関西のみなさん、大変長らくお待たせいたしました。 江戸時代(1840年頃)の大阪・京都周辺のGoogleマップ風地図が完成しました!!! https://t.co/c14DYgtoyG
14世紀中ごろの室町時代(南北朝時代)に描かれたとみられる、本州から九州のほぼ全域が記された日本地図がみつかった。広島県福山市の県立歴史博物館が15日発表した。現存する最古の日本地図は京都・仁和寺(にんなじ)所蔵の「日本図」(1305年)とされるが、西日本が欠けており、全体が残った地図では最古級。日本地図の変遷をたどるうえで重要な発見と注目される。 博物館によれば、確認されたのは「日本扶桑(ふそう)国之図」(縦122センチ、横57センチ)。広島出身の収集家から博物館に寄託された。国内68カ国が描かれ、地図の欄外には国名と郡名、人口や田畑の面積、寺の数なども記された。近畿を中心に九州を上に描き、京都から各地へ街道が伸びている。当時は「琉球(りゅうきゅう)」と呼ばれ、日本と中国などとの中継ぎ貿易で栄えた沖縄も記されている。沖縄を「龍及(りゅうきゅう)国」と表現する鎌倉時代の地図の特徴と、港町の
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。 ■今昔マップ on the web 首都圏編 で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。 なお、情報源はこの今昔マップが主で、一部ウィキペディアからの情報で補足しているが、事実と異なる記述があったらご容赦。自分の興味地域は、東京南部~神奈川なので、以下はそのエリアについてのみ。 【おもな放射道路編】 東海道(国道1号・15号)日本橋~品川区間。 1900ごろ時点で現在の国道15号と同じルート。市電も敷設されていた。八ツ山橋が現在の道路形状になったのは1960ごろ。品川~横浜間。 京急本線が1900ごろ時点ですでに敷設されているが、道路は現在の旧東海道のみ。六郷橋は1900ごろ時点ですでに架橋されていた。現在の国道15号品
■編集元:ガイドライン板「243 名前:水先案名無い人 投稿日:2011/05/21(土) 13:47:41.75 ID:+dvVXJZr0」より 8 名無しさん@涙目です。(沖縄県) :2011/05/21(土) 12:28:21.36 ID:/y080h040 1596年、Jan Huygen Van Linschoten(オランダ)製作 1658年、Jan Jansson(オランダ)製作 1703年、H. Scherer(ドイツ)製作 1727年、Kaempfer, E.(オランダ)製作 1740年、Adrien Reland / Reiner & Josua Ottens(オランダ)製作 1778~1784年、P.Santini / R. de Vaugondy(イタリア)製作 1809年、J. Pinkerton(イギリス)製作 1821年、「大日本沿海輿地全図
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