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生活と震災に関するsds-pageのブックマーク (2)

  • 今日、30歳になるオタ。

    俺も、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、千葉県の船橋あたりで生活していた。千葉県はカスだ。東京まで微妙な距離のせいで、逆にオシャレを履き違えているやつらだらけ。茨城のゴミ共もいるおかげで、余計に田舎者ムードは高まっていた。特に地元の船橋民が嫌いだった俺は、三国志大戦などをやるためにわざわざ津田沼エースまで行っていた。今思うと津田沼は津田沼でゴミみたいな街だったが、船橋よりはマシというところだろうか。あと、俺はオタなので秋葉原が微妙に遠いのが嫌だった。総務線で一とはいえ、微妙に遠い。かといって千葉のオタショップはやはり、品揃えの面で大きく劣る。飲店は何一つとしてとりえのない、個性のない「退屈な街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。 私が住んでいた地域には大学があったのか覚えていない。競馬場はあって、薄汚いおっさんが娘の給費を無駄にするために

    今日、30歳になるオタ。
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    sds-page 2023/01/17
    ポポポポ~ン?謎の白い液体の正体とは?いいえ、ケフィアです。アマゾンで予約注文してた何かが道が崩壊してるとかで予約キャンセルになって鬼クレーム入れたなぁ
  • 北海道地震から停電復旧で助かったのはマキタの製品と友達ネットワーク (1/3)

    屋根の上で通信(9月7日未明 地震発生から24時間) 夜になると、もう携帯の電波は圏外になっていた。基地局のバッテリーもついに尽きたか。しかしダメモトで屋根に登ってみると、電波は入った。さらに立ち上がって、右手をウルトラマンのように高く掲げると、メールが受信できることもあった。このシュワッチのような動作を、朝方まで繰り返し続けた。こうして書いてみるとバカみたいだが、おかげでさまざまなメッセージが受信できた。 自動車販売をやっている友達は、事務所の中がホイールその他パーツでメチャクチャになり、どこから手をつけていいのかわからない状態らしい。手伝いに行こうかと返信したが、停電中に応答はなかった。通信状態はお互いに悪い。 関西方面からは、台風21号の影響で停電している岸和田の様子が伝わって来た。地震の前日には北海道にも21号が上陸し、千歳でも観測開始以来最大という風速33.4m/sを記録。すでに

    北海道地震から停電復旧で助かったのはマキタの製品と友達ネットワーク (1/3)
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    sds-page 2018/09/12
    電波が来なくてもライト代わりに使えるしワンセグも見れるスマホ。意外と使い道がある
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