日本将棋連盟は今年の秋に創立100周年を迎える。その記念事業として、東京・千駄ヶ谷の将棋会館は駅前に建設中の新しいビルに移転する。 そこで、過去の将棋会館(連盟本部)の変遷やエピソードを紹介する。戦前は陸軍の青年将校が起こしたクーデター事件の余波を受け、さらには空襲によって本部が焼失する事態にもなった。戦後はプロ野球、大相撲、徳川家の馬場跡と、なぜかスポーツと歴史に縁があった。一連の経過を田丸昇九段が解説する。【棋士の肩書は当時】 二・二六事件の日も通常通り対局が始まったが 日本将棋連盟が創立されてから11年後の1935(昭和10)年8月。連盟は東京市赤坂区青山北町に敷地180坪の本部事務所を賃貸で設置し、12間の和室で公式戦の対局が可能になった。同年5月に創設された「実力名人戦」(現・毎日新聞社が主催)の多額の契約金によって、連盟財政が豊かになっていた。