「明日はパン一つ」、なじみ客の言葉に残ったお金をはたいて臨時の朝市を開くと…東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(1)
1953年、ダライ・ラマ14世が北京で毛沢東に会った時の話。 数日後、私は毛沢東から「一時間以内に会いに来る」というメッセージを受け取った。彼は、到着したとき、ただ単に訪問しただけだと言った。それから、何かのはずみに、「仏教はたしかによい宗教だ。釈尊はもとは王子であったが、人民の生活条件を向上させる問題に、多くの考えを払った方だ。また観音菩薩は親切な心の女性だ」という意見を述べた。数分後に、彼は立ち去ったが、私はこれらの意見にすっかり当惑して、どう判断してよいのか分からなかった。 『チベットわが祖国 ダライ・ラマ自叙伝』木村肥佐生訳 (1986) p137 「よい宗教」て。えらい上から目線です。 この非凡な人物と私の最後のインタビューは、私の中国訪問が終わりに近付いたころであった。私が全中国人民代表会議常任委員会の会議に出席していたとき、私は毛主席邸に行って、主席に会うようにと書かれたメッ
日蓮というと、創価学会や日蓮正宗や顕正会などの大本となった仏教者で、もちろん日蓮宗の大本でもあるわけですが、創価学会や顕正会は知っていても、日蓮自体はよく知らない人も多いと思います。「良く分からんが立派な人だったんだろうな」と思ってる人も多いでしょうが、まあ立派かどうかは個人の価値観なのでさておき、かなりエキセントリックな人物であったことは間違いありません。僕は個人的にはギャングスタラッパーのような感じで理解しています。こういうこと書くと日蓮信者とヒップホッパーを同時に敵に回しそうな気もしますが、まあ気にせず、ラッパーとしての日蓮像を紹介したいと思います。 マジでリアルな修行時代 ・まず、日蓮の生まれですが、彼自身は「賤民の子」であると自称しました。生まれの貧しさや裏街道を歩いてきたと主張するのはギャングスタラッパーの基本ですね。ちなみに、日蓮は漁師の子だとか、さる高貴な血筋の方だとか色々
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