#3 教えて!マニアさん 「ファンシー絵みやげ」記憶から消された文化遺産 9000種集めた男 「ファンシー絵みやげ」、それは1980年代~1990年代に全国のお土産屋さんで売られていた「ファンシーな絵が施されたおみやげ」です。ピンと来ていない人もいるかもしれませんが、写真を見ればきっと思い出すでしょう。
#3 教えて!マニアさん 「ファンシー絵みやげ」記憶から消された文化遺産 9000種集めた男 「ファンシー絵みやげ」、それは1980年代~1990年代に全国のお土産屋さんで売られていた「ファンシーな絵が施されたおみやげ」です。ピンと来ていない人もいるかもしれませんが、写真を見ればきっと思い出すでしょう。
昭和オムレツの作り方 1.玉ねぎ(1/4個(60g))は5mm厚さに切り、卵(2個)は塩少々をして溶きます。 – 2.フライパンにバター(10g)とサラダ油(大1)の半量を入れ、玉ねぎ、合いびき肉(60g)を広げます。 塩、こしょう(各適量)をして中火で焼き、パセリ(みじん切り 大1)を加え皿に取り出します。 – 3.フライパンに残りのサラダ油を熱し、卵液を流して焼き、火が通れば2の具をのせます。 – 4.包み仕上げます。トマトケチャップ(適量)を添えて完成。
挟まっているものはライブのチケット・手紙・領収書・チラシ……などなど、種類はさまざま。レコードということ音楽関連のものが多いが、全く関係ないものもある。 なぜこれがこんなところに…!?と、勝手に推測しながら眺めるのは楽しい。まるで名探偵になった気分だ! ではせっかくなので私の名推理(偽推理とも言う)と共にコレクションをご覧いただきたい! 昭和アイドルの握手券 小泉今日子の握手券! 世にも珍しいキョンキョンの握手券。握手券といえばAKBなど平成のアイドルが盛んに行っていた印象が勝手にあるが、昭和のアイドルも行っていたのには驚き。 1986年に行われた全国ツアー「テロ’86 武装アイドルを援護せよ!」のものだと書かれている。多くのファンはこの握手券を握りしめながら推しと対面できることに胸を踊らせていたはずだが、ここにあるということは持ち主は握手会に行かなかったのだろう。キョンキョンとの握手を上
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー) 前の記事:濃いコーヒーを薄めて飲むコーヒー「ティント」がそこそこ美味い > 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮 カラーブックスとは 趣味で何かを集める人がいると思う。コレクションというやつだ。ミニカーを集めている人もいれば、フィギュアを集めている人、鉱物を集める人もいるだろう。私も集めているものがある。それがカラーブックスだ。 めちゃくちゃ集めています! 先にも書いたようにカラーブックスは1962年に記念すべき1巻「ヒマラヤ」から始まり、1999年の909巻「日本の私鉄 京阪」で幕を閉じる。あらゆるジャンルを発刊してきた37年間だった。 記念すべき1巻目「ヒマラヤ」 人にはストライクゾーンというものがある。私のストライク
妻の趣味の一つに「昭和っぽいお菓子の本集め」というのがある。写真のレトロさがたまらないんだそうだ。 で、僕も一緒にそういう本を眺めることがあるんだけど、ふと気付いた事がある。そういや、昔のクッキーなんかによく載ってた、あの赤い宝石みたいなのを食べてないなー、と。 久しぶりにアレが載ったクッキーとか食べてみたい。ついでにアレそのものも自作してみようか。 1973年京都生まれ。色物文具愛好家、文具ライター。小学生の頃、勉強も運動も見た目も普通の人間がクラスでちやほやされるにはどうすれば良いかを考え抜いた結果「面白い文具を自慢する」という結論に辿り着き、そのまま今に至る。(動画インタビュー) 前の記事:真っ黒すぎる塗料で脳がバグる > 個人サイト イロブン Twitter:tech_k 製菓材料の絶滅危惧種・ドレンチェリー そう、赤いのって言うのは、いわゆるドレンチェリーといわれるもの。 聞いた
早坂 暁(はやさか あきら、1929年8月11日 - 2017年12月16日[1])は、日本の脚本家、小説家。 本名、富田 祥資(とみた よしすけ)。 愛媛県温泉郡北条町(現松山市)生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。 戦後の日本を代表する脚本家のひとりである。 略歴[編集] 愛媛県温泉郡北条町(後の愛媛県北条市、現在の松山市北条)で、遍路道の大商家に生まれ育ち、幼少の頃からお遍路さんに接した。 旧制松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)を経て、海軍兵学校在学中に終戦。被爆直後の広島の惨状を目撃している。旧制松山高等学校(現在の愛媛大学文理学部の構成母体)卒業後、東京大学医学部に合格するも、医業に疑問を持ち入学せず[2][3]、日本大学芸術学部演劇学科に進学し同校卒業。 中央婦人新聞(現・日本女性新聞社)の編集長を経て、いけばな評論家として活躍。やがて子供向けテレビ番組の脚本や、ドキ
「二股ソケットって何ですか?」 こないだ30代の女性編集者にそう言われて驚いたのですが、二股ソケットといえば、パナソニック(松下電器産業)創業当時の大ヒット商品じゃないですか! ご存じですよね? 昭和世代のライター・小口でございます。「松下電器は二股ソケットで大きくなったのよ」と親から言われて育ちました。あんな大企業も小さなアイデア商品が始まりで、「千里の道も一歩から」的なニュアンスで話していたのだと思います。Appleはガレージで創業したみたいなエピソードですな。 二股ソケットとは、電球を挿すソケットが2つある照明器具です。大正時代は今のように部屋にコンセントはなく、天井からぶら下がったソケットのみでした。そこに二股ソケットを付けて、片方にソケットからコンセントに変換するアタッチメントを装着すれば、照明と他の電気製品が同時に使えるとヒットしたのです。 私が小学生の時(昭和50年代)には、
「安か油」を購入したのが全ての始まりだった。 1968(昭和43)年春。当時29歳の松本正江(79)=仮名=は、長崎県五島市内の小集落に、漁師の夫と3人息子の家族5人で暮らしていた。巻き網船に乗る夫は海に出ている期間が長く、正江は子育ての傍ら、1人で畑を耕し、野菜を育てた。近くに住む義父母の食事作りも役目だった。 そのころ、商店を営む親戚から格安で食用油を購入した。「一升瓶10本が入る木箱を3ケース。1本当たり30円安かった」。裕福とは言えない生活。油は日本酒や焼酎の空き瓶に移し替えられていて、どんな会社の油か分からなかったが、安価なのは助かった。 「あんたのとこ安か油のあっとね。分けてくれんかな」。すぐにうわさが広まった。正江は親戚や近所の人に油を配った。 「どうも変な油だった」。加熱するとブクブクと泡が出る。ねっとりして、すり身や天ぷらがカラッと揚がらない。「おかしい」と話題になった。
「昭和サラダ問題」のはじまり そのトークイベントの質疑応答で、こんな質問が出たのだった。 「主人公がよく拵えるサラダが昭和のサラダでびっくりしました。レタスとトマトとピーマンの輪切りと玉ねぎのサラダっていうのがありましたが、1970年代の喫茶店みたいです。米光さん、鴻巣さんはどう思われますか?」 ま、ざっとこういう内容です。そうですねえ、たしかに、昭和的な感じはする。小学校の家庭科の授業で作らされたサラダみたいだ。 というので、これは「昭和サラダ問題」と呼ばれるようになった。 それに加え、春樹の小説で主人公が作る料理は、どこか飲食店っぽいのである。喫茶店、バー、居酒屋のメニューや突き出し。「セロリと牛肉の煮物」「山芋のフライ」(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)とか、「缶詰の鮭とわかめとマッシュルームのピラフ」(『羊をめぐる冒険』)とか、「長葱と梅肉のあえもの」「千切りじゃが
2013年9月に開催された田村のコンサート「田村ゆかり LOVE▽LIVE 2013 Autumn *Caramel Ribbon*」に“前座”として登場して以来、オリジナル作品の発表、単独コンサート開催と独自の展開を広げている“ゆかたん”こと神楽坂ゆか。3rdミニアルバム「ひと夏の秘密」は8月26、27日に東京・中野サンプラザホールで行われる2度目の単独コンサート「神楽坂ゆか セカンドコンサート “またするの?”トクン…胸きゅん▽あばんちゅ~る」にあわせて制作されたもので、LPサイズのジャケットに4曲のオリジナルソングを収めたCDと、2曲のミュージックビデオを収録したDVDが同梱される。 なお今回のコンサートでは新作「ひと夏の秘密」のみならず、過去のミニアルバム2作品や1stコンサートの模様を収めたライブ会場限定Blu-ray「神楽坂ゆか ファーストコンサート~初めてだから…ね?お熱にサ
最近、全然見かけなくなりましたが、昭和の頃には電車の中でよく使ってましたよね? あの、封筒型のコップ……というかなんというか謎のアイテム。 当時はなぜ、何の疑問も抱かずにアレを使って水を飲んでいたのか? 実際問題、あんなもので水は飲みやすかったのか? まだ普通に売られていたので買って使ってみました。 1975年群馬生まれ。ライター&イラストレーター。 犯罪者からアイドルちゃんまで興味の幅は広範囲。仕事のジャンルも幅が広過ぎて、他人に何の仕事をしている人なのか説明するのが非常に苦痛です。変なスポット、変なおっちゃんなど、どーしてこんなことに……というようなものに関する記事をよく書きます。(動画インタビュー) 前の記事:色んなものに目玉シールを貼ると愉快になります > 個人サイト Web人生
昭和の音楽番組・歌謡曲手描きタイトル集 小泉今日子編 やきそばかおる 2013年10月22日11:41 ツイート 平成生まれ置いてけぼり企画 昭和の歌番組のタイトルは、手描きで書かれたものが多かった。 同じ曲のタイトルでも、番組によって書体が違っていて、非常に味があるものが多かった・・・というわけで、手書きで再現してみました。 (※私が映像を見ながら描いた手描きですが、なるべく忠実に再現しました) ●「私の16才」(1982) 手描きタイトルのデザインが番組によって異なることが分かるように、異なる番組の書体を紹介。 ▽「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)での「私の16才」 ※「夜のヒットスタジオ」の書体は、カクカクしていて定規を使って書いたような書体が多い。この場合の「6」は、かなり丸っこく描かれてあり、稀なケースである。 ▽「レッツゴー・ヤング」(NHK)での「私の16才
昭和の音楽番組・歌謡曲手描きタイトル集 中森明菜編 やきそばかおる 2013年11月11日11:30 ツイート 平成生まれ置いてけぼり企画 昭和の歌番組のタイトルは、手描きが多かった。 同じ曲のタイトルでも、番組によって書体が違っていて、非常に味があった・・・というわけで、手描きで再現してみました・・・の第2弾。(←予想外に好評だったのです) (※私が映像を見ながら描いた手描きですが、なるべく忠実に再現しました) ●「スローモーション」(1982) ▽「レッツゴーヤング」(NHK)での「スローモーション」 ※「レッツゴーヤング」で使われていた書体は、どこか勢いがあって、凝ったデザインのものが多い。こちらの「スローモーション」は、タイトルは「スロー」だが、「ス」「ン」などは横に流れていく残像を彷彿とさせる。 ●「セカンド・ラブ」(1982) ▽「レッツゴーヤング」(NHK)で
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