――もともと、ベジータは誇り高き戦士です。なぜ、あの性格が形成されたと思いますか? 幼い頃に父親のベジータ王を亡くしたことが関係しているのでしょうか。 赤松先生(以下、赤松):原作のセリフを読むかぎり、ベジータはベジータ王の死にそれほどショックを受けていないようです。 一般的に、幼い子どもにとって、親は重要な愛着の対象であり、家族などの重要な他者との死別は心身に一定の影響を与えるとされています。 しかし、ベジータはドドリアとの闘いで「オレには星や仲間や親たちのことなどどうでもいい……」と発言するなど、亡き父親にそれほど愛着を抱いていない様子です。サイヤ人は戦闘民族で幼少期はカプセルで育てられるので、一般的な子どもが形成する親への愛着を持っていなかったと推察されます。 ――とすると、何がベジータの人格に影響を与えたのでしょう? 赤松:親への愛着を持てなかったことが、ベジータの人格形成に影響を
好きな配信者が死んだ話 宮部サチ 僕の“神様”が死んだ――いじめによる不登校の少年・福田の救いは配信者アマニの実況を視ることだけ。だけど、その人が配信中に死んでしまった…世界に絶望した少年はカースト上位のクラスメイト音羽と、アマニを求めて聖地巡礼の旅に出る…最後、殉教者となるために。苦しくも生々しい感情むき出しの青春ドラマ!
――『スーパーマリオブラザーズ』の発売から約38年経過していますが、なぜこのタイミングでの映画化になったのでしょうか? 宮本マリオがデビューしたころに、アメリカでミッキーマウスとマリオの人気調査があって、そのときにマリオのほうが人気という結果になったんですよね。それで「ミッキーマウスを抜きましたけど、どんなお気持ちですか?」ともてはやされたりしたのですが、「40~50年間、生き続けているミッキーマウスと新参者のマリオを比べることがおかしいです」という話をしたことがあって。でも、そのときにふとミッキーマウスはアニメーションといっしょに育ってきたので、マリオもデジタル技術といっしょに育っていこうかなと思ったんです。 それがすごくいいキッカケになって、「新しいハードが出たら(マリオのゲームを)1本作ろう」と。だから、これまでの歴史を振り返ってもらえるとわかると思いますが、同じハードではたくさん作
俺も晒すからお前らも晒してくれ ・リステリンでうがいと歯磨き めんどくさがりで夜の歯磨きさぼりがちだったけど、リステリンを常に届く場所に置いて眠くなってきたら最低限うがいだけでもする ・歯医者で月一クリーニング 歯医者嫌いだったけど、クリーニングが結構気持ち良くて癖になる。虫歯もなりにくく、なっても早期発見。銀歯治療にならない ・24時間ジムの会員 朝一のルーティンとしてジムで20分ほど運動。フリーウエイトなら短時間でも数年単位で長期間やると目に見えてマッチョに。確実に成長出来るので嬉しい。 ・鶏そぼろの作り置き 鶏そぼろを1キロ単位で作り置きしておく。飯はカロリー計算して比較的自由に食べるけど、食べやすい鶏肉料理があると非常に便利。 ・マイフィットネスパルでカロリー計算 カロリー計算アプリ。ファーストフードもコンビニ飯も検索するかバーコードで一発計算。 ・箸は割箸を使う 洗うの面倒 ・食
ここしばらく、「他人の真似」しかできない"若い女の子"について考えていたんです。それは、わたし自身がそういう女の子に真似をされがちな立場に追いやられることが非常に多かったからで、そういうのは、ものすごく消耗するんです。正直なところ。現在のネットシーンにおいては、Twitterをはじめ、おそらく圧倒的に「他人の真似」をするしかないメンタリティでいる"若い女の子"のほうが多くて(アイドルオタクとかまさにそんな感じだと思いますが)、そういう女の子たちの「自分が"特別"になれない苦しさ」「生きづらさ」「承認欲求」みたいなところは、それこそ、コスメの消費やアイドルの消費といった文脈で、「浪費系女子」なる大まかなカテゴリにおいて、これまで実に「肯定的に」語られてきたと思うんですね。 彼女たちは、自虐はどこまでも出来るけれども自己批判はまったく出来なくて、だからこそ、それでも「わたしはここいる!」「わた
ここまでもところどころで触れてきましたが、対数がなんの目的で作られ、どう役に立つのか、その意義について、ここでまとめておきましょう。 小さな数で大きな数を扱える 対数を扱う意義のひとつは、小さな数で大きな数を扱えるということです。指数をもとの数の代理人にたてて扱う対数は、きわめて巨大な数でも、扱いやすいはるかに小ぶりな数でシミュレートすることができ、また小数の指数で細かく小刻みに制御することで、それを精密に行うことができます。これは、逆に1の反対側(マイナスの指数)で桁を深く掘り込んだきわめて小さな小数についても同じです。これによって対数は、テコの原理のように、あるいはプロジェクターやプラネタリウムの映写の原理のように、手元の手頃な数を使って、マクロやミクロの世界の、巨大あるいは極小の数の現象を自由に操作することができます。 さらに、それらの、きわめて巨大な数や、きわめて微細な数も、扱いや
※この記事は6000文字ほどあるので長いと思った方は3000文字ほど削ったこちらを参照してください。 https://anond.hatelabo.jp/20170919070400 この記事では主に「ダウンロード販売専売(CG集など)」、「月額制限定公開(entyやfantia、patreonなど)」、この2つに触れています。 なお最初に断っておきますが、私は二次創作文化や投げ銭文化を否定するわけではありません。両方とも更に発展してほしいと思っています。ただそれと月額制で限定公開すること、ダウンロード販売だけで売ることには大きな差があると思っています。 なぜ二次創作が許されてきたか創作物の対価をもらうことの何が悪いのか?データなんだから全て無料公開しろとかいうバカか?近頃よく見る気がする論調です。 はい。私も賛成です。 それが一次創作ならば。 まず私の考えとして二次創作はファン活動以上で
世界中に伝えられる神話を研究した神話学者のジョセフ・キャンベル氏は、全ての神話に共通する「Hero's Journey」という理論を1949年に打ち立てました。このHero's Journeyを誰でもわかるように単純化したビデオエッセイが「Every Story is the Same」です。「Every Story is the Same」は、実際の映画を使って説明しており、非常にわかりやすい内容になっています。 Every Story is the Same - YouTube Hero's Journey理論を打ち立てたジョセフ・キャンベル氏。 Hero's Journeyは、物語が「Call to Adventure(冒険へ出発)」から始まり「Return(宝を持って帰還)」にたどり着く1つの円になっているというもの。物語を主人公の長い旅ととらえ、ポイントごとに「変化の始まり」や「
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