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「本は売らないとたまるね」という中村光夫の名言、もしくは迷言の真実味について、実地に確かめてみるとどうなるか 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第19回を「ちくま」5月号より転載します。たしかに家にあるはずの本が見当たらない! というのは読書人あるあるだと想いますが、蓮實さんでもそうなのかと思うと安心、というか人間の整理能力や認知能力には限界があるのだなと素直に受け止められます。ご覧下さい。 いつのことだったか定かな記憶はないが、昭和と呼ばれた一時期の戦中および戦後にかけて文芸批評の重鎮だった中村光夫の「名言」もしくは「迷言」として、「本は売らないとたまるね」というものがあったと思う。ことによると「たまるね」ではなく「増えるね」だったかもしれぬが、実際、書物というものは、とりわけこの文章をいま書き綴りつつある者のように映画や文学の批評にかかわる年輩者のもとに、しばしば著者自身から、あ
韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第6話の前篇です。アメリカに渡ったコリアン・ファイター、マスター・リーの数奇な人生と大山倍達について。ぜひお読みください。 コリアンタウンへ 「アメリカに行ったら、コリアンタウンを訪ねてみてほしい」 在日韓国人の友人に言われたのは、1980年代の終わりの年だった。 生まれ育った街には在日コリアンが多かった。中学校のバスケ部で一緒だった友人の家には表札が2つあり、日本名と韓国名が並んでいた。狭い路地には白い服を着たお年寄りたちがいた。下着だと思っていたのは、モシ(麻)の夏用韓服だったのだろう。 高校にあがると、ヤンチャな界隈では朝鮮学校に知り合いがいることが、ちょっとしたステイタスにもなっていた。 「私のバックは朝高のジョンホだから」 そんなことを自慢している女友だちもいた。大人たちの中には差別偏見丸出しの人間もいたけれ
たとえばスマートフォンの便利なGPS機能。中国の衛星測位システム「北斗」も全世界をカバーしており、じつはiPhoneをはじめ2022年に出荷されたスマホのうち98.5%は「北斗」のシステムにも対応しています。その産業規模はおよそ10兆円。いまや宇宙技術は、国策から民間へ、国威発揚からビジネスへ、そして平和利用から軍民一体へとシフトしました。すでに実験が始まっている「量子衛星通信」など、技術競争は未来の科学力に直結します。加速する宇宙開発の最先端を取材したちくま新書『宇宙の地政学』の冒頭を公開します。 1957年の「スプートニク・ショック」以来、世界の宇宙開発は旧ソビエト連邦(現ロシア)と米国が牽引し、欧州、日本、中国などが続いた。ロケットから衛星まで一貫して自前で設計、開発、製造するには高度な科学技術の体系、莫大な資金、それに多数の有能な人材が必要であり、これらを満たす国は限られていた。
救う太子、呪う太子、嘲笑う太子……。彼はメシアか、怨霊か、超能力者か。その封印された謎に迫る、オリオン・クラウタウ『隠された聖徳太子』。こちらの「まえがき」を公開します。 聖徳太子は実質的な意味におけるところの、わが国の建設者である。それ以前の日本は、いくつかの有力な豪族の支配の下に分割されていた。ところが聖徳太子のときから、日本は統一国家を形成するようになった。それとともに、日本は世界史の流れのなかに棹さして進むようになった。 中村元『聖徳太子――地球志向的視点から』(東京書籍、一九九〇年、一一頁) 仏教学者の中村元(一九一二―一九九九)のこの言葉のように、聖徳太子(五七四―六二二)は日本における偉人の中の偉人だ。今から約一四五〇年前の飛鳥時代を生きた皇族の彼は、冠位十二階を制定した実力主義者、遣隋使を派遣した外交の推進者、「憲法十七条」を作成した日本的デモクラシーの父として知られている
ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年5月号より転載。 自民党・杉田水脈衆院議員の差別発言が止まらない。「LGBTは生産性がない」(2018年)とか、「女性はいくらでもウソをつける」(20年)とか、彼女はもともと全方位的に差別発言を撒き散らす人ではある。が、最近目立つのはアイヌ差別だ。 度重なる差別発言で総務政務官は辞任したものの(22年12月)、23年にはアイヌ文化振興事業に公金不正流用疑惑があるとし、関係者を「公金チューチュー」と揶揄。同年、札幌法務局と大阪法務局が彼女のブログやツイートに人権侵犯があると認定したのは、16年の国連女性差別撤廃委員会について「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装の
日々起きる事件や出来事、問題発言をめぐって、ネットユーザーは毎日のように言い争っている。なぜ対話は難しいのか。社会やメディアのあり方を考える『ネットはなぜいつも揉めているのか』より「はじめに」を公開! はじめに 朝、目を覚ますとツイッター(現X)を開くところから私の一日は始まります。 夜のあいだに通知は来ていないか、新しい話題や動きが出てきていないかをチェックするためです。私のタイムラインでは日々、何らかの対立が発生しており、私自身がそこに加わっていることもあります。私がフォローしている人同士が言い争っているのも珍しくはなく、ヒヤヒヤしながらその顚末を見届けることになります。 もっとも、これは私がフォローしている方々の多くが研究者や新聞記者であることに関係しているのかもしれません。ツイッターでは誰をフォローするのかによってタイムラインのありようは全く変わってきます。私のタイムラインでは政治
機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 1968年生まれ。アニメ評論家。新聞記者、週刊誌編集を経て、2000年よりアニメ関連の原稿を本格的に書き始める。現在は雑誌、パンフレット、WEBなどで執筆を手掛ける。主な著書に『増補改訂版 「アニメ評論家」宣言』『ぼくらがアニメを見る理由』『アニメと戦争』『アニメの輪郭』などがある。
いま「ラボ」や「リサーチ」を冠した組織が、アフターインターネット時代のビジョンを作りあげつつある。彼らはスピード感と軽やかさを武器に、新しい技術の可能性を社会に問い続けているのだ。ラボやリサーチをイノベーションの駆動力とする「ラボドリブン社会」とはどのようなものか。ビジネスからアートまで、最先端の現場からラボの新しい姿を解き明かす。 創造性の外注 前回のコラムで企業と大学のコラボレーションの話を書きましたが、私の研究室には様々な共同研究の話が舞い込みます。製造業が中心で、通信、自動車、印刷、ファッションなど様々な業界からお声がかかります。ありがたいことです。 共同作業を通していつも感じるのは、大きな企業ほど創造的な人材に困っているということです。そういう人が少ないので、革新的なものが作れず、尖ったデザインファームや大学と共同作業することになるのでしょう。 見方を変えると、大きな企業はクリエ
1968年生まれ。アニメ評論家。新聞記者、週刊誌編集を経て、2000年よりアニメ関連の原稿を本格的に書き始める。現在は雑誌、パンフレット、WEBなどで執筆を手掛ける。主な著書に『増補改訂版 「アニメ評論家」宣言』『ぼくらがアニメを見る理由』『アニメと戦争』『アニメの輪郭』などがある。 ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→https://aebs.or.jp/
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「富野由悠季概論」。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 宇宙との出会い 現在、アニメーション監督という存在が広く当たり前の存在として世間に認知されている。しかし、このような認知を得るまでには、それなりの長い時間が必要であった。そしてその中で大きな働きを果たしたひとりが、富野由悠季監督である。 富野の経歴を簡単に振り返ってみよう。 アニメーション監督・富野由悠季は1941年11月5日、三人兄弟の長男として神奈川県小田原市に生まれた。本名は富野喜幸。富野家は代々「喜」の漢字を継いでおり、喜幸の「喜」の字もそこに由
認知科学の第一人者である今井むつみさんが言語習得の謎に取り組んだデビュー作を、ちくま学芸文庫として刊行しました。専門的な内容の本ですが、自他ともに認める「今井むつみファン」である「ゆる言語学ラジオ」水野太貴さんがその面白さをみごとに解説してくださいました! 本を手に取る前にぜひご一読ください! フィクションの世界ではしばしば、「ある未解決事件の犯人を追いかけ続けている刑事」が見受けられる。私にとって本書の著者である今井むつみ先生は、そういう人である。今井先生が追いかけ続けている事件とは、「ヒトが言語を習得すること」だ。どの人も経験するので当たり前のことのように思えるが、立ち止まって考えると不思議なことはいっぱい起きている。例えば私たちは、親から単語の意味や日本語の文法をはっきり教わったわけでもないのに、自然と言葉を使いこなせるようになる。そして、そのメカニズムは完全には解明されていない。で
江戸時代の人々を熱狂させた浮世絵。 そこに描かれた細々としたモノやコトから当時の暮らしや好みを読み解こう。 動物、グルメ、天候、ファッション……浮世絵師たちの優れた腕前や想像力もご堪能あれ! 現代は猫ブームと言われて久しい。ペットとして猫の人気はどんどんと高まっており、平成26年(2014)には、猫の飼育頭数が犬を上回った(ペットフード協会調べ)。だが、猫の人気は現代だけではない。江戸時代や明治時代にさかのぼっても、猫は庶民たちの身近におり、浮世絵に最も頻繁に登場した動物でもあった。 猫は、愛玩動物として人間と共に暮らしている姿が描かれることが多い。例えば、月岡芳年の《風俗三十二相 うるささう 寛政年間処女之風俗》(図1)。刊行は明治21年(1888)だが、江戸時代の寛政年間(1789~1801)の女性を描いたという設定である。少女は覆いかぶさるように白猫に抱きついている。猫の首に巻かれて
上から叱られたくはないし、下の世代を傷つけたくもない“板ばさみ世代”ど真ん中の著者が、仕事や出世、友達、性、親子関係など、この世代が直面するさまざまな悩みについて考え、出口を探っていきます。初回は「はじめに」を一挙公開! 毎月第2、第4木曜日の更新です。よろしくお願いします! 若くはない。でも、大人としての自信もない ここ数年、男性から身の上話を聞く機会がとても増えています。仕事の愚痴、恋愛の悩み、将来の不安、日々の孤独。大学生から定年退職後の方まで幅広い世代に話を伺ってきましたが、私自身が40代ということもあり、中でも多いのは30代から50代の男性たちです。もう若くはない。でも、自分が成熟したとはまだまだ思えない。仕事などで若い世代と接する機会が増えてきた。でも、日々のことで手一杯で年長者としての責任を果たせているか自信がない。社会が変化しているのはわかる。でも、心身に染みついた習慣や価
紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 ベオグラードの朝。坊やが、空を指さす。飛行機が、細い線を描いていく……。子供のいる情景が好きだ。1991年ユーゴスラビア内戦勃発、1999年3月24日にNATOの空爆が始まり78日続いた……。重い時代も、子供に救われていた。 リュドミラ・ウリツカヤの『子供時代』(新潮クレスト・ブックス)は、第二次大戦直後の旧ソ連時代を生きる子供の世界を描く。「キャベツの奇跡」は、遠縁のお婆さんにひきとられた戦争孤児の姉妹のお話。酷寒のなかで姉妹は列に並び、キャベツを買おうとするとお金がない。お札を落としたのだ。すると姉妹の前をトラックが走り去り、荷台からキャベツが二つ落ちてき
教育はしばしば失敗するし、学校は本質的に退屈である。にもかかわらず、学校や教育は世界を広げてくれる――。教育の目的から、学校の役割、道徳教育やAI社会まで、広い視点と多様な角度からとらえなおす一冊『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』(ちくまプリマー新書)より、内容を一部公開します。そもそも「教育」とは何なのでしょうか? 教育の定義 そもそも「教育」とは何なのでしょうか。私は、「教育(education)」を定義するとき、「教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである」という定義を与えています(広田照幸 二〇〇九『ヒューマニティーズ 教育学』岩波書店)。「教育とは何か」については、いろいろな人がいろいろな定義をしていますが、おそらく、最もシンプルな定義の一つだと思います。いろいろなものをそぎ落としてみて、最後まで残る重要な性質を、私は「教育」の定義に使っています。 なお、
宮城県山元町出身のマンガ家・イラストレーター。 東日本大震災で実家が全壊し、女三代で建て直すまでの道のりをコミックエッセイ『ナガサレール イエタテール』(太田出版)で描く。 その後、祖母が認知症を発症。建て直した家での介護生活の様子は、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)に描かれている。 http://nico.nicholson.jp/ 大阪大学大学院人間科学研究科臨床死生学・老年行動学研究分野教授を定年退職し、現在は大阪大学名誉教授、大阪府社会福祉事業団特別顧問。博士(医学)。 認知症を心理的な面から研究しつづけ、日本老年臨床心理学会理事、日本老年社会科学会理事、日本応用老年学会理事、長寿科学振興財団理事などを務める。元日本老年行動科学会会長。 著書に『認知症 「不可解な行動」には理由がある』(SB新書)、『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』
地球や生命の歴史を明らかにすべく化石を手がかりに研究する古生物学は「ロマンあふれる」学問と思われがちだが、実際はわからないことだらけ。研究現場の苦悩も面白さも1冊につめこんだ『古生物学者と40億年』より本文の一部を公開します! ロマンあふれる学問⁉ 化石と聞いて、みなさんはどのような印象をお持ちでしょうか? ダイナミックで迫力のある恐竜を、真っ先に思い浮かべる方が多いかもしれません。アノマロカリスやオパビニアなど、今生きている生き物とはまったく異なる姿かたちをしている不思議な古生物も人気がありそうです(図1-1)。もしくは、過酷なフィールドに出て黙々と化石発掘をしているようなシーンを連想した方もいるかもしれません。 個人的には、化石と聞くと恐竜をイメージする人が多いと思っていたのですが、必ずしもそうではないかもしれないことを示唆する興味深い調査結果が最近公表されました。それは、中学生を対象
「あの時代はよかった」ーー恐怖と暴力で国民を支配したイメージのある第三帝国だが、その時代を回想する住民証言からは、むしろ正反対の姿が描かれる。ごく平凡な「普通の人びと」は、どのようにしてどのようにして政策を支持するようになっていったのか? 詳細な住民証言に基づき、女性や子どもたちまでもが、徐々にナチ体制に統合された恐るべき道筋をあばきだした本書。ドイツ現代史がご専門の小野寺拓也さんによる書評を、『ちくま』4月号より転載します。 「日常史」という研究手法がある。市井の「ふつうの人びと」の視点、生活や経験から社会を考える、「下から」「内側から」の歴史学である。政治史、外交史、社会構造史といった伝統的な歴史学は偉人中心であったり、あるいは経済や社会構造といった「顔の見えない」ものが叙述対象であったりで、名もない「ふつうの人びと」は無視されるか、「受け身」の存在として描かれることが一般的だった。そ
現在放映中の『光る君へ』で注目を集めている平安時代。ただし大河ドラマで描かれるのは、その時代のほんの一部に過ぎない。その裏では武士たちの様々な争いが繰り広げられていた。その有様を描いた『平安王朝と源平武士』の序章を公開します。衝撃的な一文からはじまります。 女性仮名文学と隣り合わせの武士の暴力 清少納言は目の前で兄を殺された、という伝承がある。鎌倉時代の『古事談こじだん』という説話集に伝わる話で、その殺人事件があった時、二人は同居していた可能性がかなり高い。 殺された兄の名を、清原致信むねのぶという。寛仁元年(一〇一七)、貴族が多く住む都の高級住宅街で、それも白昼堂々と、二〇人ほどの騎兵・歩兵が家を包囲し、押し入って殺害した。あまりに大っぴらな犯行だったので、その日のうちに犯人が判明した。源頼親よりちかという武士が、手下を使ってやらせたのだった。 奇妙にも、世間は驚かなかった。人々は「また
序章 「結婚」を疑う 1 結婚の「常識」を疑う 有名な「なぞなぞ」から話を始めます。 ある父親が息子を車にのせて運転中、交通事故に遭いました。父親は即死、子どもは重傷を負って病院に運ばれました。しかし、手術を担当することになった外科医は子どもを見たとたん執刀を拒否し、こう言いました。「この患者は自分の息子だから、手術をすることができない」子どもと外科医の関係はどのようなものでしょうか? いかがでしょうか。簡単だと思う人もいるかもしれませんが、あれこれ悩んでいる人もいるのではないでしょうか。 もしあなたが「父親が二人?」と戸惑ってしまったとすれば、出題者の意図どおりにひっかかってしまったことになります。なぞなぞの答えは、「外科医は母親」になります。 コロンブスの卵のようななぞなぞですが、あなたが答えを導き出せなかったとすれば、それはステレオタイプの作用です。つまり、「外科医」という単語を聞い
2023年12月31日の紅白歌合戦で、YOASOBI「アイドル」のパフォーマンスが大きな反響を呼びました。その直前に初の批評集『女は見えない』を上梓した西村紗知さんは、この演出ではじめて「アイドル」という曲が理解できたと言います。芸能界に急激な変化が訪れるなかで求められる、真の「天才的なアイドル様」とは誰なのか? ここ数カ月のニュースを思い出しつつお読みください。 3.「小説を音楽にする」こと J-POPのアーティストだからグローバルなダンスミュージック制作とは相容れないだとか、そういうことを思うには筆者の聴取経験が明らかに不足しているのであるし、反証となる例はたくさんあるだろう。ただ、そもそも、踊っているアイドルを主題にした曲だからといって、この曲が実際の生身のアイドルが踊るのに適しているかどうかは話が別ではないか、とは思う。 何より、紅白の演出は「小説を音楽にする」というYOASOBI
機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて、本論の一部を連載します。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーション監督として語るための2つの切り口 アニメーション監督・富野由悠季について考えたい。ここで重要なのは、この言葉で比重がかかっているのは「アニメーション監督」のほうで、決して「富野由悠季」個人のほうではない、ということだ。富野由悠季という「アニメーション監督」は、その存在感の大きさに比して、十分に語られないうちに長い時間が経ってしまった。 富野は、TVや新聞雑誌などマスメディアに登場することが多いアニメーション監督だ。人気者といってもいいだろう。書籍に関しても、批評
自分ではどうしようもできない「衝動」に憑りつかれることがあります――人気漫画『チ。』で主人公が命もかえりみずに「地動説」を信じたように。『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』より序章「なぜ衝動は幽霊に似ているのか」を全文公開! 「自分ではもうコントロールしきれないくらいの情熱」 魚豊さんの『チ。地球の運動について』(小学館)という漫画があります。この作品は、手塚治虫文化賞のマンガ大賞を最年少で受賞しただけでなく、有志の書店員による「マンガ大賞2021」で第2位、宝島社の「このマンガがすごい! 2022オトコ編」でも第2位となっています。批評家も、売る側も、買う側も相当に注目している漫画です。 『チ。』は、著名人にもファンが多い作品です。漫画好きを公言する人は大体『寄生獣』や『ヒストリエ』を読んでいますが、それらの作者である漫画家の岩明均さん、若者に絶大な支持を受ける詩人の最果タヒさんなど
犯罪のニュースを見て怒りを覚えたり「犯人にも同情の余地がある」と思ったりすることは誰しもあるでしょう。しかしその感情の揺れを反映しない、させないものとして、「刑法学」は存在しているのです。ちくまプリマー新書『刑の重さは何で決まるのか』より本文の一部を公開します。 ドストエフスキーの『罪と罰』 さて、量刑に至る「長く曲がりくねった道」をたどるとき、最初の関門は「犯罪行為」です。まずは、次の物語からスタートしましょう。 法学部を中退した貧しい青年ラスコーリニコフは、生きていることの不快さから、いつもイライラしていました。彼は、人間にはナポレオンのような特別な人間と、歴史の材料にしかならない普通の人間とがいて、自分は前者であることを証明するために、金貸しの老婆とその妹を斧で殴り殺し、わずかの金を奪います。証拠を残さず、屋根裏の自室に戻りますが、そこから、彼は激しい恐怖と孤独感に苦しめられます。そ
UberEatsやamazon配達員など、アプリで仕事を請け負い、働きたいときだけ仕事をする、ギグワーカーと呼ばれる働き方が注目されています。時間にとらわれず、決められた職場もないその働き方は、一見とても自由そうに見えます。しかし、単発で業務を委託される個人事業主(フリーランス)は労働法上の「労働者」ではないため、労災保険が適用されず、最低賃金や長時間労働の規制対象にもならず、失業時の補償もありません。多くのリスクにさらされる人々を守るための枠組みを考える、橋本陽子さんの新著『労働法はフリーランスを守れるか―これからの雇用社会を考える』。労働法政策がご専門の濱口桂一郎さんによる書評を、『ちくま』4月号より転載します。 「フリーランス」というといかにもかっこよく聞こえるが、「一人親方」というとなんだか垢抜けない印象だ。でも両者は同じものを指している。他人(会社)に雇われるのではなく、自分一人
オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。 俺は毎日のように居場所を変える 一ヶ所に長居すると、人々が俺に絡み始めるから 奴らにがんじからめにされないよう 俺は彷徨い続けるのだ ストーン・フリー! 生きたいように生きる ストーン・フリー! 長居はできない 上記はジミ・ヘンドリックスの"Stone Free"の歌詞を勝手に超訳したものであって、わたしの心情吐露ではない。 しかし、長いこと一ヶ所に住んでいるとだな。当初は遠巻きに観察するだけだった人々もわたしに慣れてきて、近所づきあいが始まり、それが辛くなってくることもしばしば。やがて、そんな環境に人生のあれこれを搦め捕られる気がして、
このほど『マルクス・コレクション』版の全面改訳を経て、『資本論 第一巻』(上・下)が文庫化されました。この大古典の翻訳をめぐり、訳者の一人である鈴木直氏が日本の翻訳史における興味深い一断面を切り取られています。ぜひお読みください。(PR誌「ちくま」より転載) 一度は読んでみたいと思っているのに、なかなか手が出ない。そんな著作ランキングがあれば、きっとマルクスの『資本論』はいいところまでいくはずだ。 読んでみたいと思う理由はいうまでもない。なんといっても「資本主義」を抜きにして現代は語れない。その「資本主義」という言葉は、ほかならぬ『資本論』の翻訳を通じて日本に定着した。デジタル革命と手をたずさえて、世界中でふたたび「富の集中」と「貧困の拡大」が同時進行しているこの時代に、もう一度、この資本主義論の源泉を訪ねてみたいと思うのは自然なことだろう。実際その分析は、今読んでもまったく輝きを失ってい
人や作品が商品として消費されるとき、そこには抗い、傷つく存在がある。 2021すばるクリティーク賞を受賞し、「新たなフェミニティの批評の萌芽」と評された新鋭・西村紗知が、共犯者としての批評のあり方を明らかにしつつ、愛のある批評を模索する。 第4回は、西村の本領である音楽批評。「丸サ進行」を取り入れた楽曲群が体現する、音楽にとっての自由について。 2.「丸サ進行」の基本的な話 「丸サ進行」、またの名をグローヴァー・ワシントン・ジュニアの作品名から取り「just the two of us進行」とも言う。テンションノートなど諸々簡略化して言うと、VI-V-I-III、VI-V-I-VII、あるいはVI-V-I-Iを反復させるようにして使う、短調のコード進行(Iがマイナーコードとなる)のことである。これは飽くまで目安で、もうすでに多数の派生形、類似形があり、これらとの組み合わせやその他のコード進
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