同道公祐 (RED ORCA / Aahum) 「ブルースのルーツを持ちながら、今の感じもどんどん採り入れて新しいものを」
ヘヴィメタル・バンド、メガデスの元ギタリストとして日本でもお馴染みのマーティ・フリードマンに、英紙「ガーディアン」がインタビュー。その唯一無二のキャリアと、いまだに魅了され続けているという日本への想いを語った。 メガデスのギタリストが、なぜ日本の昼間のテレビ番組で化粧品の品評をするに至ったのか、というのは、ヘヴィメタル史上、最も困った問いと言っていいだろう。 「チャレンジするのに夢中になったんですよ。本当にこれが自分にできるんだろうか、ということに」とマーティ・フリードマンは笑う。 「その最難関が、ある番組の審査員でした。女の子たちが登場して、念入りにメイクをする番組なんです。この世のなかに、自分にとってこれほどどうでもいいことはないのに。『ほう、このファンデーションにこのチーク、あの子によく似合うじゃない!』なんてね」 フリードマンがメガデスに参加したのは1990年のことだ。彼はこのヘヴ
ブリトニー・スピアーズ、エイス・オブ・ベイスからベック、ニルヴァーナまで。90年代を彩った名曲の数々を振り返る。(※US版記事初出:2019年8月) 90年代はシングル曲のゴールドラッシュで、ラジオからは常に様々なビートの楽曲が流れていた。グランジやギャングスタ・ラップから、ダンスホールやディスコ、ライオット・ガール、MTV「トータル・リクエスト・ライヴ」(TRL)の常連だったヘソ出しルックのモール・ポップまで、あらゆるスタイルの音楽がもてはやされた。星の数ほどエレクトロニック・ミュージックの流派があり、同じく実に多くのラップのソロ・レコードが世に出た時代でもある。90年代には、どんなジャンルの音楽ファンをも魅了する音があった。 あの時代を、ひとつのランキングで総括することなどとてもできない。1994年の夏だけでも、2〜300曲の素晴らしい楽曲がある。以下のランキングには、90年代の輝かし
音楽ライターの松永良平が、さまざまなアーティストに“デビュー”をテーマに話を聞く「あの人に聞くデビューの話」。この連載では多種多様なデビューの形と、それにまつわる物語をじっくりと掘り下げていく。第2回のゲストは坂本慎太郎を招き、ゆらゆら帝国でのメジャーデビューやバンド解散後のソロデビューについて語ってもらった。 取材・文 / 松永良平 撮影 / 相澤心也 坂本慎太郎にとって「デビュー」とは? 2010年まで率いたバンド、ゆらゆら帝国がミディレコードからメジャー1stアルバム「3×3×3」をリリースしたのは、1998年4月15日。1989年から続けてきた活動は、カセットやCDのアートワークまで含めた自主制作に始まり、とことんまでインディペンデントな在り方を貫くものだった。そんな中で迎えたミディでのデビューで変わったこと、変えなかったことの両方にぼくは興味があった。また、坂本にとっての“デビュ
Apple Musicによる史上最高のアルバムを讃える「100 Best Albums」(史上最高のアルバム100枚)の全リストが公開となった。 Apple Music「100 Best Albums of all time」 100位 ロビン『Body Talk』 99位 イーグルス『Hotel California』 98位トラヴィス・スコット『ASTROWORLD』 97位 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン『Rage Against the Machine』 96位 ロード『Pure Heroine』 95位 アッシャー『Confessions』 94位 ブリアル『Untrue』 93位 ソランジュ『A Seat at the Table』 92位 タイラー・ザ・クリエイター『Flower Boy』 91位 ジョージ・マイケル『Listen Without Prejudice Vo
100ベストアルバムへようこそ。 厳選した史上最高の アルバムリストを紹介。 私たちの世界を 形作ってきた作品たちに 愛と敬意を表して。 アーティストや専門家の 協力のもと作成。
「セカンドキャリアのリアル」とは…… ロックミュージシャンから、48歳で弁護士に転身。 「the JUMPS(ザ・ジャンプス)」のボーカルであり、弁護士でもある島 昭宏さん(アーティスト名:島 キクジロウ)のキャリアは異色そのものだ。 なぜ彼は、40代後半で新たな道を歩み出したのか? 島さんの半生を辿った。 【写真14点】「バンドマンから48歳で弁護士になった男のロックな半生」を写真でチェック 話を聞いたのはこの人! 島 昭宏(しま あきひろ)●1962年生まれ、名古屋市出身。早稲田大学政経学部卒。1985年よりパンクバンド「the JUMPS」ボーカル。弁護士法人アーライツ法律事務所代表。一般社団法人JELF(日本環境法律家連盟)理事、東京弁護士会公害環境委員会 副委員長・動物部会長、日本ペンクラブ理事 平和委員長/環境委員を務めるなど、環境や人権の分野で活躍。「島キクジロウ&NO NU
これは長い長いストーリーの序章 ──新曲「医者にオカルトを止められた男」は歌い出しの「サイキックアイドル握手会」から後半の怒涛の展開まで、これぞ筋肉少女帯!と言える1曲です。タイトルは大槻さんが「ムー」の公式サイトおよび「ムー」本誌にて連載中のエッセイと同じですよね。 大槻ケンヂ(Vo) そうです。「医者にオカルトを止められた男」はおいおい書籍化しようと思っていて、“1人タイアップ”じゃないけど、筋少で曲にしたら面白いなとずっと思っていたんです。 ──作曲は本城さんですが、制作時はどんなことを考えていましたか? 本城聡章(G) 振り返ればコロナ禍があって、会場でお客さんが声を出せない状態がずっと続いてたので、曲を書くときに「オーディエンスの皆さんと一緒に歌える曲を作りたい」という思いがどんどん強くなっていたんです。それで今回このタイトルを大槻くんから聞いて、じゃあそういう曲を作ってみようと
※日経エンタテインメント! 2024年4月号の記事を再構成 日本のアニメの市場規模は、2022年度の統計で2兆9277億円。10年前の1兆4769億円と比べると、およそ約2倍だ(一般社団法人日本動画協会調べ)。その原動力の1つは海外での成長にある。Netflixなどの配信サービスの普及により、海外でも日本のアニメがリアルタイムで見られるようになった。 完全新作の東映アニメーション製作のオリジナルアニメ。主人公は、高校を中退し単身で上京した井芹仁菜(写真上)。ある日、仁菜は降り立った郊外の駅前でたった1人で歌う少女、河原木桃香と出会い、彼女の持つ音楽の力に触れる。そして、本心を隠しながら生きる安和すばる、両親に捨てられた過去を持つ海老塚智、天涯孤独の少女ルパと共にロックバンド「トゲナシトゲアリ」を結成。それぞれ境遇は違うものの、悩みを抱えた5人の少女が世の中の不条理さに立ち向かい、自分たちの
はじめに先日公開しました動画「みのミュージックリスナーが選ぶ邦楽名盤ランキングTOP100」ですが、大量のご応募を頂き、一発の企画で終わらせるのも何かもったいないので、こちらで全データを紹介したいと思います。文字だと俯瞰で見れるし「⌘ command + F 」使えちゃいます!これは便利だ。そして前々から密かに興味を持っていたnoteのアカウントを開設する口実にもなる!今後もちょろちょろと記事を更新する予定ですので、ぜひフォローお願いします。 投票総数がなんと ・3189票 アーティスト総数 ・1503組 アルバム総数 ・3286枚 と想像を遥かに上回る規模感となりました ちょっとヤバい数字です。かなりカッチカチの統計的データなんじゃないでしょうか。今一度、この度投票頂いた皆様に感謝を申し上げたい!そんな気持ちです さて、 改めて企画の概要を説明しますと ・最高だと思う邦楽名盤を1位〜5位
Top 250 Japanese Albums of All Time on 11 Charts A list by watada24 Categories: All Time, Countries [List1085892] | +63 11.7.2023 <main> 200 points (#1) 1. RYM's Top 200 (200) 2. MUSIC MAGAZINE 50 Years of Japanese Music album Best 200 by littlepupil (200) 3. みのミュージックリスナーが選ぶ邦楽名盤ランキング (200) https://youtu.be/eZ2zICG6DL0?si=8N0-1rWtnwYBOsnh 4. みんなが選ぶ邦楽アルバムベスト100【2020】ろくおんげいじゅつ倶楽部 (200) https://www.my
金欠の美術学生が掴んだピンク・フロイドとの初仕事1968年のある日のこと。 ロンドンの安アパートに友人たちと同居していた金欠の美術学生ストーム・トーガソンは、アパートの住人の絵描きが成功したばかりのロックバンドのアルバムカバーの仕事を断ったのを見て、代わりに自分にやらせてくれと頼みこんだ。 ストームはすぐに「誰か一緒にやらない?」と友人たちに話を持ちかけた。するとオーブリー・パウエルがやりたいと言ってきた。ストームとオーブリーは二人で仕事に取りかかることにした。 正直、目の前のチャンスをつかんだものの、何をどうすればいいのかわからなかった。でも何とか仕上げてみた。それは同年に『A Saucerful of Secrets』(邦題『神秘』)というタイトルでリリースされた。バンドの名前はピンク・フロイド。 1968年発売の『A Saucerful of Secrets 【US輸入盤】』(Col
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)やThe Birthdayとして活躍し、昨年他界した日本屈指のロック・ボーカリストであるチバユウスケさんの書籍『EVE OF DESTRUCTION』(ソウ・スウィート・パブリッシング)は彼の遺作となった作品だ。 書籍には、チバユウスケさんの音楽人生において欠くことのできなかった重要なレコードの数々が紹介されている。掲載されるレコードは12ジャンルで250枚以上が掲載。ジャケットをみているだけでも楽しめる内容で、チバさんが愛したレコードを彼の言葉と共に追体験できる。さらに巻末には、レコード同様にチバさんが集めてきたバンドTシャツのコレクションの一部も特別に掲載。レコードからTシャツまで、チバさんの一貫した音楽愛を感じ取ることができるだろう。 この『EVE OF DESTRUCTION』を企画した担当編集者
ブルース・スプリングスティーンに“レーシング・イン・ザ・ストリート”という曲がある。『Darkness on the Edge of Town(町外れの暗闇)』、日本では『闇に吠える街』という邦題で知られている1978年のアルバムのA面最後に入っている曲だ。アメリカという国おいて、車、そしてストリート・レースとは庶民的な、いや、労働者階級文化の庶民性をもっとも反映したサブカルチャーだ。ぼくは一度だけ、1998年9月、デトロイトでのストリート・レースを見物したことがある。たしかに「町外れの暗闇」に包まれた道路の、夜の深い時間だった。 スプリングスティーンの“レーシング・イン・ザ・ストリート”が名曲なのは、元工場労働者/バスの運転手だった父親のもとに育った彼が、70年代後半の名作と言われている諸曲と同様に、洞察力をもってアメリカ労働者階級の日常をリリカルに描いている点にある。が、同曲の歌詞はそ
通算5作目のニューアルバム『Only God Was Above Us』をリリースした、ヴァンパイア・ウィークエンド(Vampire Weekend)のインタビューが実現。バンドの中心人物、エズラ・クーニグが制作背景を大いに語ってくれた。 ヴァンパイア・ウィークエンドの5年ぶりのアルバムとなる『Only God Was Above Us』は、極めて自己言及的な作品だ。エズラ曰く“サイケデリックなガーシュイン”だという「Connect」ではデビュー・シングルだった「Mansard Roof」のドラム・リフが引用され、アブストラクト・ビートの始祖デヴィッド・アクセルロッドを意識したという「The Surfer」では、脱退した元メンバーのロスタム・バトマングリと共作した過去の楽曲を発展させている。オープニングを飾る「Ice Cream Piano Piano」では、エズラ・クーニグの祖母が吸血鬼
「翻訳は本来の意味を変えてしまう」:70年代のサイケ・ロッカー、はっぴいえんどがどのようにして「日本語ロック論争」に終止符を打ったか 現在の日本語ロックの先駆けとなった伝説のバンド・はっぴいえんどの松本隆、細野晴臣、鈴木茂のインタビューが、3月26日(現地時間)にイギリスの有力新聞紙The Guardianで掲載された。 掲載された記事の和訳を、以下の通り掲載する。 松本隆と細野晴臣は1969年にロックバンドを結成する際、英語詞で歌うべきか、日本語詞で歌うべきかという選択を迫られた。議論の末、2人は母国語を選び、自国の音楽界の流れを大きく変えた。 ギタリストの鈴木茂とボーカリスト兼ギタリストの大瀧詠一もメンバーとして名を連ねるグループ、はっぴいえんどは、欧米風のフォーク・ロックと日本語のボーカルを融合させ、彼らの音楽はインターネット上で盛り上がっている80年代のシティポップファンクから近年
はちみつぱいやムーンライダーズの中心メンバーとして、日本のロックの黎明期から最前線で活動してきた鈴木慶一。その他にも、高橋幸宏とのTHE BEATNIKS、PANTAとのP.K.O、KERAとのNo Lie-Senseなど、様々なユニットやバンドでも作品を発表。近年では映画音楽の作曲家として国際的に活躍してきた。音楽評論家の宗像明将が、その膨大な仕事の全貌を捉えた『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が刊行された。鈴木慶一自身の言葉で人生を振り返った本書からは、日本のロックの歴史も浮かび上がってくる。どんな風に鈴木慶一は音楽と向き合ってきたのか。本の内容に触れながら話を聞いた。 『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』宗像明将・著 株式会社blueprint・刊 生い立ちと音楽の目覚め ー『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』によると、慶一さんは大家族のなかで育ったそうですね。社長をし
《後編》はこちら 1976年は日本ロックの集大成の年だった――「1976年の新宿ロフト」にフォーカスした本を書こうと思ったきっかけはなんだったんでしょうか? 平野悠(以下同) 新宿ロフトの過去のスケジュールを見ていると、1976年の10月1日から10日間かけて行われた、オープン記念ライブのラインナップが目立ってすごいんですよ。 ムーンライダーズ、桑名正博、高橋幸宏や高中正義がいたサディスティックス、センチメンタル・シティ・ロマンス、南佳孝、吉田美奈子、矢野顕子、大貫妙子、遠藤賢司、りりィ、山崎ハコ、長谷川きよし……他にもたくさん。 昔のファンも若い人たちも、これをみるとみんなぶっ飛ぶわけですね。だから、その時期のことを中心にして、1984年に僕がいったん日本を離れるまでのロフトの歴史をまとめてはどうかという話になったんです。 ――1976年という年は、やはり平野さん自身にとっても特別な意味
ムーンライダーズが特異なバンドであり続ける理由 優れたリスナー、先鋭的なディガーとしての鈴木慶一の功績 ムーンライダーズは、日本の音楽史において最も特異なバンドの一つである。「現存する日本最古のロックバンド」(中心メンバー鈴木慶一が2023年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した際の贈賞理由に記載)と言われるとおり、長大なキャリアを持っているのだが、その音楽性は作品ごとに異なり、一貫した味わいを保ちながらも得体の知れない広がりを示し続けている。こうした活動が後続に与えた影響も大きい。鈴木慶一ソロのプロデュースも務めた曽我部恵一(サニーデイ・サービス)や、近年のムーンライダーズに参加している佐藤優介(カメラ=万年筆)と澤部渡(スカート)を筆頭に、永井聖一(相対性理論)やアーバンギャルド、ゆるめるモ!や3776、空間現代といった面々も影響を受け、ムーンライダーズのトリビュート盤やリミックス集に参加
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