広島に関するohohnyanのブックマーク (2)

  • “生きる“ことが見える限界集落、広島県・北広島町に移住してわかったこと - SUUMOタウン

    著: shuo(束元理恵) 広島県と島根県の県境をまたいでいる雲月山からの眺望 「過疎」「限界集落」そう言われる地域に5年間住んでいた。山の猟師に、憧れていたからだ。 21歳のとき、同じ広島県内の熊野町から北広島町に移住した。北広島町は広い。平成の大合併の時にもともと四つに分かれていた町を集めて、一つの町になった。私はその中でも広島県と島根県の県境、1番の豪雪地帯の「旧芸北町」に住んでいた。 最寄りのコンビニエンスストアまでは、片道車で30分。近くにあるのはホームセンター、個人商店、農協のスーパーばかり。車がないと生活ができない、他人の言葉を借りるといわゆる「不便」な場所らしい。私の家は携帯がよく圏外になったが、どれをとっても不便だと思ったことがなかった。 そんな私が北広島町に越してきてすぐに不思議に思ったのは、今でも住んでいる人たちは合併前の旧町の呼び名で呼ぶことだ。私の周りの人たちは、

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  • JR三江線の歴史を振り返る|島根県邑南町の城

    邑南町の観光名所、歴史の紹介 ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや観光名所などを紹介しています。 消え行く鉄路・三江線の歴史 残念ながら平成28年9月1日、JR西日が三江線の廃止を正式に表明し、平成30年(2018)3月31日のラストランを持って廃止となりました。 邑南町には三江線の駅が4駅もあり、地元として非常に悲しい思いが致しますが、現状を見る限り、仕方が無いことだとは思います。 ともあれ、語らねばなるまい、邑南町における、三江線の歴史を。 JR三江線(川平駅) この邑智郡に、鉄道建設の話が持ち上がったのは明治30年のことでしたが、その時は鉄道省が下見に来て「こんな山奥は地形上無理だね」で終わりました。 三江線の建設計画が正式に動き出したのは大正に入ってからで、江津駅ができたのは大正9年。三江線建設の決定は昭和3年で、江津駅で起工式が行われました。 当初の計画は「三次ー江津間

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