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アートと思想に関するmahalのブックマーク (5)

  • nix in desertis:2023年6月に行った美術館・博物館(ブルターニュ展2つ,マティス展)

    SOMPO美術館のブルターニュ展。偶然か作為かはわからないが(事情を知っている人がいればコメント欄でご教示いただけるとありがたい),2023年の6月に西美とSOMPO美術館でブルターニュ展がかぶった。ブルターニュはフランスの辺境で独自の文化を維持した地域であり,近代になって鉄道が通ると観光地として人気を博すことになった。そこには都会化し,過度に洗練化されたパリとは異なる,粗野で素朴で敬虔な人々と,波高く険しい断崖に代表される荒々しい風景が都会に疲れた人々を出迎えてくれるのであった……という説明だけで気づく人は気づくところで,数々の絵画を鑑賞して感じたのは,どう考えてもこれは身近なオリエンタリズムである。しかも距離が近すぎるがゆえに当事者たちが気づきにくいたぐいの。とするとそこを批評するのが展覧会の役目なのではないかと思うのだが,どちらの企画展もその方向性での批評性は高かったとは言いがたい。

    mahal
    mahal 2023/08/12
    「異郷」成立の背景次第で、宗教的な色合いが強いスペインのコンポステラや、逆に昭和産業的スプロール化を経た本朝の軽井沢とか様々な実装は発生するけど、その中で「芸術と習合した」意義は掘り下げられて良いかも
  • finalvent on Twitter: "張り紙に表現したいことを書くだけでは、およそ芸術とは言えない。 既存のイデオロギーの受容を迫るだけの記号は、プロパガンダと呼ぶべきだろう。 イデオロギー的な受容をせまるだけということ自体が、醜悪な党派性でしかない。"

    張り紙に表現したいことを書くだけでは、およそ芸術とは言えない。 既存のイデオロギーの受容を迫るだけの記号は、プロパガンダと呼ぶべきだろう。 イデオロギー的な受容をせまるだけということ自体が、醜悪な党派性でしかない。

    finalvent on Twitter: "張り紙に表現したいことを書くだけでは、およそ芸術とは言えない。 既存のイデオロギーの受容を迫るだけの記号は、プロパガンダと呼ぶべきだろう。 イデオロギー的な受容をせまるだけということ自体が、醜悪な党派性でしかない。"
    mahal
    mahal 2019/08/04
    醜悪さが表現されたら、結果として芸術の機能を有してしまうのではというお話と、そこに「醜悪さ」を見ること自体が「孤人主義」的な個人主義の陥穽かも、って辺りがちょっともにょり処ではあるかな
  • [2敗でも]島本和彦氏、敗北宣言[1敗だ] #シンゴジラ [発声上映配信]

    漫画家島和彦 @simakazu ネタバレは避けたいので内容については触れないが 、同世代の人間がシン・ゴジラ観たら、隣のそれぞれのトン子さんに熱く語らずを得ない完璧な作りになっている。一刻も早く前情報なしでぜひ体感したほうがいい‼︎ #シンゴジラ 2016-07-29 16:34:09 ショーゴ @sho5_pine @LCW_mofu 俺 ゴジラ見にいったのに なんでこんなにポジティブな日は凄いぞ!負けないぞってメッセージに貰えると思えなかったよ これは島先生も大喜びで完全敗北宣言だよ 2016-07-29 22:45:39 不機嫌な大福 @9Flumpool @9Flumpool そして映画終わってすぐ拍手が聞こえてやっぱりシンゴジラは最高なんだ!って思って、映画出てしばらくしたら島和彦先生がいた!!大興奮でサインお願いしたら快く引き受けてくれて感動したし、同じ時間にシンゴジ

    [2敗でも]島本和彦氏、敗北宣言[1敗だ] #シンゴジラ [発声上映配信]
    mahal
    mahal 2016/07/31
    この連ツイ自体が、世のあらゆる創作者に通じるであろう「勝ち負け論」として、映画の本編全く関係なく銘じておきたい逸品。
  • なぜ美術系・芸術系の人ってそっち方面が多いのか

    忘れていました。昨日はメルマガとnoteの日でした。 1 質をつく考え方を身につけるために 2 オウンドメディアの外注は成功するか 3 店名検索で上位表示されない? 4 Instagramでコメントの長短は重要か 5 わたしの起業~現在に至るまでのエピソード 6 わたしのおすすめタスク管理術 です。まぐまぐ!またはBLOGOS、スマホで読む方はnoteでお買い上げいただけます。ついでにInstagramもフォローしていただけると喜びます。苦節5ヶ月でやっとフォロワー2500人近く・・カメラ機材の投資が半端ないです。 さて日は、メルマガの質問に、以前ブログにも書いたのですが大変面白いのをいただきまして、選挙時期ということもあって、再度取り上げたいと思います。 ☆☆ 質問はここから ☆☆ 我家は永江さまのお陰でコピーライター教室に通い、熊ふるさと納税をし、Panasonicのカメラを購

    なぜ美術系・芸術系の人ってそっち方面が多いのか
    mahal
    mahal 2016/07/07
    逆に言えば御用芸術家として富裕層におべっか使うのが当たり前の中世から解放されてもその時代以前のアートが悉くクソみたいな事実が無い以上、世の理想を追求することはアートには役立つのかみたいなお話も。
  • La mort du jeune Barra: 極東ブログ

    写真に見慣れた現代人にとって絵というものはまず見るものであるが、他の時代の人々にとっては、そしておそらくどの地域や文化であれ、見るために背景知識を要する記号の集合でもあり、その知識に偏在はあったとしても、見る者にまったくの不可解ということはなかった。あるいは、それらの知識やコードは同時代人には無意識に了解されるものでもあり、現代の絵画・写真においても同じことがいえる。にもかかわらず絵には、その知識なくして見る者にだけもたらす秘密というものがある。この絵についても、知識を持たない人がおそらくその質を瞬時に看取するだろう。 フランスの新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が1794年に描いた"La mort du jeune Barra"である。「若きバラの死」であるが、"Mort de Barra"、「バラの死」と略されることもある。 描かれ

    mahal
    mahal 2011/06/22
    「タナトス」的なものってのは、「死を捧げられる所の受け皿」たる共同体と共犯しやすいってお話かなと。現代欧州において政治的に謳歌される”An Die Freude"とかも、多分そうした「友愛」の成果としての「歓喜」よね。
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