タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

Aを批判するならに関するdaydollarbotchのブックマーク (2)

  • まず私のスタンスとして、件のAnan表紙は表現の自由の範疇に含まれるものと..

    まず私のスタンスとして、件のAnan表紙は表現の自由の範疇に含まれるものと考えています。それは表紙の彼が女性でも変わりません。 しかし、女性が乳首丸出しで雑誌の表紙を飾っている場合、邦においてはそれが一般紙エリアに置かれたり、その表紙がポスターとして広く掲示されることは恐らく少ないでしょう。 これが私企業の完全な裁量に基づく自主規制であるならまあ良い(企業の自由)のですが、公権力が出張ってくるなら問題です。 自主規制と言っても、それをしなければ公権力が掣肘してくるのであれば、それは政府検閲と区別がつかないということです。 日では法的な指針があまり明確ではなく、過去の判例を考えると割と微妙なところからでも立件されかねないところが怖い。 現状、日の(出版)業界の自主規制は、企業の自治よりむしろ萎縮効果(chilling effect)の寄与が大きいのではないかと危惧しています。 それはそ

    まず私のスタンスとして、件のAnan表紙は表現の自由の範疇に含まれるものと..
  • 興味・関心のキャパシティ

    anan表紙問題で「お?フェミはanan表紙に抗議しないのか?」ってのは「whataboutismですよね」って言われて当然ですね。だってそうだもん。 人には興味・関心のキャパシティがあり、すべての社会不正義に対して声をあげるなんて無理なんですよ。 この「人には興味・関心のキャパシティがあるよね」って話、べつに何も難しくなくて、当然の話ですよね。そりゃそうですよ。 キャパシティが大きい・小さいの差こそあれ、誰だって「すべての社会不正義に対して声を上げて行動する」ことはできやしない。 当事者だったり、当事者と親密だったり、何らかの理由で「この問題をなんとかしなくては」って思った人が声をあげてるんですよ。 フェミニズムもそうで、女性だったり、何らかの理由で「男女同権を目指さなくちゃ」って思った人が行動してるわけですよね。 だから女性の権利が侵された際には抗議するわけです。 それに対して「男性の

    興味・関心のキャパシティ
  • 1