私がインターネットをやるにあたって最も気を付けていることがこちらの現象です。 lets-skeptic.hateblo.jp 「トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する」と呼ばれている投稿が必ず現れる。この原因は、自分を理解するためのスキーマを使って他人の投稿を読むために起こっているものだと考えられる。「こんなことを言うのは、こういう背景があるからだろう」という推測、つまり行間を読むのは、自分のスキーマをベースに考えているわけだ。「自分がこんなことを言うのは、こういう場面でだけだから…」というわけである。なら、自分もそういう方法(あくまで推測)で応酬してやろうとして、トンデモさんが応酬のための批判をはじめると「トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する」になる。 自分が誰かを批判したくなる時にちゃんと「自分自身の思考スキーマ」を自覚しないと、他人を批判しているつもりがただ
リベラル=高すぎる理想を説教台から語るエリート主義 リベラル勢力(含む野党)も、総理大臣や自民党という「属人的な」批判に終始するばかりで、制度的に権力を縛る具体的提案がされることはなく、「与えられた」民主主義や立憲主義が血肉になっているとは到底考えられない。 リベラルが無批判かつ無邪気に主張し続けた様々な価値観が、グローバリゼーションやアイデンティティの政治を産み、他者を尊重し思いやるための「共同体」や「個人の尊厳」を歪めてしまった。 加えて、リベラルが、その高すぎる理想を説教台から語るエリート主義(愚民思想)に陥ったことによって、怒りや不安で満たされた人々が排外主義的な価値観のもとに結束した。愚民思想が蔓延すると、生活者たちは、自分たちはリベラルに信用されていないと判断し、もはやリベラルな価値観のもとでは結集しなくなる。リベラルに対する不信は必然である。 リベラルは、非現実的な「個人」像
「まだ東京で消耗してるの?」 という文言は、意識の高いネット界隈において、 21世紀最大のキャッチコピーだったと言ってよい。あるいは 平成最大のキャッチコピーでもよいだろう。 これまで、ネット界隈では、数々のブロガーさんやら、ライターさんが、日々精進しながら、 ”面白く、刺さるフレーズ”やら、 ”心を動かす名言”なるものを生み出だそうとしているが、 まだイケダハヤト氏の発した上記のフレーズにかなうものはいない。 その意味では、この一フレーズだけでも、イケダハヤト氏が、名実ともにネット界のトップブロガーの1人であることは、間違いないと断言できる。 しかし、このネット界の万人に愛され、時には妬まれ、そしてまた崇敬の念を一手に集めたイケダハヤトという存在を 「いったい、彼はなんだったのか」と個人的にまとめてしまおうというのが、今回のテーマである。 すでに賢明なる読者諸君はお気づきだと思うが、イケ
「ドゥー・ユー・ノウ ・Kkondae?」…英BBCが韓国語「コンデ」を紹介 英BBC放送が「コンデ」という韓国語の単語を紹介して話題を呼んでいる。 BBCは24日(現地時間)、フェイスブックの公式アカウントで、「今日の単語」として「Kkondae」(コンデ=教師や威張って説教する年配者を悪く言う時の俗語)を取り上げて紹介した。 「今日の単語」は世界的に興味が持たれていたり、社会的な問題となっていたりするキーワードを毎日1単語ずつ紹介するコーナーだ。昨年は「ソファクヘン」(「ささやかだが確かな幸せ」という意味の韓国語の略語)が紹介された。 BBCは「コンデ」の意味を「自分は常に正しく、他人は間違っていると主張する年寄りのこと」と説明、「Do you know someone like this?」(そういう人を知っていますか?)と問いかけた。 関連記事を読んださまざま国のネットユーザーたち
電車の乗車マナーをめぐるトラブルは後を絶たないが、今回は度を超していた。大阪市大正区のJR大阪環状線大正駅構内で今年2月、電車から降りた男性(34)をナイフで刺して負傷させたとして、殺人未遂罪に問われた無職の男(62)に対する裁判員裁判が10月、大阪地裁で開かれた。男は事件当日、優先座席に座っていた男性とトラブルを起こし、ナイフで刺した。男は、以前からこの男性に不満を抱いていたというが、被害男性も男を他の乗客と度々もめるトラブルメーカーと思っていた。「自分勝手な正義感」が危険な攻撃性となって現れることも少なくないという。 ■「何座ってんねん」 公判資料によると、事件の始まりは2月7日午前6時40分ごろ、JR大阪駅発の環状線内回り電車。6両目の優先座席に座った男性は男から言いがかりをつけられた。 「なに座ってんねん。足悪いんか?」 男性は無視したが、両ひざを小突かれた。同50分ごろ、電車が大
「人間、話せばわかりあえるはずだ」 今年で32歳になる僕だけど、昔から一貫してずっとこう思っていた。 犬猫とは会話が成立しないからわかりあえないという事もあるけれど、人間とは対話が成立する以上、話せばわかるとずっと思ってきた。 だけどTwitterやブログをやっていて思った事はこれと全く間逆であった。 どんなに精密なロジックを組み立てたり、揺るぎない事実を元に会話をしても、過激なフェミニストを始めとする一部の人とは全くといっていいほどには対話が成立しないのである。 僕は人間はロジックとファクトで動くものだと思っていたので、むしろ逆に相手と同じレベルで対話が成立しないという事が嫌で嫌で仕方がなかった。 論理的整合性がとれるのならば、大人も子供も同じレベルで知的対話は成立するべきだと、もう十何年前もからずっと思っていた。 けど、この歳になってようやく気がついたのだけど、人と人とを対話させるのは
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