【読売新聞】 戦後の先進的な建築物で、昨年解体された「中銀カプセルタワービル」(東京都中央区)の住居用カプセルの一つが10日、米サンフランシスコ近代美術館に収蔵されたことが分かった。同館は、近現代の美術や建築などの世界的コレクション
解体された中銀カプセルタワービルのカプセル。サンフランシスコ近代美術館が収蔵へ黒川紀章建築の名作として知られていたものの、2022年に解体された銀座の「中銀カプセルタワービル」。そのカプセルの1基をサンフランシスコ近代美術館が取得した。 中銀カプセルタワービル 建築家・黒川紀章の代表作「中銀カプセルタワービル」。メタボリズム(新陳代謝)思想の建築として愛されてきたものの、昨年の4月に解体されたこのビルのカプセルのひとつを、サンフランシスコ近代美術館が取得した。 サンフランシスコ近代美術館 photo:Jon McNeal © Snøhetta 「中銀カプセルタワービル」は、古くなったカプセル(部屋)を交換することで半永久的に使用できる建物として設計されており、各カプセルは取り外すことを想定している。保存派オーナーと住人が中心となった「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」は、解体後
解体されゆく「中銀カプセルタワービル」カプセルはどこへ行く? 黒川紀章の名作、日本の美術館が収蔵を現在、住人の退去と区分所有のカプセル売却が進んでいる「中銀カプセルタワービル」。黒川紀章が手がけたこの名建築は今後どのような道をたどるのか? 「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」の前田達之に話を聞いた。 文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 中銀カプセルタワービル外観 東京都中央区銀座8丁目。ここで特異な存在感を放つビルが、1972年に竣工した「中銀カプセルタワービル」だ。 中銀カプセルタワービルは、建築家・黒川紀章(1934〜2007)が手がけた世界初の実用化されたカプセル型集合住宅で、「メタボリズム建築」を代表する作品として国内外で広く知られる。建物はA棟とB棟の2本のタワーで構成されており、各タワーにカプセルユニットが取り付けられた独特の構造だ。140個のカプセルはすべ
ポンピドゥー・センターはなぜ日本建築史に注目するのか。「ジャパン・ネス」展キュレーターに聞く坂茂が設計したことでも知られるポンピドゥー・センターの分館、ポンピドゥー・センター・メッス。ここで現在、日本の建築に焦点を当てた展覧会「ジャパン-ネス Japan-ness 1945年以降の日本の建築と都市計画」展が開催されている。なぜいま、ポンピドゥー・センターはこの展覧会を開いたのか? その経緯を同展キュレーターのフレデリック・ミゲルーに聞いた。 文=村上華子 ポンピドゥー・センター・メッス外観 © Shigeru Ban Architects Europe et Jean de Gastines Architectes, avec Philip Gumuchdjian pour la conception du projet lauréat du concours / Metz Métropo
近年、台湾社会において歴史的建築物を守ろうという風潮が広がりつつある。その中で特に注目されているのが日本統治時代に遺された大量の建築物だ。この時期の日本式建築物は台湾の街中にあふれており、神社の遺構から、役所に官舎、診療所、監獄、鉄道の駅舎、製糖工場、製酒工場、たばこ工場、営林場、製茶工場、精米所や穀倉など枚挙にいとまがない。台湾の至る場所で当時の面影を見ることができるのだ。これらの歴史的建築物は、戦後台湾において長く忘れられた存在だった。だが、今は違う。多くの人が老朽化した建物の随所随所に散りばめられた工芸の美しさに気が付き始めたのだ。この台湾における「レトロ建築ブーム」の立役者はある日本の一級建築士である。渡邉義孝さんだ。 日本統治時代の建築物への情熱 2011年、日本で「東アジア日式住宅研究会」が結成された。同会は建築士や研究機関、市民団体らにより設立され、台湾、韓国、中国という、か
大正から昭和初期にかけて、ミッションスクールや教会、商業建築から一般住宅まで、日本各地で数多くの建築物を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)。約90年前にヴォーリズ自身が著し、長らく入手困難で幻の書とされていた著書『吾家の設計』『吾家の設備』が、現代の人々にも読みやすく編集され、多数の貴重写真・図面を掲載し、丁寧な解説も付されて創元社(大阪市中央区)から完全復刻された。 同書を監修する一粒社ヴォーリズ建築事務所(大阪市北区)によると、長い間これらの本を読みたいという声が、建築の研究者だけでなく、多くのヴォーリズ建築ファンから寄せられており、今回はその熱心な声に応えて、ようやく再版が実現したという。 1923年に発刊された『吾家の設計』と『吾家の設備』は、住宅設計をテーマにヴォーリズが行った3回連続の講演記録に修正を加えたもの。2つのシリーズと図書の解説を執筆したのは
【書評】『明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく』/ジラルデッリ青木美由紀/ウェッジ/2700円+税 【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授) 明治期に東京帝国大学の教授となった研究者たちは、みな欧米へ留学した。と言うか、あちらで学んでこなかった者は、そもそも帝大の教授になれなかったのである。この因習をはじめてうちやぶったのは、工学部の助教授である伊東忠太であった。 忠太は一九〇二(明治三五)年に日本を旅だち、アジアの建築調査へでかけている。中国、インド、トルコの遺跡などを、三年にわたってしらべあげた。その最後に、アリバイづくりよろしく五カ月ほど欧米をまわり、日本へ帰っている。西洋一辺倒だった明治の学界にあって、アジアへこだわる希有な学者であった。 この本は、トルコで忠太がどのような調査をくりひろげたのかに、光をあてている。オスマン帝国時代のトルコだから、まだ今のシリアやエジプ
École française d'Extrême-Orient - EFEO Kyotoさん、Benoît Jacquetさんが金曜日, 1月 29 2016に京都市で開催するイベント
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