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Gameと三重に関するraimon49のブックマーク (2)

  • 株式会社マイクロキャビン創業者 / 大矢知直登 – Plus 三重

    80年代~90年代のパソコン黎明期、ゲームメーカー「マイクロキャビン」を創業し斬新なゲームを次々に世に送り出した大矢知直登氏。三重県を代表する起業家である彼の、波乱万丈な足跡を辿ってみた。 稼業は電気屋だった 大矢知の父親は脱サラして『大矢知デンキ』という電気屋を経営していた。小学生の頃から店番をやらされていた大矢知は「いろいろな電化製品が入ってくる電気屋って面白いな」と子供心に思った。 「大矢知家は代々商売をしてて、曾祖父は明治時代、造り酒屋をしてすごく儲けたらしいです。祖父は洋品屋をやってたし、親父は電気屋でした。みんな一代で廃業してしまったんですけどね(笑)。自分にもそういう血が流れてるのかな?って感じます」。 高校は鈴鹿高専に進んだ。電気屋だから高専に行かなければ、という漠然とした考えだった。 「受験で初めて高専に行った時は驚きました。建物も体育館も何もかも立派で、自動車のコースや

    raimon49
    raimon49 2021/08/01
    >ゲームの実績からいったらソニーよりセガの方がはるかに上でした。当時、有名なアーケードゲームのほとんどがセガサターンでプレイできました。セガが勝つと思った人のが多かったんじゃないかな? / はい...
  • 飯島ゆんのようにしか生きられない - 当たり判定ゼロ

    みんな〜!熱くなってる〜?? 何かやるべきことを見つけて自分の人生ブッこんでる~?? まぁそこまで夢中になって入れ込めるものってあるようでないですよね。というかそんなもんあるなら今すぐブラウザの☓ボタンを押してそのやるべきことに戻ろうな。 「1万種類の蹴りを1回ずつ練習した男は恐ろしくないが、たった1種類の蹴りを1万回練習した男は恐ろしい」と言ったのはブルース・リーでしたが、ウメハラだって「何かをやるということは、何をやらないか決めることだ」みたいな話をしてた気がします。成功者は大体この手の選択について述べていることから考えると、やはり間違いなくビッグサクセスへの近道はリソースの集中化であることは間違いないのだと思われます。 そんなこと言われんでもわかっとるがな、って話なんですけど、実際その原理が理解できているから実行に移せるのかと言われると無理ですよね。 楽しいんですよ。「人生のつまみ

    飯島ゆんのようにしか生きられない - 当たり判定ゼロ
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