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歴史と沖縄に関するnakakzsのブックマーク (9)

  • 沖縄慰霊の日:平和の詩「生きる」全文 | 毎日新聞

    沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する相良倫子さん=沖縄県糸満市で2018年6月23日、津村豊和撮影 「生きる」 沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子 私は、生きている。 マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、 心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、 草の匂いを鼻孔に感じ、 遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。 私は今、生きている。 私の生きるこの島は、 何と美しい島だろう。 青く輝く海、 岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

    沖縄慰霊の日:平和の詩「生きる」全文 | 毎日新聞
  • 【更新】千羽鶴や遺品、遺骨までもが被害に。沖縄「集団自決」が起きたガマが荒らされる

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    【更新】千羽鶴や遺品、遺骨までもが被害に。沖縄「集団自決」が起きたガマが荒らされる
  • 沖縄がアメリカに統治されていた時代の人々の暮らしがわかる写真(1953年 - 1954年) : カラパイア

    沖縄は、日が敗戦直後の1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還までの27年間、アメリカ合衆国に統治されていたのはご存知の通りかと思う。 これらの写真は朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日)で米空軍中尉を務めた後、沖縄に渡り人々の日常を撮影し続けたアメリカ人カメラマンが撮影した、1953年9月〜1954年8月にかけての沖縄の日常の風景だそうだ。

    沖縄がアメリカに統治されていた時代の人々の暮らしがわかる写真(1953年 - 1954年) : カラパイア
  • 百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証する | 沖縄タイムス+プラス

    1925年当時、普天間飛行場の土地は村役場もあり、住民は約9千人 沖縄戦中、住民が収容所に入っているうちに米軍が占領し建設した 沖縄防衛局によると、地主の75%は軍用地料収入が200万円未満

    百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証する | 沖縄タイムス+プラス
  • キャラウェイ旋風 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "キャラウェイ旋風" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年1月) キャラウェイ高等弁務官 キャラウェイ旋風(キャラウェイせんぷう)は、琉球列島高等弁務官、ポール・W・キャラウェイ(在任:1961年2月16日 - 1964年7月31日)がとった一連の強権発動政策のことである。彼の施策は、大きく政治面と経済面に分けることができる。 政治面[編集] キャラウェイは「沖縄の自治は神話にすぎない」と公言し、米国民政府の法令である布令を度々発動して、琉球政府の権限を制約してきた。そのため、親米路線をとっていた与党・沖縄自由民主党の党

    キャラウェイ旋風 - Wikipedia
  • <1>「自治は神話」演説 1963年3月6日朝刊 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    特集 <1>「自治は神話」演説 1963年3月6日朝刊2009年3月6日  Tweet 「自治は神話である」―。1963年3月5日、キャラウェイ高等弁務官は那覇市内・ハーバービュークラブの「金門クラブ3月月例会」に招かれ演説。翌6日の琉球新報朝刊は1面で演説内容を次のように記す。  「自治とは現代では神話であり存在しない。琉球が再び独立国にならないかぎり不可能」「琉球政府への権限委譲は行政命令にも規定し、努力も払われているが現在の琉球政府の状態ではまだまだ」 演説は県民の「自治権拡大」の熱望に冷水を浴びせ、同日夕刊で立法院野党各党は猛反発した。 「沖縄が植民地であることを弁務官自身が裏づけた民主主義の否定」(安里積千代社大党委員長)、「弁務官は法なりの独裁支配、植民地支配」(岸利実社会党政審会長)、「沖縄県民の解放の盛り上がりに弁務官が直接統治による弾圧に出ることを示す」(古堅実吉人

    <1>「自治は神話」演説 1963年3月6日朝刊 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
    nakakzs
    nakakzs 2015/04/06
    2009年の記事。昨日Twitterで説明されいた沖縄の高等弁務官の言葉。
  • 菅官房長官が選んだハーバービュークラブが最悪の選択である件(二追)

    ○菅官房長官が沖縄県知事と初会談をした場所は米軍の沖縄支配の歴史の象徴的意味を持つ場所。 ○アメリカ高等弁務官は琉球政府の行政首席をここに呼びつけていたことがある場所である。形式上、菅はそれに習い、沖縄県知事を呼びつけたことになる。 ○翁長氏もキャラウェイになぞらえたのはその形式を踏まえている。 ○はてブでドーベルマン刑事ってタグがついていたけどこれですね。当時高等弁務官というのがいかに嫌われていたかが分かります。 http://ameblo.jp/fghtew/entry-11412282562.html 続きを読む

    菅官房長官が選んだハーバービュークラブが最悪の選択である件(二追)
    nakakzs
    nakakzs 2015/04/05
    そういう歴史があったのか。興味深い。|あと、最初の喩えがあるあるすぎてなんとも。
  • 【速報】4・28抗議の拳 「屈辱の日」沖縄大会 (沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

    1952年に沖縄を日の施政権から切り離したサンフランシスコ講和条約が発効した28日、政府が同日を「主権回復の日」として式典を開催することに抗議する「4・28『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市海浜公園屋外劇場で開かれた。政府式典と同時刻の午前11時にスタートした大会には県議会各会派や市民団体の呼び掛けに応じた若者から高齢者まで幅広い年代が参加した。政府の姿勢に「がってぃん(合点)ならん」の思いを一つにした。 大会決議案は講和条約の発効で沖縄は米施政権下に置かれ基的人権が奪われたと指摘。県民にとって「屈辱の日」とされる4・28に「主権回復」の式典を開くことは「再び沖縄切り捨てを行うものだ」と厳しく批判している。 会場は平和でみどり豊かな沖縄を表現する大会シンボルカラーの「緑」を身につけた参加者で埋め尽くされた。 県議会の喜納昌春議長ら共同代表や大会に賛同する市町村長を代表する稲嶺進名護

    nakakzs
    nakakzs 2013/04/29
    少なくとも歴史の見方は一面的ではない、という話。
  • 沖縄慰霊の日:「絶対生きろ」投降促した知事の言葉胸に- 毎日jp(毎日新聞)

    「女、子供に敵は何もしないから君たちは最後は手を上げて出るんだぞ」。沖縄戦の組織的戦闘が終結したといわれる1945年6月23日の直前、当時の島田叡(あきら)知事=兵庫県出身=から掛けられた言葉を胸に、県警察部職員だった山里和枝さん(85)=うるま市=は戦後67年間を生きてきた。島田知事はその後、沖縄島南部・摩文仁(まぶに)の軍司令部壕(ごう)に向かい、消息を絶った。語り部として戦争の悲惨さを訴え続ける山里さんは言う。「知事は私に『絶対に生きろ』と言ったんです」 45年5月、沖縄守備軍司令部が置かれた首里にほど近い県庁壕に、海軍から県庁職員を看護要員として派遣するよう要請があった。県警察部職員だった山里さんはすぐに応じた。「どうせ死ぬ命。少しでも役に立って死にたいと思った」 だが、たどり着いた海軍壕(豊見城=とみぐすく=市)は「地獄」だった。病棟には薬も包帯もない。治療どころではなく、壕外

    nakakzs
    nakakzs 2012/06/24
    非常に重い歴史。今の沖縄政策には色々な意見があるだろうが、この辺りの歴史を知り、ふまえないと、沖縄、とりわけ沖縄人への「今」への理解が疎かになる。|島田叡氏のことは覚えておきたい。
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