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人生に関するneputaのブックマーク (76)

  • 公園でキュウリを食う

    のにハマってる。 公園のベンチで腰掛けて、アルミホイルに包んだ味噌をつけて丸ごとう。 変化が欲しいときはライターで炙ったり、塩をかけてべる。 野球少年が汗を流しているのを見ながら、青空を肴にキュウリをう。 仕事はない。家賃は2ヶ月滞納している。借金は600万から数えていない。 だけどキュウリがえればいい。満足しているわけじゃない。ただ、あのキュウリに齧り付くあの瞬間あのだけはずっとあって欲しいと思う。

    公園でキュウリを食う
  • プログラマと学歴 - megamouthの葬列

    もはや現代では大学に行く必要はない、いや行ったほうがいい、という議論があるらしい。 大学が、「学歴」という形で、社会における個人の扱いをある程度は規定している事実がありながら、今ひとつ「大卒」であるということが、それほど重要視もされていないようにも見えるプログラマという職種こそ、このような議論がふさわしいのかもしれない。 そのようなプログラマと学歴との関係を少し書いておこうと思う。 プログラマ・カースト プログラマは奇妙な人々である。 クーラーの効いた小洒落たオフィスの最新スペックのパソコンに向き合って、鳴り続ける外線電話に出ようともしないで、その間にTwitterで卑猥なイラストをリツイートするといった、一般の社会人では考えられないような非常識を行ってもクビにならず、むしろ、これこそギークの証であると、納得される部分さえある。 そんな普通でない人々に学歴など必要なく、必要なのはただ、計算

    プログラマと学歴 - megamouthの葬列
    neputa
    neputa 2018/09/28
    素敵な内容でした。
  • ある個人事業主の死 - Everything you've ever Dreamed

    現在事業展開していないエリアへの進出が決まり、出張が続いている。連日の新幹線移動で腰がきっつー。そこで羽根を伸ばすというか腰を伸ばしたくなり、息抜きも兼ねて、空いた時間を使って前職でお世話になった方に会いに行った。2年ぶり、完全なアポなしである。その方は個人で経営しているいわゆる個人事業主の「厨房屋」、厨房機器業者で僕の知るかぎりどの業者よりもサービスが良かったので重宝していたのだ。気がかりは、前の会社を辞める前年に取り引きを停止してから付き合いがなくなっていたので彼の現状を知らないことであった。店はシャッターが下りていた。隣の商店の人に聞いたら昨年彼は亡くなって、一緒に店をやっていた奥様は子供と暮らすために引っ越したらしい。結果的に彼に引導を渡したのは僕である。そのときすでに70才をこえていた彼を僕が追い詰めたのは間違いない。 十年ほど前のことだ。その時点で厨房屋の彼との取引は数年続いて

    ある個人事業主の死 - Everything you've ever Dreamed
  • 自分の育成失敗した感がすごい

    ふだんはダラダラフラフラと生きているが、ふと、自分のものすごい育成失敗しちゃった感に気付いてしまい死にたい気持ちになっている。 自分より若い中高生とか大学入りたての人が、 小さい頃からの夢とかを持ち続けていたり、目標を定めて邁進していたり、 何か語れるもの(いやみな感じではなくて、アイデンティティのようなもの)をちゃんと持っていたり、 とにかく健全な人間性をうまいこと獲得してきて今ここに彼/彼女が存在しているんだろうなぁと思うとつらい。 人と比べてもしょうがないのはわかっている。 でも、自分はうまく成長できなくて、だからいつまでも人間性が未熟なままなのだという気持ちが拭いきれない。 そして、それを環境のせいにして、 こいつらがこんなに健康的で思いやりのある立派な人間になっているのは恵まれた環境にいたからだよなーと思ってしまう。 こんな風に考えて卑屈になるのも嫌だ。 教育実習に行った。 先生

    自分の育成失敗した感がすごい
    neputa
    neputa 2018/08/19
    わたしが好きな人は、すぐに近道を見つける要領のいい人ではなく、取り戻せない過去を悔やんだりクネクネ遠回りをしながら年をとってきた人が多い。増田もきっとそうなるひとりかもと、読んで思った。
  • どうすればよかったのだろう?施設から学校へ通っていた友人に言われた言葉が忘れられない。 - Everything you've ever Dreamed

    自転車に乗った小学生くらいの男の子2人組が、会社へ向かう僕の脇をすり抜けていった。夏真っ盛りの海に行くのだろう、浮き輪を腕に通して大騒ぎだ。すれ違いざまに見た男の子たちの姿に、僕はかつての自分たちを重ねてしまう。子供の頃の僕自身と、懐かしくて、苦い、あの夏にいるショウちゃんの姿を。僕は、なぜ、あんなことをしてしまったのだろう?と過去の自分に問いかけてもどうにもならないのだけど、問いかけることしか出来ない。 ショウちゃんは小学3年~6年まで同じクラスにいた男の子だ。仲間たちと一緒に遊んだ記憶はあるけれど、2人きりで遊ぶような特別仲のいいクラスメイトではなかった。ショウちゃんには両親がいなかった。児童養護施設から小学校へ通っていた。当時は気が付かなったけれど、今思えばそういう環境にいた彼を少し避けるような空気が確実にクラスにはあった。《シセツの子を誘ったらカワイソウだよ》みたいなことをいう友達

    どうすればよかったのだろう?施設から学校へ通っていた友人に言われた言葉が忘れられない。 - Everything you've ever Dreamed
    neputa
    neputa 2018/08/18
    大好きなフミコ文学。
  • 特撮ヒロイン工藤遥について - 🍣

    テレビ朝日の特設ステージでトークショーを行う工藤遥は僕を見ず、僕も工藤遥を見ていなかった。工藤遥はヒーローショーを観に集まった幼児達や司会や共演者を見た。僕はぼーっとどこか虚空を見つめたり、工藤遥と同じように集まった幼児達を見ていた。 普段の生活で幼児と接する機会は無い。こんなに大勢の幼児を見たのは自分自身が幼児だった頃以来だ。一通り幼児達の新鮮なリアクションを確認した後、その親達も見た。おそらく僕と同じくらいの年齢だろう。トークショーの終わりに客席に降りてきた工藤遥は幼児達と嬉しそうに触れ合い、僕はそれを茫然と眺めた。人形を2つ握りしめて。僕はそこにいてはいけないような気がしていた。 トークショーに行く2ヶ月ほど前、脳腫瘍の摘出手術を受けた。手術の後、全身麻酔から目覚めた僕は医師から簡単な検査を受けてHCU(高度治療室)に入れられた。比較的重篤な患者が大部屋に集められ、24時間体制で看護

    特撮ヒロイン工藤遥について - 🍣
    neputa
    neputa 2018/08/11
    引き込まれるように読んでしまった。
  • 田舎暮らしに憧れる人の気持ちがわからない

    東京生まれ東京育ちなんて、どう考えてもめちゃくちゃ有利なのにどうしてその権利を手放して田舎に住みたいと考えるのか。 田舎は車がないと買い物も出来ないし、最悪、買い物する場所もない。ネット回線がないところもあるし、電波が届かないところもある。 閉塞的な村社会だし、変な噂が立つのだって早い。 そりゃ自然があるのはいいとこだと思うけど、圧倒的に不便だぞ。なんで田舎に住みたがるんだ。 わけがわからないよ。

    田舎暮らしに憧れる人の気持ちがわからない
    neputa
    neputa 2018/07/09
    自分もそうだったけど、ある時から都市生活に馴染むことは生命体として弱体化することだと気づき、いまこそ眠れる野生を呼び覚ましいつか来る試練に備えなければならないと思ってからは変わったよ。
  • 人は誰かにはなれないけれど。 - Everything you've ever Dreamed

    昨夜、サッカーで日とパラグアイが激闘を繰り広げているまさにそのとき、僕は、二のセクシー動画とバイアグラで激闘を繰り広げていた。家族に見つからないよう、声をひそめてポニーテールをシュシュする悦びに浸っていたのだ。突然、理由もなくアニマルになったのではない。最近、10日ほど僕を悩ませていたミステリーがすっきりと解決し、安心したのだ。先日(先月末)、父の命日の朝に墓参りに行った。いつもの墓参りとはちがった。僕と母が墓に着いたとき、すでに墓前には盛大に花が飾られていたのである。父の命日を知っている、近しいが家族ではない人物による花、主役の向日葵とエキストラ・フラワーズ。ここ十年ほど、家族や親族以外で墓参りに訪れる人はほとんどいなかった。墓参りのスタートは、前に自分たちが飾った花を片付けるのが常となっていたので、僕らを待ち構えていた小さな向日葵の黄色と茶色の鮮やかな色彩には、日常に意外が差し挟ま

    人は誰かにはなれないけれど。 - Everything you've ever Dreamed
    neputa
    neputa 2018/06/14
    とても素敵です。
  • 何者にもなれなかったのは、なろうとしなかったから - w a k u r a b a

    なりたかったものに、なぜなれなかったのか考えた事は何度もある。 その度に私は、自分以外のせいにしたと思う。親のせい、田舎のせい、貧乏のせい、運がない? なりたいものになんか、殆どの人がなれないものさ。そんな風にうそぶいてみたりもした。 私はずっと、何者かになりたかったわけではない。 生活に追われてパート生活をしていた頃は、日々のやり繰りと、子供の教育しか考えていなかった。 そんな中、帰省した地元で同級生にばったり出会った。 中学卒業以来だった。 懐かしさよりも、地元では誰にも会いたくない気持ちの方が強かったので、早々に立ち去りたかったが、同級生はしきりに懐かしがって私にこう言った。 「小説は書いているの?」 「えっ?どうして?」 「私、タンポポは絶対に小説家になると思っていたから」 私は返答に困ってしまった。ああ、中学時代の私はきっと、恥ずかしげもなくそんな話をしたのだろう。 自分でもすっ

    何者にもなれなかったのは、なろうとしなかったから - w a k u r a b a
    neputa
    neputa 2018/06/11
    おめでとう!
  • ファミマのフラッペ飲んで泣いた話

    クライアント様企業のわがままに付き合って労働をしていた結果、土/日/月と会社に缶詰になっていた。 豊洲の綺麗な夜景を照らす蛍族としての活動が終わり、ようやく家に帰れることになった。 いっときの開放感にワクワクするものの、このワクワク感を共有していた友達も今では少なくなってしまった。 具体的には他の企業に連れ去られたり、良さそうなベンチャー企業に逃げ込んだり、実家に帰って農家をしたりするようになってしまった。 こういう時に思考は良くない方向に転がり込むもので、ファミマで晩ご飯を選びながら 夏の日の思い出とか、そういうふんわりとした言葉にならないノスタルジックな気持ちでいっぱいになっていた。 しかし、よくよく考えると、夏の日の思い出とか甘酸っぱいエピソードとかそういうのは何一つ無いし、 サークルで合宿だのBBQをやっても後片付けばかりしていたし、未だに好きな女の子と手をつないだこともない。 「

    ファミマのフラッペ飲んで泣いた話
    neputa
    neputa 2018/06/06
    クライアントになんの役に立つかわからないExcelを提出するのも、この広大な宇宙における営みのひとつなのだよね。
  • 角幡唯介 on Twitter: "彼の悲劇は、無力な若者が夢をつかみ取るという道化芝居の舞台をヒマラヤに求めたこと。経験を積んでそのうち道化芝居役者から本物の登山家に脱皮できればよかったのに、それをできなかったところが残念というか、憐れというか、自業自得というか。エベレストで芝居やってりゃ、そりゃいつか死ぬって。"

    彼の悲劇は、無力な若者が夢をつかみ取るという道化芝居の舞台をヒマラヤに求めたこと。経験を積んでそのうち道化芝居役者から物の登山家に脱皮できればよかったのに、それをできなかったところが残念というか、憐れというか、自業自得というか。エベレストで芝居やってりゃ、そりゃいつか死ぬって。

    角幡唯介 on Twitter: "彼の悲劇は、無力な若者が夢をつかみ取るという道化芝居の舞台をヒマラヤに求めたこと。経験を積んでそのうち道化芝居役者から本物の登山家に脱皮できればよかったのに、それをできなかったところが残念というか、憐れというか、自業自得というか。エベレストで芝居やってりゃ、そりゃいつか死ぬって。"
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    neputa 2018/06/05
    ガチの冒険家の人。この方の言葉からはいつも生き方がにじみ出ている。「冒険」はマスを率いては成り立たないものなのかも。
  • 同性を愛するということ 勝間和代のカミングアウト

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    同性を愛するということ 勝間和代のカミングアウト
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    neputa 2018/05/28
    それまでの人生でオープンにできなかったことを話せるようになった、それほど大きなキッカケとなる出会いに巡り合えたのですね。素敵です。
  • 大東亜戦争従軍記 | 東南アジアを転戦した祖父の私的な従軍記です。 | ページ 2

    ジャワ島は赤道の南で、日内地とは夏冬反対だが、時間はほぼ同じで、五時ごろにはほのぼのと明るくなる。そのころ、我々も小発に乗っていよいよ敵地に乗り込む段になった。船腹を縄梯子に伝わって降りる訓練は航海中にやっていたので、大体のコツは分かっているつもりだったが、さて重い装備を付けて実際にやってみると、ぶらんぶらんと揺れている梯子を降りるのには一汗かかされた。それでも落ちた者も無く、予定通りに小発に移乗して、一直線に陸地に向かって走り出した。兵隊たちは、膝の上まで塩水に浸かりながらものんきに話しをしながらゆっくりと上陸した。 そこは一面の椰子林で、既に上陸した部隊の兵が大勢あっちこっちで休んでいた。我々も適当な場所に一塊になって休んでいるうち、すっかり夜は開け放たれ、まばゆいような熱帯の太陽がギラギラと照りつけ始めた。そうなってみると、あっちにもこっちにも名も知れぬ赤い花が咲き乱れているのが見

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    neputa 2018/05/27
    ジャワ島上陸四から
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    neputa
    neputa 2018/05/25
    "人間である以上、ノーミスで棺桶まで行くことはできない" 言葉も写真映りもダンディーだ。
  • 父は72歳の5歳児になった

    父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護の認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。 2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。 母は介護と家事と仕事で疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中をカバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。 父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理と日曜大工と植物の世話が好きで、グルメでワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこな

    父は72歳の5歳児になった
    neputa
    neputa 2018/05/25
    書いてくれてありがとう。
  • 社会に出る引きこもりにアドバイス下さい

    拾う神もあるもんだな。 7年間も引きこもった奴を正社員で雇ってくれる会社があるとは。もう当感謝しかない。就職決まって良かった。連絡を貰った時は嬉しくて涙が出てきた。 が、そんな嬉しさもつかの間で、今度は恐ろしい恐怖が襲ってきた。 引きこもり期間中も、将来の自分を憂えて頭がどうにかなりそうだったが、今は社会に出ることが怖くてたらまらない。 自分は社会人経験全くゼロの人間だ。いい歳してな。当に終わってる。社会人って何だ。どうやってなるんだ。怖い怖い。 小さい頃から何事も最後までやりきれない。逃げ癖がある。だから引きこもりになった。 「死ぬくらいなら、病むくらいなら、逃げなさい」 皆そう言ってくれたが、その結果が今の自分だ。引きこもり期間はやはり地獄だった。もう戻りたくない。 何度もの惨敗を経てようやく雇ってくれた会社だ。ここでしがみついて真人間にならねば。が、数か月後には逃げている自分がチ

    社会に出る引きこもりにアドバイス下さい
    neputa
    neputa 2018/05/13
    大きな一歩ですごいと思います。ただゴールではないので転職するかもしれないし、その職場で長く働くかもしれない。だから次の一歩だけに集中し自分のペースで行けるといいのかも。見知らぬ者同士だけど応援してます
  • 実家つらい

    卒研も行き詰まり就活もできなくなり唯一希望だったロキノンの試験は先日渋谷陽一の署名で丁寧にお祈り申し上げられた。まあちょっと音楽が好きなだけでロキノン大して読んでないのがバレバレだったんだろうから仕方ない。 別に高望みはしないんだけどな。結婚も子育ても一切する気はないし、僕の人格にはその資格もないと思うし、ある程度休みがもらえればなんでもいいし、そういう企業を探して受けまくればいいだけなんだろうのにこんな短期間でダメになっちまった自分にほとほと嫌気がさす。 人の話を聞かず、キレると手のつけられなくなる父親が嫌いで気で殺してやりたくて、殺すか死ぬか家を出るかの選択肢の中から最後を選んで東京に進学した。 3年までで卒業単位はほぼ取り終わり、あとは卒研に取り掛かるだけといった時期から体調を崩し始めた。初めは腹の具合が悪くなり、飯がえなくなり、微熱と頭痛が続き、これではダメだと科学的知見に基づ

    実家つらい
    neputa
    neputa 2018/05/11
    増田もお父さんも間違ってないと思う。ただ理解し合うには適したタイミングでは無かっただけなのかと。タトゥー、一生背負うものだから焦らずに時間をたっぷりかけていいモノを彫ってね。
  • 「人」はいない。「状態」があるだけで、それは環境によって変わる。 - チェコ好きの日記

    あくまで私の場合だけど、旅行なんて遊びに行ってるだけなので、そこから得た学びなんてそう多くはない。だけど世界の様々な地を歩き回った中で、確信を持ったことが一つだけある。 それは、「人間は環境の奴隷だ」ということだ。 「人」はいない、「状態」があるだけ。 この考えがちゃんと伝わるかどうかあまり自信がないんだけど、たとえば、あなたが日頃仲良くしている「とっても感じのいい人」を誰か一人思い浮かべてみてほしい。彼/彼女はいつも上機嫌で楽しそう、他人を悪く言ったり無闇に嫉妬したりせず、何かと気が利いて、自分の仕事や夢にいっしょうけんめい。「何だか感じの悪い人」がもしいるとしたら、これをそっくり反対にすればいい。そういう人は、いる。 ただし最近の私が思うのは、「感じのいい人と、感じの悪い人がいる」という言い方は実は適切ではなくて、「感じのいい"状態"を保てている人と、保てていない人がいる」という言い方

    「人」はいない。「状態」があるだけで、それは環境によって変わる。 - チェコ好きの日記
    neputa
    neputa 2018/05/04
    とても共感です。"「感じのいい人と、感じの悪い人がいる」という言い方は実は適切ではなくて、「感じのいい"状態"を保てている人と、保てていない人がいる」という言い方のほうが、より正しいんじゃないか"
  • ミッドライフ・クライシス(中年の危機)の真ん中で - いつか電池がきれるまで

    p-shirokuma.hatenadiary.com pha.hateblo.jp toya.hatenablog.com 僕がこの「ミッドライフ・クライシス」(中年の危機)という言葉をはじめて意識したのは、12年前でした。 この概念そのものは、けっこう前からあるみたいなんですけど、成人式とか認知症みたいなもので、自分には(時期的に)、まだ(もう)関係ない、と思っているときに触れても「ふーん、世の中には、そんなものがあるんだねえ」みたいな感じだったのでしょうね。 いまから12年前って、僕は30代前半くらいだったのか、独身だったし、ようやく少し仕事らしいこともできるようになったし、という時期だったと思います。 リアルタイムでは、いろんな悩みはあったんだろうけど、どんなものだったかは、もう忘れてしまっています。 そのきっかけになったのが、映画監督の周防正行さんが書いた、このだったんですよ。

    ミッドライフ・クライシス(中年の危機)の真ん中で - いつか電池がきれるまで
    neputa
    neputa 2018/05/01
    なるほど。"「問題が生じる時期」ではなくて、「問題があることに気づくというか、それまでの人生では、先送りにできていた問題に、向き合わざるをえなくなる時期」なのかもしれません"
  • 「ありがとう、チャオチャオ」 - ururundoの雑記帳

    「時の経つのは速いな 寂しい、とても寂しい」 と、ポーランド人のジャグァッシュは言う。 チャックの畑のボランティアとして 2週間滞在する予定を、後、2週間延ばし ついにここを離れる前の日。 余程、ここが気に入ったのか 何回も「寂しい」と言う。 チャックのレクチャーを聴きに 琵琶湖まで行ったり 福井の若狭湾が遠くに見える峠に登ったり バスに乗らずに10キロ程の山の道なら歩いたり。 ヘルマン・ヘッセや内田光子 オペラの当て合いっこやアンジェイ・ワイダ ギュンター・グラスや難民の話など。 日の山の中の小屋でこんな話をするなんて 思っても見なかっただろう。 今日 チャックの車に乗り 「ありがとう、チャオチャオ」と帰って行った。 おやおや、目が潤んでいたよ。 東京から上海へフェリーに乗って、 香港、ベトナム、インド、オーストラリアへ。 そしてトルコからギリシャを経てポーランドへ帰る。 出来れば ブ

    「ありがとう、チャオチャオ」 - ururundoの雑記帳
    neputa
    neputa 2018/05/01
    Homeward Bound 久しぶりに聞きました。名残惜しむ気持ちが強いのは、それだけ素晴らしい滞在だったことを物語っているように思います。