参拝後は650mほど南西にピンが立つ仏塚(ほとけづか)古墳へ行ってみました。法隆寺五重塔からも北に650mほどの位置です。 古墳の北東側、丘陵裾沿いの道路に説明板がありました。 仏塚古墳 昭和51年12月に、斑鳩町教育委員会が県立橿原考古学研究所の協力を得て発掘調査を行い、出土遺物などから6世紀末頃に造られたと推測されます。 古墳の形は、一辺約23mの方墳と推定され、石室は横穴式石室です。 縄文時代から室町時代頃の遺物が出土し、副葬品では、須恵器などの土器類や耳環(イヤリング)、馬具などがありました。 また、貴重な遺物として、高さ9.5㎝の金銅仏や塑像仏の破片、花瓶や六器などの仏具など、仏教に関するものが出土しました。 これらは、中世になって石室が仏堂として利用され、当時「聖」と呼ばれた僧侶が一般民衆へ布教活動を行う際の祠とされたようです。 グーグルマップに導かれて北側からアプローチ

                                            仏塚古墳 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺 - 墳丘からの眺め
                                          • 世界遺産の名前、学会「誤解招く」 百舌鳥・古市古墳群:朝日新聞デジタル

                                            世界文化遺産に登録が決まった「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)について、日本考古学協会など考古学や歴史学でつくる14学協会の代表が23日、大阪市内で記者会見し、一体的な保護対策や公開、学術的な名称の併記などを要望した。 構成資産のうち中核となる複数の巨大古墳は宮内庁管理の「陵墓」で、一般に公開されていない。また、それらは「仁徳天皇陵古墳」などの名前で推薦されたが、学術的に被葬者の多くは確定していない。 学会側は「陵墓の多くでは宮内庁管理地と外側の民有地や史跡に分かれ、全域を統一的に保存するシステムは構築されていない。名称も、学術的に認定されたような先入観を世界に与えてしまう」と問題視。①構成資産の十分な保存・管理と公開を原則とした活用②刊行物や教育文化施設での学術的な観点に基づく名称の併記、などを求めた。(編集委員・中村俊介) ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下

                                              世界遺産の名前、学会「誤解招く」 百舌鳥・古市古墳群:朝日新聞デジタル
                                            • 奈良・纒向遺跡でチャバネゴキブリの一部検出 世界最古の可能性 | 毎日新聞

                                              奈良女子大と大阪市立自然史博物館の研究チームは11日、邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、古墳時代前期(3世紀後半)の土層から、チャバネゴキブリの体の一部を検出したと発表した。チャバネゴキブリの発見例としては世界最古となる可能性があるという。世界各地に生息するゴキブリの起源を探る手がかりになりそうだ。 纒向遺跡は奈良盆地東南部に広がる3~4世紀の大規模集落遺跡で、女王・卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳など初期の前方後円墳が点在。過去の発掘調査では計画的に配置された大型建物跡が見つかり、卑弥呼の宮殿の可能性が指摘されているほか、周辺からはイノシシやタイ、サバの骨、桃の種など供物とみられる大量の食物の痕跡が確認された。

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                                              • 「中尾山古墳」が文武天皇陵と確実に 宮内庁はいつまで“ねじれ構造”を放置するのか(全文) | デイリー新潮

                                                奈良県明日香村の中尾山古墳が、日本が統一国家の様をなしてゆく7世紀末から8世紀初頭に君臨しながら夭逝した文武天皇(683~707年)の陵墓であることが確実となった。 11月28、29日だけ一般公開され、ぽかぽか陽気の29日に訪れた。明日香村の教育委員会と関西大学が「再調査結果」として発表したもので、発掘調査は1974年(昭和49年)以来という。 中尾山古墳は近鉄・飛鳥駅から歩いて15分ほどの丘にある。文武天皇陵と認められたことを祝うように、古墳の周囲だけまだ紅葉が美しかった。 集まった見学者を前に明日香村教育委員会の西光慎治調整委員が「天皇中心の律令国家で作られた新しい形態のお墓。舒明天皇以来の八角形は天皇にしか許されない形のお墓の形態なんです。でもこの八角形は中尾山古墳で終わってしまった。唯一無二の重要な古墳です」などと説明していた。巨大な前方後円墳の時代はとうに去り、規模も縮小されたこ

                                                  「中尾山古墳」が文武天皇陵と確実に 宮内庁はいつまで“ねじれ構造”を放置するのか(全文) | デイリー新潮
                                                • 古墳時代の囲炉裏跡見つかる 当時の炊飯や調理方法の解明に期待:朝日新聞デジタル

                                                  鳥取県教育文化財団は16日、古墳時代前期(約1700年前)の大集落として知られる湯梨浜町の長瀬高浜遺跡から、囲炉裏跡が見つかったと発表した。炭化した木が残っていて、古墳時代の炊飯や調理の方法を解明する手掛かりになる可能性があるという。 囲炉裏跡は外径1メートルで、小型の竪穴建物跡の中央にあった。灰が飛ばないよう周囲を小高く土手にした構造で、中に筒状の炭化材(外径22センチ、高さ最大12センチ)が残っていた。調理に使ったとみられる土器(甕〈かめ〉)と貝殻も近くにあった。 財団によると、古墳時代には甕の底が従来の平底から、燃焼効率が高まる丸形に変わった。しかし底が丸い甕を炉にどう置いたか分かっていない。炭化材が囲炉裏の一部だった可能性、もしくは燃料だった可能性もあるという。担当者は「今後の分析で樹種が分かれば用途が分かるかもしれない」としている。 土手で囲むようにした囲炉裏跡は隣の竪穴建物跡か

                                                    古墳時代の囲炉裏跡見つかる 当時の炊飯や調理方法の解明に期待:朝日新聞デジタル
                                                  • 【THE古墳「入門編」】前方後円墳「仁徳天皇陵」 どちらが前か後ろか解けぬ謎

                                                    全国に16万基、コンビニエンスストアの約3倍もあるといわれる古墳。国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)をはじめ、列島を支配したヤマト王権の象徴として3~7世紀に次々と築かれた。しかし被葬者が明確な古墳は極めて少ない。果たして古墳のあるじは? そもそもなぜ「前方後円墳」と名付けられた? 古墳にはまだまだ不可思議なことが多い。「THE古墳」の特別版として、知られざる古墳の謎を解説する。 高度な土木技術巨大古墳はどのように造られたのか。天皇陵クラスが宮内庁の管理で実態が謎に包まれるなか、徹底的に発掘されたのが「真の継体(けいたい)天皇陵」といわれる大阪府高槻市の今城塚(いましろづか)古墳(6世紀前半)。墳丘の長さは181メートル。被葬者を納める石棺は熊本・阿蘇から運ばれるなど壮大な国家プロジェクトだった。 墳丘の土は、数十センチ大のブロック状に固めてから積み上げていた。後円部で

                                                      【THE古墳「入門編」】前方後円墳「仁徳天皇陵」 どちらが前か後ろか解けぬ謎
                                                    • 国内初確認の「盾形銅鏡」と国内最大2m超「蛇行剣」の鉄剣出土…古墳時代の金属工芸「最高傑作」

                                                      【読売新聞】 奈良市の 富雄丸山 ( とみおまるやま ) 古墳(4世紀後半)で、盾の形をした銅鏡と、国内最大の長さ2・37メートルの鉄剣が出土した。盾形銅鏡の確認は国内初。奈良県立橿原考古学研究所と市教育委員会が25日に発表した。い

                                                        国内初確認の「盾形銅鏡」と国内最大2m超「蛇行剣」の鉄剣出土…古墳時代の金属工芸「最高傑作」
                                                      • 【THE古墳】箸墓と卑弥呼の都を結んだ「昼食帰りの大発見」

                                                        纒向遺跡で発掘された特殊器台の破片。箸墓古墳や邪馬台国に結びつく手がかりとなった(奈良県立橿原考古学研究所付属博物館提供)邪馬台国(やまたいこく)は畿内(奈良県)か九州か-。江戸時代の政治家で儒学者、新井白石(あらい・はくせき)以来の古代史論争の謎を説くカギが、女王・卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれる箸墓古墳(奈良県桜井市)と、その北に広がる纒向(まきむく)遺跡(同)だ。平成21年にこの遺跡で見つかった大型建物跡は「卑弥呼の宮殿か」と注目を集め、畿内説が一気に高まった。邪馬台国を語るのに欠かせない2つの遺跡を結びつけたのは、50年近く前、一人の研究者が拾い上げた手のひらサイズの土器の破片だった。 発掘のきっかけは炭鉱閉鎖昭和46年、ある開発計画が桜井市で持ち上がった。炭鉱離職者向けの雇用促進住宅の建設。当時、国のエネルギー政策が石炭から石油に転換し、九州などの炭鉱が次々と閉鎖。職を失った炭鉱

                                                          【THE古墳】箸墓と卑弥呼の都を結んだ「昼食帰りの大発見」
                                                        • 富士山のふもと本栖湖 専門家が湖底遺跡を本格調査へ|NHK 首都圏のニュース

                                                          富士山のふもと、本栖湖の底には古墳時代の土器などが見つかった遺跡があります。 富士山の噴火との関係など、遺跡の成り立ちを明らかにするため専門家による本格的な調査が行われることになりました。 本栖湖の東側、水深10メートル前後の湖底では平成10年度の調査で古墳時代の土器などが複数、見つかっています。 その成り立ちを解明するため帝京大学文化財研究所は、地元の山梨県富士河口湖町や身延町と共同調査を行うことになり、まずは湖底に向けて音波を発信する地形の計測や水中ドローンによる探査が行われていました。 湖の底に遺跡がある理由について水中考古学が専門の佐々木蘭貞准教授は、もともと陸上にあった遺跡が、富士山の噴火による溶岩流が湖に流れ込んで水位が上がったため水没した可能性のほか、陸上の別の場所にあった土器などが、何らかの理由で流されてきて湖底に沈んだ可能性も考えられるとしています。 調査グループは湖底の

                                                            富士山のふもと本栖湖 専門家が湖底遺跡を本格調査へ|NHK 首都圏のニュース
                                                          • 奈良 キトラ古墳 石室の壁にヘビなど“十二支像”壁画を確認 | NHK

                                                            奈良県明日香村のキトラ古墳について、泥に覆われている石室の壁をエックス線を使って分析したところ、十二支の「巳」とみられるヘビをかたどった像など3つの壁画が描かれていたことが新たに確認されました。ヘビの像は衣装をまとった姿や2つに割れた舌先など、ほぼ全身が確認できます。 これは、23日、東京都内で開かれた文化庁の検討会で明らかにされました。 奈良県明日香村にあるキトラ古墳は、7世紀末から8世紀初めころの飛鳥時代の円墳で、石室の内部に描かれている方角の守り神、「朱雀」や「玄武」を始めとした壁画は国宝に指定されています。 このうち「十二支」を人をかたどった姿で描いた壁画は、これまで6体が確認されていましたが、今回、文化庁が泥に覆われている部分を蛍光エックス線を使って分析したところ、「十二支」の「辰」と「巳」、それに「申」にあたる場所に顔料の成分とみられる水銀や銅の反応が検出されたということです。

                                                              奈良 キトラ古墳 石室の壁にヘビなど“十二支像”壁画を確認 | NHK
                                                            • 盾形銅鏡 出土「まさか」

                                                              【読売新聞】裏返したら・・・鏡の文様 国内初の盾形銅鏡と国内最大の鉄剣が同時に出土した富雄丸山古墳(奈良市、4世紀後半)の発掘調査を担当したのは、奈良市教育委員会学芸員の村瀬陸さん(32)だ。研究者から「古墳時代の金属工芸の最高傑作

                                                                盾形銅鏡 出土「まさか」
                                                              • 文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎 | 歴史人

                                                                中国の『魏志倭人伝』やわが国の『古事記・日本書紀』などの記述と、考古学の発掘調査結果が一致すると、それが事実であったという信ぴょう性が一気に高まりますし感激します。これまでにどんな一致が見られたのでしょう? ■貴重な文献と考古史料の整合性で見える古代史 わが国にはほぼすべての時代の考古史料が途切れることなく存在します。ただ文献資料は途切れることがあったり、その時代の文献が無かったりしますので、稀に文献と考古史料が一致すると、大きな感激と驚きを感じます。 古代の史実を証明する考古史料は数多く存在しますが、その裏付けとなる文字史料は極めて少ないといわざるを得ません。 現代のコンビニエンスストア数の3倍はあるといわれる古墳から、墓誌が出ることはまずありません。 つまり誰の墓なのかがほとんどの場合さっぱりわからなくなっているのです。残念なことに天皇陵とされている古墳も、被葬者の学問的裏付けはほとん

                                                                • 福岡・船原古墳、国内初の玉虫装飾の馬具出土 国宝級か

                                                                  福岡県古賀市は13日、同市の国史跡・船原(ふなばる)古墳(6世紀末~7世紀初頭)近くの土坑から平成25年に出土した金銅製の馬具「杏葉(ぎょうよう)」に玉虫の羽が用いられていたことが分かったと発表した。市によると、玉虫装飾の馬具はこれまで韓国・新羅(しらぎ)時代でしか確認されておらず、国内では初めて。 市教育委員会によると、古代の玉虫装飾品が見つかっているのは日本と朝鮮半島で11カ所のみ。古墳の調査指導委員会などによると、玉虫を使った馬具は5世紀代の新羅の王陵級古墳などで確認されてきた最高級品で、調査指導委の会長で奈良大の今津節生教授(保存科学)は「王陵とのつながりを示しており、国宝級の価値がある。日本の玄関口である博多湾周辺で重要な外交が行われていた可能性がある」と指摘する。馬具は今月14日~12月20日に市歴史資料館で公開される。

                                                                    福岡・船原古墳、国内初の玉虫装飾の馬具出土 国宝級か
                                                                  • 「空白の4世紀」が謎のままでいいのだろうか? 未解明の古市古墳群を考える | 歴史人

                                                                    大阪府堺市の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)と一緒に世界遺産に登録されている大阪府の藤井寺市と羽曳野市にまたがる古市古墳群(ふるいちこふんぐん)について考えてみよう。同時に巨大な古墳の管理についても考えてみたい。 大阪府の東部にある古市古墳群は、西部にある堺市の百舌鳥古墳群に比べると少し注目度が低いように思えます。堺市は百舌鳥古墳群の中央に広大な市民の憩いの場である大仙公園や堺市博物館が仁徳天皇陵古墳や履中天皇陵古墳に囲まれていてアクセスしやすいのですが、古市古墳群周辺は、密集住宅街ですので巨大な古墳がそれぞれ単独で集合している感じで、訪問しにくいのが理由でしょうか? 日本最大規模の仁徳天皇陵古墳は最外提の長さが、ちょうどJRの一駅分になります。 形も航空写真でおなじみのように、三重の濠(ほり)に囲まれた典型的でスマートな前方後円墳ですし、周辺には多くの陪冢(ばいちょう)を従えています。 一

                                                                      「空白の4世紀」が謎のままでいいのだろうか? 未解明の古市古墳群を考える | 歴史人
                                                                    • 「古代常陸の雄 三昧塚古墳」展 @明治大学博物館・お茶の水 - 墳丘からの眺め

                                                                      7月23日土曜日、三昧塚古墳展を見に、明治大学博物館へ。 土曜日なので、古墳カレーの特別メニューがあるレストランはお休み。 土曜日は15時までと知らず、着いたのは閉館20分前ぐらいでした。 (月~金・10:00~17:00、土・10:00~15:00、日曜は8月7日以外休館。8月7日まで) 入館無料。撮影可。 三昧塚古墳の概要。 昭和30年(1955)に土取り工事の対象となり、トロッコで土砂を大量に運び出しているところを偶然に通りがかった県の文化財関係者が目撃、消滅前の緊急発掘調査が20日余りの期間で行われ未盗掘の石棺と大量の副葬品が出土。その成果により工事が中断され消滅を免れ、墳丘も復元整備されました。 自分が茨城県行方市の三昧塚古墳を訪ねたのは、古墳巡りを始めてすぐの2013年でした。 舟塚山古墳、府中愛宕山古墳、三昧塚古墳、富士見塚古墳 - 墳丘からの眺め 今回の展示は、その調査の様

                                                                        「古代常陸の雄 三昧塚古墳」展 @明治大学博物館・お茶の水 - 墳丘からの眺め
                                                                      • 厚木の「円墳」、実は前方後円墳でした 溝の発掘で判明 | カナロコ by 神奈川新聞

                                                                        厚木市及川2丁目の「及川伊勢宮遺跡」でこれまで円墳とみられていた墳丘が、実際は全長37メートルの前方後円墳だったことが「かながわ考古学財団」の発掘調査で分かった。前方部の高まりは失われているものの、周囲の溝などを発掘して判明した。前方後円墳全体が調査エリアに含まれていることから、同財団では古墳を取り巻くように見学コースを設け、市教育委員会と共催で20日に見学会を実施する。 発掘調査は…

                                                                          厚木の「円墳」、実は前方後円墳でした 溝の発掘で判明 | カナロコ by 神奈川新聞
                                                                        • 伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵) 京都府向日市寺戸町大牧 - 墳丘からの眺め

                                                                          前回の寺戸大塚古墳から”竹の径”を南に進んだ先、目の前が大きく開けて墓地が。 男山をズーム。 その右から下ってくる山の先端に天王山があると思われます。 歩いてきた道は「西ノ岡トリムコース」という名前がついていました(ここが中間地点) 上記の看板から東に100mほどに、宮内庁管理の陵墓があります。 「桓武天皇皇后藤原乙牟漏 高畠陵」 桓武天皇が築いた長岡京は南東に約1.5㎞、この舌状台地の先端方向です。 掃き清められた玉砂利を進み、柵の前から参拝。 向日市のサイトによれば古墳時代前期に築造された円墳で、直径約65m、高さ約7mとのこと。 伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)/京都府向日市ホームページ 拝所を背にした方向には真新しそうな住宅が並んでいます。 墳丘を東側の道路から。 ちょこっと斜面が見えました。 グーグルアースで見ると、樹林が円形になっているのがわかりますね。 直径65mは、なかなかの

                                                                            伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵) 京都府向日市寺戸町大牧 - 墳丘からの眺め
                                                                          • 評判最悪の展覧会に…古墳を愛する学芸員 なぜ反省会の動画アップ | 毎日新聞

                                                                            考古資料は土まみれの茶色というお決まりのイメージを覆す特別展「カラフルな考古資料たち」を企画し、あえなく失敗。内情を赤裸々に語る反省会の動画をアップし、「じかに考古資料を感じてほしい」との思いを伝えるユニークな学芸員がいる。専門は古墳時代。神奈川県平塚市博物館の考古学学芸員、新宮崇弘さん(29)にお決まりではない考古学のおもしろさを語ってもらった。【因幡健悦】

                                                                              評判最悪の展覧会に…古墳を愛する学芸員 なぜ反省会の動画アップ | 毎日新聞
                                                                            • 約1400年前の古墳 現地説明会|NHK 福岡のニュース

                                                                              久留米市でおよそ1400年前の古墳時代後期の古墳が見つかりきょう、一般の人たちを対象にした現地説明会が開かれました。 説明会が開かれたのは久留米市田主丸町の「山王古墳群」でことし4月から始まった第2次発掘調査で見つかった長さがおよそ12メートル、幅が7メートル余りの古墳です。 これまでの調査でおよそ1400年前の古墳時代後期に造られた「円墳」または「方墳」だということが分かっていて、内部にある石室も良好な状態に保たれているということです。 説明会には市内のほか福岡市などから考古学の愛好者らが訪れ、担当者の説明を聞きながら見学していました。 市の文化財保護課によりますとこの古墳には古墳の周りに石を積み上げて四角く囲むなど同じ時代の他の地域にはみられない、筑後川流域特有の形態がみられるということです。 古墳は砂防ダムの建設予定地にあり、今後、見ることができなくなるということです。 久留米市文化

                                                                                約1400年前の古墳 現地説明会|NHK 福岡のニュース
                                                                              • THE古墳

                                                                                産経新聞社のニュースサイト。政治、経済、国際、社会、スポーツ、エンタメ、災害情報などの速報記事と解説記事を掲載しています。

                                                                                  THE古墳
                                                                                • 邪馬台国論争に新説 目達原古墳群の再調査を | | 論説 | 佐賀新聞

                                                                                  邪馬台国論争に、新たな一石が投じられた。中国の歴史書「後漢書」に名前が登場する最古の日本人、「帥升(すいしょう)」が、吉野ケ里のクニの王だったとする説を、佐賀城本丸歴史館長の七田忠昭さんが発表した。 帥升は邪馬台国の女王卑弥呼よりも100年以上前の人物で、後漢書には「倭面土(めと)国王帥升」と記されている。 「めと」と「めた」-、音が似通っていることに着目して、「面土国」は吉野ケ里周辺のクニの一つであり、その王が帥升だったのではないか、という大胆な推理である。確かに、「めた=めと」の音は、現在の三養基郡上峰町米多(めた)や、神埼郡吉野ヶ里町の目達原(めたばる=米多の原)などにつながる。 七田さんがこう考える背景にはもう一つ、大きな理由がある。上峰町にある天皇家ゆかりの陵墓「都紀女加(つきめか)王墓」と、目達原古墳群の存在だ。そこに、謎を解く鍵が潜んでいるはずだというのだ。 七田さんは学会向

                                                                                    邪馬台国論争に新説 目達原古墳群の再調査を | | 論説 | 佐賀新聞