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mediaとtextに関するhatayasanのブックマーク (6)

  • asahi.com(朝日新聞社):【放送】原発とテレビの危険な関係を直視しなければならない - メディアリポート - デジタル

    この原稿は大震災発生からほぼ2カ月の時点(5月9日)で書いている。大津波は壊滅的な被害を残して一応「去った」が、原発事故はいまだ「現在進行形」だ。そこで稿は、原子力発電所事故とテレビ報道の関係に敢えて絞って書き進める。それはこの問題にこそ、なぜ日の原発が今回のような惨事を引き起こす事態に至ったのかを解くための、きわめて重要なカギが含まれているように思うからだ。とりあえず論点を整理しておく。  (1)今回の原発事故の重大性、深刻さをテレビは伝えることができたか? メディア自身にとって「想定外」だったことはないか? 当初の「レベル4」という原子力安全・保安院発表に追随するような「発表ジャーナリズム」に疑義を呈することができていたか?  (2)事故について解説する専門家、識者、学者の選定に「推進派」寄りのバイアスがなかったか? その一方で「反対派」「批判派」に対して排除・忌避するようなバイア

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    hatayasan 2011/07/20
    大熊由紀子『核燃料』が転機になったことなど。
  • SYNODOS JOURNAL : 週刊誌の原発報道とどうつき合うか 佐野和美

    2011/5/249:18 週刊誌の原発報道とどうつき合うか 佐野和美 筆者は、科学と社会をつなぐ科学コミュニケーションに関わる仕事に従事している。専門家にしか伝わらない言葉で語られる内容を、一般市民も理解できるような言葉に翻訳するのが科学技術インタープリターの役割である。しかしそれは、容易ではない。情報をどうまとめ、どう発信するか?今回の福島第一原発の事故では、その難しさを改めて痛感させられることになった。 そのため、取材する記者たちは、その用語にいちいち詳細な説明を求めなくてはならなかった。正確に伝えようという意思からだったのかもしれないが、緊急事態で用語の解説をしている暇がないことを考えると、もう少し一般にわかりやすい用語に置き換える対処をするべきだった。 このように、当事者である東京電力(東電)や政府、原子力安全・保安院(保安院)が発表する歯切れの悪い不明瞭会見を補完するため、駅売

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    hatayasan 2011/05/26
    「もっとも対立構造がはっきりしていたのが『週刊現代』と『週刊ポスト』である。」これはいいまとめ。
  • 社説:論調観測…「福島第1」事故後の原発政策 - 毎日jp(毎日新聞)

    「想定外」のリスクの可能性は誰も否定できない。だから、原発政策をめぐる議論は、突き詰めれば、「想定外」の事態が引き起こすかもしれない原発事故とそれがもたらす災難をどう考えるか、になる。 ◇「福島第1」事故後の原発政策…「転換」か「維持・推進」か 何より事故回避を優先する考えに立つなら、危険度の高い原発の廃止を求め、原発の新増設にも否定的にならざるを得ない。現存する原発の老朽化・廃炉を見通せば、結果的に、原発政策の大きな転換となる。 もう一つは、電力の3割を原発に依存している「現実」から出発する考えだ。将来も原発は有力な電力源であり続け、新増設もあり得る。安全の徹底で事故の可能性を低くし、事故対応の充実でその影響を極小化することを前提にしている。理屈上は、安全措置にもかかわらず起きた事故と被害は甘受する、ということになりかねない。 福島第1原発の事故を受けた原発政策で、各紙社説の主張は割れた

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    hatayasan 2011/04/25
    「各紙社説の主張は割れた。政策の転換を明確に主張したのが毎日、朝日/産経、読売は、今後の原発政策を正面から論じた社説はなかったが、維持・推進の姿勢を強くにじませた」
  • https://b.hatena.ne.jp/kanose/20080609

    hatayasan
    hatayasan 2008/06/10
    「マスコミは報道被害を訴える受け皿があるけど、個人は一人一人に対して抗議していくしかない。マスコミを信じる信じないではなく体制があるかないかの問題」ここまで考えたことはなかった。
  • 信じる方が馬鹿と発すること - Cube Lilac

    あるある大事典のデータねつ造問題で、「テレビなんてそんなものなんだ、そもそもあるある大事典なんかを信じている方がおかしい」などという論調をよく見かけるが、そんなことを言って”賢そうに見られたい”馬鹿を見るといらいらする。「テレビなんか全てトンデモ(嘘)として楽しめ」という言葉も、同じようにいらいらする。 あるある大辞典問題で、「信じていた奴がバカだ」という奴がバカだ 少し某管理会社のことが頭をよぎりました.この管理会社は,ネトゲの運営管理をしていた(いる)のですが,その管理体制は酷いものでサーバダウンの頻発,不正ツール使用者の放置など日常茶飯事でした. その結果,“また○○か”,“あれに何か期待しても無駄”という考えがユーザの中に浸透していきました.そこまでならまだ良かったのですが,もう少し進むと不平を言うユーザに対して,“○○に何を期待してるんだ,馬鹿か?”,“文句言う位だったら(ゲーム

    信じる方が馬鹿と発すること - Cube Lilac
    hatayasan
    hatayasan 2007/01/30
    「全てを鵜呑みにせずに適切に取捨選択する意識を表に出してしまうことは必ずしも得策ではない.“信じる方が馬鹿”と言う風潮が出来上がってしまうと,相手に対して一種の免罪符を与えかねません.」
  • 【埋】「舞台論」 - 舞台に立つ人が本当に恐れるべきものとは

    日曜コラムです、こんばんは。 W杯日本代表が予選落ちを決めたのは6/23の朝でした。 その4日前の6/18夜、対クロアチア戦において 柳沢選手が絶好のチャンスをモノにできなかった ことについて、ネットでは沢山の非難が飛び交いました。 はてなのnaoyaさんが、この件についてフォローを入れた記事があります。 同じくはてなの梅田さんの「日では新しいことに対する前向きな評価が少ない」 という主旨のインタビュー記事を引用しつつ、こんな見解を示しています。 ■naoyaグループ「柳沢」 http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060619/1150705449 というか、昨日のあのシーン。 「じゃあ、おまえがやれよ」 って言われても無理でしょみんな。 このひと言には、はてなブックマークでも、 どちらかと言えば否定的な意見が並びました。いわく、 「自分で出来ないことと

    【埋】「舞台論」 - 舞台に立つ人が本当に恐れるべきものとは
    hatayasan
    hatayasan 2006/06/26
    「舞台に立つ人にとって、その人の「食い扶持」を支えるものは何でしょう。それは 「舞台裏からの評価」 ではありません。「観客席からの評価」 です。」
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