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歴史と海外に関するnakakzsのブックマーク (11)

  • 核爆弾落下、あわや大惨事 米南部で61年 広島原爆の260倍 - MSN産経ニュース

    英紙ガーディアン(電子版)は20日、米南部ノースカロライナ州ゴールズボロ上空で1961年1月、飛行中の米軍爆撃機B52から核爆弾が外れて地上に落下し、奇跡的に起爆を免れた事故の詳細を伝えた。爆弾は広島に投下された原爆の260倍の威力があり、大惨事になる恐れがあったという。 機密指定を解かれた米公文書を基に報じた。事故の存在は一般にも知られていたが、同紙は核惨事の瀬戸際だったことを初めて裏付けた「決定的証拠」としている。 同紙によると、61年1月に飛行中のB52がトラブルを起こし、搭載していた2発の水素爆弾が機体から外れ、同州ゴールズボロ郊外の牧草地などに落下した。 このうち一つは、四つある安全装置のうち三つが解除された状態となり、最後に残された「低電圧の単純な構造のスイッチ」が起爆を止めたという。(共同)

    nakakzs
    nakakzs 2013/09/21
    『博士の異常な愛情』もどきになるところだったんか。
  • 歴史的に有名な白黒写真をカラー化するプロジェクト Part1 : カラパイア

    歴史的な写真をカラー化するという試みはデジタル化社会になった今、盛んにおこなわれている。redditという海外ソーシャルサイトでは、一部のユーザーたちがプロジェクトを組み、様々なモノクロ写真のカラー化を行っているのだそうだ。歴史に刻まれた一ページが、今、カラーとなって甦る。

    歴史的に有名な白黒写真をカラー化するプロジェクト Part1 : カラパイア
    nakakzs
    nakakzs 2013/08/25
    データが集まれば、オートで高い精度で色調復元するプログラムとかも出来るかもね。
  • ギリシャ、第2次大戦の賠償をドイツに要求へ

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    ギリシャ、第2次大戦の賠償をドイツに要求へ
    nakakzs
    nakakzs 2013/04/25
    とりあえず日本も、戦後のこれ関連(賠償放棄とか)で結んだ条約とか法律の用意をしておく必要があったりするのだろうか。
  • ナチス時代肯定42% オーストリア世論調査、内外に波紋 - MSN産経ニュース

    ナチス・ドイツによるオーストリア併合75年に合わせ、オーストリアの世論調査機関が実施した調査で、ナチスのヒトラー支配下の時代について「全てが悪かったわけではない」と考える国民が42%に上った。オーストリア紙スタンダードが伝えた。 オーストリアはナチズムを掲げる組織の設立や支援のほか、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の否定や正当化を法律で禁じている。調査結果はドイツ誌シュテルンが「ショック」と報じるなど、国内外で波紋を広げている。 世論調査は16歳以上の有権者502人を対象に実施。「ナチス禁止の法律がなかったら、ナチスは思想が受け入れられ選挙で成功すると思うか」との問いに54%が「かなり可能性が高い」と答えた。「オーストリアに強い指導者が必要」と回答したのは年齢の高い層を中心に61%に達した。2008年の同様の調査では約20%だった。 ヒトラーはオーストリアのブラウナウ出身。

    nakakzs
    nakakzs 2013/03/13
    これはタイトルのつけかたが悪いように感じる。「全てが悪かったわけではない」だから、99%悪くても1%の利点を見いだせばそうなるのだし、別にナチス時代を全肯定しているわけじゃないだろて。
  • リアリズムと防衛を学ぶ

    両国が領有権を争っている島。 そこに、一方の一般市民が不法に上陸。両国の争いはヒートアップしていきました。 これは、30年前のおはなし。 1982年。南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが争いっていました。 その始まりは民間市民の上陸です。背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためでした。アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、デモを行ったり。運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、ついには戦争を引き起こしました。フォークランド紛争のはじまりです。 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります。イギリス人は「フォークランド諸島」、アルゼンチン人は「

  • アウシュビッツ強制収容所に行って分かったこと、分からなかったこと

    ナチス政権下のドイツで人類史上最大級のホロコーストが起きたポーランドのアウシュビッツ強制収容所。足を運んでみて分かったことがあり、分からないことがそれ以上にありました。 皆さん、こんにちは。世界新聞社の松崎敦史です。世界一周中のわたくし、現在ハンガリーの首都ブタペストにいます。 今回はポーランドで行ったアウシュビッツ強制収容所について。 アウシュビッツ強制収容所はこの辺り より大きな地図で アウシュビッツ を表示 アウシュビッツ強制収容所とはポーランド南部オシフィエンチム市に作られた、第二次世界大戦中のドイツナチス政権が推進した人種差別的な抑圧政策により、史上最大級の犠牲者を生んだ強制収容所である。アウシュビッツとは第1~3まであった収容所の施設群の総称を指す。(一部wikipediaより引用) 時代背景として、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が始まった。ア

    アウシュビッツ強制収容所に行って分かったこと、分からなかったこと
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    nakakzs 2012/05/06
    人を殺す、あるいは状況的に死に追いやられるのが、合理的な「日常」として存在していた、それを外から見たとき「狂気」と言う空間が存在したのが怖い。でも今の日本の労働環境等を外から見たら……?
  • ドイツ:ヒトラーの「わが闘争」再出版 国内で論争に - 毎日jp(毎日新聞)

    戦後、ドイツで禁書となってきた独裁者、ヒトラーの著書「わが闘争」の再出版をめぐり、「極右のネオナチが喜ぶだけで出版は危険」「学術目的には必要」と同国で議論になっている。ユダヤ人虐殺につながった差別思想が色濃いだけに、戦後70年近くたち、著作権切れを前にしてなお賛否が割れている。【ベルリン篠田航一】 「わが闘争」は1925年に上巻、27年に下巻が刊行された。反ユダヤ主義などヒトラーの持論に加え、大衆を扇動するノウハウについても記述されている。33年にナチスが政権を取ってからは「聖典」化し、学校の授業で使われたほか、新婚家庭にも配布された。45年の終戦まで1000万部以上が出版されている。 著作権は現在、ヒトラーが生前に住民登録をしていたバイエルン州が保有。ドイツでは作者の死後70年間、著作権が保障されるため、45年に自殺したヒトラーの著書は2015年いっぱいで「期限切れ」を迎える。 同州は

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    nakakzs 2011/09/27
    戦後60年経ってるのだし、こういう思想をもととしてナチズムが台頭したという歴史考慮の材料&教訓とするために本の存在自体はあったほうがいいのでは。気になるなら前書きあとがきに反ナチズム注釈でも書いとけば。
  • 【カンボジア】虐殺政権の幹部を裁けない理由 - ガジェット通信

    たった4年弱のあいだに、少なくとも150万人の国民が虐殺された。そんな国が東南アジアにあることをご存じだろうか。カンボジアである。撲殺、銃殺、刺殺、飢餓、そして病気など、人びとが殺された理由はさまざまだ。最大の問題は「誰が虐殺したのか」ということなのだが、いま、その責任の所在をめぐって、同国では特別法廷が開かれている。 ポル・ポト政権の誕生 1975年4月から79年1月まで、同国の政権を握ったのは「ポル・ポト派」と呼ばれる人たちであった。フランスで共産主義の洗礼をうけたインテリ層を中心に、「クメールルージュ」(赤いクメール)が60年代から森でゲリラ活動をはじめた。そして、70年代前半にベトナム戦争の余波に巻きこまれると、アメリカを嫌う人びとがクメールルージュを支持するようになる。 アメリカは、ベトナム戦争に負けるのとほぼ同時に、70年から実質的に支配していたカンボジアを放棄した。この

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    nakakzs 2011/06/30
    戦争等で政権が倒れた時、国内で政治を行える人が不足するので前の政権で政治を行なっていた人を使うことはわりとあるが(日本でも鳩山一郎とかが公職追放後に復帰していたり)、虐殺までなると難しい問題だなあ。
  • スペイン内戦により破壊され、そのまま歴史を刻み続ける廃墟の街「バルチテ」 : カラパイア

    第二次世界大戦に入る直前、スペインではマヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、貴族政治復古を願うフランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍が激しく対立していた。1936年7月、将軍グループがスペイン第二共和国政府に対してクーデターを起こしたことにより戦争に突入。この内戦は1939年3月まで続き、国内のいたるところが破壊されていった。 1937年、激化する戦争の最中、壊滅的に破壊された街の一つが、ここバルチテで、そこだけ時が止まったかのように、壊滅された状態のまま、その歴史を今に刻んでいるんた。

    スペイン内戦により破壊され、そのまま歴史を刻み続ける廃墟の街「バルチテ」 : カラパイア
  • 痛いニュース(ノ∀`) : 公開処刑となった17歳少年 遺骨は標本、皮は本の表紙にされ死後190年間晒される - ライブドアブログ

    公開処刑となった17歳少年 遺骨は標、皮はの表紙にされ死後190年間晒される 1 :名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/04/14(木) 16:10:18.62 ID:5eMmQTKg0 ?2BP 殺人犯と断定され17歳にして死刑となり遺骨が標として展示されていた少年、死後190年を経てようやく葬儀が行われ埋葬される 1821年のイギリスで、自分を捨てた元ガールフレンドのEliza Balsumさんが新しい恋人と仲むつまじく歩いているのを見かけ、頭に血がのぼり思わず小石を拾って投げつけてしまった17歳のJohn Horwood。小石がこめかみに当たりElizaさんは軽傷を負ったのですが、手当を受けにいった病院の医師が「傷口から細菌感染した」として頭にドリルで穴を開ける頭部穿孔(とうぶせんこう)手術を行ったことが原因で脳膿瘍になり、1週間後に亡くなりました。 この

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    nakakzs 2011/04/15
    サイコ映画化されそうな話だなあ。
  • こくら日記 - 悲劇の島エロマンガ

    ■エロマンガ島、健康な中学生時代をおくった日人男性であればだれしも一度は地図帳の中にその島を発見し、ささやかな期待としかし現実にはありえないはずの風景を夢想した経験があるだろう。最近の地図帳にはイロマンゴ島と書かれているらしいが、現地の発音にもっとも近い表記はエロマンゴ島である。 ■エロマンガ島はバヌアツ南部のタフェア島嶼群のひとつであり、面積は975平方キロメートル、800メートルを越えるピークを持つ火山性の島である。 ■しかしエロマンガ島はその蠱惑的な名前のイメージとは裏腹に悲劇の歴史を背負った島であった。 ■空から見るエロマンガ島は、まばらな森と草原が広がっている。集落はほとんど見られない。草原は柵でかこわれ、その中で牛たちが草をんでいる。島には8人乗りの軽飛行機がかよっているが、観光客はおろか人類学者すらほとんど訪れない。行くのが大変だからではなく、行っても何もないからだ。 ■

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